2007年03月12日

'06 11/15 新潟県民集会 大澤昭一さん

拉致11.15県民集会04.jpg

*写真は新津市民さんの撮影です。

*忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html

*新津市民さん撮影の映像より要旨レポートを作成しました。聞き取りに間違いのある可能性もございます。ご了承ください。

【司会者】
 北朝鮮に拉致された可能性が濃厚な特定失踪者の大澤孝司さんのお兄様、大澤昭一様からメッセージをいただきたいと存じます。弟の孝司さんは、旧佐渡新穂村の県佐渡農地事務所勤務だった1974年2月24日夜、飲食店で食事後、友人宅に立ち寄ったのを最後に行方不明になりました。それでは大澤さん、よろしくお願い致します。

*特定失踪者・大澤孝司さん 昭和49(1974)年2月24日失踪
 特定失踪者問題調査会リストより

http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=69&mode=search3

【特定失踪者大澤孝司さんの兄・昭一さん】
 皆さん、こんばんは。お忙しい中、こんなにたくさんの多くの方々が集まってくださって感謝しております。これだけの方から拉致問題のためのご支援をもらっている、私ども感謝の気持ちでいっぱいです。また、今横田さんの熱弁の後に私が話すのは雰囲気を壊すのではないかと心配ではございますが、私は一応特定失踪者の家族の立場として、現在の特定失踪者の状況だけちょっとお話させていただきます。

 私たち特定失踪者の家族は先日初めて政府の総理大臣官邸に呼ばれまして、塩崎官房長官が面会してくださいました。(11月9日)特定失踪者家族として運動を始めて4年、政府がやっと私たちの家族が拉致被害者であると認めてくださったのです。家族として一番の気がかりの「拉致問題の解決はこれまで認定された16人で終わるものでないか」という心配に対して官房長官は「特定失踪者を含むすべての拉致被害者の救出をするまで終わりはない」と言明してくださいました。

 また同時に、結局ここに結びつくんですけども「拉致認定」の問題については、これまで認定者が16人にとどまっているのは証拠を第一、韓国の目撃者証言、いわゆる証拠第一のものなので、認定被害者が拉致でなかった場合の責任問題などを、という気持ちでなかなか認定されませんでした。しかし20年〜30年前のこと、そうそう証拠もあるわけではありません。認定条件の見直しもお願いしました。これについても、一応日本政府も見直しについては今後、政府と調査会で話し合いの場所を作ってこの問題に対する、ということです。私たちにとっては大きな前進だと思います。

 また「情報開示等その他現在、政府ではなく民間のマスコミ・特定失踪者問題調査会が行っている韓国の目撃者との対談、そういう作業を私たちに任せないで何とかひとつ政府の方でやっていただきたい」とお願いしました。

 認定問題ですが、私の弟は現在日本でも証拠もなく、北朝鮮での目撃情報もないので認定されておりません。拉致されたと思われる日を思い出しますと、弟は昭和49年2月24日、新穂村(にいぼむら)の隣町の金井村(かないまち)に行って、仏像を買い、それを風呂敷に包んで抱えて、夕方新穂村のバス停で降り、日曜日のせいか寮で夕食が食べられないため、町の焼肉店で酒少量と焼肉を食べ「女将に仏像を見せる」と言うと「見てもわからない」と断られ、食べ終わって「飲んだし食ったし、帰って寝るか」とそういう言葉を残して店を出て寮に向いました。

 その中間点にある蕎麦屋さんのタバコ販売所のガラス窓越しで、狩猟免許証を奥さんに返し、「あんたも入ったら?」という誘いを断って歩き出そうとすると、2〜3人の男性が店内に入ろうとして入らずに出て行きました。その後、急発進のタイヤの軋む音がして車が走り去ったということで、寮には翌朝になっても孝司の姿はなかったのです。これが当時の状況です。

 私も佐渡中、警察を始め同僚・部落の人、多数の応援で長時間捜しましたが見つかりません。そうしていると、弟は自分から命を絶ったんだろうか、他所の土地で暮らしているんだろうか、という気持ちになりました。しかしよく考えてみると、自分で命を絶つ者が観賞用の品物を買って来るものだろうか?また焼肉店を出る時「飲んだし、食ったし、帰って寝るか」という言葉が出てくるのか?と思いました。

 また翌日の25日以降、日本海も荒れていて、小船での島外脱出も考えられず、佐渡汽船も貨物船も乗った形跡もなく、その後数年間島の内外で遺体も発見されませんでした。佐渡を離れて他所へ行ったんじゃないか?という推測も考えられました。しかし、寮では金も衣類も持ち出された形跡はなく、後日、通帳から金を引き出した形跡もありませんでした。

 この運動を始めて、特定失踪者用の公開したポスターを見て、国内では「十数人の方が家族のもとへ帰られた、家族のもとへ連絡があった」という話がございますが、私は「それでもいい、恥をかいてもいいから家に連絡が来ないか」と希望を持ちましたが、現在まで連絡はございません。私もすでに4年間、テレビ・新聞等に出させてもらって、「弟が日本に暮らしていれば何かの連絡がある」と思ってずっと待ち続けましたが、連絡はありません。

 という事は、弟は自分を殺めた、または島外での生活、というようなかたちの消息不明ではないような気がします。結局、その頃も「神隠し」という言葉、「神隠ししかもう考えられない」という状態に陥りました。

 しかしその後、第一次小泉訪朝で曽我さんが帰って来ました。「弟も同じ佐渡だし、失踪の理由もないし、これ以外はない」という気になりました。しかし証拠はありません。でも新潟県警は「大澤孝司は拉致の疑いが濃厚である」と発表してくださいました。また、先日新潟県警は曽我ひとみさんの拉致の実行犯として、北朝鮮工作員キム・ミョンスクを指名手配してくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。これからその他拉致実行犯の特定を一刻も早くお願いして、これが佐渡内外の拉致問題の真相究明に大きくつながるものと考えております。

 また、一連の報道の中で、ジェンキンスさんの話しとして、曽我さんを拉致するのが一番難しかったと言われています。ということは、北朝鮮は佐渡でも拉致を何件か実行しているということです。私の弟は曽我さん・横田さんの拉致より数年前でした。その頃より拉致があったものと思われます。政府も今後、特定失踪者等の拉致認定に対しては、数十年前の証拠とか韓国の目撃証人たちなどにこだわらず、私の弟のようなケースにも一刻も早く拉致認定してもらい、その方向に進んでくださるようにお願い致します。

 私の親父は明日12日が97歳の誕生日です。まだその歳にしては元気です。昨日も新聞・テレビを見て、六ヵ国協議の再開などをまだ気にしています。でも97歳です。政府には一刻も早く対応してもらわないと再会ももう間に合いません。日本国家も交渉など次々と実行してくれています。どうぞこれからも「どうしたらこの拉致問題が一刻も早く解決するのか」と全力で考えて交渉されることをお願い致します。

 私たちは、今後は安倍総理もやってくれそうだと日本国を信じています。どうぞ政府の皆さん、一刻も早い解決をお願いします。

 今日はこうして多数の方から支援をしていただきました。この問題の解決には国民の世論、これを大きくして政府に迫ることが一番大事な条件です。ひとつ、今後とも一層のご支援をお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)

*大澤孝司さんと再会を果たす会
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

*こちらで写真と映像がご覧になれます。
 ↓ ↓ ↓
*11.15 県民集会 新津市民さんのアルバムより
http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=53702&key=1858601&m=0

終わり
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2006年12月06日

11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(2)

拉致11.15県民集会01.jpg

*写真は新津市民さんの撮影です。

*忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html
*11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/28884210.html

*新津市民さん撮影の映像より文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)

続き

 あの写真を、4月にアメリカに行かせていただいて、そしてブッシュさんにも思いがけなくお会いすることができました。息子はその時の思いを・・なって、あの白いブラウスの写真と萩で撮った4人の家族の写真2枚を、このくらいの大きなパネルにして袋に入れてブッシュさんの部屋に持ち込んでおりました。そして私のご挨拶した後に息子がすぐに出して、その写真を白いブラウスの写真をブッシュさんに向けて言いました。

 「これは姉です。姉がこんな悲しい顔をしていたことは一度もありません。本当に明るく元気なお姉ちゃんでしたのに。これは北朝鮮がめぐみを連れて行った後にお姉ちゃんが写された写真なんです。こんな悲しい目をしているんです。どうか支援をしてください」と言いました。

 ブッシュさんは本当に泣き出しそうな非常に複雑な悲痛な思いをした表情をなさって、しばらくチェックしたようにその写真を見ておられました。そして「本当に残酷なことです。この子は本当にこの子の姿、この子の体はこの部屋にないけれども、その写真をこの子の心を私たちと一緒に写真に撮ってもらいましょう。」そう言って「ここに来なさい」と、自分の横の小さなテーブルに立て掛けてくださいました。そして瀋陽で捕まえられたハンミちゃんというかわいい女の子の家族も一緒に来ておりました。その子どもたちも席に着かれて、小さな写真を持って来られていました。「それも一緒にここに飾りなさい」と言って、そこに飾ってくださいました。

 そして「ブッシュさんはよく会見をなさいますが、一緒に写真を写される事はあるけれども、メッセージを他の記者の前で出される事は滅多にないんですよ」と、案内をしてくださった加藤大使がおっしゃっていました。「そうですか?」と言いましたけれども、「本当なんですよ。こんな事滅多にないけれども、今日はメッセージが出ます」とおっしゃいました。私たちはますます緊張して、私たち二人が部屋に招かれましたけれども、その写真を飾った後にたくさんの記者の方が入って来た時に、ブッシュさんははっきりとおっしゃいました。

 「本当にこんなに罪のない若い者を『他国から拉致をして来い』と指令をしているような、そんな国があるなんて信じられない」とおっしゃいました。そして「北朝鮮が本当に世界から尊敬されたいのなら、尊敬されるような国になりたいのなら、たくさんの連れて行った人たちを全部親のところに返しなさい」とメッセージを出してくださいました。「このお母さんは何にも欲しがっていない。ただ『娘を返して欲しい』と言っているだけなんです」と言ってくださいました。「この人の胸の中にこの女の子を返しなさい」と言ってくださいました。

 ブッシュさんの前には、あちらも滅多に出て来られないようなたくさんの高官たちが真正面に2列に並んで、その事を全部メモをして聞いていてくださいました。そして「お母さん、頑張りなさい。本当に私も一度・・でいいから頑張りなさい」とメッセージをくださいました。本当に私たちはうれしい思いで力強く思って帰ってきました。

 こういった本当の悪に対しての真剣な取り組み方というものが日本の国にあったんでしょうか?どれだけたくさんのチャンスを逃してきたのかと、私たちはこの救出活動を通して色々と思わせられてきております。お米の支援をする時もそうでしたけれども、今もご覧になるように「北朝鮮の国の子どもたちがあんなに痩せ衰えてごろごろと遺体となって転がっていても、真横で・・の人たちがいても、遺体を見てもどうにもしょうがないんですよ」と昨日もテレビで観ました。「何人かの遺体が転がれば、ようやく穴を掘ってそれを投げ込んで隠せる事もできるけれども、一人くらい転がっていてもどうしょうもないんです」そのようなことを聞いて、もうゾッとしました。

 そしてそのようなかわいそうな人たち、強制収容所でもう本当に獣のように、今もこの瞬間も何の罪もないのに、ちょっと政治批判をしただけで犯罪者となって放り込まれて、何十年もムチ打たれてボロボロになりながら暮らしている人たち、今も誰かがムチ打たれて悲鳴を上げている被害者、そのようなことが行われている国、そしてたくさんの100万人単位もの餓死者が過去もでております。そのような国にいくらお米の支援をしてもお金をあげても、そういう物は全部それこそ高官のところにだけ行って、そちらの方が今よくやっているように、本当に贅沢なマグロだのメロンだの、車は全部ベンツだの、もうすばらしい時計とか、全部そういう幹部たちに配られる物として持ち入れられ、それが日本の製品がみんなそういうふうになっていって、後はあちらに苦しんでいる人たちはもう虫けらのように放り投げられているんです。

 「そのようなところにお米をあげないでください。おにぎりを作ってすぐに『はい食べなさい』と目の前に持って行ってあれば、その人たちが食べてくれれば、元気づけるところを見る事ができますが、何にもない状態であげても、そんなものは絶対にそのような方たちの口には入らないんですから」と言っても、あっという間にお米は向こうに支援されてしまいました。私たちは外務省の前に座り込みをしてそれを反対していましたけれども、それでもその様な事があっという間に出されました。どうしてこうなるんだろう?と思いました。

 金正男という金正日の息子という人が不法入国をして来た時も、こんな事、子どもたちとカードとして引き換えに、この人が大事な息子であるなら拉致被害者救出されるチャンスだと本当に思っていましたけれども、あの時も外務大臣が「帰しなさい、帰しなさい」という考えられないような一言で、外務省の上の方たちが高官たちが6名も付き添って飛行機に乗せて返した、という事を聞きました。私たちは、何でああいうことをしたのか?今でもその人がわかりません。

 そうした、先ほども・・先生のお話にありましたように、本当にこれは悪の根源と言われても仕方がない、人格を持っていないような指導者が立っているその国のやる事ですから、リビアの高官だった一番指導者だった方と、北朝鮮の金正日の人間性・人格というものがどれほどの差があるのか?私たちにはどこかが・・・温かいものがあったか?その辺は私たちにはわかりませんけれども、金正日という人にどれだけの物を高官に与えても、必ずそれはまた軍備に使われて、もっともっとそれが拡大していくに違いない、と私は思えて仕方がないんです。

 そして制裁をする事が、非常に本当に向こうにいる方たちの子どもたちでさえどこにいるかわからない、食べられないかもしれないという覚悟で命懸けで、親子共に命懸けで戦っているわけです。何とかしてあの国も平和になってもらいたい。みんなが人間らしい、神さまからいただいた大切な命を本当の自由の中でちょっとでも幸せに生きて欲しい、と私たちは思っているんです。

 けれども、そのような所にそれだけのものを今まで時間稼ぎをして訴え続けてきたのでしょうか。私たちはこの運動に立ち上がった時から、支援の方たちと一緒にそのことを訴え続けてきました。「どんなに(米)支援をしても何をあげても、それは苦しい人たちには絶対助けにはならない。みんなそれは幹部の人たちが裕福に暮らすだけで、残りの物は全部軍備にあげられて・・まで行くような時間稼ぎをすることにしかならないのだ」と一生懸命に言い続けてきましたけれども、どういうわけか、私たちの思うような方向にはいきませんでした。

 そしていよいよ今、一番恐れていた“核”という問題が持ち上がってきました。そんな時になって慌てふためいても仕方がないから、私たちは早くから子どもたちを犠牲にしてでも、そんな事ないようにしなければ、と一生懸命に戦ってきたのに、本当に残念で仕方がないんです。

 今このような大変な状況の中にあって、先ほどの話にもありましたように、何が一番良い方法なのか?制裁をかけ続けてもっともっと苦しめて「もうこれ以上我慢がならないから、やっぱりもう拉致をした人たちだけはもう何とか返すから」というようなことが起きるのか?それを少し和らげてでも何かを支援すれば、それが本当に良い方向に使われていくのか?その辺は私たちはもう庶民でありますから知る事はできません。こんなに大変な事になるまで、日本人は本当に私たちは何をしてきたんでしょうか。本当に悲しい有様だと思います。

 今も色んなたくさんの子どもたちが自殺をしたり親が子どもを殺したり子どもが親を殺したり、本当に人間としての魂がどうしてこんなになくなってしまったんでしょうか。私たちは悪いことをした時、父や母に厳しく叱られました。「こんな事、二度とするんじゃない!」と本当に父親なんかは女の子であっても殴りつけてでも、人の差別をしたり卑しいことを言ったりした時には叩かれました。今の子どもたちは本当にそんなことをされたことがあるんでしょうか。いい事と悪い事っていう事だけは小さい時に「叩かれると怖い」っていう思いで教え込んでおかなければ大変な事になる、と私は思うんです。

 あちらの指導者もそういう事をされてきたんでしょうか?思ったまま自由自在に何でも欲しいものは手に入る、自分の思ったようにやっていけばいいという、そういう人たちが指導者になった時に国が滅びていき、それだけ多くの人が苦しまなければならないのか、という事に私たちは本当に思い至るところまでなってきました。

 この拉致問題を通して今日・・色んな思いで、どこに連れて行かれて、どんなふうにどこに囲われて、どんなふうに生活していたのか?出てくるまではわからないめぐみの事ですけれども、あちらの国で必ず守られて一生懸命に助けを待って、るみ子さんも有本恵子さんも市川修一さんも田口八重子さんも曽我さんのお母さんも大澤さんのご家族も、みんなが一生懸命に生きていると思うんです。

 色んなニュースが入りますけれども、はっきりとしたかたちで帰って来るまで真実はわからないと私は思っています。ただ日本中の国が家族も支援の人たちも政府も首相も警察の方も外務省、人間として日本人の一人として本当に人間らしい思いで悪と善としっかりと嗅ぎ分けて、どちらが正しいのかという事をしっかりと見極めて、そして頑張っていくしかないと私は思っています。

 めぐみがどうか命をいただいたままで、みんなが命をいただいて、またタラップから降りて来る日を私たちは本当に夢を見ながら頑張っております。どうか助けてください。皆さんのお力によって、本当に世論によって国が回っていきます。悪い事がはっきりと見えてきます。どの議員の方が悪い事をしているのか?本当にこの人は真実ブッシュさんのように、色んな欠点もあるかもしれませんけども、やっぱり人間の命というものをどんなに慈しんでいらっしゃるかという事だけは、はっきりと私は感じさせていただきました。

 そういう事を私たちは本当に思うことができ、たくさんの事を学ばせていただいて、今日は本当にめぐみちゃんがかわいそうで、こんな事のために親や多くの人たちに、このような事を分からせるために、たくさんの日本の子どもたちが犠牲になっている、その犠牲者をあんな国でどこかの穴に放り込まれたままで引き会わせさせたくないんです。必ず「頑張ってきたね」と取り返してください。どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)

終わり

*映画「めぐみ」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/2343114-1.html
*'06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html
*'06 9/14 NHK「クローズアップ現代」倒れても娘を取り戻すまで
http://aoinomama13.seesaa.net/article/23773562.html
*'06 5/28 第8回茨城県民集会in水戸 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/24330988.html
*'06 4/16 神奈川県民集会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/19879990.html
*'04 4/10 流山講演会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15390181.html
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2006年12月04日

11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1)

拉致11.15県民集会05.jpg

*写真は新津市民さんの撮影です。

*忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html

*新津市民さん撮影の映像より文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)

 新潟の皆さん、こんばんは。(会場から「こんばんは」大拍手)・・・ちょうど今日は29年目の11月15日、ちょうどもう○分くらい前でしょうか、「・・近くの家の角の所で男性に捕まえられて、そして北朝鮮に連れて行かれた」ということを曽我ひとみさんが帰って来て「めぐみちゃんがそんなふうに言っていました」と教えてくださいました。

 この角で何があったんだろう?と私たちは本当に長い間、煙のように消えてしまった子どもを、本当に一つも消息が何にもわからない、あんなに大きな長女が、私より1センチ背が高かったんですが、その人がもうまるっきり煙のように消えたまま20年も経ち、どんなに捜していただいても私たちがどんなに泣き叫んでも、海岸を走り回って名前を呼びながら「めぐみちゃん、どこに行ったのー!」「めぐみちゃーん!」と子どもたちと一緒に懐中電灯持って捜し回り、また自転車に乗ってあの浜辺を寄居浜をどれだけ走ったかわかりません。

 色んな町の知らない所まで歩き続けて、どこかのアパートの竿にめぐみの着ていたようなものが洗濯物がかかってないかな?っていう思いで、色んなところを歩き回って、・・おばあさんの所を・・しまったこともありました。めぐみによく似た写真が出たり、これはひょっとしてそうかもしれないというところのものはあらゆることをやってきました。絶対に見つけてあげなければ、と捜し回っておりました。

 そしてテレビにも4〜5回出て、絶対に家出なんかしてないと思いましたけども、とにかく誰でもいいからめぐみの写真を見て「あっ、この人はあそこで見たことがあるよ」って言ってくれる人がいるんならばどんな事でもしようと思って、「私たちはめぐみのことを捜して、どこにいるのかわからないけれども、あなたが家出するなんて思わないけれども、どこかにいるんなら、ハガキの1枚でもよこしてください」と呼びかけました。

 小さな小学校3年生だった男の子も何が起きたかわからない、昨日まであんなに元気で楽しく笑って歌ってキャーキャー騒いでいたお姉ちゃんがパッと消えたままで、そしてその椅子のところはいつも空っぽで、ごはんをいくら作っても食べてくれない皿を並べてくれました。何でこんな事が起きたんだろう?と私たちは知りませんでした。けれども、本当に私たちは今でもこの問題が北朝鮮の工作員による拉致だというような事が、まさかこの日本の地で起きているとは考えた事もありませんでした。国内の事件だと思って一生懸命に捜していましたし、新潟県警は本当にもうよくここまでと思うほどすごい大捜索をしてくださっておりました。

 けれども、5人の方がお帰りになって、そして私たちが考えてもみなかった曽我ひとみさんという方が一緒に帰って来られました。そして向こうに連れて行かれて、めぐみが連れて行かれて1年後に、ひとみさんがやはり「お母さんと一緒に夜に買い物をしに行って3〜4人の人に襲われて茂みの陰に連れ込まれて、目隠しをされ猿ぐつわをされ、そしてぐるぐる巻きにされて袋に詰められて、そしてゴムボートに乗せられ、また、少し沖の方で違った船に乗せ変えられて、工作船まで連れて行かれて、そして北朝鮮に連れて行かれた」という事をはっきりと知ることができました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻も同じように「そのような状態で連れて行かれた」ということをはっきりと聞くことができました。

 「柏崎の灯が目隠しをされたすきまから少し見えていた」ということを聞きました。「だんだんその灯が小さくなって行く、どうなっていくんだろう?と本当に恐ろしくてたまらなかった」と薫さんに聞きました。「その時に船の中でどんなことを考えていたんですか?」ってお帰りになった時に聞きました時、「きっともう殺されると思った。海に投げ込まれるかなあと思っていた。怖かった、恐ろしかった。だけど北朝鮮という所で朝を迎えて何でこんな所にいるんだろう?わからなかった。けれども、きっと誰かが助けて来てくれる、必ず誰かが日本の誰かが来てくれると思って一生懸命3年間頑張ってきたけれども、誰も助けに来てくれなかった。だから私たちはもう北朝鮮人となってここで暮らしていくしかないと思って、180度心を転換してここで暮らしてきたんです」とおっしゃっていました。

 めぐみも同じように「あの工作船のような船の船底に放り込まれて、本当に絶叫しながら、あの制服姿のままスポーツバッグを持って学校のかばんを持って、一緒に投げ込まれて泣き叫んでいた」と安明進さんが教えてくれました。「爪がはがれそうになって、かきむしった扉や壁は血だらけになって、めぐみちゃんの爪は剥がれそうになって血だらけだった、という事を聞いた」とおっしゃっていました。

 どの人もどの人も本当に何の罪があってこんな恐ろしい目に遭わなければならないのでしょうか。こんなに平和な豊かな、平和平和と一生懸命にみんなが一生懸命に生きてきたこの国の中で、そして転勤をしながら朗らかに頑張ってきためぐみは何にも悪いこともしないで、一生懸命勉強してバトミントンの強化選手に選ばれて一生懸命に汗をかいて、お腹がぺこぺこになって帰って来たその角の所で、待ち伏せられていたのかどうかわかりませんが、男の人に連れられて北朝鮮に連れて行かれた、という事がわかりました。

 ひとみさんはあちらでのめぐみとの生活を色々と話してくださいました。「本当に怖くて恐ろしくて、二人とも『怖かったね』『恐ろしかったね』って声をひそめて泣いたんです」とおっしゃっていました。「夜、お布団に入って、日本の唱歌を日本語で小さな声で歌いながら泣いたんです」とおっしゃっていました。本当に大きな声で、いつもお隣にあんまり大きな声で歌を歌うから「あんまり大きな声を出すんじゃない」って言うほど大きな声で、めぐみはいつも“みかんの花咲く丘”やそして“故郷”や・・色んな歌を本当に大きな声で歌っていました。廊下を歩きながら台所にめぐみは立ちながら歌っていました。

 そんな子どもが声も出せないで、それもたった一人日本から連れて来られた同じくらいの子どもたちができて、二人はどんなに心安らかに思ったことでしょうか。そして助け合いながら一生懸命に生きてきたと思います。何ヶ月か過ぎて、また違う所に連れて行かれ、また何ヶ月か一緒に暮らしてまた違う所に連れて行かれ、そして曽我さんはとうとうジェンキンスさんたちがいらっしゃるアメリカの方の人たちが連れて来られた所に移動になりました。

 そしてその時にめぐみも「もうこれでこの方と会えない」と思ったんでしょうか、一生懸命にバトミントンの用具を入れた、練習したあの赤いスポーツバッグを大事に持っていたそうですけども、ひとみさんに「私だと思ってこのかばんもらってちょうだい」と「私を忘れないでね」と言って、ひとみさんにそのかばんを渡したと言っていました。ひとみさんはそれを大事にしてジェンキンスさんと一緒によく・・、・・そんなものが書いたかどうかわかりませんが、ジェンキンスさんの本なんかを読むとテニスの時、非常に重宝して・・もらったとおっしゃっていました。本当にどんなに悲しい思いをしていたんでしょうか。そして日本語の先生として向こうの人に工作員の人に教えていたと聞きました。

 そしてある日、一人の男性が連れて来られて「この人にあなたは日本語を教えなさい」と言われたということです。その人がこの間の韓国の高校生として5人の中にいた拉致をされた金英男(キム・ヨンナム)さんでありました。そして北朝鮮は、すべてが指導者の指令でありますから、「その人に日本語を教えなさい」と言って連れて来ても、最終的には「この人と結婚させようという何らかの意図があったんだろうと思う」っていうことをおっしゃっていました。

 そしてそれは「結婚しなさい」と言われればどんな人であっても「嫌です」とは言えないのです。蓮池さんや地村さんは共に連れて行かれた人たちと夫婦になれてまだ本当に心が安らいでいたけれども、めぐみちゃんは違った国の人と夫婦になったためにいつも不安定で、心が不安定で「帰りたい、帰りたい、帰りたい」といつも泣いて泣いて泣いて泣きまくっていたという事を聞いていました。

 そしてヘギョンちゃんという、こんなに大きくなったかわいい女の子が私たちの前に現れた時は本当に私はビックリしました。こんなに悲しい恐ろしい残酷な人生の中で、こんなに知らない所に連れて来られて監視をされ続けて、そして故郷を恋しがって「助けて、助けて」と言いながらも、こんなに元気な女の子が生まれて成長していたんだと思いました。何にも教えてあげられなかった、・・子どもができてから何にも教えてあげられなかったのにどうやって育てていたんだろう?と思いました。非常に苦労したと思います。蓮池さんご夫妻には本当にどんなにか色々とお世話になったんだろうと思っています。

 けれども出てきたあのヘギョンちゃんという女の子は、どんな所で育ったんだろう?と思うほど元気で明るくて賢そうで、何のどんな質問にもはきはきと答えている女の子が私たちの目の前に突然に現れました。私たちはめぐみがいなくなったあの夜から、今日11月15日のあの夕方のあの恐怖感の中から、どれだけたくさんのショックを受け続けていたことでしょうか。そして一つの喜びが「ヘギョンちゃんというあんなに元気な女の子がめぐみにもいたんだ、こんな女の子に支えられて生きていくことができていたんだ」という事でした。

 後は死亡宣告、そしてうつ病、自殺、そして白い骨の白い箱を持って来られました。どんなに私たちがあちらにお願いしても北朝鮮は「拉致などしたことがなく、そんな人は一人も入って来たことも見たこともない」と何度となくいい続けてきたでしょうか。大韓航空のあの問題も未だにまだ「李恩恵(リ・ウネ)さんというような人は、田口八重子さんというような人はこの国にはいないし、この問題は私たちの国のしたことではない」といい続けているといいます。

 そのような嘘ばっかり言い続けて、終いに生きている人の骨をいかにも他人の骨を入れて、私たちの家族の前に藪中さんが持って来られました。「どうしてこんなものが本当だと信じられるか!」って言って投げ返さなかったのか?と、親である私たちは本当にそのぐらいの思いをしました。私は「こんな骨はめぐみのものとは思っておりません!信じていません!!」はっきりと藪中さんの前でお返しました。

 けれども、私たちがあんなに捜し続けていた学生服の白いブラウスのあの時と同じ年代の写真、白いブラウスの写真と大人になっためぐみの2枚の写真を一緒に出された時は、骨の白い箱を見るよりも大きいショックを受けました。何という悲しい目をしていたでしょう。あの子があんなに悲しい目をしてじっと見つめている顔を見たことがない、明るい元気な子でしたから。「ああ、めぐみちゃんなのね」と私は思わず悲しくて、涙を流しながらあの写真を撫でました。「こんなに捜していたのに、20年もわからなかったのに、こんなところにいたのね」と「こんな悲しい顔をして」と思いました。本当に息子たちも思わず男泣きに声を上げて薮中さんたちの前で泣きました。

(2)に続く
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2006年11月16日

忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟)

拉致11.15県民集会01.jpg

*写真はすべて新津市民さんの撮影です。

 新潟西港でずっと万景峰号入港抗議活動に頑張っていた新津市民さんが昨日新潟県民集会(新潟ユニゾンプラザ)にご参加、集会の映像をアルバムにアップしてくださっています。

 プログラムによりますと、横田さんご夫妻と特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの昭一さんの講演、それから伊豆見元さん(静岡県立大学教授)が基調講演をされているようです。また、ドキュメンタリー映画を製作中のオランダ人監督のミリアム・バン・ベーレンさんが来日してこの集会に参加されていたということで、映画の公開は来年のようですが今から本当に楽しみですね。もちろんその前にめぐみさんたちが帰って来てほしいです。

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*特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの昭一さんです。

拉致11.15県民集会02.jpg

*オランダ人監督のミリアム・バン・ベーレンさん。中央下に座っています。

 私もできるようでしたら、時間がかかるかもしれませんが、少しだけ講演の文字化のお手伝いをさせていただきたいと思っています。新津市民さん、いつもお疲れさまです。ご連絡いただきまして本当にありがとうございました。

*'06 11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1)〜(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/28884210.html
*'06 11/15 新潟県民集会 大澤昭一さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35763013.html

*皆さん、ぜひご覧になってみてください。
 ↓ ↓ ↓
*11.15 県民集会 新津市民さんのアルバムより
http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=53702&key=1858601&m=0
横田めぐみさん拉致から29年 「世論の力で解決を」

■新潟で集会 滋さんら訴える

 横田めぐみさん=当時(13)=が北朝鮮に拉致されて丸29年となる15日、新潟市内で「忘れるな拉致 11・15県民集会」が開かれ、めぐみさんの父、滋さん(74)と母、早紀江さん(70)らが「被害者は生きて助けを待っている。世論の力で取り返してください」と早期解決を訴えた。

 集会には約450人が参加。新潟県の泉田裕彦知事が「拉致問題への関心を失わず、胸にとどめ続けたい」とあいさつ。静岡県立大の伊豆見元(はじめ)教授(国際関係論)が、北朝鮮のミサイル発射や核実験について講演した。

 滋さんは「世論の力がなければ、拉致問題よりも日朝国交正常化が先行していたはず」と指摘。「被害者を取り返す日まで、今後も国民に見守ってほしい」と支援を呼びかけた。

 早紀江さんも「めぐみに何の罪があって、こんなに恐ろしい目に遭わなければいけないのか」と涙ながらに語り、「必ず生きていると信じている。一刻も早く取り戻してほしい」と、一層の協力を求めた。

 めぐみさんは昭和52年11月15日、中学校から下校中、新潟市の自宅近くで北朝鮮の工作員に拉致された。
(産経新聞) - 11月16日8時2分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061116-00000005-san-soci

拉致11.15県民集会03.jpg

*新潟西港中央埠頭にて撮影。(2004年5月19日)

こちらにもミリアム・バン・ベーレンさんの写真があります。
(2004年5月29日撮影)
 ↓ ↓ ↓
*6/27 映画「アブダクション(拉致)」上映会
http://aoinomama13.seesaa.net/article/24989157.html
posted by あおいのママ at 17:24| 千葉 ???? | TrackBack(0) | '06 11/15 新潟県民集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする