【めぐみ 13年間のアルバム より】 取材・文:小山唯史(こやまただし)
*めぐみ 13年間のアルバム(2)「御所ちゃん、来たね」
http://aoinomama13.seesaa.net/article/58557694.html
続き
第三回 「タッくん」と「テッちゃん」
姉の事は触れられたくない傷、「2人だけの兄弟」と押し通した。だが、いま拓也は、そして哲也も、多くの人の前に立ち、訴える。
めぐみは、小学校時代の大部分を広島で過ごした。写真は、小学3年のめぐみと、幼稚園に通い始めた双子の弟たち、拓也と哲也。

*昭和48年頃、広島・日銀行舎近くにて2人の弟と(撮影・滋)
拓也が得意気にまたがっているのは、姉めぐみの自転車だ。双子といっても、子供の頃は、兄の拓也のほうが弟の哲也より体も大きく、お菓子やおもちゃの奪い合いでも、いつも拓也が優勢。ベソをかき「お姉ちゃ〜ん」と助けを求める“テッちゃん”をかばい“タッくん”を叱るのは、いつもめぐみの役割だった。
弟の頭に軽く手を添えながら、両足を揃えて立つ、めぐみ。3歳からバレエを習い始めためぐみは、このころ、写真の中で、よくこんなふうに爪先立ちのポーズを取っている。「ヒザをまっすぐ伸ばして立てるように、ふだんから練習を」と、バレエ教室で叩き込まれていたからだ。「バレエを習いたい」と言いだしたころ、めぐみはまた、弟妹もさかんに欲しがっていた。めぐみと双子の弟たちとは年が4歳離れている。「ママ〜、なんでミイちゃんのところに、赤ちゃん、いないの?」
幼い頃、自分のことをミイちゃんと呼んでいためぐみは、友だちの家と同じように、赤ん坊が欲しくて仕方なかったのだ。
その頃の横田家は(転勤で広島に移って来る前の)東京住まい。家の近くには鹿島神社があった。幼稚園からめぐみを乗せて帰ってくる通園バスは、ちょうど、その神社のあたりに停まる。バスから降りためぐみは、いつも勢いよく神社の奥に駆け込んで、小さな手を合わせていた。「ミイちゃんのところにも、赤ちゃん、ください」
と。そんなめぐみに、いっぺんに2人も弟ができたのだから、よほど嬉しかったのだろう。
「ミイちゃんのとこ、赤ちゃんが、2人、来たんだよ〜ッ」
大きな声で、社宅の庭じゅう、お知らせしながら歩き回ったという。まだ産院に入院中だった母・早紀江が、退院後に、近所の人から教えてもらった話だ。
小学生になってからも、めぐみは弟たちの面倒をよく見た。一緒に歌をうたったり、にぎやかにふざけ合ったり。姉弟のなかでも、そして家族じゅうでも、いつも笑いの中心にいて、太陽のような存在だった姉。
その明るかっためぐみが、拉致されるのは、この写真から、たった4年後のことだ。わずか13歳。
拓也と哲也はまだ小学校の低学年だった。「わ〜い、わ〜い、横田めぐみ、いないじゃないか」・・・ 無邪気ゆえに心ない近所の子供たちは、2人に向かって、こう囃したてた。
やがて“事件の町”新潟を離れたあと、2人は転校先でも職場でも、長い間「うちは2人だけの兄弟」で押し通した。姉の“原因不明の失踪”は、2人の弟にとって、他人にはけっして触れられたくない傷として、胸の奥深くしまわれ続けたのだ。
だが、いま拓也は、そして哲也も多くの人の前に立ち、訴える。
「姉は、13歳で拉致されて、もう40歳です。人生を突然ねじ曲げられ、人生の3分の2以上を、地獄のような国で生きることを強いられています。そのことが悔しい。
失われた時間を取り戻すことは、できません。でも、これからの時間は作ってあげることができる。だから一刻も早く、助け出したい。弟として、そして日本人の責任として」
*第四回 二つに結った髪 に続く
*めぐみ 13年間のアルバム(4)二つに結った髪
http://aoinomama13.seesaa.net/article/58771114.html
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