2006年11月16日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田滋さん

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(多少読みやすいように変えております)

 瀬谷区の皆さん、こんばんは。(大拍手)今日はもっと早くお伺いする予定だったのですが、急に、新潟市が今度政令指定都市になるにあたって新潟出身の作家・坂口安吾氏の生誕100周年を記念して第1回安吾賞(*下記に記事あります)、これは文学賞ではないんですが、新潟にゆかりのある人という事で、人気作家で演出家の野田秀樹さんが獲得されたんですが、私たちも、これまでも拉致の問題に関して一生懸命やって新潟市民が新潟市が支援をしているという事で、市特別賞をいただきまして、それはちょっと欠席できませんので、行ってまいりました。それでこちらの到着が遅れまして、申し訳ございませんでした。

 今日10月15日ですか、今から4年前に羽田空港から5人の北朝鮮が生存を発表した方がお帰りになりました。そして当初は、2週間くらい滞在して親族に会ったりして、北朝鮮にいったん戻って子どもさんと相談した上でどうするかを決めて、「日本に行く」という事であればその後帰って来る、という事になっていたようなんですが、しかしそんな事をすればもう二度と帰って来られなくなるという事で、政府の責任でそのまま日本に留め置くという事になりました。

 しかし、北朝鮮側からみれば「約束を破った」という事で、子どもさんが帰ったのは小泉総理の二度目の訪朝、平成16年の5月の小泉総理の再訪朝によって5人の方が帰って来て、そしてその後、曽我さんの家族もジャカルタ経由で帰って来ましたので、生存していた方は、本人はもとより家族の人がすべてこの日本に帰って来て、子どもさんも「日本に永住する」と決めて、もう順調に日本の生活に慣れてきております。しかし北朝鮮側はそれ以外、当初は「死亡」と発表した人、それから曽我さんのお母さんもその時は拉致かどうかわからなかったんですが、その後政府が認定していますが「そういう人は入国していない」と言っております。

 それで「拉致問題は解決済みだ」という事で、保障問題等に移ろうとしたんですが、小泉総理は「それでは日本人が納得しないから」と再調査の約束を取りつけました。そしてその年の8月9月に日朝実務者協議が北京で行われましたが、まったく新しい情報は入手出来ませんでした。しかし3回目の11月の時には、めぐみの物が中心だったんですが、めぐみの学校に入った時の物だとか自筆のメモ、これは新潟市の住所・家族の名前・年齢・父親の勤務先等々を書いたメモがありました。

 それから三枚の写真、一枚は拉致された直後に写されたと思われる不安そうな顔をした写真、それからもう一枚は割りあいきちっとした姿でコートを着ているもの、もう一枚は唯一のこういった笑顔の写真です。それより何より決定的なものは、めぐみの夫である金英男(キム・ヨンナム)さんが現れて遺骨も提供しました。そして「自分が直接渡したい」という事だったんですが、藪中団長は「我々は両親から任意を受けているから持って帰る」という事で、持って帰って来てくださいました。

 それ(遺骨)は我々から見ますと本物かどうかわかりませんので、新潟県警が裁判所の令状を取って、証拠品として押収してDNA鑑定を行いました。そして帝京大学と科学警察研究所の2ヶ所で鑑定を行いました。

 我々が心配したのは、高温で焼いたので鑑定不能と出た場合、北朝鮮の夫が「規則を破って共同墓地から妻の遺体を持って帰って、それを保存して自分の事務所に大事に保管してたものだから、もう絶対本人も間違いない」と、しかし「DNA鑑定は出来なかったけど骨はめぐみのものに間違いないんだ。こんな不安そうな顔をしている少女をわが国は立派な大人に育てて、しかし病気になって入院をして、それで自殺をしたんだ、これで納得してくれ」っていうかたちだった場合、科学的に反証する材料がないわけなんです。それを心配したのですが、日本の技術水準・科学水準の高さで「別人のもの」と判明致しました。

 そしてその他の方のものも精査をしまして、これは12月8日に決まったわけです。我々は「こんなに誠意のない対応をする国には経済制裁をしてください」とお願いをしましたし、その翌日に超党派の国会議員で作る“拉致議連”というのがありますが、そちらの総会でも外務省から説明があって、こちらでも「経済制裁を」という決議がなされております。それから10日の自民党拉致対策本部、衆参両院の拉致特別委員会でも「制裁」を決議しておりますが、小泉総理が「対話の窓口が途絶える」という事で「制裁を」とは言っておりません。

 そして今年の2月に、今度は日朝友好協議といって「拉致だけではなくて、核やそれから保障の問題も並行的に協議する。しかし・・保障問題が済んだとしても、拉致が解決しなければ保障には応じない」と通告した上での協議だったわけですが、その時も具体的な進展は何もなくて「次回いつ開かれる」って事は決まっておりません。その時に政府から説明がありましたが「何も政府からはなかった」という他に、その時に梅田さんという方が団長だったわけですけど、「その時感じた事が三つありました」と「北朝鮮は日本の世論を非常に気にしている」という事でした。

 その一つの例としましては、2月頃にめぐみの写真展を新潟で開きまして、その事が話題に出たそうです。それで北朝鮮の代表が「新潟は拉致の問題の関心が深い所だけど、写真展には2000人の人しか来なかったそうですね」と言ったので、梅田代表が「私が行った時も超満員だったんですよ。誰がそんないいかげんな報告をしたのか知りませんけど、実際には2万5000人の人が入りました」と、その時もらってきたリーフレットを渡したそうです。それにしても「新潟のデパートで開かれた写真展もチェックしている」という事にちょっと驚かされました。

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 ですから今日も椅子に座りきれない方々が大勢いらっしゃいますが、これだけ大勢の方が拉致問題解決を願って来てくださったという事は、非常に我々としましては心強いですし、またこれが新聞に出たりしたら北朝鮮の耳に入ります。おそらく上の方に報告する場合はこの3分の1くらいの数しか言わないかもしれませんけど、大勢の方がこうして参加してくださるという事は、拉致問題解決のために非常に大きな力となります。

 二つ目には拉致の国際化を恐れているようです。以前はレバノンの人、それから日本・韓国の被害者の事だけが話題になって「レバノンの人は解決済み」となっているわけですが、しかしジェンキンスさんがお帰りになって本を書いた事によって、「東南アジア・ヨーロッパと12ヶ国の人が拉致されていた」とわかりました。ですからそういった国からも色んな圧力がかかりますし、サミットの場とかASEAN(アセアン)の代表会議の場でも、拉致についての北に対する追求が見られますし、特に今回は最初のミサイル発射の時に、日本では万景峰号の入港を半年間止めたわけですけど、しかしその追加措置として日本に来るすべての船の入港を半年間止める、という事です。

 それから「食料品等の輸入を全面禁止」としておりますが、これは従来、アメリカだけでも金融制裁が効いているわけですから、それを日本でも進めたいですし、今回国連による決議の制裁等が加わりますと、北朝鮮側は何も対応しないでいるとそれこそ自滅の道を辿る事になりますから、何らかのかたちで対応せざるを得ないかと思います。

 それから今の話とだぶりますけど、「やはり経済制裁が非常に効いている」という事です。安倍内閣の誕生によりまして、従来から我々家族は「拉致の担当の大臣を任命していただきたい」とか「前に対策本部の参与もやっておられた中山恭子さんに、拉致の解決のための何か要職に就けてその能力を発揮していただきたい」とか「拉致の対策本部、今の特命チームというのがありますけど、閣僚級の拉致の対策本部を作って、それこそプツっと切れる事無く検討して欲しい」と、色んな事をお願いしておりましたが、それもすべて実現しました。拉致問題に非常に熱心だった麻生外務大臣・鈴木官房副長官と、非常に拉致の解決にはいい環境が整いまして、我々も大いに期待しております。

 今年の初めの4月頃ですか、めぐみの夫が「1977年〜78年に拉致された5人の高校生の内の一人ではないか?」という情報が入って、それぞれの方のお母さんから血液とか口の粘膜等提供を受けて肉親関係を検査したところ、それは「金英男(キム・ヨンナム)さん」だという事がわかりました。

 そして我々も韓国に行って、お母さん・お姉さんと対面したんですが、やはり日本とはかなり違いまして、我々も実状として「北朝鮮に行くと、北朝鮮側は『救助した』とか『本人が望んで北朝鮮にいる』と言わせる」という話をしたんですけど、ただ韓国の場合は分断国家で日本とまったく状況が違いますし、お母さんは非常に高齢で、お父さんが亡くなって早くから子育てに苦労していたので体が弱っているんです。

 それで「生きているうちにぜひ会いたい」とおっしゃっていまして、それは会う事が出来て非常に良かったと思っています。そして話を聞きますと予想通り「めぐみは死んだ」とか「自分は救助された」とか色んな事を言っていますが、しかしそれに対して日本の世論は「ああ、やっぱりめぐみさんは死んだのか」という事にはならないで「それは作り話ではないか?」とあまりそれを信用しなかったので、北朝鮮側の目論みは外れたと思います。

 今日も大勢の方が来てくださっていますけど、日本の“家族会”は政府認定16人でその内5人が帰って来ていますので、実質的に解決していない方は11人ですから、人数は非常に少ないわけです。しかし韓国の方は朝鮮戦争の時の被害者だけでも8万人、それから日本と同じような漁船員の方が中心ですけど、北に捕まった方が480人くらいいらっしゃるわけですが、日本と一番大きな違いというのは“救う会”というような組織がないわけなんです。日本だったら救う会神奈川が会を開く場合もありますし、それから今日の場合のように国会議員の方が主催してくださるケースとか、ロータリークラブの方とか色んなかたちで会を開いて世論を盛り上げてくださるわけです。日本の拉致問題がこれだけ進んだのは、皆さんの関心が非常に高いからこれだけの事が進んだわけなんです。

 事実、アベックの拉致事件とか新聞に報じられたのは昭和55年ですけど、その時は家もあまり話題にもならなかったし、昭和63年に参議院の予算委員会で採り上げられた時も、新聞が小さく報じてテレビがまったく報じなかったので、日本の人はほとんど気がつかず、家族も名乗り上げなかったものですから救出運動も起きなかったわけです。しかし平成9年にめぐみの事が出た時は、我々も実名と写真を出して報道、産経新聞・アエラ等も大きく報道して、それから西村眞悟代議士の質問が全国でテレビ生中継されたという事があって、世論が高まったわけです。

 今日会場にいらっしゃったほとんどの方は「平成9年に日本人の拉致がある」とご存知になったと思いますし、若い方でしたら「小泉総理の訪朝によって拉致がわかった」って方もいらっしゃると思います。しかし、先ほどの昭和63年の時には政府が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」という事を答弁で言っておりますから、政府の関係者・議会関係者の方だとかご存知だったわけですけど、国民の世論がなかったものですから、めぐみの事が明らかになった時でも「たった10人くらいの拉致の事で騒いで日朝国交正常化交渉が進展しなければ国益に反する」なんて言う外務省の局長がいて顰蹙をかった事がありましたけど、世論の力がなければ誰よりも政府は国交正常化を急ぐという事がずっと続いてきたわけなんです。

 政府認定されている人は現在16人、その内の解決していない人は11人ですが、それ以外に特定失踪者問題調査会に相談をしている人が480人くらい、警察に対して相談している人は1000人くらいいらっしゃるという事です。しかし警察に相談した方は我々がそうだったように、「必ずしも北朝鮮に行ったとは思えないけど、いなくなり方が不自然で、もしかしたら北朝鮮かもしれないから調べてほしい」という人もいるでしょうから、この1000人が全部北朝鮮の拉致とは言えないでしょうが、かなり大勢の方がいらっしゃると思います。こういった人たちを助けるためには、国内の世論・国際的な世論の高まりはもう欠かせる事は出来ません。

 今は安倍内閣になって特に熱心にやってくださるので、急に世論が下火になるなんてちょっと考えられませんけど、それでもやはり解決のための最大の力というのは、皆さんがこの問題に関心を持ってくださる事です。ぜひこれからも今日のように大勢の方がこの問題に関心を持ってくださって、見守ってくださる事が大勢の人を助ける事になると思います。どうぞよろしくお願い致します。(大拍手)

終わり

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*写真は講演会終了後、控え室前で報道各社のインタビューを受ける横田滋さん・早紀江さんご夫妻です。

*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html
*'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15144323.html

新潟市で第1回安吾賞授賞式

 新潟市出身の作家、坂口安吾(1906―1955年)の生誕100周年を記念して同市が設立した「安吾賞」の第1回授賞式が15日、新潟市民芸術文化会館で開かれ、同賞の劇作家野田秀樹さん(50)と、市特別賞に決まった横田滋さん(73)、早紀江さん(70)夫妻に賞状や賞金が贈られた。

 野田さんは大学時代に安吾作品に出合ったといい「大好きな作家の賞をいただき光栄だ」と喜びを語った。会場では安吾原作の舞台「贋作(にせさく)・桜の森の満開の下」のセリフを一部読み上げ、会場から大きな拍手を受けた。

新潟日報2006年10月15日
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2006年10月27日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川口より子さん(元外務大臣 参議院議員)

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 皆さま、こんばんは。川口より子でございます。先ほど横田ご夫妻のお話の後、そして今の大澤さんの本当に心にずしんとくるお話の後、私がどういうお話を申し上げていいのか非常に今悩んでおります。

*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 大澤茂樹さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25802389.html

 私が外務大臣になりましたのが2002年の2月の事でございました。今からちょうど4年前になります。その後、どれくらいしてだったかちょっとはっきり記憶にないのですが、2月のどこかの時点で外務省の下の人たちから「北朝鮮と話し合いが始まった。非常にこれは水面下で話しをしていたわけですけれども」という事を聞きました。

 同じ頃に、横田さんご夫妻始め数人の拉致家族の方と外務省でお会いさせていただきました。その時に横田さんご夫妻からお書きになられた本をいただきまして、それでめぐみさんの失踪のその事からお話が始まり、本でございましたけども、それを読ませていただいて、涙が出るのを禁じ得ませんでした。

 北朝鮮との話はそういう中で、まぁ非常に難航するかたちで続けられました。何が難航かと言いますと、私ども日本側が言っていたのはもちろん拉致を始め、それから当時すでに問題になっていた核の問題、あるいは日本に向って北朝鮮の“ノドン”というミサイルが200基も配置をされているわけでして、その核・ミサイルの問題等々が日本の関心事であったわけですし、北朝鮮側の関心事というのは植民地支配に対しての謝罪に始まる、まぁ一連の事でございました。両方共平行線でありまして、それぞれの例えば会合で「何を先に話をするか」と言うことすら開くはめになった、という具合に話が進んでいったということでございました。

 それで最終的にそれが総理のご判断で、これは9月17日にご出発になられたわけですけども、(北朝鮮に)行かれたわけですが、その近くまでにギリギリのご判断で「周りがしてくれるけど自分が行く」という事で北朝鮮に行かれた、そして日朝平壌宣言というのがございまして、それからそれがちょうど4年前の今日で、蓮池さんや地村さんたちが、それから曽我さんが日本の土を踏むということにつながった、ということでございました。

 色んな事がありました。色んな事がありまして、私自身も北朝鮮の外務大臣と二回、二回目はインドネシアで「曽我さんの夫ジェンキンスさんが北朝鮮を出る」という事についての会談でしたけれども。まぁ大変に相手が相手という事ですので、本当に会談をした事を信頼、普通は会談というのは信頼関係があって話が出来るということですけども、まぁそれすらおぼつかない中で話し合いが開幕しました。

 その中で最終的には今のようなかたちになって、何人かの方はお帰りになられたけれども、何人かの方は残っていらっしゃる方は今、大澤さんを始め特定失踪者の方々も含めて未だにまだ日本の土を踏むに至っていない、というのが今の状況でございます。

 最近北朝鮮がエスカレーションをどんどんしていって、「おそらく核爆発の実験をしただろう」ということでありますけれども、昨日、日本ですと今日ですけども、国連で安保理の議会で「安保理で決議が決まった」という事は大変重要な事と思っています。

 今まで色々な制裁等々のお話の時に、中国及びロシアもそうですが、様々な判断から必ずしもそれに対して積極的でなかった、まぁ「中国は中国の立場もある」という事でございましょうけれども、その中国がこの北朝鮮のエスカレーションに対して、言わば「堪忍の緒を切らした」として「我々と同じ仲間として行動をとる」という事になったのは、これから先の北朝鮮問題の展開については非常に大きな影響を持つ事になるだろう、と私は思っております。

 経済制裁の効果のためには、北朝鮮と大きな貿易をしている中国・韓国・ロシアのこの3つの国が同じ事を考え行動に移してくれなければ話が効果が上がらないわけでして、そこに大きな変化をもたらしたのは今度の制裁の決議になったと思います。たまたま日本が今年の12月まで安保理の非常任理事国でありますし、また、たまたま日本が今議長をしているという事で、この問題についてリーダーシップを取れた事は大変よかったと思います。

 それからいきますと今年の10月の後、日本は安保理の非常任理事国からも外れてしまうわけで、また引き続き北朝鮮の問題が様々な展開をすると思いますけれども、そういう中で日本が今度は安保理の外に行ってリーダーシップ、あるいはその安保理の中に入っている国々に働きかけをしていかなければいけない、ということだと思います。

 この拉致の問題がここまで国際社会の認識を得る問題になったという事は、本当にひとえに横田さんご夫妻を始め拉致家族、あるいは特定失踪者の方々のご家族、そして世論、こういうものが全部一緒になって、そして国際社会を動かした、という事でして、私としても今後今までのネットワークを使いながら、この問題が国際的な社会の中で変えていく、そうされていく。

 まぁ外務大臣時代に決して言えなかった台詞を申し上げれば、これは何らかのかたちで北朝鮮の政権が変わっていく、ということでなければいけないと思っておりますが、このための今度の決議というのはひとつの大きな一歩だと思いますし、またみんなのこれに向けての拉致問題解決に向けての努力というのが非常にまた大きな役割を果たす事だろう、と思っております。ちょっと長くなりましたが、一応これで終わりにさせていただきます。(大拍手)

(パネルディスカッションにて)

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【進行・吉田勝明さん】
 さてこの会場の帰りに、自分の娘とか息子とか子どもたちがいなくなる可能性、そのようなパーセンテージで起こった事かと思います。他人事とは思えない、一生懸命我々支援していこうというふうに思っております。

 で、その当時川口先生が外務大臣であられた頃に、“対話と圧力”という様な事をスタートしたかと思いますけど、先ほどお話がありました通り、小泉総理大臣が“対話と圧力”、この話をよくしていたんですけど、実はこの発案というか「こういう作戦でこういう対応でいきましょう」と発案されたのは、その当時の川口先生とお聞きしております。その辺のところを一言コメントをいただけますでしょうか?

【川口より子さん】
 あの、“対話と圧力”という言葉を日本政府も方針としてずっと使ってきているわけですけども、ちょっと日付ははっきりと覚えていないのですけども、私の外務省の大臣室で「外務省の今後の対応について」幹部の人たちとまとめて会議をやっておりましたけれども、再起動しまして、「日本政府の方針が決するまで小泉総理の訪朝を待って、“対話”路線を追及をしよう」という事でやってきたわけですけれども、「北朝鮮側の対応がまったく誠意がみられない」という状況があったという事は皆さんご記憶に新しいと思います。

 それで「“対話”という路線を、“対話と圧力”という事をはっきり言おう」というふうに路線の変更をし、まぁ下の人が持って来た紙?に、そこに“対話と圧力”という項を私が挙げさせた、というのがいつのことだったかちょっと日にちは覚えていませんが。それ以来“対話と圧力”、この二つを私はペダルを適切に踏んで行く、ということが非常に大事だと思っています。

 それで「核実験をした」と北朝鮮が言っているという状況で、また「微量の放射能も検出された」ということがありますし、その前に「ミサイル発射」もあった。これは“対話”から、もっと前からですけども“圧力”を徐々に強くしていって、今国際社会の安保理の合意も得て“圧力”を非常に強くした。「今後どういうふうになるか?」っていうのは、これは「北朝鮮の対応を見ていく」という事だと私は思います。“対話と圧力”で今は圧力をかけるべきである、その時期である、と私は思っております。(大拍手)

【進行・吉田勝明さん】
 ありがとうございました。本当にその当時“対話と圧力”という話の中で、今回ある意味で川口先生が継承された“対話と圧力”、その“圧力”の部分は「世界全体でかけ始めた」「スタートになった」とそんなような気がしております。

終わり
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2006年10月21日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(多少読みやすいように変えております)

 皆さま、こんばんは。(大拍手)本当に私たちの子どもたちが被害者になりまして、そしてその後本当に長い年月が過ぎていきました。今日10月15日は、そのような方たちと一緒にあらゆる努力をして政府に訴え続けて、署名活動、そしてこうした講演会とか、もうあらゆる事を私たちに出来る限りの事を一生懸命にやってきたんですけれども、この日はちょうどそんな中で蓮池さん・地村さんご夫妻、そして名前の上っていなかった曽我ひとみさんという5名の方が、(4年前の)10月15日に飛行機のタラップを降りてまいりました。本当に劇的な、もう考えられないような事でした。

 私たちはその後からみんなが、有本恵子さんもめぐみもるみ子さんもみんな一緒に降りて来てくれる事を、「死亡と言われているけどやっぱり降りて来てくれるよね」っていうような思いで、本当にもう緊張してタラップの奥の方を闇の中を見ていましたけれども、やはりあの時は子どもたちの姿は見えませんでした。

 そしてその翌日16日に増元るみ子さんのお父様が、その時非常に重態になられてがんで病院にお入りになっておりました。それで「るみ子の事をちょっとでも知りたい」ということで(弟の)照明さんは、蓮池さんや地村さんのお部屋をホテルの中で回って、私たちも色々と情報を聞いたんですが、「本当に小さな事でもいいからおっしゃってください。もう今父が危ないんです!本当にちょっとの事でいいから教えてあげたいんです!!」と言って(部屋を)回られたんですけども、どの方もその時はやはり北朝鮮からお帰りになったばかりで非常に緊張なさっていたし、恐怖感もあったのか何かわかりませんけども、どの方も「るみ子さんの事は知りません」「会った事も話した事も見た事もありません」とおっしゃっていたんです。

 それで照明さんはもうがっかりして、お帰りになったちょうど(4年前の)今日15日・16日とこの日が来ると、私はるみ子さんのお父様の事をいつも思い出すんですが、あの時の状況をまざまざと感じています。そしてるみ子さんの弟の照明さんは鹿児島に帰られまして、病身のお父様の所に帰って、それで「何度か聞いたけど、やっぱり『るみ子さんは知らない』って言っているんだ。わからないようだけど、だけど絶対に元気だよ!絶対に助けようね!!」って言って一生懸命に励まされたんです。

 その時にもう本当にひどくお悪くて、もうあの頃の元気な姿はなくて本当に痩せこけてしまわれて、酸素マスクをなさってて、それでその身体を起こしてビデオにその様子を撮って、これから言いますけれども、お父様はその時にもう本当にしわがれた声で一生懸命にるみ子さんに呼びかけておりました。「るみ子、俺はもうお前を助けにいけなくなってしまったけれど頑張りなさい」とおっしゃっていました。そして「俺は日本を信じる!だからお前も日本を信じろ!!」と照明さんにおっしゃって、そして天国へ召されて行きました。本当に悲しい悲劇の瞬間でした。

 あのお父様はお元気で、鹿児島の男性らしく非常に明るくて、大きい声で元気で、初めの頃に署名活動をしていました時にいつもご一緒していました。鹿児島や熊本の街角でるみ子さんの写真を掲げて、私はめぐみの写真を掲げて、通り行く人たちに「お一人でも多く署名をしてください!」と「政府を動かしてください!」「助けてやってください!」と言いましたけども、まだその頃はほとんどの方が信じてくださっておりませんでした。新聞もテレビも“拉致疑惑”という“疑惑”という文字がついたままでしたので、「そんな事ってあるんですか?」「北朝鮮は怖い。私はちょっと・・」と言って手を振りながら、チラシも受け取らずに通り過ぎる方がほとんどでした。

 その中で、るみ子さんのお父様は本当に大きな声で叫んでいらしたのを今でも忘れることが出来ないんです。「何で通り過ぎるんですか!通り過ぎないでください!るみ子を助けてください!!」と叫んでいました。そして「こんなに大変な大事件が大変な事が日本の中で起きていたというのに、この24年間日本の政府は一体何をしていたんだー!!」とものすごい声で怒鳴りつけながら通り過ぎる人に叫んでいました。涙をポロポロと流しながら叫んでいた姿を忘れることができないんです。

 そしてこの事は私たち家族は、めぐみやるみ子さん、有本恵子さん、田口八重子さん、そのような人たちが事故に遭った、たまたま北朝鮮の工作員に連れて行かれた、という事であって、「ああ、あの子たちがかわいそうね・・」と静かに見守っているような問題ではないのです。本当にこのような事を平然とやる恐ろしい国が、この日本のすぐ海を越えてすぐ近くに今でも現存しているわけです。

 そしてその国に一生懸命にお米の支援やお金の支援をしていたわけです。私たちは外務省の前に座り込んで何年も前に「お米を出さないでください!そのようなお米はあそこで苦しんでいる気の毒な子どもたちや、飢えているような人たちに届くわけはないんです!全部あれは平壌の上層部に渡ってお金に換えられて、お米をお金に換えられて、そしてそれが日本に全部運び込まれて、そしてその軍備が韓国や私たちの大切な日本の国に行き先を向けているという事になるんですから、もう出さないでください!!」と本当に寒い中を、家族の者が全部があそこに揃って大声で叫びましたけども、あっという間にお米は出されてしまいました。

 そして当時のそういう時にいらした行政の方も「50万トンなんて言わないで100万トン出しなさい、出しなさい」とおっしゃったこともありましたし、金正男という今の金正日の息子さんがこちらに不法入国した時も、「ああこれで(彼を)人質として私たちの子どもを返してもらえるよね」って「絶対今度こそ上手くやってくださる」と思っていたんですけども、何故かわからないんですがVIP扱いで、外務省の方が6名も付かれ高官の方が付かれて帰されてしまったという、でも私たちはまだ信じていました。「外には言えなくてもこんなに大変な事だから、きっと飛行機の中で高官の方たちは一生懸命に『子どもたちと引き換えに』と取引をしてくださるに違いないよね!政府を信じましょう!」と、本当に藁をも掴む思いでおりましたけども、その後何にもなく過ぎていきました。

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 そのような悲しいショックを何度も何度も受けて、私たちは家族として父親として母親として、大切に産み育てた子どもをこんなに理不尽な事によって連れ去られて、あちらの国にまだ監禁されたまま影も形も見えない、闇の中に閉ざされたまま生死すらわからない、そのような事を平然と「そうですか、死んでしまったんですか、そうですか・・」って皆さんだっておっしゃいますでしょうか?この事は今私がめぐみのことをお伝えしていますけども、ひょっとしてこれは私が今日そちらのどこかの席で、そちらのどなたかのご家族が、お父様かお母様がここで「私たちの娘を助けてください!お願いします!!」とおっしゃるのを私がこちらで聞いていたかもしれない、というような大事な問題なんです。

 そして段々と、北朝鮮の本当に恐ろしい国政のあり方というのがようやく今国際的にわかるようになり、そしてこの度4月には、本当に思いがけなくこのような普通の主婦でしかない者が訪米をさせていただき、公聴会でお話をさせていただき、思いがけなくブッシュ大統領にお会いすることが出来ました。

 息子が一緒に行ってくれまして、北朝鮮が以前出してきた(北朝鮮に)行ってすぐに撮った、あの白いブラウスの悲しそうな写真をこうして持って行きました。そして息子は立ち上がってブッシュさんにその写真をかざして見せました。「これは私の姉です。姉はこんな顔をしていませんでした。本当に温かい顔をしていたんです。優しい姉でした。いつも大きい声で話して歌っていました。向こうに行って写した写真がこんな目をしているんです。助けを求めているんです。」と見せました時に、ブッシュ大統領は何とも言えないようなお顔を、初めて見た普通の顔をなさいました。

 そして「この子は今この部屋にここにいないけれど、この子の体はここにないけれども、この子の心を私たちと一緒に写しましょう」とおっしゃってくださって、ご自分のテーブルの横にこうやって立ててくださいました。中国で捕まえられた(脱北者の)ハンミちゃんって女の子のご家族も向かい側に座っていらっしゃいましたけど、そちらの方もその写真を持って一緒に並べてくださいました。

 そして「北朝鮮が本当に世界から尊敬される国になりたいのならば、このお母さんに、また、たくさんの被害者の家族たちに大切な子どもたちを全部返しなさい」と「こんな若い子どもたちを『拉致をしてこい』と指令する国があるなんて考えられない」と、たくさんの記者の前でお話をしてくださいました。そして「このお母さんは何にも欲しいものはないんだ。ただ『子どもを返してほしい』と言っているだけなんです」とおっしゃってくださいました。本当に温かい心は私たちの心の中に貫きました。

 私たちは本当にその時色んなことを通して思います。「何の約束であれ、どんな父であれ母であれ大事な命を産み育て、そして大きくした子どもを理不尽な思いでそのような事をされた時に、本気で誠の心で動く、そういうことが出来る方がどれだけいるかということでこの事がはっきりと動いて行くんだ」と私たちは言い続けてきました。そして訴え続けてきました。

 今、安倍総理が今度初めてそのような状況の中の方として戦ってくださり、そして多くの組閣がなされた中で立派な方々がそこに置かれてくださり、温かい心の方、ブッシュさんがおっしゃったように「何にもいらないんだ。この大事な者を日本の国に取り戻したい」その思いだけを持って動こうとしていてくださる方々が、今ようやく明らかになって動いてきております。

 そして今、国際的にもこの問題がいよいよ核という問題が起きてきて、前から私たちが言い続けてきた事が本当にこの姿になって、いよいよそれを使い出したということを向こうが発表し始めた時に、これはもう地球全体の脅威であります。どこの国のどこの対岸とかいうことではなくて、本当にあの原爆で長崎や広島であのような事を受けている、ものすごい悲惨なことを経験している日本が本当にはっきりとした態度を示していかなければ、「いつまでこの国はのんびりと構えているんだろうね」って「こんな大切な事でさえ何も言えない国なんだ」と思われていいのでしょうか?

 子どもたちは大きな犠牲を持って、今も北朝鮮でお月様を見ながら助けを求めていると思うんです。こんなに苦しい思いをした事が決して無駄にならないように、この事で本当に世界中が目を覚ましてくださって、温かい心でどれだけ大事に動きどんなに一生懸命に心を尽くすか、それがどれだけ人間にとって大事な事なのか。もう役職も頭の良さもそんなことは関係ないんです。それだけの温かいお気持ちが一人一人の心の中にどれだけ宿っているかで本当に国がすばらしく変わっていくんじゃないか、と私はこの活動を通して思わせられてきました。

 何にも出来ない、学歴もない、本当に普通の主婦でしかない私たちはただ子どもたちのために、あそこであのままで朽ち果てて欲しくない、「死亡しましたよ」って言われて「はいそうですか」とそんなこと言っていられない、必ずはっきりした事が納得出来るが事が私たちに示されるまで、それがどちらであれ“拉致問題”というこの残忍な問題が解決されるまで、私たちは一生懸命に戦っていこうと思っております。

 どうか皆さま、ご自分の事としてこの日本の未来がどうなっていくのか、という大変な大きな問題を抱えているこの魂の問題を真剣に考えていただきまして、私たちをどうぞ応援してくださり、もう二度と皆さまにこんなに悲しい苦しい、30年近くもこんな苦しみに耐えなければならないようなこんな恐ろしい事が二度とどこからも起きないように、平和な、本当の意味での平和な、温かく、子どもたちが大切にされる国が成り立っていく事を私たちは願ってお願いにまいりました。どうぞこれからもよろしくご支援ください。ありがとうございました。(大拍手)

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*写真は、横田さんご夫妻と救う会神奈川会長の川添さんが地元の中学1年生の女の子たちから花束を贈呈されました。

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*写真は、横田ご夫妻と特定失踪者ご家族への横浜相原病院の皆さまの激励エールです。太鼓の音と「ガンバレ!ガンバレ!よ・こ・たー!!」の応援に早紀江さんは肩を震わせ泣いていました。

*'06 4/16 神奈川県民集会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/19879990.html
*'06 5/28 第8回茨城県民集会in水戸 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/24330988.html
posted by あおいのママ at 19:31| 千葉 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | '06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川添友幸さん(救う会神奈川会長)

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 こんばんは。まずこのような講演会を企画していただきました皆さま、実行委員の皆さまに深く感謝を致します。私たち救う会神奈川なんですが、基本的には湘南地区で活動しております。今年の4月に横浜の開港記念館で大規模集会ということで、横田さんご夫妻にご参加いただきまして集会を行いまして、大成功を収めました。今回の実行委員会の方に「瀬谷集会を開催する」というお話をうかがいまして、「全面的に協力したい」ということで私たちも協力しております。

 今、北朝鮮の情勢を見ると、7月ぐらいからミサイルを発射、先日も核実験を行いましたが、私はですね、こういうことが起こりますとマスコミの方から「コメントを」ということを言われまして、いつもコメントをするのですが、「三つの裏切りをした」というふうに言います。

 一つは、小泉総理の行った日朝平壌宣言ですけど、日本との約束を破った。二つ目は、国連や六ヵ国協議の中で「核やミサイルをやめる」と言ったのも裏切った。さらに三つ目ですが、私が一番許しがたいのは自国民をですね、あそこは今2000万人くらいいるそうなんですが「300万人も10年間に国民が餓死した」というお話をうかがいました。核やミサイルをやらなければそういう人たちが助かった、ということを考えるとですね、非常に私は許すことはできません。さらにこの拉致問題というのは許すことは出来ない人権の問題だと思っています。

 今、この拉致問題、先ほどさかい先生の方からもご紹介ありましたが、(早紀江さんが)アメリカのブッシュ大統領とも面会し、国連の非難決議も出ております。非常に今、国際的な人権問題になってきております。しかしですね、まだまだ日本国内では(人権問題は)関心が薄いということもありますし、マスコミの報道などを見ていましても、ちょっとワイドショー的な面になってしまっている部分もありますが、地元でやはりこういう会を開く時にはぜひご参加をして、直接拉致被害者ご家族の方、横田さんたち、政府が認定しています11件16人、さらに今日こちらの顧問に入られております大澤さんなどの特定失踪者の問題など、すべての北朝鮮の人権問題を含めて関心を持っていただきたいと思っております。

 最後にご紹介なんですが、今日配布しましたチラシの中にですね、私たちの方で来年1月14日に横浜情報文化センターで有本さんのご両親をお呼びして講演会を予定しておりますので、ぜひご関心のある方はご参加していただき、この拉致問題、かわいそうで済ませるのではなく、皆さん主体となって声を上げていっていただければと思いますので、ひとつよろしくお願い致します。(大拍手)

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*写真は横田さんご夫妻と一緒に地元の中学1年生の女の子たちから花束をいただく川添さんです。

*救う会神奈川ホームページ
http://www.geocities.jp/sukuukai/
北朝鮮によるすべての拉致被害者を救出するぞ!!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会
〜よど号グループよ!!拉致した松木薫さん 有本恵子さん 石岡亨さん 福留貴美子さんを返せ!!〜

日 時:平成19年1月14日 日曜日 
午 後1時開場・午後1時30分開演(午後4時過ぎ終了)
場 所:横浜情報文化センター 情文ホール
     http://www.idec.or.jp/shisetsu/s6-jouhou.php4?f=jouhou/6-map.htm
     みなとみらい線「日本大通り駅」 情文センター口 0分
     JR・横浜市営地下鉄「関内駅」 徒歩10分

講演者:有本明弘さん(有本恵子さんの父)
     有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)
     斉藤文代さん(松木薫さんのお姉さん)
     三浦小太郎さん(人権活動家)
     野村旗守さん(ジャーナリスト・著作 社会党に騙された!ほか)
     村尾健兒さん(特定失踪者問題調査会専務理事)

参加費:500円(学生 300円)
主 催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会
共 催:北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会実行委員会
協 賛:拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会
問合先:090(9816)2187又はsukukaikanagawa@hotmail.com
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2006年10月20日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 大澤茂樹さん

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 ただ今ご紹介にありました、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者「大澤孝司」の兄で大澤茂樹と申します。私はまだ北朝鮮問題に関しては無知で、本日このような先生方とパネルディスカッションできるような詳しい事情を知りませんので、私の弟が拉致されたと思われる内容について、それを中心にお話をさせていただきます。

 私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟市の方で家業を継いでおり、私は昭和40年から瀬谷区に在住、当地で大変にお世話になっております。その関係上、私の弟はまだ特定失踪者の身でありながら、さかい学先生と横浜相原病院長であります吉田勝明先生のご配慮で、私にまでこのように訴える時間を割いていただきまして本当にありがとうございます。両先生には厚く感謝を申し上げます。

 拉致されたのが濃厚なのは一番下の弟・孝司(たかし)で、佐渡島に赴任中、曽我さんたちの(拉致の)約3年半前の事件でございます。弟・孝司も昭和50年から大学が小田急沿線にあり、私の家から約3年半通い、当地でお世話になりました。私はこのようにして瀬谷区民の皆さま方にお会いするのは昨年の集会に続き2回目となりますが、おそらく私の弟の拉致の内容についてご存知の方は少ないと思いますので、せっかくの機会であり、より多くの方々に弟の拉致の内容を知っていただき、ご支援をいただければ幸いと思い、弟が失踪した時の状況からお話をさせていただきます。また、昨年参加された方は重複する面もあるかと思いますがご勘弁の程、よろしくお願い致します。

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 弟・孝司は昭和49年の2月24日、1974年でございます、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん母子が拉致された現場から7〜8キロしか離れていないトキの保護センターのある新穂村という所で、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。失踪時の身分は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります「佐渡の農地事務所」に勤務する新潟県庁の職員でございました。

 事件当日は日曜日で、寄宿舎の食堂が休みで、夕飯を行きつけの飲食店に食べに行き、若干アルコールもとったようでございますが、そこの店を午後7時半頃出る時に店のおかみさんといつもと変わらぬ様子で挨拶を交わし、帰宅途中知人宅に立ち寄り2〜3分立ち話をした後帰ろうとしたところ、その知人宅も飲食店を営んでおり、その店に入ろうとしていた2〜3人のお客さんか、また弟の後を追ってきた2〜3人のグループか定かではございませんが、店に入るのをやめ弟の後を追ったようで、その後まもなくして車が急発進するタイヤの軋む音をそこのおかみさんともう1人近所のおかみさんが聞いたのが最後で、その後の足どりはつかめておりません。

 翌日、車が急発進したと思われる周辺からハングル文字のマッチが1つ見つかっただけで、それ以外の証拠物は何一つありません。事件当時、佐渡の両津警察の大掛かりな捜索と新潟県と私どもの方でお願いした捜索隊も加わり、くまなく佐渡中捜索するも、弟を見つけ出すことも失踪する理由さえもつかむことはできませんでした。

 私ども家族は、これだけ大掛かりな捜索していただいたのにも関わらず見つからないということは「神隠しにあった」ものと諦めもしておりましたが、その後の情報によりますと「曽我さんたちと同じような手口で北朝鮮に拉致されている疑いがある」という情報をいただき、新潟県警の方で再調査を要請、それと同時に特定失踪者問題調査会、これは民間の調査団体でございますが、そこに調査をお願いし調査をしていただいたところ、弟・孝司は「北朝鮮に拉致された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つない」ということで、平成15年の6月、調査会の認定をいただき、また調査会の中の拉致の疑い濃厚なリストにも載せていただくことができました。

 一方、日本政府は「証拠不十分」とし、今現在も新潟県警の方で再調査が継続されておりますが、同じく平成15年の10月16日の新潟県警の定例記者会見の場におきまして、弟は「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」という新潟県警の異例中の異例の見解をいただくことができました。

 その後、法律家の会の弁護士の先生方のご協力をいただき、平成16年の1月29日、その時点で特定失踪者の中の拉致の疑いが濃厚な16名、現在35名となっておりますが、その時点での16名が全国一斉に拉致されたと思われる各都道府県の県警本部に被疑者不詳のまま「国外移送目的略取容疑」で告発状を提出し、それと同時に日弁連の方に人権救済を求める手続きをしていただきました。その日弁連の方で調査していただいた結果、「16名全員が拉致の疑いが高い」とのことで、昨年3月29日、日弁連の方から日本政府・警察庁へ人権救済を求める訴えをしていただきましたが、未だに誰も日本政府の拉致認定には至ってはおりません。

*特定失踪者の一斉告発にあたっての要請(04年01月29日)
 調査会ニュースより

http://chosa-kai.jp/shiryou/040129.pdf

 私は拉致は人権蹂躙で、我が日本国土に土足であがり込み人をさらって行くという国家主権の侵害であり、人権蹂躙であり、北朝鮮のテロ行為である、と私は絶対に許すわけにはいきません。今拉致被害者は日本政府が拉致認定している11件16人の他に、ある日忽然と行方がわからなくなった現在480名のご家族が特定失踪者問題調査会の方に調査をお願いし、現時点でこのポスターのように約250名の方々が特定失踪者として公表されております。(ポスターを広げ掲げる)

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 私はこの内、実際には何人の方々が拉致をされているのか想像もつきませんが、北朝鮮の研究者によりますと「100名から150名の方が拉致されているのでは」ということであり、まだまだこんなにたくさんの拉致被害者がいるかもしれない、ということを知っていただきたいと思います。

 今、日本政府の拉致の取り組み状況は、7月5日北朝鮮が弾道ミサイルを挑発的に6発も7発も発射して以来、何の進展もございませんが、今、世界中の国々が「北朝鮮の核武装と核の実験を断固阻止しよう」と包囲網をしいている矢先、北朝鮮はこの前核実験を強行致しました。その制裁措置として今朝も国連の決議が採択され、経済制裁が発動されます。

 また、日本政府も日本独自の経済制裁で「北朝鮮のすべての船舶入港禁止とすべての輸入禁止」という厳しい措置が報じられておりますが、この拉致問題を即解決していただくには経済制裁をすべて発動していただき、金正日体制を崩壊しなければ私は北朝鮮の人権問題、または核問題、拉致問題がすべて解決するとは思えません。安倍新政権なら私ども特定失踪者の真相究明を含め、拉致されているすべての方々を奪還してくれるものと私は信頼しております。

 それには皆さま方のお力で日本政府に応援していただき、またここにお出での国会議員のさかい先生、川口先生、小林先生他さらに頑張っていただき、この拉致問題を一刻も早く解決していただくことをお願いし、私の挨拶と代えさせていただきます。どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)

*大澤孝司さんと再会を果たす会
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
*ワシントンDCらち連絡会
http://www.asanocpa.com/rachi/
*'05 3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3552129.html
*新潟写真展のレポートご紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25616485.html

(パネルディスカッションの中で特定失踪者ご家族の紹介がありました)

 本日、私の他にですね、特定失踪者二家族がこの会場に参加いただいておりますので、簡単に私の方からご紹介させていただきます。(ご家族が壇上にあがる)

 私の隣のご家族は昭和51年7月30日、お兄さんが電気通信大学の2年生の時に、大学の寮生の仲間と東京都の神津島に遊びに行き、神津島の民宿から突然失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸さんでございます。高野さんは出身は長野県ですが、現在すぐ近くの磯子区に在住しております。

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【高野清文さんの妹・美幸さん】
 磯子区からまいりました、長野出身で神津島から行方不明になりました高野清文の妹・美幸でございます。今日は鼻声でこの場所に参加しております。何故かと申しますと、ちょうど「北朝鮮が核実験をした」ということで、各社報道の中で北朝鮮の核の工場に元働いていた脱北者の方のお話がありました。たいした施設もなく、遮断される洋服もちゃんと整えられないまま、核施設の中で働いている方たちの映像を皆さんも見たことがあると思います。嘘の情報を教えられた技術者たちが、核兵器の製造、もしくはそれの工程をさせられる、ということを目の当たりにしました。

 その直後に、調査会の方が第7の“マッピング・リスト”、これは今まで看護婦さんの集まりであるとか、その中に曽我さんも入っています、そして地村さんとか蓮池さんのようなカップルの失踪などをまとめたものの発表がありました。そしてとうとう核・原子力・ミサイルに関係する失踪者の“マッピング・リスト”の中に「高野清文」という名がありました。

 兄がこのような状態の中で核実験とか核の開発に従事させられていたら、そしてもしそれがあなたのだんなさん、あなたの息子さん、弟さん、お兄さんだったら、というふうに想像してみてください。私の昨日の号泣の様子がわかっていただけるかと思います。兄の作ったかもしれない核兵器が日本やアメリカを攻撃する前に助けて欲しい、助けてください。よろしくお願い致します。(大拍手)

*マッピング・リスト7 高野美幸さんのブログより
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/25688462.html
*'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」拉致疑惑(4)〜(5)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6644348.html

 一番左側のお二人は昭和54年8月10日、銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に参加し、現地解散で戸塚の駅から自宅の最寄のバス停まで来られて、その最寄のバス停から帰宅途中に突然失踪した寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。一言よろしくお願い致します。

瀬谷集会 寺島さん.jpg

【寺島佐津子さんのお父さん】
 私は皆さまと同じ横浜市内の戸塚区からまいりました寺島です。こちらは家内です。今、大澤さんからもお話がありましたように、私の娘・佐津子は昭和54年8月10日に事件が発生しました。勤めの帰り、夜遅く帰りまして、バス停から自宅までの途中で失踪したわけです。

 あくる日になって「娘が帰って来ない」ということを知りまして、警察の方へすぐ連絡をしまして捜査が始まったわけですが、皆さまは同じ横浜市民の方ですから、事件当時の模様などはテレビ・新聞等でご記憶の方もおありかと思います。

 早いもので、事件からもうすでに27年が過ぎました。私も一応高齢者の仲間に入る年齢になりました。これ以上は待てません。一日も早い事件の解決を願っておるわけです。それには皆さま方の温かい一層のご支援とご協力をよろしくお願い致します。(大拍手)

*特定失踪者「寺島佐津子さん」 昭和54(1979)年8月10日失踪
 調査会公開リストより

http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3
*6/28古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟 報告会
 寺島さん

http://aoinomama13.seesaa.net/article/23065762.html

 どうもありがとうございました。私どもは救う会神奈川の川添会長の下であちこちで救出活動をさせていただいております。私たちはこの拉致問題が完全解決するまで頑張っていく所存でございますので、今後ともよろしくお願い致します。(大拍手)

*救う会神奈川ホームページ
http://www.geocities.jp/sukuukai/
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2006年10月19日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 寺島佐津子さんのご両親

瀬谷集会 寺島さん.jpg

*撮影したビデオカメラから文字化しました。

【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】
 一番左側のお二人は昭和54年8月10日、銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に参加し、現地解散で戸塚の駅から自宅の最寄のバス停まで来られて、その最寄のバス停から帰宅途中に突然失踪した寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。一言よろしくお願い致します。

【寺島佐津子さんのお父さん】
 私は皆さまと同じ横浜市内の戸塚区からまいりました寺島です。こちらは家内です。今、大澤さんからもお話がありましたように、私の娘・佐津子は昭和54年8月10日に事件が発生しました。勤めの帰り、夜遅く帰りまして、バス停から自宅までの途中で失踪したわけです。

 あくる日になって「娘が帰って来ない」ということを知りまして、警察の方へすぐ連絡をしまして捜査が始まったわけですが、皆さまは同じ横浜市民の方ですから、事件当時の模様などはテレビ・新聞等でご記憶の方もおありかと思います。

 早いもので、事件からもうすでに27年が過ぎました。私も一応高齢者の仲間に入る年齢になりました。これ以上は待てません。一日も早い事件の解決を願っておるわけです。それには皆さま方の温かい一層のご支援とご協力をよろしくお願い致します。(大拍手)

【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】
 どうもありがとうございました。私どもは救う会神奈川の川添会長の下であちこちで救出活動をさせていただいております。私たちはこの拉致問題が完全解決するまで頑張っていく所存でございますので、今後ともよろしくお願い致します。(大拍手)

*特定失踪者「寺島佐津子さん」 昭和54(1979)年8月10日失踪
 調査会公開リストより

http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3
*6/28古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟 報告会
 寺島さん

http://aoinomama13.seesaa.net/article/23065762.html
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2006年10月18日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 高野美幸さん

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*写真はこの日ご参加の特定失踪者ご家族の皆さんです。右から大澤茂樹さん、高野美幸さん、寺島佐津子さんのご両親です。

 10/15に瀬谷区拉致問題を考える会講演会が横浜市で開催されました。救う会神奈川が共催ということもあり、またこの会の顧問を特定失踪者大澤孝司さんのお兄さんの茂樹さんがされていますので、あおいのママとパパも神奈川のお手伝いに参加しました。立ち見も出る1100人の方々が集まる大盛会となりました。詳しいレポートは後ほど書きたいと思っています。(いつもすみません!)先に特定失踪者ご家族のお話を文字化テキストにしておりますのでご紹介致します。

*撮影したビデオカメラから文字化しました。

【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】
 本日、私の他にですね、特定失踪者二家族がこの会場に参加いただいておりますので、簡単に私の方からご紹介させていただきます。(ご家族が壇上にあがる)

 私の隣のご家族は昭和51年7月30日、お兄さんが電気通信大学の2年生の時に、大学の寮生の仲間と東京都の神津島に遊びに行き、神津島の民宿から突然失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸さんでございます。高野さんは出身は長野県ですが、現在すぐ近くの磯子区に在住しております。

【高野清文さんの妹・美幸さん】
 磯子区からまいりました、長野出身で神津島から行方不明になりました高野清文の妹・美幸でございます。今日は鼻声でこの場所に参加しております。何故かと申しますと、ちょうど「北朝鮮が核実験をした」ということで、各社報道の中で北朝鮮の核の工場に元働いていた脱北者の方のお話がありました。たいした施設もなく、遮断される洋服もちゃんと整えられないまま、核施設の中で働いている方たちの映像を皆さんも見たことがあると思います。嘘の情報を教えられた技術者たちが、核兵器の製造、もしくはそれの工程をさせられる、ということを目の当たりにしました。

 その直後に、調査会の方が第7の“マッピング・リスト”、これは今まで看護婦さんの集まりであるとか、その中に曽我さんも入っています、そして地村さんとか蓮池さんのようなカップルの失踪などをまとめたものの発表がありました。そしてとうとう核・原子力・ミサイルに関係する失踪者の“マッピング・リスト”の中に「高野清文」という名がありました。

 兄がこのような状態の中で核実験とか核の開発に従事させられていたら、そしてもしそれがあなたのだんなさん、あなたの息子さん、弟さん、お兄さんだったら、というふうに想像してみてください。私の昨日の号泣の様子がわかっていただけるかと思います。兄の作ったかもしれない核兵器が日本やアメリカを攻撃する前に助けて欲しい、助けてください。よろしくお願い致します。(大拍手)

*マッピング・リスト7 高野美幸さんのブログより
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/25688462.html
*'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」拉致疑惑(4)〜(5)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6644348.html
posted by あおいのママ at 18:27| 千葉 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | '06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする