2008年04月24日

'08 4/13 第1回ダルフール写真展・ワークショップ 資料(2)Japanese for Darfur

第1回ダルフール写真展04.jpg

*写真はあおいのママの撮影です。当日のワークショップの様子です。皆さんに説明をするJapanese for Darfur代表の中村さんです。特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんも参加してくださいました。(サイトへの掲載は主催者より許可をいただいています)

 あおいのママは4月13日、東京永田町の星陵会館で開催された第1回ダルフール写真展・ワークショップにボランティア参加しました。主催は「救え!!ダルフール難民 21世紀のジェノサイドを許すな!!」事務局です。(調整:Japanese for Darfur、協力:オックスファム・ジャパン)告知はネットのみで、準備も1週間くらいの急な催しにもかかわらず、50人以上の方が会場に足を運んでくださいました。本当に感謝申し上げます。そして当日はTBSテレビの取材もあり、お昼と夕方のニュースで取り上げていただきました。

 詳しいレポートはもうしばらくお待ちください。写真展会場で配布しました資料をご紹介致します。

*'08 4/13 第1回ダルフール写真展・ワークショップ
 資料(1)ダルフール紛争、中国は改善に関与すべき

http://aoinomama13.seesaa.net/article/94102571.html

ダルフール・ワークショップ 2008年4月13日

*ダルフール紛争の背景
(1)民族
 ダルフールはアラビア語でフール族の土地という意味です。英領エジプトに併合されるまでダルフール地方は独立したサルタン国でした。ダルフール地方のアフリカ系部族とアラブ部族は共に黒人のイスラム教徒で、婚姻関係も古くからありました。リビアのアラブ覇権主義とバシール政権のイスラム原理主義で民族対立が形成されました。

(2)気候変動
 ダルフール地方の砂漠化で水や遊牧地を巡る部族対立が増えましたが、それを強調するのは、1980年代の2度の大干ばつにおけるハルツームのダルフール人の無視を無視することになります。また砂漠化は過放牧など人為との関係が大きく、直ちに気候変動の影響とはいえません。

(3)石油
 テロ支援国家の指定を受けて欧米から孤立していたスーダンで、1999年中国石油開発成功し、その後南北スーダンの富と権力の分配による和平の基盤とみなされることになります。2002年南北和平協議が始まる頃から散発的にアラブ民兵と反政府勢力の衝突が始まりました。2003年ダルフール紛争は始まりましたが、中国がもたらした石油収入が武力資金の後ろ盾となって継続的な攻撃を可能にするとともに、中国は国連安保理でスーダンを擁護し、さらに紛争を引き伸ばしました。

*ジェノサイド(民族浄化)
 2003年2月26日ダルフール反政府勢力(SLM/A)と正義と平等運動(JEM)が政府駐屯地を襲撃しました。ゲリラ戦に弱く、また南部東部に正規軍をほとんど割いていたスーダン政府はこれに対し、ジャンジャウィードと呼ばれるアラブ民兵をリクルートし資金や武器を与えて動員し、政府軍空爆と連携し、反政府勢力系の部族の村落の焦土作戦を行いました。

 この攻撃で無差別な殺人、残虐行為、組織的レイプ、家財の略奪、家屋の焼き討ちなどを行われ、大量の村人が非難を強いられました。また避難の途上で飢えや病気でさらに死者が出て、国連の推定で紛争勃発以来20万人以上の死者、200万人以上の避難民が生じました。

 このようなジェノサイドは2003年から2004年が絶頂でしたが、その後国連の調査ではジェノサイドの「意図」が弱まりつつあるとして認定されませんでした。

*和平難航
 2005年オスロ合意が国際社会でなされ、アフリカ連合平和維持軍が増強されましたが、マンデートが弱く自らも守れない存在としてスーダン政府よりの存在とまで見られるようになりました。2006年5月ダルフール和平協定にたった一つの反政府勢力だけが調印した結果、反政府勢力は分裂しダルフールは混乱に陥りました。

 その後、国連平和維持軍受け入れ交渉が難航する中、セーブ・ダルフールなどのNGOの活動が活発になり、2007年スピルバーグの中国国家主席・胡錦濤への書簡やアメリカの追加制裁、国際刑事裁判所のスーダン戦犯2名を告発後、6月8日スーダンは国連平和維持軍受け入れを認めました。7月31日国連決議1769でUNAMIDが承認されました。また10月27日和平協議開始が設定されました。

 しかしUNAMIDは2008年1月設立することになりますが、スーダンの妨害と西欧の消極的姿勢で今日にいたるまで26,000人予定されながら9,000人しか展開されず、ヘリコプターなどの重要な装備も整っていません。和平交渉は重要なJEM、SLMヌル派、SLM-Unityなどのボイコットで完全に頓挫しました。

 しかし小党派はジュバでの協議で2つにまとまりました。西ダルフールで激しい攻撃を行ったJEMの去就が注目されます。同時にクーデター未遂事件の起こった隣国チャドとの反政府勢力支援非難を巡る対立が大きな不安定要因になっています。

 国連安保理が、一部の関係者の聴聞を行い、それを反映してUNAMIDはSLMヌル派の主張「紛争の中止」を目指す活動を行おうとしているところです。大きな衝突はもはやなくなりましたが、全般的な治安は悪いままで人道援助隊襲撃などが頻繁に起こっています。

文責:中村公政 Japanese for Darfur

* Japanese for Darfur 日本の声をダルフールへ
http://japanesefordarfur.org/
posted by あおいのママ at 15:33| 千葉 ???? | TrackBack(0) | '08 4/13 第1回ダルフール写真展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/94546042
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック