*9/18 取手市民の集いと東京集会
http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html
*9/18 取手市民の集い 荒木和博さん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/7509862.html
*9/18 取手市民の集い 荒木和博さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/7518378.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
続き
外務省の飯倉公館の中は、マスコミは完全にシャットアウトでした。マスコミを完全にシャットアウトしておいてご家族に一人ずつ、植竹繁雄(ウエタケ・シゲオ)外務副大臣と、そして福田官房長官が手分けをして、「あなたのお子さんは、ご兄弟はなくなりました」というのを伝えたんです。
そしてマスコミからシャットアウトされている内に平壌で何が行われていたのか、というと、あの平壌宣言の調印です。平壌宣言には拉致の『ら』の字も入っていない。それを調印をしたと。
*日朝平壌宣言 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4264
「確認をしていない・・・」
どうしてあの時、私も考えてみれば「どういう確認のしかたをしたんですか?」というふうに聞けばよかったんですけれども、とても雰囲気はそういう雰囲気ではありませんでした。
これはもう、拉致の救出運動に取り組んでいる人間であれば、誰でも心の片隅に必ず持っていることでございますけれども、「ひょっとして運動をやって騒いだことで、拉致被害者に危害が及ぶのではないか・・・」と。
私自身、北朝鮮のこれまでのやり方とか色んなことから考えたらば、その可能性は極めて低いと思っています。思っているからやっているんですけれども、しかしそうではあってもやっぱり心の片隅には「ひょっとしたら・・・」という思いを消すことができないのも事実でございます。
あの時は、あの宣告を聞かされた時は、「自分の今まで5年間やってきたことというのは、人殺しだったのか?」という思いでございまして、頭の中が真っ白になってしまいました。もう私はおそらく死ぬまであの時計を忘れることはないだろうと思います。
しかしそれが翌日になって「確認をしていない」とわかった。あの時もし、私が平沢勝栄さんとあの電話を受けていなかったら、「梅本さんがいる」ということがわからない状態で、梅本さんはその翌日19日に「イギリスに帰国をする」ということになっておりました。
梅本さんが帰ってしまったらば、みんな「確認をしたんだろう」という思いのままでずうーっときてしまった可能性がある。
そしてあの時に政府はどう言っていたかというと、「生存をしている人たちについては会うようにしていきたい」「そして亡くなった方については、遺骨の収拾等について協議をしていく」「これは日朝の国交正常化の協議の中で行う」というふうに言っておりました。
もしあの時、あれがそのまま進んでいれば、誰一人として「日朝国交正常化を動きを止めよう」という人はいなくなったと。そして「死亡というのは、みんな既成事実化されていった」ことは間違いがございません!!
政府は何をやりたかったのか?と。「拉致被害者を助けたい」ということは一切なかった。あの時やりたかったことは「日朝国交正常化を進めたかった」、ただそれだけです。そのために、死んだことの確認もできていない人を「死んだことにしてしまった」ということでございます。
後でこのことに気がついた時に、私自身は正直言って「国家権力というものはこれ程恐ろしいもの」という思いで、背筋が寒くなるような感じを致しました。
あの時以来、私自身は、国家というものに対する考え方がかなり大きく変わってしまった、というふうに言わざるを得ないです。
(4)に続く
*9/18 取手市民の集い 荒木和博さん(4)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/7628315.html




