【めぐみ 13年間のアルバム より】 取材・文:小山唯史(こやまただし)
*めぐみ 13年間のアルバム(8)1本のラケット
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続き
第九回 失踪直前“最後の一枚”
「この顔が一番似ています」新潟空港で撮った写真 そこに写っためぐみを指さしながら安明進はこう告げたのだ。

*昭和52年10月、新潟空港にて
「この顔が一番似ています」
その亡命・元工作員は、はっきりと言った。拉致1カ月前に、新潟空港で撮った写真(下)。そこに写っためぐみを指さし、安明進はこう告げたのだ。「私が北朝鮮で見た女性と、この写真がよく似ています」と。横田夫妻とは初対面だった。
新たな激動が幕を開けたのは、この対面より約2カ月前のことだ。
1997年1月22日。行方不明のめぐみは拉致され北朝鮮にいる―思いもよらぬ情報が、横田家にもたらされた。失踪から20年が経っていた。嵐にも似た日々の始まり。新聞や雑誌が一斉に実名報道し、国会でも取り上げられたのが2月3日。
さらに、その翌日たまたまソウルでその記事を見た安明進の口から、新たな証言が飛びだした。
「(記事中の写真の)この女性に見覚えがある」と。
安明進は北朝鮮の工作員養成機関(金正日政治軍事大学)に在学中、そこで、めぐみに似た女性を何度か見たと、訪韓中の取材陣に語ったのだ。20歳代半ばに見えたという。目撃したのは、拉致から10年以上経った時期。年齢的にも一致している。
その安明進に会うために、横田夫妻は急遽ソウルへ飛んだ。記事とは別のめぐみの写真を携えて。勿論、空港で撮った写真も。それが、一番新しい、めぐみだ。父の滋にとって、自分で撮った一番最後のめぐみ。
対面が実現したのは3月15日。その席で、安明進ははっきり言ったのだ。自分が北朝鮮で見た女性は、他のどの写真より、この空港の女性に似ていると。めぐみが北朝鮮にいるという話は、やはり本当なんだ・・・夫妻は「拉致」への確信を深めた。
その空港の写真。めぐみが新潟空港を訪れたのは、札幌の自宅に帰る祖父(滋の父親)を、一家で見送るためだった。1977年10月。拉致は翌月のことだ。めぐみの横に立っているのは見送りに駆けつけた叔父(滋の弟)。めぐみの双子の弟、拓也と哲也は野球帽をかぶっている。
広島カープの赤い帽子。横田家が広島に住んだのは、カープが初優勝し「赤ヘル」ブームに沸いた時期だった。その地を離れるとき、弟たちは見送りの人からカープの帽子をプレゼントされた。「広島のことを、いつまでも忘れないで」と。それを新潟でも愛用し続けていた。
めぐみの顔は、短く丸い髪に包まれて、やわらかく微笑んでいる。それまでずっと長くしていた髪を、直前の夏に切った。めぐみにとっては初めての美容院体験。それに付き添った母の早紀江には、この短い髪のめぐみこそ、あの日以来、探し求める面影となった。失踪直後の日々、「めぐみちゃん、どこにいるの?」と町じゅうを探し回り、幼い弟たちの手をひいて海岸をどこまでも歩き続け、追い求めた面影―。
ソウルで安明進と会った横田夫妻が帰国して間もない3月25日。日本各地にいた拉致被害者の家族が、初めて結集した。「家族会」の結成。救出へ、新たな闘いの始まりだ。
まるでそれを見届けるかのように翌日、北海道で祖父が息を引き取った。行方不明となった孫を、ずっと案じ続けていた祖父。めぐみとは、新潟空港での別れが最後だった。
*第十回 新しいアルバム に続く
*めぐみ 13年間のアルバム(10)新しいアルバム
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