2017年05月26日

あおいのパパ(夫)が旅立ちました

 皆様、すでに【調査会NEWS2469】(29.5.25)で流れていますので、ご存じの方もいらっしゃると思います。私の夫・あおいのパパが昨日5月25日(木)の午前5時半に○○医大柏病院で息をひきとりました。見舞いに来てくださった友人の皆様、川添さん、荒木さん、本当にありがとうございました。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。これから夫は55才のまま私の心の中で生き続けます。

*なんで自分が【調査会NEWS2469】(29.5.25)
http://araki.way-nifty.com/araki/2017/05/news246929525-b.html
*上野さんのお通夜・葬儀の日取り
http://araki.way-nifty.com/araki/2017/05/post-8425.html
posted by あおいのママ at 19:46| 千葉 ☔| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

骨髄移植は失敗しました

20170211お見舞い200.jpg

 あおいのパパ(夫)が市内の病院に入院してすでに4か月が過ぎました。(病名は“成人T細胞白血病/リンパ腫”です)毎日「何が起こるかわからない」状況が続いていて正直つらい時もあります。

 3月8日に臍帯血の骨髄移植(同種造血幹細胞移植)を受けましたが、生着不全で失敗に終わりました。そのため近いうちに再度臍帯血移植が行われる予定です。皆様、今度こそ造血細胞が上手く生着するように祈っていてくださるとうれしいです。

*皆様、いつもあおいのパパ(夫)を励ましていただきありがとうございます。現在、個室のクリーンルーム(無菌治療病室)で治療しており、面会は家族以外できません。差し入れなども規制があり病室では受けとれない場合もございます。せっかく面会に来ていただいた方には本当に申し訳ないのですが、病院に来られる方は事前に連絡していただけると助かります。

*詳細はFacebookに載せています。こちらにも前回の続きを掲載致します。

続きを読む
posted by あおいのママ at 06:37| 千葉 | あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんがお見舞いに来てくれました

20170110お守りと手紙102.png

 あおいのパパ(夫)が悪性リンパ腫(成人T細胞白血病/リンパ腫)で緊急入院してから2か月が経ちました。がん薬物療法(治療)が良く効き、今のところ心配していた副作用も特に問題となるようなものは起きていません。今までの経過は担当医師も驚くほど順調です。何もかも本当に運が良かったと思えることばかりで、今後、骨髄移植が行われますが、これからも幸運が続くように、皆様、私たちと一緒に祈っていてください。

 今までお見舞いに来てくださり励ましてくださった友人・知人の皆様、本当にありがとうございました。先週の2月8日には特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さん(拓殖大学海外事情研究所教授)が病院に来てくださいました。1月には荒木さんから病気平癒のお守りと心のこもったお手紙をいただいており、あおいのパパ(夫)も大変感動して泣いておりました。(*上の写真)回復しましたらなお一層、拉致問題解決のため努力したいと思います。

*詳細はFacebookに載せています。こちらにも前回の続きを掲載致します。

続きを読む
posted by あおいのママ at 03:23| 千葉 ☁| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

あおいのパパ(夫)が癌で入院しています

161204ミーティング100.jpg
*2016年12月4日(日)、ひまわりボランティアの会のミーティング(第8回:パレット柏にて)をあおいのパパ(夫)と一緒に行いました。

 皆様、明けましておめでとうございます。今年もaoi blogをよろしくお願い致します。

 久々の更新で、しかも新年からこのような暗いタイトルになってしまい申し訳ございません。あおいのパパ(夫)が昨年12月12日から入院しています。悪性の血液のがんと診断されており、今後もかなり厳しい状況です。

 私たちは二人きりの家族です。あまりに急なことで私も戸惑う毎日です。あんなに元気だった人がどうして。あおいのパパ(夫)は今55才。つらい治療にも耐え本当に頑張っています。どうか皆様、あおいのパパ(夫)が回復するよう祈っていてください。お願い致します。

*詳細はFacebookに載せてきました。こちらにも今まで書いたものを掲載致します。

続きを読む
posted by あおいのママ at 02:50| 千葉 ☔| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

おもいでさがしに

母子手帳とへその緒.jpg

 今年も9月がやってきました。明日は9日、我が子の誕生日、そして命日です。なくした記憶をさがすのはつらいけど、ほんの少ししかないおもいでです。生涯ただひとりの子となってしまった娘を静かに偲びたいと思います。

*aoi blogはしばらくの間、更新をお休みさせていただきます。ごめんなさい。
posted by あおいのママ at 22:59| 千葉 ☔| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

喜びの部屋で

200709092108000.jpg

*今年はこの向日葵を飾りました。

 平成15年9月9日午前4時頃、私は分娩室から車椅子でその部屋に運ばれた。疲れ切っていたのでどんな部屋かわからなかった。ただその時は真っ暗だったように思う。

 睡眠薬を飲みベッドに入ったがなかなか眠りにつけない。夫が横で心配している。早く寝なければと気を落ち着かせようとした。

 しばらくして夢を見た。小さな子を捜す夢で、歩けない私が泣きながら必死で呼んでいる。子の姿がはっきりしない真っ白な夢。悲しくて寂しくて苦しい夢だった。

 目を覚ますと青い空がまぶしく感じた。部屋は一面窓からの陽の光でいっぱいだった。ここはファミリータイプの角部屋でプライバシーも守られる。窓が大きい広くて明るい喜びの部屋だったのだ。

 本来ならここは誕生した新しい命をみんなで祝うべき部屋。そこで私はまずわが子の旅路の衣装を作らなければいけないのだ。小さな毛糸のカーディガン、まだまだ暑いこの季節には不似合いなベビー服。でもこれがわが子にできる最初で最後の母親らしいことだった。

 別れの日、せめて一口でもいいから母乳を飲ませたいと思った。でも前日に母乳を止める薬をもらっていた。お乳が出てしまってから飲んでも効かない薬だという。赤ちゃんを亡くした母親にとって、その後にお乳が出るのはつらく悲しいこと。でもこの子が生まれた時、口を開けてお乳を欲しがっているように見えた。だから私は薬を飲まない選択をした。

 喜びの部屋で必死にお乳をあげようとする母親の私。助産婦さんも一生懸命にマッサージしてくれたが、とうとう母乳は出なかった。泣いて泣いて泣き続けた。息絶えたわが子を抱きしめながら、旅立つこの子に何もしてやれないと泣き続けた。

 あれから4年、娘を想い泣かぬ日はない。自分を責め続けながら、これからも毎日を生きていくのだろう。
posted by あおいのママ at 18:16| 千葉 ☔| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

あかちゃんごっこ

朝起きたらパジャマからベビー服に着替える
哺乳瓶のミルクをうんと飲ませて
抱っこして背中をポンポンげっぷさせる

ベビーカーでしばらくお散歩する
リビングのソファーでお座りして
ママと一緒にテレビを見ようね

おやつは何がいいかしら
ママの好きなお菓子を食べよう
歌を歌いながらちょっとお昼寝
そして夜になったら親子で寝んね

また朝が来て昼が来て夜が来て
毎日そうして過ごしていく

何年経ってもあおいちゃんは
ずっとあかちゃんのまま
お人形はちっとも大きくならない
いくつになっても私たちが年をとるだけ

悲しみだけが大きくなっていく
posted by あおいのママ at 14:09| 千葉 ☁| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

黄色いカーディガン

 私は妊娠がわかった時から、わが子に着せたくて「黄色いカーディガン」を編み始めた。出産予定日は平成16年1月1日。冬に生まれるわが子のために編もうと決めた。

 記念すべき退院する際に着るベビードレス、帽子、靴下、手袋、おくるみを編む前に、久しぶりに編み物をするのでならす意味で、12ヶ月頃まで着れそうなカーディガンを編むことにした。

 その時点ではまだ男の子か女の子かわからなかったので、とりあえずどちらでも似合うように柔らかな色の黄色の毛糸にした。

 しばらくして「お腹の子は男の子です」と先生に言われ、「そうなのかなぁ・・・」と納得できなかったんだけど、「まぁ、男の子でも黄色は似合うから」とパパにも応援されて、何とか前身ごろ、後ろ身ごろ、袖などのパーツを編み終えた。

 後はそれぞれのパーツを縫い合わせて、そして仕上げにボタン付けをすればできあがる状態になった。

 このカーディガンを編むのは私にとって本当に大変だった。編み物が特に得意だというわけでもないし、久しぶりに編むというのに、難しい模様編みだったから。何度間違えて編み直したことだろう。本とにらめっこしながら、「もうやだ〜!!」って何度言ったことだろう。

 つわりで吐き気が続いたし、微熱や頭痛で気分がすぐれなくてつらかったし、夜はなかなか眠れなかったし。私は大柄なので「妊娠中は体重を増やしてはいけない、むしろ減らすように」と先生や栄養士さんに言われ、元の体重より1.7キロ増えた時は怒られてしまった。妊娠は病気じゃないって言うけど、私にはそう思えないほど苦しく感じた。

 そんな中、後は仕上げだけという状態になったので、ものすごくうれしかった。パーツを合わせてみると「赤ちゃんて何て小さいんだろう、こんなにかわいいんだね」って、パパと一緒にここまで仕上がったことを喜んだ。

 遅くに生まれてくるわが子。パパもママも長男長女で、父も母も25〜6歳の時の若い時の子どもだった。わが子にとって私たちは決して若くなく、この子はお友だちの若いお母さんを見てうらやましく感じるかもしれない。本当にごめんね、あと5歳若ければねぇ・・・、そんなことをずっと考えていた。

 だからせめてできるだけ手作りをしようと思った。愛情をたくさん込めて色んなものを作ろうと思った。

 平成15年9月9日、生まれたわが子は男の子ではなく女の子だった。そして誕生死。誕生日が命日となってしまった。

 2日後の11日に退院することになった。体の悪いところはこれから外来でということになった。婦長さんが「ここに入院しているのはつらいだろうから」とおっしゃって、早めに退院させてくれた。

 退院する日がわが子とお別れの日になった。婦長さんのはからいで、かたちだけでも授乳することもできた。私とわが子をつないでいたへその緒もくださった。そして業者の方に頼んで小さな棺を用意してもらった。

 50センチにも満たない小さな棺に、パパが買ってきてくれたかわいい御花を散りばめた。戌の日に水天宮で買ったお守りを持たせた。そしてわが子には、あの黄色いカーディガンをかけてあげた。

 私が初めてわが子のために編んだ黄色のベビー服。前日にそれぞれのパーツを編み合わせて仕上げた。それを旅路の衣装にした。よく晴れた青空がまぶしい、とてもとても暑い日だった。冷暗所から来たわが子は汗をかいていた。「こんな暑い日に毛糸のカーディガンでごめんね」と謝った。

 あんなに小さいと思った黄色いカーディガンは、わが子にはとても大きかった。でも不思議とよく似合っていた。

 業者の方、婦長さん、看護師さん、助産師さん、パパとママの6人で最後のお別れをした。看護師さんが「ママのカーディガンがよく似合いますね」と言ってくれた。助産師さんも一緒に泣いてくれた。

 お世話になった病院の皆さんにごあいさつをして退院した。火葬場までパパがわが子の御棺を抱いて連れて行った。火葬する際に、職員の方から「お子さんが小さいので、もしかしたらお骨が残らないかもしれません」と言われ悲しかった。

 「ずっと愛し続けるよ!!」パパが大声で叫んでいた。私は「ごめんね、ごめんね」と謝っていた。

 あおいはお骨になった。マッチ棒より細いお骨になった。この世に生まれた証をちゃんと残してくれてありがとうね、あおいちゃん。

 小さな骨壷のわが子を抱いて帰路に向った。電車で下校途中の中高生が大勢乗ってきた。制服を着た女の子が楽しそうに笑っていた。この子も大きくなったら、こんなふうに楽しそうに笑うのだろうか。涙が止まらなかった。

 あおいは今もわが家にいる。ずっと赤ちゃんのままで。あの黄色いカーディガンが似合う小さな赤ちゃんのままで。

*向こうの病棟 《病院にて》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6708580.html
*「あおいのページ」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/333731.html
posted by あおいのママ at 22:11| 千葉 ☔| あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月30日

★あおいちゃん★

aoi2.jpg

 2003年9月9日生まれ。私たちの愛しいただひとりの娘です。あおいちゃんのことは2004年9月9日の日記に書きました。写真は、ママのお腹にいた時の元気にしていた頃の最後の写真です。

《私たちの娘あおいのお誕生日》

あおいちゃんへ

 あおいちゃん、あれからもう一年経つんだね。

 平成15年9月9日午前2時6分、あなたは私たちの第一子として誕生しました。体重504グラムの超未熟児。23週と5日、7ヶ月弱の切迫早産でした。
 
 入院先の病院から、救急車で未熟児対応の病院に移送される途中、あなたは生まれそうになったけど、病院に着くまでがんばってくれたね。あれが陣痛だということも知らない、何もかもが初めての経験でした。苦しくて痛くてそして不安なママを、ずっとパパが励ましてくれたんだよ。

 「破水したらあきらめてくれ」と先生に言われていたけれど、破水してもあなたはママのお腹の中でちゃんと元気に動きまわっていましたね。ママはモニターからあおいちゃんの元気な心音をずっと聞いていたよ。トックントックンって。「ママ、私は元気にしているよ」って。
 
 パパもママも「奇跡よ、起きて!!」とずっと思い願い続けていました。

 あおいちゃん、あなたは何も悪くない。ただママの子宮ががんばれなかっただけだから。守ってあげられなくて、助けてあげられなくて本当にごめんね。どんなに苦しかっただろう。ママが代わってあげたかったよ。

 パパがね、先にあなたと会ってだっこしたんだけど、そりゃあもううれしそうに、そして涙を流しながら、「かわいい女の子だよ。ありがとう。」って言ってくれたの。あんなにうれしそうな顔を、結婚して15年経つけど初めて見たよ。
 
 ママはね、あなたがどんな姿で生まれてきたのだろうかと、対面できないのでは、と思っていたのだけど、あなたに会ってだっこして本当にびっくりしました。こんなにかわいくてきれいな赤ちゃんを初めて見たから。親バカかもしれないけど、パパとママのいいところを全部受け継いでくれたんだね。

 病院の配慮で、お別れする前にあなたに授乳することができました。でもママはおっぱいが出なくて、かわいいお口につけてあげることしかできなかった。お口を「あーん」ってあけてくれたのにごめんね。

 まるで眠っているようで、本当に天使みたいだったね。髪の毛も産毛も小さな爪も生えていて、本当にただただ小さいだけのわが子。まだ呼吸の練習中だったのにママが産んでしまったんだね。

 生まれた日が命日となってしまった。どんなに自分を責めてみても、もうあなたに会うことができない。

 あなたを失って、でも世間は何事もなかったように時が過ぎてゆく。ただ私たちだけが悲しみでいっぱいで、どこに出かけるのもつらくなってしまいました。

 そしてママは歩くことが困難になってしまったの。でもね、数ヶ月のリハビリで講演会等にも行けるようになったんだよ。あなたがママの体の悪いところをみんな教えてくれたと思って、がんばったよ。

 あおいちゃんがママやパパのことをどんなに思っていてくれたのか、見守っていてくれたのか私たちは知っているから、あなたの分までしっかりしないとね。

 あなたの存在をママが知ったのは、昨年の5月7日の国民大集会の時だったね。だからあの日を忘れないように、女の子だったらずっと「あおい」と名づけようと決めていました。
 
 あおいちゃんが応援してくれるからパパもママもがんばれる。あの空の向こうに海の向こうにいる方々はみんな、私たちにとってはあおいちゃんだと思っているの。『あなたを取り戻したい』そういう思いで、これからも出来るかぎりのことをしていきたいと思っています。

 でもしばらくはうんと泣かせてね。人生最大の喜びの日が悲しみの日となってしまいました。小さかったあなたが、もっともっと小さくなって我が家に帰って来ました。ママもパパも今はあなたを想って泣くことしかできないから。

*『誕生死』
http://homepage3.nifty.com/angel-book/
posted by あおいのママ at 23:52| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自己紹介 ★あおいのパパ★

 196?年生まれ。出身は栃木県足利市です。小学校の時に長崎県長崎市に引越しました。地元の高校卒業後、上京しました。高校はキリスト教系、大学は仏教系でした。ローマ法王のヨハネ・パウロ2世にお会いした?ことが自慢だそうです。

 趣味はママと同じスポーツ観戦です。パパは子どもの頃に少し陸上をやっていました。今は時々スポーツクラブのジムとスイミングで体を鍛えております。

 2005年・2006年には、スポーツクラブの水泳大会(千葉国際競技場)で2年連続背泳ぎの種目で栄えある『1位』になり、すばらしい盾をいただきました!(笑)あっ、これはマスターズなので、年代別です。

 あおいのパパは平凡なサラリーマン(営業マン)です。皆さま、どうぞよろしくお願い致します。
posted by あおいのママ at 23:45| 千葉 | あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自己紹介 ★あおいのママ★

2005年2月19日.JPG

 196?年生まれ。出身は静岡県です。現在は千葉県柏市在住です。地元の高校卒業後、短大進学のため上京し、21歳の時にあおいのパパと出会いました。お互いにひとり暮らしをしていましたが、婚約後同居。出会いから2年後に結婚しました。

 趣味はお菓子作りとスポーツ観戦です。最近は忙しくて(いいわけ)あまり作らなくなってしまいましたが、洋菓子・和菓子作って食べるのが好きです。あおいのパパにも独身時代にいっぱいプレゼントしました。(それでおとしました)「おいしいよ」って、お世辞でも言ってもらえたらとってもうれしいのです。昔から友だちにもよくプレゼントしていました。

 スポーツ観戦は主にプロ野球とサッカーが好きです。アメリカンフットボールもたまに観ます。どちらかというとテレビ観戦よりもスタジアムに行くのが好きです。やっぱり生観戦は感動します。近所にJリーグ「柏レイソル」のスタジアムがありまして、以前はユニフォームを着て毎試合応援に行っていました。(徒歩10分くらいなんです)

 2004年3月には、日本代表オリンピックアジア最終予選3試合を観戦しました。2005年2月9日には、ワールドカップアジア最終予選「日本vs北朝鮮」戦を埼玉スタジアムで観戦しました。上の写真は試合前に撮影したものです。ご一緒しましたスポーツジャーナリストの西村幸祐さん、電脳補完録の山本さん、殿下さま沸騰の日々の殿下さま、友人のSさんです。

 プロ野球は生まれた時から巨人ファンです。選手では松井秀喜選手やイチロー選手が好きで、もうずいぶん前ですが東京ドームに徹夜で並んで観戦していました。(パパに並ばせていました)メジャーリーグも大好きです。

 以前は仕事をしていましたが、現在は専業主婦です。皆さま、どうぞよろしくお願い致します。
posted by あおいのママ at 23:36| 千葉 | あおいのページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。