団塊世代が起こした「あの事件」の真実とは
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
「さて続いては今日の特集なんですが、団塊の世代が定年を迎える年代となりました。800万人とも言われ戦後の日本と共に歩んできた世代、その団塊の世代と同年代の若者が引き起こした衝撃的な事件がありました。1972年、あさま山荘事件です。今、その事件を巡りまして、また新たな事実が浮かび上がってきています。」
取材記者が見た「あさま山荘事件」
【ナレーター】
長野県軽井沢町。新幹線の駅から10分ほど車を走らせると・・。
【記者】VTR
「ちょうど今、左に見えるこんもりとした山ですね。あそこにあさま山荘があったんですね。」
【ナレーター】
別荘地の一角に見える小高い山。ここで36年前、日本中を震撼させる大事件が起きた。「山荘に立てこもっている者に通告する。警察はやむを得ず実力を行使する。」1972年2月(28日)、過激派5人が人質をとってあさま山荘に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた、いわゆる連合赤軍のあさま山荘事件。3人が死亡、27人が負傷した。事件の一部始終はテレビで中継され、日本国民のおよそ9割がそれを見ていたという。SBC信越放送の中島克彦氏、当時現場で取材をしていた人物だ。
【SBC信越放送・中島克彦氏】VTR
「なかなか中の様子が分からない、で、人質になった奥さんもですね、無事なのかどうかって最後まで分かりませんでしたね。」
【ナレーター】
内部の様子は当時から詳しくは分かっていない。発生から10日目、警察の強硬突入によって、少年2人を含む連合赤軍の5人が逮捕。さらに立てこもり事件の前に12人の仲間をリンチの末、殺していた事実も明らかになった。戦後の経済成長も一段落した70年代初め、当時の若者が起こした衝撃的な事件。山荘内では何が行われていたのか?36年後、それが明らかになった―。
「あさま山荘事件」内部明らかに!
【ナレーター】
今年2月、世界3大映画祭の一つ“ベルリン国際映画祭”。最優秀アジア賞などを受賞したのが若松孝二監督(72)の「実録・連合赤軍」だ。映画では今まで語られなかったあさま山荘の内部が生々しく描かれている。
立てこもりから8日目(2月26日)、山荘内である諍いが起きていた。籠城のため食料を制限していた犯人たち。そんな中、菓子をつまみ食いしたメンバー(板東国男)に他のメンバーが反発。「自己批判を求める」銃撃戦の最中でさえ、自己批判を迫られる理不尽さ。「やっと本当の敵と戦っているんだよ。ばかばかしい。クッキーに革命も反革命もあるか。」(板東国男のセリフ)
犯人たちの中にいた16歳の少年。兄が仲間にリンチで殺されていた。今まで明らかにされなかったその少年の言葉が描かれている。「勇気がなかったんだよ。」リンチを止められなかったことへの後悔。初めて明かされる山荘内の真実。何故若松氏は描けたのだろうか?
【映画監督・若松孝二氏】VTR
「ただ1人板東国男だけ奪還されて、彼と出会って中の話を全部聞きました。」
【ナレーター】
若松氏は山荘に立てこもった犯人の1人、板東国男から話を聞いていた。板東国男、1947年生まれ。京都大学を退学後、連合赤軍事件を起こし、25歳の時、逮捕された。収監中の75年、板東に転機が訪れる。マレーシアにあるアメリカ大使館などを日本赤軍が占拠。(クアラルンプール事件)彼らと関係の深い連合赤軍の板東を含む7人の釈放を要求。超法規的措置により国外脱出した板東は日本赤軍に合流し中東に向かった。(1975年8月)それ以来、居場所は分かっていない。
団塊世代と「あさま山荘事件」
【ナレーター】
連合赤軍事件の犯人たちは、ほとんどが団塊と呼ばれる世代だ。(第1次ベビーブームに生まれた世代)戦後に生まれ、高度成長と共に育った彼ら。学生運動など反体制運動に身を投じる者も多かった。
【映画監督・若松孝二氏】VTR
「要するにベトナム戦争があり、やっぱりまた同じようなことを自分たちの親と同じような国になるんじゃないかっていうその危機感みたいなことが、結局その彼らにはあったんじゃないかと。」
【ナレーター】
社会を変革しようとした若者たち。しかし70年代に入り反体制運動は下火になっていく。それでも運動を続けようとした一部の若者がさらに過激な行動に走った。(映像:1974年8月 三菱重工爆破事件)そんな団塊世代も今60代を迎えている。
「あさま山荘事件」実行犯はどこに?
【ナレーター】
映画祭終了後、若松氏の姿は空港にあった。(ドイツ・ベルリン テーゲル空港2月)行先は日本ではなく、レバノンの首都・ベイルート。潜伏している板東を捜し出し、完成した映画を見せたいのだという。
あさま山荘事件から36年、犯人の1人だった板東は事件を、そしてあの時代をどう総括するのか?本人の口から聞きたい。若松氏にカメラが同行した。飛行機はベルリンから南下し、中東レバノンに向かった。そこには意外な人物が待っていた―。
レバノンの首都・ベイルート。1975年に始まった内戦から20年以上続いた戦乱の跡が市内には今でも残っている。
【映画監督・若松孝二氏】VTR
「かつて日本赤軍はああいう所に、見えない後ろの所にアジトがあったんだよ。」
【ナレーター】
ベイルートは板東が合流した日本赤軍の拠点だった。到着から2日目、若松氏にある人物から連絡が入った。指定された場所に車で向かうと、海岸沿いのレストランの前で男が待っていた―。
日本人国際テロリストの今
【ナレーター】
元日本赤軍・岡本公三、60歳。国際テロリストとして日本の警察庁から指名手配されている。彼の起こした事件とは―。
1972年(5月)、アラブに渡った24歳の岡本はPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の作戦に参加。2名の日本人と共にイスラエルのテルアビブ・ロット空港を襲撃し、自動小銃を乱射した。民間人を含む24人が死亡、76人が重軽傷を負う大惨事となった。イスラエル当局に逮捕された岡本は85年、捕虜交換で釈放された。現在はレバノンに亡命している。あるパレスチナ人男性は・・。
【パレスチナ人男性】VTR
「彼は私よりパレスチナ人らしい男だよ。」
【ナレーター】
アラブでは英雄と呼ばれる岡本。しかしイスラエルでの服役生活で精神に後遺症を抱えていた。今も薬の服用は欠かすことができない。
どんな生活をしているのか?岡本の部屋を訪ねた。電力不足でエレベーターは止まっていた。岡本が住む5階まで歩いて上る。同居しているアラブ人家族が岡本の日常生活を支えている。質素な部屋にこたつ、そして雪駄(せった)が置かれていた。岡本は折りにふれ墓地に通っている。
【日本赤軍・岡本公三】VTR
「ヤスダ、オクダイラ・・。」
【ナレーター】
奥平剛士、安田安之。岡本公三と共に空港を襲撃した2人がここに葬られている。(墓に手を合わせる岡本と若松氏)かつての仲間についてどう思っているのか?こんな質問をしてみた。
【記者】VTR
「もし会うとしたら誰に一番会いたいですか?」
【日本赤軍・岡本公三】
「・・・(しばらく沈黙)分かりません。」
【ナレーター】
多くの犠牲者を出したテロ事件の実行犯。しかし今は記憶をたどることも難しいようだ。
「あさま山荘事件」実行犯を捜して
【ナレーター】
若松氏は岡本と共に板東の行方を求めて、かつての日本赤軍の軍事基地を目指した。レバノン東部のベカー高原、ここは日本赤軍だけでなくパレスチナゲリラなどの軍事拠点でもあった。世界遺産バールベック遺跡に向かう若松氏。ここで何があったのか?
【映画監督・若松孝二氏】VTR
「『6本の塔の下で待ってろ』って言われて(待っていたら)ある人が来たんだから・・。」
【ナレーター】
若松氏は90年代後半、岡本らに会いに来た時、ここで板東と引き会わされた。
【記者】VTR
「ここで会った時にどんな話をされました?」
【映画監督・若松孝二氏】
「『山荘でどういうことが起きたか?』っていうことを聞いただけだよ。要するに彼から聞いたのは場所がここだっていうことだよ。今どっかで見てるかも分からないよ。」
【ナレーター】
板東は今もこの近くにいるのだろうか?手がかりを探す若松氏は日本赤軍を知る人物を見つけた。雑貨店の店番をしている老人。
【雑貨店の男性】VTR
「私が彼(岡本)に武器の使い方を教えたんだよ。」
【ナレーター】
空港襲撃の前に岡本を訓練した教官だった。板東について聞いてみるが「居場所は分からない」と話す。そのやり取りを聞いていた岡本が突然口を開いた。
【日本赤軍・岡本公三】VTR
「板東国男は2番目の兄・武の友だちです。」
【ナレーター】
岡本の兄と板東は同じ過激派に所属していた。本人もベカー高原で板東と暮らしたことがある。しかし今は連絡も取れないという。
*岡本公三の兄でよど号犯の岡本武は、拉致被害者(政府未認定者)福留貴美子さんの夫です。福留さんについてはこちらをご覧になってください。
岡本と別れ、さらに板東を捜した。滞在6日目、たどり着いたのが南部の都市・サイダ。イスラエルとイスラム過激派との紛争地帯に近い危険な場所だ。市内には軍用車と兵士が溢れている。ここに「板東が潜伏している」という情報が入ったのだ。イスラエルと敵対するゲリラが集結しているレバノン最大のパレスチナキャンプ“アインヘルワ”、その中へと向かった。ところが―。
【レバノン軍兵士】VTR
「この先には軍のキャンプがあるから危険です。」
【ナレーター】
数日前から中では銃撃戦が起きていた。
【ガイド】VTR
「近くに行くだけでも銃で撃たれるかもしれない。」
【ナレーター】
キャンプ内に入るのを断念せざるを得なかった。
【映画監督・若松孝二氏】VTR
「ベイルートも一生懸命捜したし、最初に会った所、会って話を聞いた所も捜してみたし、完全にもう風景も変わっているし、もう時代が変わっちゃったよね。」
【ナレーター】
同時多発テロ、そしてイラク戦争。中東の情勢は若松氏が板東と会った90年代とは大きく変化していた。
【記者】VTR
「それでも監督はやっぱり(板東に)会いたかった?」
【映画監督・若松孝二氏】
「そりゃあ会いたいよ・・。」
【ナレーター】
十数年前、若松氏と会った時、日本に住む母親のことを心配していたという板東。生きていれば61歳になる。
「あさま山荘事件」36年目の総括
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
「若松監督の映画『実録・連合赤軍』、現在公開中なんですが、やはり団塊の世代の方たちが詰めかけているということですね。それにしても寺島さん、岡本公三のあの変貌ぶりと言いますか、ちょっと驚きますね。」
【日本総研会長 寺島実郎さん】
「驚きますね。私も1947年生まれで板東も岡本もまさに同世代なんです。複雑の思いなんですけれども。1980年代前半イスラエルの大学に展開していた時代があって、その頃イスラエルで日本人だというだけでこの岡本公三事件って引きずって厳しい尋問っていうか。それから73年の石油危機の時にアラブ友好国宣言っていうのをやって、石油欲しさにイスラエルを切り捨てたっていう時期の後だったので。
したがって、そういう判断がいかに国際社会で玉突きのように我々日本人に影響してくるのかっていうことを思い知った思い出があるんですよ。
で、ただその「そんな話もあったよね」なんていうことでは済まされない、世界に迷惑をかけてしまった同世代って気持ちがすごくあるんです。あの新左翼からも孤立してった連中が革命幻想の最後のあだ花みたいなかたちになってあさま山荘みたいな事件を起こしていっちゃったわけですけれども。
日本って結局、極端から極端にふれたよなあって私印象でしてね。要するにあの団塊の世代の学園紛争なんていうのは、今にして思えば、例えば米兵連の動きなんかもそうだったですけれども、海の向こうの戦争って言うか自分の利害と関係ないことで若者が燃えたっていうことだったですね。で、そういうものが革命幻想になっていって挫折して、そっから急にいわゆる自分以外のことは考えないっていう方向に日本全体が向かっちゃってですね、今やもう逆に誰もが無関心と言うか、極端から極端にシフトした日本っていうそんなこと感じましたね。」
【司会者・田丸美寿々さん】
「はい。今日の特集でした。」
日本総研会長 寺島実郎さん
安全保障や経済政策の論客として知られる。1947年北海道生まれの「団塊世代」。
終わり






