
*今年はこの向日葵を飾りました。
平成15年9月9日午前4時頃、私は分娩室から車椅子でその部屋に運ばれた。疲れ切っていたのでどんな部屋かわからなかった。ただその時は真っ暗だったように思う。
睡眠薬を飲みベッドに入ったがなかなか眠りにつけない。夫が横で心配している。早く寝なければと気を落ち着かせようとした。
しばらくして夢を見た。小さな子を捜す夢で、歩けない私が泣きながら必死で呼んでいる。子の姿がはっきりしない真っ白な夢。悲しくて寂しくて苦しい夢だった。
目を覚ますと青い空がまぶしく感じた。部屋は一面窓からの陽の光でいっぱいだった。ここはファミリータイプの角部屋でプライバシーも守られる。窓が大きい広くて明るい喜びの部屋だったのだ。
本来ならここは誕生した新しい命をみんなで祝うべき部屋。そこで私はまずわが子の旅路の衣装を作らなければいけないのだ。小さな毛糸のカーディガン、まだまだ暑いこの季節には不似合いなベビー服。でもこれがわが子にできる最初で最後の母親らしいことだった。
別れの日、せめて一口でもいいから母乳を飲ませたいと思った。私は前日に母乳を止める薬をもらっていた。お乳が出てしまってから飲んでも効かない薬だという。赤ちゃんを亡くした母親にとって、その後にお乳が出るのはつらく悲しいこと。でもこの子が生まれた時、口を開けてお乳を欲しがっているように見えた。だから私は薬を飲まない選択をした。
喜びの部屋で必死にお乳をあげようとする母親の私。助産婦さんも一生懸命にマッサージしてくれたが、とうとう母乳は出なかった。泣いて泣いて泣き続けた。息絶えたわが子を抱きしめながら、旅立つこの子に何もしてやれないと泣き続けた。
あれから4年、娘を想い泣かぬ日はない。自分を責め続けながら、これからも毎日を生きていくのだろう。



