2007年03月08日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 守る会・宋允復さん(第1セッションにて)

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*写真はあおいのママの撮影です。

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35392196.html

続き

【守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん】
 すみません、時間があまりありませんが私も一言言いたいのですが。RENK・高英起(コ・ヨンギ)さん'66年生まれ、私は'67年生まれで1歳違いです。それで彼は高校から朝鮮高校に通ったんですけど、私は小学校です。もう何か懐かしいというか、でも1回もこの映画は観ませんでした。

 当時プロパガンダの映画はいっぱい観ていたんですけど、すでにもう朝鮮学校でも「北朝鮮ってウソばっかりだよ」とか「生産計画も超過達成したなんて報告、あれも全部水増しした数字ばかりでウソだ」というのは子どもの間でも常識で、時々先生も本当のことをポッポッと口をすべらしていましたから、「ああいう映画を見せたら逆効果である」と理解されたようで、ほとんど観る機会がありませんでした。

 それで、実はああいうプロパガンダが、「アメリカのせいでこれだけ苦しんでいる」「日本に支配されていた時はこれだけひどかった」というプロパガンダを、私が小学校に入ったのは'74年ですから映画の10年後です。で、最近北朝鮮から色んな資料が出てくるんですけども、子ども向けの紙芝居のような階級・・資料というのが'95年、この映画から30年経って見たんですけど、その内容を見ても未だに「南の子どもたちはボロをまとい、飢えて学校にも通えず、搾取されています」ということを延々と言っているんです、'95年でも。今でも最近までも言っているんですね。

 それを見て私が思ったのは何かというと、これだけ「戦前、日本の植民地でひどい目に遭っていた」「今韓国の人たちもひどい目に遭っている」と、その具体的な描写の中身っていうのは、今北朝鮮で現に起きていることなんです。北朝鮮の普通の中央都市で起きていることです。あんまり不幸を一生懸命イメージ化して、しつこくしつこく思い続けて教育し続けていると、自分たちがそうなるということなんです。(会場笑い)

 それで先ほど高柳先生からもありましたが、どうしても朝鮮半島問題に関わると、過去の経緯も色々あって「誰が悪い、何が悪い」という話になるんですけれども、もう一回ゼロに戻して「本当に幸福に生きるためには何が必要なんだ、何が大事なんだ」と、ゼロベースで考えるっていうことをやらないと、話がありましたが、どうしても「人のせいにしたがる」っていう傾向があるんですね、コリアンも含めて。

 朝鮮問題に関わると「あれが悪い」「誰が悪い」とそうじゃなくて、「幸せに生きたいんだったら何をこれからどうしましょうか」というのが大事なんだと思っています。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。ちょっと司会の不備でずいぶん時間が押してしまい申し訳ありませんでしたが、第1セッションを終了させていただきます。

終わり
posted by あおいのママ at 05:12| 千葉 曇り | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて)

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*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35245675.html

続き

【ジャーナリスト・萩原遼さん】
 三浦さん、一つ提案なんですがね、北朝鮮の農業問題専門家の李ミンボク先生がせっかくお見えですので、あの1963年に撮られた作品で、僕はあの当時は農業はやはり上手くいっていたと、あれは事実であったと思いたいんですが、そのことについて李ミンボク先生に事実かどうかと。ああいう豊かに実るあの稲穂。

 それから水利は私どもも見ました。川が下から上へ上がっていくというのは現物見ましてね、それは事実だったんですが、あんなに(白米を)てんこ盛りにして食べられるほど食糧事情が解決し、かつ2000万の人の、南朝鮮で飢えた人どうのって言うのがね、その辺をちょっと聞いていただけないでしょうか?

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 はい、わかりました。では李ミンボク先生一言だけ、壇上の方に。第2部でも語っていただきますが、北朝鮮に向けて風船のかたちでメッセージを飛ばしている李ミンボク先生、皆さん、拍手でお迎えください。

(通訳は守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さんです)

【守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん】
 この方(李ミンボクさん)は簡単にご紹介しますと、北朝鮮の科学院という所で農業の研究員をなさっていた方で、脱北のきっかけというのは、'80年代に中国を視察しまして、「中国式の農業改革を北朝鮮に導入すべきだ」ということを提起して、それで政治犯として捕まりそうになって慌てて逃げた、ということです。

 当時は金日成を信じていましたので、「こういう良い提案をすれば喜んで採択してくれるだろう」と思ったところが、個人の農業を認めると提案したら、「こんな反社会主義なものを言っているのは誰だ」ということになって逃げたと。それで、今の話について。

【李ミンボクさん】通訳:守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん
 今、'60年代に豊作だという映像を出していましたけれども、私がすでに子どもの頃には穀物政策は話にならない状況で、コメなんていうものは望めなくて粟ですね、粟飯。本当に砂粒を噛むようで、子ども心に食べたくなかったという思いがあります。それでもう'60年代からすでに腹を空かせていました。

 ソ連から小麦用に入種しまして、'60年代末頃ですけども、その頃がやはり一番配給事情が良かったです。先ほど盛んに映画の中で“自力更生”という「自分たちの力ですべて必要な物は調達するんだ」というスローガンが出ていましたけれども、実態としては自分たちでは調達できていなかったのです。

 実際にある程度国内で自分たちの力でまかなえたというのは'70年代の初半ですね、'74年頃までです。ようやく「とうもろこしならある程度まかなえる」そういう状況にありました。そこがちょっと心配なところなんですが、とうもろこしがまだ自給できていたのに、その頃から配給を1ヶ月あたり2日分ずつ減らしていました。

 北朝鮮のこうしたウソというのは、現にそこで暮らしている私たちにとっても「何でだろう?何でこんなウソをつくのだろう?」と理解できないくらいのものだったんです。'74年〜'75年頃はまだそれなりに配給で食べられたんですけれども、何でそこから配給を減らすかといいますと、戦争のための備蓄ですね。備蓄のために1ヶ月あたり、4日分ずつは与えないと。

 '80年代に入ってから、だんだんひもじいことが出てきました。私は農業の研究員として在籍していまして、もう'80年代には「これは餓死が生じるな」と予見しまして、金日成親子に提起したことは何かと言うと、「中国式の個人営農、共同農業ではなくて、個人に農業を営む権利を認めるべきだ」と、こういう提起を致しました。

 一般的には「北朝鮮で餓死が生じたのは'90年代」と知られていると思いますけれども、私たちは専門家でありますから、実際には'80年代後半、'87年から私が羅津(ラジン)に視察した時には餓死している人を直接見ています。私はもうすでにその'80年代後半には、「これは大量餓死が発生するな」と予見しまして、'90年に金日成親子に対して中国の実績を踏まえて「中国式の農業改革をすべきである」という提案をしました。

 私は、これは愛国心から忠誠心から出た行為だったんですけれども、返ってきた答えというのは「お前は反動分子である」ということになってしまいました。それで思想的には、個人に商売として農業を認めるっていうことは、これは反動思想になります。これは処刑の対象になります。

 それまで金日成に対して大変忠誠心を抱いていまして、父とも親とも仰いでいたんですけれども、その返ってきた結果を見まして、「これは違うんだな」と気づいて、また、このまま(北朝鮮に)いたら反動ということで殺されそうだというので逃げ出した、というのが事実です。

 それでやはり私が予見した通り'90年に入ったら餓死が発生しまして、ここまでの間に「300万人が餓死する」という大量餓死が発生してしまいました。金日成親子は明らかに知っていました。「このまま放っておけば餓死が発生するであろう」と明らかに知っていながら、人為的に、改革解放を拒んだこの人たちは餓死の原因を作った人です。二人とも、金日成・金正日とも悪いんですけども、もっと悪いというのは金正日なんです。

 '94年に金日成は、当時の韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領と首脳会談をしようとしました。何故かと言うと「戦争をやることもできないし、このままでは行き詰っていくので何とかそれを打開しよう、食糧事情を改善しよう、そして中国式の農業改革をやろう」ということで首脳会談を決意したんです、金日成は。

 金日成はもちろん悪いんですけども、それでもまぁ人民には瓦屋根に米の飯、牛肉は100パーセント約束したこともありますし、何とか大量餓死だけは阻止しようと努力する人ではあったんです、それでも。ただ、金正日はそうではなかった。「自分の政治のためなら犠牲が出てもかまわない」というそういう考えだったんです。

 私たちは北朝鮮から来た人間として「金正日が金日成を殺した」という噂については半信半疑であったんですけども、萩原遼さんの本を読んで「あっ、なるほどやはり事実はそうだったんだ」と確信させられました。人民に知られれば、核爆弾が爆発したぐらいの衝撃をもたらす話なんですね。

 それをその話をこのようなビラ、ビニールですけど印刷しまして、風船で北朝鮮に送り込むんです。今それで北朝鮮は大変騒動が起きています。午後に時間をいただいておりますので、その映像をご覧いただきたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)

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*李ミンボクさんが萩原さんに差し上げたビニールのビラです。そのうちの1枚を譲っていただきました。二枚重ねで、風船で空から飛ばすとヒラヒラと蝶のように舞いながら落ちて来るそうです。

*風船 飛んでゆけ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29598445.html
*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第2セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/32638352.html
*'06 12/17 TBS「報道特集」(1)北を揺るがす“風船メッセージ”
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33070875.html

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。

(守る会・宋允復さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 守る会・宋允復さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35467509.html
posted by あおいのママ at 00:29| 千葉 曇り | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月05日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)

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*写真はすべてあおいのママの撮影です。

*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・榊原洋子さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34701204.html

続き

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 最後に、RENK・救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワークの高英起(コ・ヨンギ)さん、またビデオジャーナリストでもあります。高さんからこの映画ならびに、そしてRENKとして今後の北朝鮮の状況について、また帰国者について、一言お話をお願いします。

【RENK・高英起(コ・ヨンギ)さん】
 どうも、こんにちは。救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワークの高英起(コ・ヨンギ)と申します。あまり時間もないのでそんなに長く話はできないと思うんですけども、まずちょっとこの映画の感想を述べさせていただきます。

 僕は1966年生まれですから、この映画は1964年ということで生まれる2年前ですか。僕自身は、家は朝鮮総連系の家庭に育ちましてね、高校だけですけども朝鮮学校を出ています。幼少期の思い出として、一番やっぱり家にあったのが“朝鮮画報”といって今はもうないんですけども、いわゆるグラフ雑誌で、朝鮮総連が出した機関紙ですよね。そういうのを小さい頃何もわからずによく見ていまして、この映画を観て非常に思い出しました。

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*チョンリマパンフレットより。

 当時の千里馬、「千里を走る馬」ということで、「それほど北朝鮮が躍進しているんだ」という象徴として“千里馬”という言葉を確かに当時はよく使われていたと思います。

 それで今この映画を観て、基本的には100パーセントプロパガンダ映画なんですけれども、そう言ってしまうと面白くないので、ちょっとまぁひねくれた見方というか、僕なりの感想をちょっと述べさせていただきます。

 僕は思っていたよりもイデオロギー色が弱いなと思いました。朝鮮学校とか通じて、こういうプロパガンダ映画を本当に腐るほど観てきたんですけども、それに比べるとかなり弱い。弱いというのは、それは意図的に弱くしたかどうかではなくて、まだそこまでする余裕がなかったんじゃないかな?という気もするんです。だから例えば観ていてキレイな方もおられると思うんですけども、バッチは皆つけていませんよね。バッチをつけるというのがまだなかったのかもしれません。それはよくわかりませんが、当然あったらつけるはずなんです。そのバッチをつけていないということ。

 あと面白かったのは、農村で皆さんが踊る風景とかありましたね。あそこで流れている音楽というのは、朝鮮の伝統的な音楽なんですけれども、今日流れていた音楽と違って、その後朝鮮のああいう音楽っていうのは全部近代化というか、朝鮮独自の音楽に変わっちゃうんです。ああいう打楽器だけではなくて、それにいわゆるオーケストラチックな歌をつけたりとか変わっていくんですけども、それが結構、素のままで出ていたというところでは、非常に僕はまだ牧歌的な雰囲気が残っていたし、そういうことをすべて変える余裕もなかったのではないか?と思っています。

 僕はそういう意味では、この映画というのは貴重な映画だったし、本当に観ていてちょっとあの語弊があるかもしれませんけど、「非常に楽しかった」というのが今日の感想です。

 この映画を、先ほど萩原さんが指摘されたように「減っていく帰国者、それを新たに盛り返そうとしてやった」と言う指摘というのは、僕は非常に正しいと思います。映画は64年、僕が生まれたのは66年ですから、もう生まれた頃には帰国するという話はほとんど聞いていません。僕の親戚も帰国しているんですけど、やっぱりもうちょっと前です。60年代前半まででしたから。

 そういう意味では、やはりそれをもう一回する(盛り返す)ためにこういう映画が作られて、また宣伝が行われたんじゃないかというように思っております。それは非常に評価して宣伝した日本の進歩的なマスコミとか進歩勢力、そういった方々の罪は大きいなと僕は思うし、今だからこそそれは問うべき問題じゃないかと思っています。

 帰国者問題について、若干、僕たちの見解というか個人的な主観も含めて言わせていただきます。「何であんなにたくさんの帰国者が?」って、やはりみんなが思われると思うんですけれども、まずこの映画が多分かなり後の方ですが、やはり朝鮮戦争が終わった、朝鮮戦争が53年に終わって、その当時の在日の生活状況を考えると、あくまでも想像でしかないですが、かなり苦しかったことが非常に想像できると思います。

 一つエピソードがありまして、これは文献として残っているんじゃないかと思いますが、一時帰国船で、ちょっと年代を忘れたんですけども、まだ朝鮮戦争が終わって間もない頃に、一時帰国船で在日の代表団が北朝鮮に帰るわけですよね。それは臨時です、永久的に帰るとかそういうのではなくて、代表団が北朝鮮に帰るわけですよね。その時に故金日成主席が在日の代表団に対してこう述べているんですよ。

 「先生たちは今は日本で苦労されて、非常に心も体も疲れているでしょう。私たち祖国でとりあえず一時の間ですけれども、ゆっくり体も心も休めてください」と言うんですよね。ちょっと僕の記憶が定かでないので正確ではないかもしれませんが、これを読んだ時に「ああ、何故在日がこれだけ騙されちゃったのかなぁ」というのがわかったような気がするんですけども。

 先ほども言いましたように、当時の在日は貧しい中で生きてきたわけです。生きてきて、本当に船といっても当時北朝鮮に行くのは大変なことでしたから、それを北朝鮮に行って、当時も金日成というのは日本の朝鮮総連とか支持する方から見ればそれなりのカリスマ性があったわけですから、そのカリスマ性を持った一国の主席から「先生」という言葉で迎えられるということ自体、僕はこれはコロッと騙されちゃったんじゃないかなと思うんです。

 もう一つはやはり北朝鮮側の事情があったんじゃないかと思います。やはり北朝鮮側としましても、朝鮮戦争でかなりの数の方が亡くなっていて、その復興をしなければいけない、そして労働力が必要だったんじゃないかと。そのために在日に対して「帰国しなさい」というような宣伝をやっていったのではないかと思います。

 よくこんな話を言う人がいまして、「金日成は最初から在日を人質にするつもりで帰国をさせたんじゃないか」と。僕はそれは違うと思うんです。当時「金日成は在日を人質にして後々在日からお金を絞りとろう」とか、そこまで考えていなかったと思います。何故なら当時の在日はそこまで、今も裕福とは言えないんですけども、みんな食べるのも必死で、その日暮らしの方がたくさん多くてそんなことを考えることはなかったと思います。

 ただ結果的に、この金日成の戦略が見事に当たっちゃいまして、在日朝鮮人の中にはそれなりに頑張って裕福な方も出てきて、その方からお金を絞ることができたという、これは結果論だし、そういうところで金日成さんというか、北朝鮮という国は運が良かったんじゃないかと思っております。

 いずれにせよ、この映画に現れるような帰国問題、なかなか“RENK”っていうのは、実は基本的に我々は北朝鮮の民主化っていうものを訴えているわけで、帰国問題に関してはむしろ難民基金や守る会の方々がやっていただけるんで、我々としてはそんなに熱心にやっていないんです。結成当時からそういったことをひっくるめて「人権問題」というものを訴えてきましたし、それが最終的に北朝鮮の民主化につながるようなかたちで訴えてきております。

 今後もこういったシンポジウムに積極的に参加させていただいて、我々なりの見解、それで私も一応在日コリアンの端くれですので、在日コリアンとしての立場とか考え方っていうのを述べさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。(大拍手)

*RENK・救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。最後に司会というより「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」としてぜひ付け加えておかなければならないことがあります。

 このような映画を今観ますと、どちらかというと「騙されてしまった」もしくは「騙した」とそういう表現でどうしても私たちは印象づけられる面があります。ただこの帰国事業というのは、本当に戦後日本の負の歴史の遺産です。そして、この自由民主主義の国から9万3000人の人たちが共産主義の国に、共産主義を名乗る国に帰って行ったなどということは、人類の歴史の中でこれが最初で最後でしょう。そしてこのような負の遺産を私たちは今、何とか清算しなければならない時にきている。

 こちらにいらっしゃる二人の脱北帰国者の方、実は本日も、後に発言されます荒木和博代表の好意によりまして、特定失踪者問題をやっています「しおかぜ」という北朝鮮向けの放送がありますが、こちらで日本から初めてこの日本にいる脱北者の方が北朝鮮に向けて、北朝鮮の帰国者・日本人妻に向けて電波を飛ばすことになっております。

*'06 12/17 TBS「報道特集」(2)北朝鮮に発信 帰還事業の真実
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33130475.html

 このようなかたちで私たちも、すでにこの映画に映った方々は年老いて、おそらくこの世にはもういらっしゃらないでしょう。もしくはもっと早くに亡くなったかもしれません。この日本から旅立って行き、天国に行ったつもりであったか、もしくは祖国に自由を求めていったのか、そういう方々が今、何とか死に物狂いで北朝鮮を脱出して、この日本を目指しております。

 これは「北朝鮮難民救援基金」が先駆的に非常にこの方々の救援をしてきましたが、私たちはなかなかそういうダイナミックなことができていませんけれども、せめてこの日本に戻って来た人たちがより少しでもその人生をやり直せるように、幸せに生きていけるように、私たちが努力していくことは大きな務めではないかと。

 この帰国事業を単に怒りだけで、怒りやまた批判だけで終わらせるのではなくて、さっき金日成が言った「北朝鮮に帰国したら少し休んでください」それと同じように私たち日本国民がですね、40年間本当に苦労してこられたどころか、明日の命もわからないような状況で生きてきた方々をこの日本にもう一度温かく迎えるように、皆さまのお力を貸していただければと思います。(大拍手)

(李ミンボクさんのお話に続く)
posted by あおいのママ at 09:10| 千葉 霧 | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・榊原洋子さん(第1セッションにて)

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*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・千葉優美子さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34536141.html

続き

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 続きまして、ちょっと予定にはなかったんですが、せっかく本日来ていただきましたのでお隣の榊原さん、この方も脱北者です。そして大阪に住んでおられます。この映画を観て何か一言お願い致しします。

【脱北者・榊原洋子さん】
 こんにちは。榊原と申します。11歳の時に北朝鮮に両親について行きまして、43年間もの間そこで暮らしたんですね。まだ日本語が上手くできません。

 私がこの映画を観て感じたのは、今千葉さんがお話したように全部ウソだと言うよりもね、あれは大変なウソです。この映画を撮るために、本当に何度も何日も練習します。北朝鮮はどうしてなのか、本当にウソではない事でも、私が日本に来て感じたことなんですけども、自分が言いたいこと、それは練習とかそんなのやりたくないですね、そのまましゃべる事ができるし。でも北朝鮮はそうではないです。

 宣伝のために、また宣伝ではなくても本当の事を言う時も、何故か何日も1ヶ月も練習してから出すんですね。だからこのように宣伝用の場面を撮るために本当に繰り返し練習したということを、私たち北朝鮮に住んでいた人たち、それこそ知っているというか感じているというか。この映画を観て、その本質を見極めるのは難しいと思います。

 日本にいる方たち、また韓国にいる方たちのまともな考えというか日常の考えでは、北朝鮮がどんなにウソをついている国か、どんなに人を騙すために成り立っている国か、ということは想像できないことだと思います。私の考えは、今千葉さんが全部話してくださったのでこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。お二人に温かい拍手をお贈りください。

*こちらの番組で榊原さんや千葉さんのことが放送されました。
 ↓ ↓ ↓
*'06 12/17 TBS「報道特集」(2)北朝鮮に発信 帰還事業の真実
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33130475.html

(RENK・高英起さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35245675.html
posted by あおいのママ at 09:54| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・千葉優美子さん(第1セッションにて)

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*撮影したビデオカメラより文字化しました。・・・は聞き取り不能です。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 萩原遼さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34396190.html

続き

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 続きまして、またある意味で本当の当事者です。今、お隣に並んでおられます女性お二人は、前にも集会で発言されたことがありますのでご覧になった方もあると思いますが、お二人とも脱北者、北朝鮮に帰国し、そしてまた脱北してこうして日本に戻ってきた方であります。

 右の方でサングラスをかけておられるのが千葉さんという方です。大変おきれいな方なのでサングラスは非常にもったいないのですが、諸事情によりこのようなかたちを取らせていただいております。

 千葉さん、この映画を観て、そして自分の北朝鮮での生活を思い出してですね、何かお感じになったことがありましたらお話ください。あの、ハングルの方が自由ですので、通訳は守る会の宋允復(ソン・ユンボク)が行います。

【脱北者・千葉優美子さん】通訳:守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん
 こんにちは。映画そのものは私がずいぶん幼い頃が背景となっていまして、時感覚としてどうということはないですね、要するに。ただ、北朝鮮で37年暮らして実感しているところを語りたいと思います。

 今、北朝鮮のプロパガンダについてお話なさっていましたけど、金日成が生きている時代から、文化芸術・・の、また朝鮮記録芸術映画という組織ですね、ここを通じてこうしたプロパガンダに対して大変重きをおいて力を注いできたと。この映画を撮られたのは日本人の監督であるということなんですが、この画面に出てくる映像を観ますと、朝鮮記録芸術映画、そこで非常に大事にしている素材もうそのままじゃないかと、そういう印象を持ちます。

 日本人監督ですから、今から観ますと、向こうに現地に行って、朝鮮労働党からこういう課題というのを与えられて、北朝鮮のために助けてくれた人だと・・。

 そして朝鮮戦争以降、この朝鮮記録芸術映画という組織でこうしてプロパガンダの映像を撮っている、製作に携わっている人たちというのは、北朝鮮では大変愛国者としての高い地位を与えられた人たちであって、おそらくこの画面でもチラチラと現れていると思うんですけども、その人たち追跡すれば名前とか・・今でもわかることができます。

 そして、これは日本の感覚からするとなかなか遠いものだと思いますけれども、この映画の場面1つ1つ、1分1分はですね、もうその1分を撮るために20日前から1ヶ月前から準備に準備をして、まぁ演技ももう目をつぶってもそのままやれるというくらい体に染み込ませてから撮るという、そのくらい北朝鮮としては注げるだけの力を注いで、100パーセントそのプロパガンダ・宣伝のために撮ったものであると、これは肝に銘じていただきたいと思います。

 そしてこの映画というのは、単に帰国者を喜ばせるためというよりも、北朝鮮は本当にその宣伝に使いたい一番いいところを盛り込んだものとして、非常に大事に思っているんだと。それとこのきらびやかな映像の裏に、どれほどその“千里馬時代”と言われた60年代後半から80年代、この帰国者だけじゃなくて現地の人たちも苦労していたことか、これについては時間があればおりおりにお話させていただきたいと思っています。ありがとうございました。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。

*こちらの番組で千葉さんのことが放送されました。
 ↓ ↓ ↓
*'06 12/17 TBS「報道特集」(2)北朝鮮に発信 帰還事業の真実
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33130475.html

(脱北者・榊原洋子さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・榊原洋子さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34701204.html
posted by あおいのママ at 05:43| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 萩原遼さん(第1セッションにて)

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*写真はすべてあおいのママの撮影です。左から映像ジャーナリストの高英起(コ・ヨンギ)さん、萩原遼さん、脱北者の榊原さんです。

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 高柳俊男さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34308727.html

続き

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 それでは続きまして、我が守る会の名誉代表であります、また作家・ジャーナリストでもある萩原遼さん、「北朝鮮に消えた友と私の物語」その他たくさんの著作がありますが、当時の帰国運動時代の少し後になりますが、空気を思い出しながら、この映画の感想とご意見をおうかがいしたいと思います。

【ジャーナリスト・萩原遼さん】
 萩原遼です。これ私は去年、山田さんのご尽力で大阪で観ることができました。お隣に座っておられるお二人の脱北者の方と一緒に観まして、今日は二度目ですのでね、かなりじっと観まして「まんまと騙してくれたなぁ」という印象が非常に強いんです。

 あんな光景なんかみんな作り物だと思います。例えば労働者が食事をとっているところがありましたよね、いくつも。5つぐらいのお皿におかずが並んでおりました。で、ご飯といえばてんこ盛りでね。とんでもない話で、あんなのはまったく宣伝だと。私は「チョンリマ」を64年に観ましてね、8年後に平壌に赤旗の平壌特派員で向こうに参りまして、行った現実、そこで見た現実、聞いた現実、まったく「チョンリマ」とは似ても似つかぬ現実でありました。

 私はすぐ正直に顔に出すもんですから、朝鮮労働党の連中から「こいつは危険人物だ」ということが早い段階で見抜かれていたと思うんですね。こちらは何も知らずに、日本の感覚でノコノコと街を歩いたりしたことがすべてスパイ容疑につながって、結果的に私はあの地である陰謀にはめられて殺されようとしたんですが、それを上手く逃れた結果、日本に戻って皆さんの前にこうしてまだ元気な姿を保っておるわけなんですが。

 (映画の出演者の)ずっと口の動きを見ていましたら、しゃべっているのが全部後から、アテレコって言うんですか?あの、そのままやっていないんですね。全部もちろんその人がしゃべっているんだけど、またセリフを口に合わせて言わせているということは、最初にしゃべったことの中に聞かれてはまずいことがいくつかあったと思うんですね。そういうのは全部カットしてまたやり直させてかぶせているということを見てもですね、これは本当に日本人が作ったかたちをとっているけれども、日本人が作ったんだろうか?という印象を強く受けました。

 ただまぁ私にとっては42年前でしたか、64年と言うと42年前、ある種の懐かしさがありましてね、ああいう、まぁ怒りもあります、もちろん「よくも騙してくれたなぁ」という怒りもあります。これは私が無事に日本に戻って来れたからそういうことを言っているんですが、戻って来られなかった人にとっては本当にもう地獄で、そのまま騙されて向こうで絶命した人にとってはもう恨み骨髄の映画だろうと思うんですが。

 私は幸いそこから逃れることができたので何か懐かしい気持ちもあり、同時に私がその8年後に平壌の特派員で参りまして、あの映画を見ている中で「ああ、私の泊まっていた大同江ホテル、デドン江のホテル、映っているなぁ」とか、今は何通りと言うかわかりませんが、当時はスターリン通りと言っていました、スターリン通りも映っていたり。それから平壌駅が出てまいりまして、あそこから板門店に夜の11時05分発の汽車で、夜中にしか外国人には走らせないんです、お昼は全然乗せないんですが、「夜11時05分に乗って開城(ケソン)まで行ったなぁ」と、私が降りた開城(ケソン)の駅なんかが映っていましてね、そういう意味で何か懐かしさも覚えました。

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*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html

 私にとりましても忘れがたい映画の1本なんですが、当時私は大阪外国語大学の朝鮮語科の2年生でした、64年っていうのは。大学に8年遅れて入学したんですが、その8年間の中に看板屋をやっておりましてね、看板字で「チョンリマ」のこれを大きく描いてですね、(パンフレットを見せる)こういうのを垂れ幕にして宣伝やったりして、当時のパンフレットを夕べ真夜中に「どっかにあったはずだ」と思って、ダンボールの中を探したらありました。

 これが64年のパンフレットで、ちょうど高柳さんが会場に配ってくださったものの現物なんですが、こんなことをやって、私も学友たちをたくさん動員しましたし、私も観て感動して、こんなあの、私たちが日朝協会大阪外大班・機関紙というのを作っておりました。その機関紙第一号「日本海」これもボロボロのやつなんですが、この中に、もうこんなガリ版のボロボロなんですが「チョンリマを観て」というのを、私が編集長で学友の感想を募ったりしてですね、私も下手な一文を書いておりますが。

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 その中で、本当に今何か恥ずかしいと言うのか情けないと言うのか、“信川(シンチョン)の大虐殺”(朝鮮戦争の時)の一場面なんか、冒頭に出てまいりました信川(シンチョン)信じるに川、あそこの場面も本当に私はその通りだと思っておったんですが、実は今日ここにお越しの李ミンボクさん、そちら(席)に韓国から来ておられて、北朝鮮の科学アカデミー農業問題の専門家で、そして今脱北して韓国にいらっしゃるんですが、李ミンボクさんから教えていただきました。

信川(シンチョン) パンフレットより

 朝鮮戦争のさい北朝鮮に侵入してきたアメリカ軍の残虐行為は筆舌につきないものがある黄海道信川郡では1950年10月から12月にいたるわずか1ヵ月余のうちに住民総数の4分の1にあたる35,300余名が殺された。

 そのうち16,000余名は婦人、小供、老人である。住民を生きうめにし、あるいは防空壕に入れて火をつけるなどを始めとし、あらゆる残虐さと野蛮な方法を用いて住民を残虐した。それはヒットラーの行った蛮行より何倍も残酷なものであった。

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*信川、この倉庫で400人の母が虐殺された。

 その事実は「あれは確かにアメリカにやられた面もあるけれども、人民軍の虐殺もあるんだ」ということをですね、それを李ミンボクさんがこんな宣伝ビラを作って北に風船で飛ばしているんですね。それで私のことも書いてくださっていまして、「赤旗元平壌特派員が『金日成は金正日によって殺された』という事実を萩原遼は明らかにしている。この事実を知っているか?」というような内容も書かれておりますが。

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*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第2セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/32638352.html
*'06 12/17 TBS「報道特集」(1)北を揺るがす“風船メッセージ”
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33070875.html

 そこで私が本当に今思いますのは、あっち飛びこっち飛びで恐縮ですが、この映画が作られた経緯は動機はやはり「帰国者を日本からもっと連れて行くための宣伝であった」と思わざるを得ないんです。と言うのは、62年でもうピークになりまして帰国者は止まるわけですね。それまでの60年・61年で約7万人が帰りました。後、ガタっと減ります。62年・63年はガタっと減ります。これを盛り返したいために何らかの方法を彼らは講じる必要があった、それがこれ(映画)ではないのか?

 もちろん日本人を使ってやったことにつきましては、寺尾五郎さんという有名な方が本を書きまして、そしてあの頃私も寺尾さんと身近な関係におったんですが、連日連夜彼は講演で飛び回っておりました。それも在日朝鮮人の帰国をしようという人たちの間を飛び回っておったんですが、その寺尾五郎さんの書いた本だけではどうもまだ在日朝鮮人の帰国者の迷いが吹っ切れない、帰ろうか帰るまいかまだ思っている、しかし帰国者はどんどん向こうからの実状が伝わって来て減っている、それを「そうじゃないんだよ」と「こんなにすばらしいんだよ」ということをもういっぺん巻き返す必要があったんじゃないのだろうか?

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*パンフレットの写真より。

 そのために映画を作って「日本人がこんなに作ってくれているんだ」と「これは日本人が客観的な立場で描いているから間違いないんだ」という宣伝に使ったんじゃないか?ということを私は思いまして、二重に「騙してくれたなぁ」という怒りの方が今となっては強いです。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。当時を知る方の貴重な発言だったと思います。

(脱北者・千葉優美子さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 脱北者・千葉優美子さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34536141.html
posted by あおいのママ at 13:01| 千葉 霧 | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 高柳俊男さん(第1セッションにて)

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*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 山田文明さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29655547.html

続き

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ・・映画にも大変深い造詣をお持ちの、研究テーマと考えている高柳俊男先生から、この映画「チョンリマ」について、その歴史的な背景及びいくつかの点を解説していただければと思います。高柳さん、よろしくお願い致します。

【法政大学教授・高柳俊男さん】
 こんにちは。今紹介いただきました高柳です。私がやっている事は在日の歴史や文化ということで、その手段として映画に関しても色々追っています。このチョンリマについても実は前から観たかったんですが、だいたい世代的には私よりちょっと上くらいの方は当時観たと思うんですけども、我々の世代だとむしろほとんど観る機会がなくて、ようやく1〜2年前に観るチャンスに恵まれたということです。

 それで今日は研究者の立場として、この映画についての事実調べや、今どう見たらいいのかということを簡単にお話したいと思います。むしろ私なんかより、山田代表もそうですけども、当時観たり運動に携わったような方がこの会場にもいらっしゃると思います。それから実際に北朝鮮での生活を体験された方もいらっしゃるようですので、むしろそういう方のお話を聞きたいというふうに思っております。

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*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html

 事実関係ですけど、今会場で当時のパンフレットの一部を資料としてお配りしました。もっと色々と資料があるんですけど、今日こんなに大勢の方がいらっしゃるとは思わないでちょっと準備が印刷ができなくて、とりあえずパンフレットの最初の部分だけお回ししました。

 それでこれは1964年の映画ということで、どういうふうに捉えたかと言いますと、'63年の3月から年末まで10ヶ月近く、この監督の宮島さんを始めとしたスタッフが北朝鮮に行って現地でロケをしております。そして'64年の1月に完成をしております。

 ご覧になってわかりますように、工場とか農村とかあるいはメーデーの日や建国記念式典のパレードなんかを取材して、全国に渡って撮ったというものです。あの、今観て、色々と失笑がもれたりしておりましたけれども、内容的にはまさに人民の教育がいかされて国家の主人公として色んな面で大切にされる、そういう北朝鮮の社会主義のすばらしさというものを、侵略軍つまり米軍ですけれども、米帝のもとで国民が飢えに苦しむ南朝鮮の惨状といったものと、非常に二分法的に対立的に描いたそういう記録映画ということです。

 我々がおもしろいと思ったのは、やはり途中で1959年12月から始まった北朝鮮帰国事業で帰った方の発言ですね。ほとんど「帰ってすばらしい」と「優遇されて本当に恵まれて帰ってよかった」というそういう意見だけですけれども、そういった証言も入っているというあたりが興味深いと思います。

 これはあの、インドネシアで開催された第三回アジア・フリー?・・映画会でルムンパ賞?というものをもらっていますし、日本では'64年の8月27日〜9月9日までよみうりホールで特別上映会がありました。ちょうど東京オリンピックの開幕直前の時期です。連日大入り満員ということで、急遽一日の上映回数を増やしたり会場の数を増やしたり、さらには9月9日までのところを9月13日、14日にも追加上映をしたりというようなことがされたと報じられています。

 それで共産党系、宮島さんももちろん共産党ともだいぶ仲が悪くなったこともあるようですけれども、当時は共産党系ということで、赤旗でももちろん膨大な量のしかも情熱的な報道があります。ただ赤旗だけではなくて、3大紙と言われる朝日・毎日・読売いずれにおいても写真つきで、非常に大きな扱いで取り上げられております。

 内容的には、国交のない未知の国に長期取材をして、その様子を伝えたことに対する評価ですね。ただもちろん疑問、特に朝日とか読売につきましては、そういう評価と同時に、こういう描き方に関する非常にこう単純化した図式的な描き方についての疑問なども取り上げております。

 以上が非常に簡単ですけども事実関係です。私はもうちょっと、調べたことで、今の目から見ておもしろいと思われることをこの後お話したいと思います。

 それはこの映画を撮った監督・宮島義勇さんですけれども、この方はカメラマンとして大変有名な方です。当時、毎日新聞のエコノミストという、また(立場が)違いますけれども、1964年の4月7日号から7回連載で「近くて遠い国・北朝鮮」という、つまりこの'63年の取材記録を連載しています。

 それを読みますと若干、この日本側のスタッフと北朝鮮のスタッフの間に意見の食い違いというようなものがあった、というのが少し見られます。例えば「若干の意見の相違が出てきた」とか、それから「北朝鮮側は朝鮮労働党とその指導者・金日成首相と労働者の堅い団結を示すように撮影してほしい、という意見を言ってきて、長い討論が繰り返された」というようなことが出てきます。

 ところがですね、これもっと実際には「大変意見の食い違い等があった」ということがわかります。それは宮島さんについて、山口猛さんという“満映”について本を書いている若くして数年前に亡くなった方がいますよね。山口さんが愛育社から「天皇と呼ばれた男」という、宮島さんはこの映画業界の中では大変威厳があって権力があって「宮島天皇」と言われたらしいですけれども、この「天皇と呼ばれた男」という本を書いています。

*こちらのサイトに本のことが詳しく掲載されています。
 ↓ ↓ ↓
*「天皇」と呼ばれた男―撮影監督宮島義勇の昭和回想録(愛育社)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/miyajima.htm

 大変実証的な本で、その中に当時のこの映画を作るに際して書かれた取材ノートが日大の芸術学部にあるようですけれども、この取材ノートをかなり綿密に見て色々と資料として入れています。それですともっとはっきりとこんなふうなことが書かれています。

 「朝鮮側の官僚主義とは妥協しないつもりである。」「朝鮮側の記録映画を2本観るがいずれも愚作である。」「北朝鮮側が取材に対して修正案を出してくるけれども強く拒否した。」「また北朝鮮側が修正案を持ってくるが物別れに終わった。」

 ですから実際はこの'63年の取材、そして作品化をめぐって日本側と朝鮮側がかなり意見の食い違いがあって、激しい議論があった、ということが取材ノートからわかります。

 しかしこの映画を観るとそんなことはほとんど感じられない、まったく感じられないですよね。そのことがどういうことかということを、映画そのものよりも映画の背景をなす我々日本人の朝鮮問題の対し方、思想の構造みたいなところで考えてみないといけないのかな、と私は思っています。

 つまり、今の2006年的状況からこの映画を批判することは極めてたやすいことだと思います。しかしやはりこういうような構造が今も我々にある、というようなことをきちんと認識していくことがこの映画を乗り越えることかな、と私は思っています。

 それはどういうことかと言うと、一つはたぶんイデオロギーによる単純な二分構造ということがあると思います。これは「社会主義は優越している」と「北は天国南は地獄」というような、そういう見方で自分の思想に当てはめて描いてしまった、ということがあると思います。

 それでもう一つはなかなか難しい問題なので、言い方を間違えると誤解もあると思うんですけども、ここでも「日本帝国主義」とか「日本の植民地への批判」ということがかなり見えました。そのことが時として、そういう日本の植民地支配とか在日朝鮮人の差別とかに対する反省とか謝罪とか贖罪ということが、時として現実をきちんと直視することを避けたり、あるいは期待を込めた甘い評価になったり、直言を避けるべきとなる、ということは現在でも朝鮮問題でたくさんあると思います。

 私は最近色々とですね、例えば、この韓国との間でも日本の左翼進歩派は韓国のナショナリズムを利用して日本の問題を叩くと、そういうような図式で運動していると思うんですけれども、これに関しては今の問題と実は変わらないような構造があるのではないかと思います。

 むしろ韓国のこの問題と日本の問題をもっと普遍的な観点から、つまり日本のナショナリズムを共に越えるようなそういう相互的な認識で問題を見ていかないと、色々とこれから新しい時代はできないのではないか、ということを考えていまして、これは私の考えだけではなく私の親しい韓国の朴裕河(パク・ユハ)さんという、最近日本で本が二つ「反日ナショナリズムを越えて」(河出書房新社)という本と、それから「和解のために」(平凡社)という2冊出ていますけども、彼女もやっぱり似たようなことを考えている、韓国でもそう思う人が一部にはいるわけですけれども。そういうところにむしろ新しい連帯とか新しい相互認識の芽があるのかな、と私は個人的に思っております。

*「反日ナショナリズムを越えて」
http://www.kawade.co.jp/np/author/10319

 長くなりますので、とりあえずそういうことで次の方にお譲りしたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。

(萩原遼さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 萩原遼さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34396190.html
posted by あおいのママ at 12:31| 千葉 霧 | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする