あおいのママのメモよりレポート作成しました。カン違いや間違いなどの可能性もありますが、どうぞご了承ください。
*10/11 「北朝鮮と人権・そして拉致」集会
http://aoinomama13.seesaa.net/article/8744431.html
*10/11 「北朝鮮と人権・そして拉致」集会 フォラツェンさん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/8790471.html
*ノルベルト・フォラツェンさん
(ドイツ人医師、『北朝鮮を知りすぎた医者』著者・草思社刊)
http://www.soshisha.com/book_wadai/03vollertsen/index.html
続き
(通訳は「北朝鮮難民救援基金」国際担当の野口孝行さん)
取材を受けたその2週間後に、私たち西側の人間は「友好メダル」を授与されました。このメダルをもらって、私たちは名誉を与えられ、運転免許や特別ビザなどももらいました。
私はこれをもらったことによって「この国の友だちになった」と思いました。そして「自由をもらった」と。「批判とか批評もできる立場になった」と理解しました。
その後、平壌の色んなところにビップ(VIP)として呼ばれました。軍事パレードにも招待されましたし、中国ナイトクラブでカジノもしましたし、高級な食べ物、洋菓子やロシアのキャビア、シャンパンなどなど、ある一面の洗練された平壌を見てきました。
「これが人がたくさん死んでいる平壌なのか?」と思いました。
そしてこのような平壌を見た後に、ある田舎の病院をに行きました。そこで私は本当の北朝鮮を見ました。
子どもが私の腕の中で死んでいく。食べ物もない。ショーケースである平壌と北朝鮮の本当の姿のコントラストを見て私は混乱しました。
そこで見た子どもたちは、もう笑うこともできない子どもたちでした。そのような無感情の子どもたちをたくさん見てきました。そして私はジレンマに陥りました。
しかし私はこの国で「本当の友だちとして手を握っていこう」と決めました。そこで私は北朝鮮という国を、閉ざされたこの国を開こうとしました。
皆さんもご存知のように、ドイツの歴史を見てみますと、ヒットラーの時代に紳士が本当のことを言うと罰せられるということがありました。子どもたちも、笑うことも泣くこともできない、あのアウシュビッツの子どもたちと北朝鮮の子どもたちは同じです。
「友好メダル」なんてどうでもいい!この状況を外に知らせなければならない!!と思いました。
私は北朝鮮政府に対する不信がだんだん大きくなっていきました。患者の家を訪ねたり、食べ物を持って行ったりできないのか?と、どんどん不信に思っていきました。
そこで私は、ナイーブかもしれませんけれど、スペシャルビザがあってわりと自由があるので、自動車で色んなところに行って、当時訪朝していたアメリカのジャーナリストに「この状況を話そう」と思い、彼に会いに行きました。それがどうやら北朝鮮政府は気に食わなかったらしい。
そういった行動をする自分が、自由に行き来して、そして外国のジャーナリストに会ったりする、気に食わなかったらしいが、それでもその時は追放はされませんでした。北朝鮮という国は、自分の国の内情が外に出てしまうのをとても気にしていました。それで私を追放まではしなかったんだと思います。
ある日私は偶然車を運転していると、道路上に1人の兵隊が倒れこんでいるのに気がつきました。彼には拷問の痕がありました。とても痩せていてひどい状態でした。私はその姿を写真に収めようとしましたが、その時北朝鮮政府に逮捕されそうになりました。持っていたカメラのフィルムはすべて消されてしまいました。
その出来事が、今になって思うと、私のこの国に対する友好の気持ちに終止符を打ちました。とても落胆しました。
この国の親愛なる首領様は、食べ物を武器にして、自分の命令をきかせるために、自分の兵隊にまで拷問を与える。その様子を知り絶望しました。そしてこの状況を皆さんに知らせようと思いました。
(3)に続く
*10/11 「北朝鮮と人権・そして拉致」集会 フォラツェンさん(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/8924794.html



