*あおいのママは2007年12月15日、東京・永田町の星稜会館で行われた証言と提言の集会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会主催)に参加しました。その際に配布された資料をテキストにしましたのでご紹介致します。よろしかったらご覧になってください。 以下の文章は、タイの国際会議で発表されたシン・ドンヒョク青年=写真右=の証言です。まとめたのは韓国人の人権運動家、金尚憲さん。
シン・ドンヒョク青年は1982年11月19日に政治犯収容所で政治犯の息子として生まれました。収容所内で母と兄の公開処刑に立ち会ったり、強制労働につかされて育ったつらい体験を証言しました。証言を半分に縮めて紹介します。(かるめぎ編集部)
火あぶりによる拷問 1996年4月6日午前8時ごろ、私は学校に着くと、車が学校に来て数人の人が、私のところに来て、何も言わずいきなり手錠を掛けたうえ目隠しをして車に乗せて見知らぬ場所へ連れて行きました。私は、エレベーターで下に降ろされ、目隠しを解かれて、灯りが一つだけ灯った暗い部屋にいることが分かりました。
何もないこの部屋では、私の前の机に男が一人座っていました。この男は、一枚の紙を渡し、読むように言いました。この紙には、朝鮮戦争で韓国に協力し、韓国に逃れた父の二人の兄弟の名前が書いてありました。私は、これを見て、父と兄弟がこの収容所に連れて来られた意味が初めて分かりました。私は、この紙に署名し、指印を押しました。
ここは、地下にある秘密となっている拷問をする第14政治犯収容所第7室で、小さな電灯が一つだけ天井にあるだけで、他には何もない、小さく暗い部屋でした。その日の明け方、母と兄が収容所から逃げようとして捕まったが、これは、家族が共謀して行ったことであると言われました。恐ろしく思いもよらぬ犯罪で、聞いた時には非常に驚きました。翌日私は、ありとあらゆる拷問道具が備えられた部屋に連れて行かれました。
私はこの部屋で裸にさせられ、両足に手錠を掛けられたうえ両腕をロープで縛られてから、両手、両足を天井から吊らされました。一人の男が誰が逃亡計画を考えたのか、本当のことを自白しろと言いましたが、私は何も知らないと言いました。不思議なことに、この時は恐怖というものを感じませんでした。今でも不思議に思っています。
私は、腰部に熱さを感じて悲鳴をあげ、本能的に火から逃れようとしました。拷問は、股の付け根近くを金属製留め金で止められて身もだえも出来ず、大声で叫びましたが、直ぐに意識を失いました。
どのくらいの間無意識でいたかは分かりませんが、気がつくと大便と小便を垂れ流しの状態で体を揺すられていました。私は力を振り絞って起き上がろうとしましたが、腰部に非常な痛みを感じました。私の下腹部は、傷つき、出血していました。数日後、痛みは酷くなり、体も弱わり、酷く悪臭をはなっていることから、警備員は、部屋に入ろうとしませんでした。警備員は、私を向かいの老齢の人が一人いる部屋に移しました。
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posted by あおいのママ at 11:09| 千葉

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'07 12/15 証言と提言の集会
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