2007年10月26日

10/8 NHKスペシャル “北朝鮮帰国船” 〜知られざる半世紀の記録〜(1)

北朝鮮人権大使サミット01.jpg

*写真は脱北者支援民団センターの資料より。(万景峰号)

*10/8放送の特集を文字化テキストにしました。(番組は約55分間)3回に分けて掲載致します。長くなりますが、よろしかったらご覧になってください。

1959年から84年まで続いた帰国事業。9万3千人余りの在日朝鮮人らが北朝鮮へと帰国した。関係者の証言と膨大な秘密文書をもとに知られざる半世紀の軌跡をたどる―。

【ナレーター】
 およそ50年前、9歳の時、家族と共に北朝鮮に向った一人の少年がいます。まだ見ぬ祖国に夢を託し、日本海を渡りました。1959年に始まった帰国事業。9万3千人余りの在日朝鮮人とその家族が祖国建設の夢を抱き、北朝鮮を目指しました。北に渡った人々がどのような運命をたどったのか、これまで素顔を明かして語られることはほとんどありませんでした。苦難の半生を過ごした少年が日本に戻り、その体験を初めて明らかにしました。

【脱北した帰国者】
 「多くの帰国者が収容所に連れて行かれ姿を消しました。その家族は山奥に追放されました。そこでは人間以下の暮らしを強いられたのです。」

【ナレーター】
 祖国の発展を信じ、帰国者を北朝鮮に送り出した人がいます。教え子を帰国させてしまったことを悩み続けてきた朝鮮総連の元幹部。堅く閉ざした重い口を初めて開きました。

【元朝鮮大学副学長】
 「帰国した学生に対して、本当にこれは消すことのできない罪を犯したなと・・・、そういう思いで・・・、悩み続けました。」

【ナレーター】
 帰国船が北朝鮮の工作活動にも使われたとする秘密文書。NHKが世界各国から入手した1万5千ページに及ぶ帰国事業に関する資料です。「日本にいる北朝鮮の工作員は、帰国船を使って本国と連絡した」と記されています。軍事転用が可能な物資を帰国船で日本から北朝鮮に運ばれたとしています。

 日本と北朝鮮を往来し続けた船、北朝鮮帰国船。これまでその実態は厚いベールに包まれてきました。明らかになった資料と関係者の証言をもとに、その知られざる軌跡をたどります。

“北朝鮮帰国船” 〜知られざる半世紀の記録〜

【ナレーター】
 日本と北朝鮮を往来する貨客船・万景峰号(マンビョンボン号)。去年から日本の経済制裁で運行を停止したままです。この万景峰号のルーツとなった帰国船に乗り、およそ50年前、多くの人々が北朝鮮に渡りました。今、彼らが北から逃れ、日本に戻り始めています。

 キム・チュンガンさん、57歳。幼い頃、日本から北朝鮮に渡り、苦難の半生を過ごしました。キムさんは脱北した後、韓国で暮らしてきましたが、今回、日本での生活を再開するため大阪を訪れました。キムさんのように日本に戻って来る脱北者はここ数年急増し、その体験が次第に明らかになり始めています。

 キムさんが生まれ育ったのは大阪にある在日韓国朝鮮人の集落です。およそ50年ぶりに自分の生まれた場所を訪ねました。

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「この辺に○○の家ありましたでしょ?おばさん、本当?僕、としひろです。としひろ知りませんか?北朝鮮に行ったとしひろ。いやぁ、おばさん・・・」(日本語で話す)

【ナレーター】
 かつての知り合いに偶然出会いました。

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「○○の家でしょ。僕、横の家におったとしひろ。北朝鮮に行った。分かりますか?僕のお父さん、背高いし・・・」(日本語で話す)

【ナレーター】
 北朝鮮にいる間、片時も忘れることのなかった日本。長い時を経て記憶がさらに鮮明によみがえってきました。キムさんが北朝鮮に渡る前、近くの公園で撮影した家族写真があります。

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「ああ、これがあの家で、あれがこの家だな。昔と変わりましたね・・・。あの時代に戻ってもう一度始めたいです。あの時からもう一度日本でやり直したいです。」

【ナレーター】
 きょうだい4人と両親の6人家族だったキムさん。塗装工だった父親は仕事が月の半分もなく、子どもたちの給食費を払うこともできませんでした。当時、在日朝鮮人の多くは貧困にあえぐ生活を余儀なくされていました。失業率は日本人の8倍、生活保護を受けている人の割合は7倍に上りました。そうした中、始まった帰国事業。キムさんの父親は「食べる物にも住む所にも不自由しない」と言われた北朝鮮に渡ることを決意したのです。

 9万3千人余りの人々が北朝鮮に渡った帰国事業。貧困からの脱出と祖国建設の夢に燃え、まだ見ぬ祖国を目指しました。

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「父の給料では日本で4人の子どもを養うことはできませんでした。高校や大学に進学させることもできませんでした。そうした時、北朝鮮に行けば教育も病院も無料で受けられる、何もかも全部くれると言われたのです。未来が保障されると言われ、父親はそれを信じ、私たちを連れて北朝鮮へと渡りました。」

【ナレーター】
 北朝鮮の港で大歓迎を受けたキムさんたち。しかし宿泊する町へ移動した時、周りの風景を見て驚きました。「地獄に来た・・・」父親はそう呟きました。父親は工員として働くことになりましたが、それだけでは食べていくことができませんでした。日本から持っていったわずかな衣服を切り売りし、飢えをしのぎました。

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「父は仕事から帰ると毎日お酒ばかり飲んでいました。お酒を飲むことで心の痛みを癒していました。祖国への期待がまったく裏切られたからです。母は毎日ただただ泣くばかりでした。冬の北朝鮮は凍えるような寒さでした。食べる物もありませんでした。着る物もありませんでした。そして燃やすマキさえなかったのです。」

【ナレーター】
 帰国事業の実態とはどのようなものだったのか。NHKはおよそ1万5千ページに上る帰国事業に関する各国の秘密文書を入手しました。日本やアメリカ、さらにロシアや東ヨーロッパも帰国船の動向を注視していた記録です。北朝鮮は何故、大量の在日朝鮮人を受け入れたのか。金日成(キム・イルソン)は重要な同盟国・ソビエトの大使に密かに明かしていました。

「我々は帰国事業に大きな政治的意義を見出している。これが実現すれば、我が国に大きな政治的利益と経済的利益がもたらされるだろう。」

 金日成(キム・イルソン)は対外的には別の理由を掲げていました。「在日朝鮮人が帰国を希望するのに対し熱烈に歓迎する」と声明を発表。「在日同胞が新しい生活ができるよう保障するのは民族的義務」だと強調しました。

 しかし、当時ソビエト大使館で書記官を務めていたワジム・トカチェンコは金日成の狙いに気づいていました。

【ワジム・トカチェンコ氏】(元ソビエト大使館書記官)
 「金日成は日本から帰国者を受け入れることで、韓国よりも政治的に優位な立場に立とうと考えたのです。自分たちは韓国よりも力強く発展している国で、多くの帰国者を受け入れることができるのだと世界に誇示したかったのです。」

【ナレーター】
 日本では金日成の声明を受け、在日朝鮮人の帰国運動が全国に広がりました。政府に対し、集団帰国の実現を求めました。

“政府 北鮮送還へ踏み切る” 1959年2月 NHK(VTR)

 「岸総理大臣は朝鮮人を送り返す問題について、人道上の問題でもあるので、その希望に沿うようにしたい、と政府の方針を明らかにしました。」

 岸内閣は人道的な問題として帰国事業を進めることを閣議で了解しました。しかし、日本もまた本当の思惑を隠していました。アメリカ大使が本国に送った機密電報。外務大臣・藤山愛一郎は帰国事業を受け入れた理由を次のように説明していました。

「在日朝鮮人の犯罪率の高さや政治運動の激しさを理由に、これを国内から排除できるという見通しが歓迎され、帰国事業を後押ししている。さらにコストの問題もある。貧困な朝鮮人が日本の行政にかける負担は年間25億円にも上っている。」

 アメリカ大使館の書記官だったアルバート・セリグマン、82歳。当時の日本政府の思惑を次のように指摘します。

【アルバート・セリグマン】(元アメリカ大使館書記官)
 「日本政府も帰国事業に利益を見出していたのです。朝鮮人は経済的に大きな負担であり、政治的にも好ましくない反対勢力と見なしていました。日本政府はこうした集団を排除することは国益につながると考えていたのです。」

【ナレーター】
 北朝鮮で予想もしなかった生活を強いられたキム・チュンガンさん。キムさんたち帰国者は自分たちが特別な扱いを受けていることに気づき始めました。北朝鮮は帰国者を一般の国民よりも厳しく監視していたのです。資本主義の習慣を身につけていたため、体制にとって危険な存在と見ていたからです。

 同じ社会主義国である東ヨーロッパの外交官の記録です。東ドイツ大使は本国に次のように報告していました。

「帰国者の衣服や振る舞いは朝鮮で目立つ存在である。ラジオやテープレコーダーなど日本での生活習慣を朝鮮人民の間で広め、特に青少年に矛盾や問題を引き起こしている。」

 北朝鮮の帰国者の監視は組織的なものでした。東ドイツ大使は「里親と呼ばれる党の監視役が付いていた」と報告しています。

「北朝鮮の党中央委員会はすべての帰国者に党員である里親を定めることにした。里親が帰国者の面倒を組織的に見ることが決められた。」

 さらにハンガリー大使も次のような趣旨の報告書を本国に送っていました。

「驚いたことに、北朝鮮の住民には“信用できない階層”というものがある。日本からの帰国者はその階層に分類されている。彼らは日常生活の中で常に監視されなければならないとされている。」

*北朝鮮住民の成分分類表(32位が帰国者、監視対象の“動揺階層”)
http://aoinomama.trycomp.net/file/seibun.html

【キム・チュンガンさん】(脱北帰国者)
 「北朝鮮では体制に対する不満はもちろんのこと、『生活が苦しい』と言っただけで収容所へと送られました。たった一言、口を滑らせて人生を台無しにした人が大勢いました・・・。」

【ナレーター】
 キムさんの周りから帰国者が次々と姿を消していきました。帰国から8年後、父親は絶望の中で亡くなりました。

(2)に続く

*10/8 NHKスペシャル “北朝鮮帰国船”
 〜知られざる半世紀の記録〜(2)

http://aoinomama13.seesaa.net/article/62648488.html
posted by あおいのママ at 16:07| 千葉 霧 | TrackBack(0) | 報道番組テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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