*講演要旨レポートです。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者よりレポートの許可をいただいております)
【野村旗守さん・ジャーナリスト】 ・・チュチェ研という組織に関して話してくれと言われまして、それで今回、社会党あるいはチュチェ研といった組織がこの拉致問題にどういうふうに関わってきたのか?そういったもの等お話したいと思っています。
日本と北朝鮮の関係で、国交がない中で、1990年に自民党を中心とした自民党と社会党の金丸訪朝団が訪朝するまでは、ほとんど傍流のルートで交渉していたのですが、その金丸が訪朝するまでの間に3つの大きな山場がありました。その第一回目が1972年に美濃部東京都知事がまず訪朝し、その後、日朝議連というのができました。中心になったのが自民党の久野忠治という議員です。それから三番目として社会党と朝鮮労働党の関係。この3つの大きな山場があります。そして90年の金丸訪朝団という事で、日本と北朝鮮の関係が劇的に変化する90年代を迎える事になりました。
じゃあ北朝鮮と社会党はどういう関係にあったのか?という事ですが、こちらに来ていらっしゃる方は非常に拉致問題に関心のある方ばかりだと思いますので、もうほとんどの方が読まれたと思いますけれども、おそらくまだ読んでいない方も中にはいらっしゃるだろうし、結構前の話なのでもう忘れた方もいらっしゃると思います。2002年9月に第1回小泉訪朝があり、その後1ヶ月経って拉致被害者5人が帰って来た、その直後にですね、マスコミ各社に差出人のイニシャルがK.Oとだけ書いてある投書が届いたんですね。どういった投書か、最初から長くなりますけど全文読ませていただきます。ここでアルファベットになっているのは、編集部の方で「ちょっとそのまま出したらまずい」という配慮でアルファベットに置き換えたものです。
X党には旧Y党時代、朝鮮労働党との友党関係を分掌する共和国連絡部という党の、公式組織図や正史には表れない部署があった。私は青年期にそこで勤務していたが、所属していたのは人材提供班である。人員は主にY党の青年組織から、大学で朝鮮語を専攻した学生が選ばれた。
共和国連絡部は表向きZ党との緊密な連絡調整を業務としてきたが、最も神経を使った仕事は情報・資金・人材の3つの提供業務だった。このうち情報提供班は、日本政府の内部資料、自民党や日本共産党の党内情報をZ党に送達し、資金提供班は文字通りY党が集金した政治資金をZ党に送金するのを日常業務としていた。
これら2班については、人材班に所属していた私には詳細はわからないが、我々人材班が実行したのは、拉致対象者の選定作業だった。わかりやすく言えば、朝鮮民主主義人民共和国の工作員が拉致しやすい、または拉致しても差し支えない日本人を、定期的にZ党に報告する仕事だった。工作員も極秘かつ速やかに日本人を拉致するためには、我々の持つ正確な情報がどうしても必要だったのである。
当時はもちろん拉致と言う者は誰もいなかったし、むしろZ党への正当な協力(提供)業務の一環と信じていたから罪悪感はなかった。というのも、Y党本部から絶えず『いずれ金日成主席が朝鮮半島を統一して正当な社会主義国家を樹立する。この業務はそのとき神聖な協力活動として、日朝両国から高く評価されるのは疑う余地がない』と指導されてきたからである。
さて、対象者の選定は次の5つだった。“知り合いに代議士がいないこと”“知り合いに警察関係者がいないこと”“知り合いに外国人がいないこと”“地域の名士の関係者でないこと”“格闘技経験のないこと”、これらは総じて「提供5原則」と呼ばれ、各地の人材班はこれに基づいてあらゆる手段を尽くして適任者を探し、Z党へ報告したのである。
代議士・警察・外国人・名士を知り合いに持つ者を避けたのは、後々大きな騒動になるのを極力防止するためである。また格闘技経験者を除いたのは、できるだけ容易に誘拐できるように講じられた基準であり、選定にあたっては厳格を極めた。見るがいい、拉致被害者がいずれもこの5原則に合致した家庭であるのはその証左である。
1970年代に多忙を極めた人材班も、1986年には党本部のまったく一方的な命令で解散した。この時、解散理由に納得できなかった我々にT議員などは、盛んに『発展的解消』という言葉を連発して、強引に幕引きを行ったのである。
以上の事実を、私は終生秘密にして墓場まで持って行くつもりだったが、二度と日本の土を踏むことはあるまいと思っていた拉致被害者の帰国報道を見るたびに、非常に胸が痛む。同時に自分このまま永眠することなど決して許されないと、呵責や葛藤に苦しむ毎日が続く中で、少しでも救われたいと思い告発するものである。
日付けは11月15日になっています。ここで「発展的解消」と言ったT議員というのは、金丸信を北朝鮮に連れて行った社会党の田辺誠です。という事は当然ながら最初のX党というのは社民党、旧Y党というのは旧社会党の事ですね。で、Z党は朝鮮労働党という事になります。要するに社会党という70年代、80年代通じて長らく日本の野党第一党を続け、一時は政権まで奪取したその政党の中に北朝鮮に協力する部門があった、という事です。
ただ「これは果たして本物なのか?」「一体、誰が出したんだ?」という事ですが、大体本人の特定もできて、K.Oという人物は「ほとんどあいつだ」と、社会党関係者に聞くと「大体もうあれしかいない」とわかっているのですが、「本人が書いたものじゃない、誰かがその本人を落とし入れるために書いたものだろう」とも言われています。ただ何にしろ、差出人もわからない、そういう事で結局うやむやになってしまった、まぁ事件と言えば事件ですね。
特にこの社会党の関わり、それからチュチェ研という組織ですけれども、拉致問題に関しても相当の事がわかってきております。例えば北朝鮮の在日組織である朝鮮総連というのがありますけども、これなんかも内部告発等によってかなりその実態がわかってきました。それから、北朝鮮を支配している金正日が手足として使っているのは朝鮮労働党という党組織ですよね。この党組織がすべてであとはもうどうでもいい、人民はどうでもいいわけであって、この党を使って国を動かすというわけです。この党の長く延びている末端のフラクションが日本に居座って、そのフラクションというのは朝鮮総連の中にある学習組という組織ですが、この組織を使って色々と対日というか在日というか日本の中での工作を行っていた、という現実があります。
それとは別に、学習組の別動隊としてチュチェ研という組織がありますが、これは公安関係者の中の一部では非常に注目されていた組織ですけれども、結局実態はわからないという事です。公安の内部でも一時はチュチェ研を解明する組織があったらしいのですが、何て言いますか、田辺議員の「発展的解消」でちょっとわからなくなってしまい、結局「危険性はないだろう」という事で、一時棚上げにされたそうです。
ただこの投書によって、やっぱりこのチュチェ研がかなり日本の中で対日工作の重要な役割を行っていたんじゃないかと思われます。その重要な役割というのは、例えばさっきも三浦さんの話に出てきました作家の小田実とか、あるいは美濃部知事とか、そういった議会・社会党工作といったところです。
チュチェ研という組織が見つからないのは、彼らが表立って拉致だとかそういった荒っぽい行動をしないという事もあります。チュチェ研が何をやっていたかというと思想工作ですね。彼らがやっていた中で一番重要なのは思想工作。日本には思想・信仰の自由は憲法で保障されていますから、どんな思想を持とうとどんな信仰を持とうとそれは自由であって、それほど実際は咎めることはできません。そういった中でこのチュチェ研がどこに浸透していったのでしょう?まず大きいのが
*アカデミズムの世界ですよね。学所の中では相当このチュチェ研に侵されてしまった人たちがいます。
*アカデミズム【academism】1、大学などでの、理論を重視し、学問・芸術の純粋性・正統性を守ろうとする立場。ジャーナリズムに対比して用いられることがある。2、学問・芸術の、保守的、形式主義的傾向。官学風。 この“チュチェ”というのは、北朝鮮の国を治める根本原理と言われている主体思想です。この主体思想というのを説明すると長くなりますから説明はしませんが、とにかく金日成・金正日親子が国の中を上手く治めるために都合のいい思想という事だけ言っておきます。この思想を日本に広める組織というのが、まずこのアカデミズムの学所の中の世界にできました。それからもう一つは教育界。非常に最も強力に浸透したのが教育界であります。その中でどういう系列で入っていったかというと、日教組の組織ですね。日教組の組織を使って、これが深く深く学校の生徒の間にまで浸透していったという事実があって、これを裏付ける証拠もあります。
北朝鮮の平壌に行くと“主体思想塔”という、何か訳のわからないコンクリートでできた石の高い塔があります。で、上に火が燃えているような赤い提灯みたいなのがついていてですね、何か非常に不気味な塔なんですけど。その塔は一体、何を意味するのかまったくわかりませんが、とにかく高い塔があって、それが主体思想のシンボルらしいんですね。そこの下に、主体思想塔を建てるために寄付してくれた団体、あるいは個人の名前が、アーチみたいな形をしたプレートにたくさん刻まれています。
ほとんど朝鮮語なので普通の日本人にはわからないのですけど、時々その中に日本語のプレートがちょこちょこあるんです。それを見るとですね、例えば群馬県教職員チュチェ思想研究会とか、神奈川県チュチェ思想研究会・神奈川県教育委員会チュチェ思想研究会とか、そういったような名前があります。あるいは何とか市議、横浜市議。チュチェ思想研究会があったかどうかはちょっと覚えていませんけれども、そういった各地の日教組支部のチュチェ研組織が相当寄付をしてその塔を建てたという事がわかります。雑誌「世界」にも確か編集長か何か名前もあったような気がしましたけれども。
そんなような事でだいぶ朝鮮労働党に献金をしていて、そのチュチェ思想・主体思想塔という何のためにあるのか、我々から見るとまったくわからない塔が建っていて、その建造物を建てるのに日本の教職員団体が一生懸命支援をしたという、これは紛れもない証拠もありますから紛れもない事実で、色んな所で写真なんかも撮られているので、もしかしたら目にした事ある方もいらっしゃるかと思いますが。
そういう思想が、教員・教師という媒介を通じて70年代・80年代、一部の学校の生徒にまで染み渡っていたという許しがたい事実があります。しかしさすがにですね、いかに教育界・日教組が北朝鮮に汚染されていたとはいえ、日本の生徒も馬鹿じゃないので、それを受け入れて向こうにかぶれちゃう生徒はそうはいなかったでしょうが、今から思えばそれは大変喜ばしい事であったんですけどね。ただ先生の中にはかぶれてちょっといっちゃった人たちも若干いました。
そういう中で、先ほど読んだあの投書ですね、社会党関係者の間を回って取材すると「あの投書はかなり正確だよ」という事を一応言うんですよね。私、今ちょっと書いてある本の関係で、社会党と北朝鮮の関係を取材し直しているんですけども、社会党OBの話を聞くと「あの投書、あれ自体の内容はかなりと言うか、非常に正確。これ、K.Oという人が書いたとは思えないけれども、とにかくそのごく近くにいた人が書いたものに違いない」と言うんですね。
共和国連絡部という北朝鮮の手先となった社会党の中の機関で、K.Oのそばにいた人が社会党の中に入り込み、社会党の中にある共和国連絡部という組織を操っていたという。で、その共和国連絡部に一体誰が指示を与えていたのか?これは「朝鮮総連」と言われているんですが、どうもこれは朝鮮総連ではなくて「チュチェ研という組織ではないか?」というふうに最近では見られています。
このチュチェ研という組織ですけども、日本に広めたのは尾上健一という人で、この方は非常に謎に包まれた人物ですがまだ日本に暮らしています。東京にいて出版社の経営をしたり、そういった事をしながらチュチェ研という組織を束ねています。かなりお金持ちで、だいぶいい生活をしているようなんですけども、ただその生活実態については謎に包まれていて、これから本当に我々がやっていかなきゃならない仕事でもありますが、ちょっとまだ切りきりでなかなか進んでいないのですが。チュチェ研の実態をもうちょっと明らかにしていきたいと、今現在私の方で思っているところです。
この尾上という人物ですけども、元々学生運動をやっていて、新左翼のつながりで中核派という組織に所属していたんですが、そこを辞めて、非常に働きが良いというので北朝鮮の方にスカウトされた、という事です。一時期、その中核派の方から送り回されていた、という話も聞こえています。それでこの人ですね、よど号の妻たちが何人か戻って来た時に、経営する出版社を警視庁の公安部がガサ入れした事があって、その時に金庫の中から朝鮮労働党から贈られた勲章が山のように出てきたそうなんです。おそらく日本人でこれだけ勲章をもらった人間は他にいないだろう、と言われているぐらい出てきたと。そうなると、そのチュチェ研のから指示を得て社会党の中で動いていたグループですね、このグループは同じようなムジナだろうと思われます。
それで、その思想工作以外に何かをやっていたか?と。ここから先はちょっと想像の世界になってしまいますけども、おそらく考えられるのは、彼らが仕事としてやっていたのはあれですね、拉致被害者の選定。この拉致というのも周到に仕組まれてきた犯罪で、なかなか発覚しなかったっていうのは、先ほど有本さんおっしゃられたように、もちろん日本のマスコミが報じなかったとか外務省が動かなかったというそういう事もありますけれども、なかなかこう具体的な証拠がつかめなかったからという事もあります。というのは、最初から証拠がつかまれないように周到に用意された犯罪だったから、という事が言えると思うんですけれども、見つかりにくい人物を捕らえてさらって行ったと。最初から「この人だったら怪しまれないだろう」というような人たちをさらって行ったから。
おそらくですね、今あの拉致被害者として浮上している方々のケース、有本恵子さんですとか横田めぐみさんですとか蓮池さんですとかそういった方たちは、どちらかというと目立つ存在、発覚しやすい存在だったから発覚してきたと。まだ特定失踪者300人とか400人とか、あるいは500人以上とも言われていますけど、この人たちの名前がなかなか出てこないのは、この人たちはハッキリ言って表に出づらい人たちだからです。
例えばこれは、シン・ガンスという実行犯が捕まったものだから名前が出てきましたけど原敕晁さん、この方は孤児院で育って両親もいない、親戚もいない。あるいは小住建蔵さんという山谷にいた身寄りのない人。そういった人たちがまだ無数にいるはずなんですよね。この人たちがなかなか出てこないのは、先に「こいつだったらさらって行ってもわからないだろう」という人たちを中心にさらって行ったからです。
今、名前が出ている有本さんたちはわかりやすい人たちだから見つかっただけであって、おそらく他のわかりにくい人たちっていうのはまだ無数にいて、最初からわかりにくい人たちを拉致してきた。そのわかりにくい人たちを拉致するのが可能だったのは、それを調査する組織があったからじゃないかと思います。
このチュチェ研っていう組織が主に入り込んだのはどこか?官公労(日本官公庁労働組合協議会の略称)という、最近力下りましたけれども日教組もそう。あるいは国労(国鉄労働組合)というような旧国鉄の中にあった組織。あるいは自治労(全日本自治団体労働組合)というそういった団体です。例えば、日教組の学校の先生が家庭訪問をすると、その家庭の事情がよくわかるんですよね。あるいは市の職員。普通我々一般の人間が目にしないような個人情報を、自治体の職員だからといって見る事ができる。そういったところにいる人たちが情報を洩らす。「ここは母子家庭で、今お母さんも子どもを放ったらかして毎日パチンコばっかりやっている」みたいな。あるいは「この家は非常にお父さんとお母さんの仲が悪い」というような感じで。そんな事があって非常にわかりにくい人たちが拉致されて、それでなかなか浮上してこない、っていう事があると思います。
このチュチェ研という組織の解明が、まだ日本の公安の方も進んでいるとは言えません。もう過去の犯罪でなかなか出てこないのですけども、我々マスコミにいる側も、ちょっと微力ながら調査に力を尽くしたいと思っている昨今ですけども。すみません、時間なので終わらせていただきます。(大拍手)
終わり