【めぐみ 13年間のアルバム より】 取材・文:小山唯史(こやまただし)
*めぐみ 13年間のアルバム(6)再び5人そろっての旅を
http://aoinomama13.seesaa.net/article/58948021.html
続き
第七回 1977年という年
めぐみは卒業式の謝恩会で『流浪の民』を歌う。独唱したソプラノの歌詞は「なれし故郷を放たれて」だった。
横田家にとって絶対忘れられない年・・・1977年、昭和52年。前年末に福田内閣が誕生し、北海道では有珠山が爆発、巨人の王貞治が756号の本塁打記録を作った年だ。
その1977年の始まりは、横田家にとっても穏やかなものだった。正月、めぐみは玄関前で雪を背景に和服姿の写真を撮っている(左)。早紀江が「お母さんの若いときの着物があるから、お正月だし、それを着て写真に撮っておかない?」と言いだして写したものだ。

*昭和52年正月、新潟の自宅にて
赤と白の大きな市松模様。髪は和服用に後ろに束ねた。めぐみは「わあ、私って、こんなに素敵だったんだあ」と、はしゃぎ、早紀江は「あら、厚かましい」と笑った。小学校最後の冬休みのことだ。
3月、コーラス部だっためぐみは卒業式の謝恩会で『流浪の民』を歌う。独唱したソプラノの歌詞は「なれし故郷を放たれて」だった。
4月、新潟市立寄居中学に入学。めぐみは風疹で入学式を欠席する。入学式と始業式の間の日曜、父親の滋は「桜が散らないうちに」と記念撮影にめぐみを連れ出した。中学の制服姿で。その写真の中で、病後のめぐみはさびしげな顔をしている。
失踪後の捜索に使われたのは、その写真。明るかっためぐみが、内気そうな少女として人々の目に触れることになったのは、そのためだ。
中学ではバドミントン部に。長年習っていたバレエは、『花のワルツ』を踊った8月の公演を最後に、やめた。部活に専念するために。
新潟での二度めの夏。早紀江は中学生になっためぐみのために浴衣を縫う。紺地に赤と緑と黄色の花柄。
その浴衣を着て、めぐみは夏祭りに。佐渡おけさ、新潟甚句・・・「新潟まつり」の大民謡流しは阿波踊りにも劣らない大規模なものだ。地元企業も会社ぐるみで参加する。滋も日銀新潟支店の一員として菅笠をかぶり、踊りの隊列に。だが、滋の菅笠のヒモがほどけてしまう。あまり器用とはいえない滋は、なかなかヒモを結び直せない。
その光景を、電話ボックスの横で早紀江らと見つめていためぐみ。
「どうする?お父さん、まだ結べてないよ。大丈夫?でも、ここでお母さんが出ていって結んであげたら、もっとカッコ悪いし・・・」
ハラハラし続けていた。母の手縫いの浴衣を着て、父を案ずる娘。大人への階段を昇り始めていた。
やがてカレンダーは秋を告げる。10月5日、めぐみの13歳の誕生日。11月14日、滋の45歳の誕生日には、携帯用の櫛をプレゼントした。「お父さん、これからはオシャレにも気をつけてね」という言葉を添えて。
その翌日のことだったのだ。めぐみが、忽然と消えてしまったのは。
けなげに、そして他の多くの少女たちと同じように、平凡ながら夢いっぱい生きていた、めぐみ。その先にも続くはずだった“未来の暦”を突然ひきちぎったのは拉致―。
いま、早紀江は川崎市の自宅で、季節ごとにめぐみの写真を選び、額に入れて居間に置いている。いつでも、めぐみと一緒にいるために。
正月に飾るのは、いつも和服姿のめぐみだ。1977年、あの年を希望の中で迎えた和服姿のめぐみだ。
*第八回 1本のラケット に続く
*めぐみ 13年間のアルバム(8)1本のラケット
http://aoinomama13.seesaa.net/article/59604152.html
【記事テキストの最新記事】
- スクープ 衝撃の告白「私が北朝鮮で見た“...
- 金正日と“テポドン”写真に写っていた「拉...
- 「拉致問題」置き去りで日朝国交正常化の危...
- 政府は「帰国」「解決」でなく「救出」を掲...
- 政府は「帰国」「解決」でなく「救出」を掲...
- 置き去りの同胞を忘れるな(月刊正論 '0...
- ミサイル技術の対北流出断て(産経新聞 '...
- 脱北者が明かす 金儲けに励む北朝鮮人民(...
- 北朝鮮に「しおかぜ」は届いていた!現役市...
- 【北朝鮮インタビュー】テロ指定解除 米国...
- 【北朝鮮インタビュー】拉致と核は別次元 ...
- 深層レポート 「行方不明者」たちの消える...
- 朝鮮半島を読む 221回 荒唐無稽な金正...
- 日朝交渉の闇 外務省斎木アジア局長が北に...
- 帰国運動“宣伝マニュアル”の主な内容(読...




