2007年10月05日

めぐみ 13年間のアルバム(7)1977年という年

*漫画アクション2005年1月21日号〜7月19日号で「めぐみ」(作画/本そういち氏)に掲載された小山さんのコラムをテキストにしました。順次ご紹介致します。(全10回)

【めぐみ 13年間のアルバム より】 取材・文:小山唯史(こやまただし)

*めぐみ 13年間のアルバム(6)再び5人そろっての旅を
http://aoinomama13.seesaa.net/article/58948021.html

続き

第七回 1977年という年

めぐみは卒業式の謝恩会で『流浪の民』を歌う。独唱したソプラノの歌詞は「なれし故郷を放たれて」だった。

 横田家にとって絶対忘れられない年・・・1977年、昭和52年。前年末に福田内閣が誕生し、北海道では有珠山が爆発、巨人の王貞治が756号の本塁打記録を作った年だ。

 その1977年の始まりは、横田家にとっても穏やかなものだった。正月、めぐみは玄関前で雪を背景に和服姿の写真を撮っている(左)。早紀江が「お母さんの若いときの着物があるから、お正月だし、それを着て写真に撮っておかない?」と言いだして写したものだ。

めぐみさん07.jpg

*昭和52年正月、新潟の自宅にて

 赤と白の大きな市松模様。髪は和服用に後ろに束ねた。めぐみは「わあ、私って、こんなに素敵だったんだあ」と、はしゃぎ、早紀江は「あら、厚かましい」と笑った。小学校最後の冬休みのことだ。

 3月、コーラス部だっためぐみは卒業式の謝恩会で『流浪の民』を歌う。独唱したソプラノの歌詞は「なれし故郷を放たれて」だった。

 4月、新潟市立寄居中学に入学。めぐみは風疹で入学式を欠席する。入学式と始業式の間の日曜、父親の滋は「桜が散らないうちに」と記念撮影にめぐみを連れ出した。中学の制服姿で。その写真の中で、病後のめぐみはさびしげな顔をしている。

 失踪後の捜索に使われたのは、その写真。明るかっためぐみが、内気そうな少女として人々の目に触れることになったのは、そのためだ。

 中学ではバドミントン部に。長年習っていたバレエは、『花のワルツ』を踊った8月の公演を最後に、やめた。部活に専念するために。

 新潟での二度めの夏。早紀江は中学生になっためぐみのために浴衣を縫う。紺地に赤と緑と黄色の花柄。

 その浴衣を着て、めぐみは夏祭りに。佐渡おけさ、新潟甚句・・・「新潟まつり」の大民謡流しは阿波踊りにも劣らない大規模なものだ。地元企業も会社ぐるみで参加する。滋も日銀新潟支店の一員として菅笠をかぶり、踊りの隊列に。だが、滋の菅笠のヒモがほどけてしまう。あまり器用とはいえない滋は、なかなかヒモを結び直せない。

 その光景を、電話ボックスの横で早紀江らと見つめていためぐみ。

 「どうする?お父さん、まだ結べてないよ。大丈夫?でも、ここでお母さんが出ていって結んであげたら、もっとカッコ悪いし・・・」

 ハラハラし続けていた。母の手縫いの浴衣を着て、父を案ずる娘。大人への階段を昇り始めていた。

 やがてカレンダーは秋を告げる。10月5日、めぐみの13歳の誕生日。11月14日、滋の45歳の誕生日には、携帯用の櫛をプレゼントした。「お父さん、これからはオシャレにも気をつけてね」という言葉を添えて。

 その翌日のことだったのだ。めぐみが、忽然と消えてしまったのは。

 けなげに、そして他の多くの少女たちと同じように、平凡ながら夢いっぱい生きていた、めぐみ。その先にも続くはずだった“未来の暦”を突然ひきちぎったのは拉致―。

 いま、早紀江は川崎市の自宅で、季節ごとにめぐみの写真を選び、額に入れて居間に置いている。いつでも、めぐみと一緒にいるために。

 正月に飾るのは、いつも和服姿のめぐみだ。1977年、あの年を希望の中で迎えた和服姿のめぐみだ。

*第八回 1本のラケット に続く

*めぐみ 13年間のアルバム(8)1本のラケット
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posted by あおいのママ at 16:22| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | 記事テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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