2007年11月16日

有本さんが外務省に提出した請願書('95年3月10日)

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*2006年1月7日の藤沢市民集会(救う会神奈川主催)にて配布されたRENKの資料より一部を抜粋してご紹介致します。拉致被害者・有本恵子さんのご両親が1995年3月、外務省(河野洋平外務大臣宛)に提出した請願書の内容と、次の日の神戸新聞の記事です。家族会ができる前から、ご家族は娘さんたちを助けるため必死な思いでありとあらゆる活動をされてきました。

請願書

 私の娘、恵子は去る1983年イギリスに留学中、帰国する間際に何者かに誘われ北朝鮮に入国、以来、今日に至るまで家族の元に戻ることが出来ないままになっております。娘は、帰国予定の日を連絡をしてきた後、連絡が途絶えてしまいました。私達家族は心配し、八方手を尽くしましたが何の手掛かりもなく憂えていました。

 ところが、88年になって突然ポーランドの消印で、私の娘を含む三人連名の手紙が北海道の石岡様宅に届きました。それによって初めて娘達が北朝鮮に居ることが分かりました。

 外交のない国のことですので、私達独自で連絡を取るすべもなく弁護士の先生とも相談をして、91年1月に貴省に請願書を提出致しました。

 当時は、日朝国交交渉が続いておりいちるの望みを託していたわけですが、金丸自民党副総裁の失脚後、交渉自体が止まっていると聞いております。

 失踪以来、11年余りを超え、私達親も老齢となりました。三人の家族のなかには、子供の帰国を待たずに亡くなった者もいます。

 娘達が故国へそして家族の元へ戻ることができる時が一刻も早く来ますよう貴省のお力をお貸しいただくことを心から念じております。

 河野洋平外務大臣殿

有本明弘

*石岡さん宅に届いた手紙の内容はこちらをご覧になってください。
↓ ↓ ↓
*北朝鮮から届いた手紙 石岡亨さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/61079614.html

「北朝鮮にいる娘捜して」 神戸の両親が国に訴え

【神戸新聞 1995年3月11日より】

 一九八〇年から八三年にかけ欧州で相次いで消息を絶ち、現在、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にいるとみられる日本人男女三人のうち、一人の家族が十日午後、東京都内で記者会見し「日本政府として、北朝鮮から(三人が)帰国できるよう力を貸してほしい」と訴えた。

 元外国語大生の三女(三五)が行方不明になっている神戸市長田区の鉄工所経営、有本明弘さん(六六)夫妻。会見の前に外務省を訪れた有本さんは、河野外相あての請願書を出した。

 有本さんによると、三女は八二年四月にロンドンにある語学学校に留学。八三年八月に「帰国する」と家族に連絡があったが、帰国予定日になって「仕事が見つかったので遅れる」との電報が届いた。

 その後デンマークのコペンハーゲンから「信用のおける人に仕事を紹介してもらったので安心して」「仕事は貿易関係。日本に帰るのはもう少し遅くなりそう」などと書かれた手紙が届いたが、同年十月を最後に連絡が途絶えたという。

 有本さんは「社会党は(日本の政党で)北朝鮮と一番話がしやすいはず。社会党内閣ができたのだから、なんとかこの問題を円満に解決して」と話している。
posted by あおいのママ at 10:48| 千葉 曇り | TrackBack(0) | '06 1/7 第13回藤沢市民集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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