*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
《事前に配られた資料より》
1948(昭和23)年11月3日滋賀県滋賀郡安曇川町に生れる。関西電力に勤務する父の仕事の関係で、滋賀県の各地の変電所に引越しを繰り返す。夫婦喧嘩の絶えない貧しい家庭の4人兄弟の末っ子として育つ。中学3年の秋、父が定年を迎えて退職し、滋賀県から堺市の団地に引っ越す。
高校時代には、ベトナム戦争のニュースや沖縄返還と非核三原則の議論、それにフランスの5月革命や中国の文化大革命など世界の動きに接し、社会と政治に関心を持つようになっていきました。
高校の文化祭では朝鮮高校の生徒会と交流会を計画したり、北朝鮮の発展を取材した映画「チョンリマ」を、バスを貸し切って生徒たちで見に行くようなことをしました。
当時は中国や朝鮮半島の政治に興味を持ち、腐敗した日本の政治とは異なる、貧しくとも新鮮で健全な社会と政治の姿があるように感じていました。しかし、文化革命の成り行きや、北朝鮮の金日成に対する極端な崇拝の様子などに、次第に違和感を持つようになり、関心は薄れていきました。
しかし、1983年にビルマのアウンサン廟で起きた韓国の首脳たちを狙った爆破事件、1987年に起きた大韓航空機爆破事件は、ともに北朝鮮のテロであったことから、北朝鮮の政治と社会に対して、高校時代とは全く異なる角度から再び強い関心を持つようになりました。
そんなことから北朝鮮に関する本を読んでいきましたが、大韓航空機の爆破実行犯である金賢姫の『いま、女として』と、北朝鮮に拉致された後、亡命に成功した申相玉・崔銀姫『闇からの谺』は、北朝鮮の異常さを教えてくれました。
そんな時、北朝鮮に渡って行った人たちの人権問題に献身的に取り組んでいた小川晴久先生、自分の人生のすべてをこの問題に投じている熱血漢である萩原遼さんに出会い、導かれたことが、その後の私の行動に大きな影響を与えました。
さらに、何人かの在日コリアンの人たちから、北朝鮮に帰って行った家族の身の上に起こった信じられないような事実を直接聞く機会が何度かあり、その血を吐くような内容に背中を押され、北朝鮮の人権問題に取り組むようになりました。
事実を知ることの大切さと、知った者の責任を忘れずにいようと思います。
現在 大阪経済大学経営学部ビジネス法学科 助教授
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 代表
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