
*写真はあおいのママの撮影です。(左から横田拓也さん、ジャーナリスト・惠谷治さん、北朝鮮難民救援基金理事長・加藤博さん)
*講演要旨レポートです。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。講演は約23分でした。(主催者よりレポート掲載の許可をいただいております)
【横田拓也さん・拉致被害者 横田めぐみさんの弟】
皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました、家族会、横田めぐみの弟であります横田拓也でございます。どうぞよろしくお願い致します。座らせてお話させていただきます。本当に日頃から私どもの拉致問題に関しまして、皆さま方の深いご理解と温かいご支援を賜りますこと、改めて御礼申し上げます。ありがとうございます。
すでにご承知の通り、私の姉は13歳で日本から連れ去られました。1977年の11月です。当時、今もそうだと思いますけども、新潟の11月の夜というのは本当に海鳴りの音と風で空は真っ黒、雲が黒いといったような季節でありまして、小さい子が行くとすぐにでも逃げ出したいような真っ暗な地域であります。引越しをして数ヵ月後に姉は連れ去られました。中学校のバトミントンクラブから友だちと一緒に帰って、その下校途中に別れた後に無残にも連れ去られたわけであります。
昨年の誕生日で42歳を迎えましたから、本当にもう30年間北朝鮮という食料も着る物も暖かい暖もない、そして一番問題なのは自由と明るい明日が保証されていない、まったく過酷な環境下で今日も生活を強いられていることであります。
13歳頃の自分たちの気持ちを思い浮かべて欲しいのですけれど、本当に多感な時代であったと思うし、色んな自己実現の希望があった頃だと思います。高校に行ってこんな勉強したいとか、大学に行きたい、こんな会社に入って仕事をしてみたいとか、家庭を持って子どもを持って、どこどこに遊びに行く、こんなものを食べて、と色んなことを思っていた頃だったと思います。
もちろん私の家庭の中においても楽しい食卓で、姉は格段明るくて快活で、子どもたちの中でもいつも「ヨコ、ヨコ」って呼ばれているような明るい女の子でありました。食卓の中でもいつも話題の中心を持っているような明るい子でありました。ただその事件が起きてからは、私の家庭の中はまったく180度変わって、会話がほとんどないような暗い生活が始まったわけであります。
しかしこの北朝鮮の日本人拉致問題というのは、確かに私の姉がシンボル的な存在ではありますけども、私たち家族会、そして救う会、今荒木先生ご到着されましたけど特定失踪者問題調査会など、政府が認定している方々だけの救出を目的で活動しているわけではありません。皆さま方から向かって右側にポスターがありますね、あちらにはもう400名以上の方が載っていると思います。この会場にいらっしゃる皆さま方の3倍から4倍の私たちと同じ日本人が連れ去られたままになっているわけなのです。私の姉だけの問題ではないし、政府が認定している人だけの問題ではないのです。
あちらにいらっしゃる方々が仮にお子さんを授かって、その家庭に2人か3人の子どもがいるとすれば、その数は本当に計り知れない深刻な大きさであるし、私たちはその現実に対してもっと直視直面しなければいけないと思うし、私たち日本人が助けなきゃいけないという気持ちをもっとかたちにしていく必要が私はあると思います。
今3月末で事実上4月でありまして、窓の外を見れば桜も咲いています。少し前までは冬でした。こうした季節になると私たち被害者家族は本当につらい思いをするわけであります。「今日も食べられるであろうか」「明日は本当に明るく笑顔で起きられるだろうか」「着る物はあるだろうか」「どんな寒い場で寝ているのだろうか」と、いつも冬になると考えてしまう毎日でありました。
そしてこの春、今、桜が咲いています。めぐみも母も私自身もお花はとっても好きで、桜自体はキレイなんですけれども、私の家庭にある、皆さま方も印象に残っているひとつの写真、校庭の前で撮られた桜の木の下でカバンを持った家の姉の写真を思い出される方いらっしゃると思うのですが、あれは前日に風邪をひいて、父が翌日わざわざ校門の下で桜の下で撮った写真で、その記憶が私自身も昔からありますから、この春になると新しい生活が始まる、というウキウキ感というものではなくて、とっても寂しい花の色になるわけなんですね。
そして今この季節ですと、お花見といった明るい話題になりがちですが、高齢の私の両親はお花見や行楽・映画館とか行くことすらできないような毎日を送っているのです。色んな被害が二重三重にも繰り返されているわけなんですね。こういった深刻な問題を早く解決してあげなきゃいけないと思います。
北朝鮮問題、先ほどの難民のお話、安全保障の問題、そして拉致の問題があります。私たちはたまたま拉致の問題を中心に被害者の当事者としてお話をしていますが、北朝鮮問題というのはやはり核の問題もそうでしょうし、弾道ミサイル・偽札・偽タバコ、色んな問題があるわけなんですね。小泉総理が2002年に訪朝されて、5人の被害者当事者とそのご家族が帰って来ることができましたけれど、私の姉を始めとした多くの方々、あちらのポスターのまだ政府が認定していない多くの被害者の方々が帰って来ていないということは、「これは現在進行形のテロである」と強く言い続けていく必要があると思います。どこか遠い所の話ではないし、日朝間だけの問題ではない。
先ほどのお話でもご紹介があったように、この拉致の問題は日本人だけの被害者の話題ではないのです。私ども家族会・救う会・他の団体が色んな国際的な活動の一環で国々を訪問しています。ジュネーブの国連、ニューヨークの国連、そして国際的な被害者がいるだろうとわかっているタイや韓国、そしてこれからルーマニアにも行く予定で今活動の準備を進めておりますが、もう国際的に大きな被害の様相を呈してきているわけなんですね。そういった問題、私たちはやっぱり黙っていてはいけないと思うのです。
過去に類は違うかもしれませんが、アウシュビッツの強制収容所の問題が当時もあった時に、隣の国々が目を瞑ってしまったこと、黙ってしまったことが多くの被害を生んだという歴史があるのです。今この拉致問題・人権問題では、私たちのこの日本からすぐ見えるような地域に起こっている問題であります。しかも拉致以外にも現在進行形でありますけども、ミサイル・核の問題というのは、「金正日がその気になってボタンを押せば、20分以内におそらく日本に飛んで来るであろう」と言われています。私たち全員に等しく課せられた危機が今ここにある、ということを私たちが今一度理解した上で、北朝鮮に対する毅然とした態度を堅持していく必要があると思います。
私たちはこれまで外務省や官邸や議員の皆さま方の所を本当に多く、暑い中も寒い中も足を運びました。官邸の前でも座り込みもしました。「どうして私たち国民の財産や生命を守るはずの官邸に対して座り込みをする必要があるのか?」と疑問に思いながらも、この活動を大きくする上で、そして国民の皆さま方に知っていただく上で、そういった活動をせざるを得なかった、ものすごく苦い時間・事実があります。
しかし先ほどの特定失踪者のご家族の方々もおっしゃっていましたが、歴史は大きく変わって安倍総理が政権を担われて、私たち家族会は9月の26日だったと記憶しているのですが、官邸で安倍総理にお会いする機会をいただきました。皆、口を揃えて「初めてこんなうれしい気持ちでこの門をくぐることができるよね」と言っていました。今までは「コメの支援をしない」と言っていても、その翌日に平気でやってしまうような方々が多くいました。しかし今、日本政府は安倍さんをリーダーにしてこの問題に毅然と立ち向かって、北朝鮮の安全保障上の問題、そして拉致被害者についてまったく誠実な態度を示そうとしない北朝鮮に対して、制裁を圧力を加え続けているわけであります。
昨日の産経新聞にも書いてありましたけれども、日本政府は今回の六者協議・日朝作業部会を始め、未だに北朝鮮が誠実を見せない態度に対応するかたちで経済制裁を実施中でありますが、4月中旬にその期限が切れようとしています。その期限を半年間延長しようということでほぼ進めている、ということが書かれていました。大歓迎でありますし、私たちはもっと声を上げて、日本政府の後ろ支えをしていく必要があると思います。
皆さま方の中には首相官邸のホームページご覧になった方いらっしゃると思いますが、こういった“拉致”という、政府が広報するかたちで、官邸でビデオを見ることができます。これは官邸のホームページにダイジェスト版が載っているようでして、今ここにあるのはフルストーリーのバージョンですが、こういったもので一杯一杯政府も活動をしています。そしてこういった小冊子、簡単なこれまでの取り組みや被害者のリストを政府が作って、各機関、我々国民にも配布ができるようなツールも作っているわけであります。今までにないくらい大きな活動をしています。
ただここで私たちも「それではよかったね」と甘えていてはいけないと思います。やっぱりそこはさらに安倍総理に対して正しい意味で堅実な意味でもっと声を発していって、彼がもっと動くようにしていって、そして北朝鮮に対する圧力をもっと強めるために、私たちが声を上げていく必要があると思います。
あと、先ほど過去に行われた日朝作業部会とか六者協議のお話もありましたけども、我々は国としては認定していませんが便宜上国と申し上げますが、北朝鮮がどういう相手かということを、もう一回整理していく必要があります。これは例えば横田家だけの問題において申し上げると、皆さま方のご記憶新しいと思うのですが、人権に明らかに反するような人の骨を平気で出して来る相手、だということです。
私たち日本人の文化の中で、親とか家族とか骨とかっていう、生きる死ぬっていうことの意味とても大きいですね。そういったものに対して、自分たちが国家の人権侵害・領海侵犯をして来たにもかかわらず、そして13歳で何も知らない一人の少女を奪っておきながら、さらにその30年後に「これはあなたの子どもの骨ですよ」と平気で言いのけてしまう、その目的が単に自分の政権を維持させたいがための話なのです。北朝鮮はこういったおよそ文明社会ではありえないような非道な相手だということです。日朝作業部会においても六者協議でも自分の都合に悪ければ勝手に帰ってしまう、こういった我々のおよそ常識というものが通じない相手であるわけです。
そして先ほども申し上げたように、この拉致問題というのは現在進行形でありますから、テロが未だに我々の身辺にかかっているということなのです。私は皆さん方に危機を煽るわけではありませんが、私たちの家族やきょうだい・お友だちが、今日夜電話してみたらいないかもしれない、そういったもう迫った問題である、ということを私たちはもっと理解して、北朝鮮に対する圧力をかけなければいけません。
じゃあ私たちに何ができるんだ?ということであります。国会議員でもないし外務省の役人でもないし、できること確かに少ないし小さいです。言ってしまうとできないことの方が多いと思うのですが、私たちが北朝鮮と違うのは民主主義であるということ、声を発して民意を形成してそれを政治に活かせるということであります。
先ほど申し上げたように、例えば首相官邸のホームページにメールを出すこともでき意見を言うことができる。警察にも各議員の皆さん方にも色んな所に対して手紙や電話・ホームページのメールで「拉致問題の取り組みが浅いのではないか」「甘いのではないか」「圧力が弱いのではないか」「こうするべきだ」と言い続けていく。そして願わくば皆さま方のお友だち、職場等のご友人に例えば「土曜日に誰々さんに会ってこんな話聞いてきたよ」とか、もっと例えば国際的にお友だちがアメリカやルーマニア、タイにいらっしゃる、そしたら「そこに被害者がいるからちょっと情報取ってくれないか?」といったほんの小さなお口添えが、国際的な圧力の包囲網につながるわけであります。
これが北朝鮮にできなくて日本にできることだと思います。こういった力を加え続けていくことがとても大事だし、私たちのようないつでも倒れそうな弱い存在を支えてくださっている大きな力の源である、ということをお伝え申し上げます。
あともう一つ。先ほどお話がありましたが、難民が中国に逃げて来ても(北朝鮮に)返されてしまう、という大きな問題があることです。ここで中国問題を語るつもりはありませんが、北朝鮮以上に日本にミサイルが向いているのは中国であり、せっかく圧政下から逃げて来た人間をもう一回返してしまうことも事実あるのです。こういったことを私たちは日本人の拉致問題だけにこだわるのではなく、もっと大きな問題が実は背後にあり、と知っていく必要があると思います。
北朝鮮国内にはこういった難民の他に、子どもたちが飢餓に苦しんでいる写真や映像などを何回もご覧になったと思いますけど、食べる物や暮らす所がなく自由に意見を言い合う場がないのです。子どもたちは食べる物もないのに、日本や他の国々に輸出するため、例えばあさりとか松茸を採るよう働かされられているということなのです。今は経済制裁でそういった輸入はストップしていますけど、平気で食べ続けていいのか?私たちはやはり向こうの国民も苦しんでいて、同じ人類として苦しんでいる命を助けなければいけないという大きな視点に立って、この問題に向かい合っていく必要があると思います。
2002年日朝平壌宣言の時に政府の専用機が来て、私の姉も大変期待をしたと思いますし、そして帰った時にはとても悲しんだと思います。姉以外の多くの被害者の方が「また取り残されてしまった」という悲しみ・苦しみに遭ったと思います。それと同じ気持ちを、おそらくちょっと違うとは思いますけど、北朝鮮の方々も「早く逃げたい」「早く食べたい」「早く自由になりたい」と思っているはずなのです。そういった気持ちを同じ人類として、隣の国にいる私たち日本人が人権を前面に出していくことが大事だと思います。
それをどうか皆さま方の最寄りの議員さんの方々に「取り組みがもう少し具体的になるべきではないか」と言っていくことが大きな力にもなり、これが先ほどの話にもあった地方から国に対して、国が対外交につながっていく大きな原動力になると思いますので、ぜひともお願いしたいと思います。
時間も余りないので少しだけ。最近家族会が10年経ってしまったという話があります。その点ちょっとお話したいのですが、姉は30年前に拉致をされて、その他のご家族も30年以上前に拉致をされた経緯があるのですが、家族会が結成されたのは1997年であり10年前です。その時から色んな理由があって家の父が代表を務めさせていただきました。今両親は70歳を越えており大変つらい中にあるわけなのです。これまでも1000回講演を行って日本全国をもれなく訪問し、その他にも政府の協議があったりマスコミとの対応があったりで、本当に休む暇もなく寝る時間もないという生活を毎日過ごしているのが実情であります。
そしてご存知のように、一昨年の12月に父が薬の関係もあるのですが倒れてしまい、医者からも「死を覚悟してください」と私たちは言われました。本当に死の淵まで行って何とか耐え抜いて今ここにいる、というのが現実です。母も普段からあまり不平不満やつらいとか口にする人間ではないのですが、やはり歳もあって精神的なストレスもあって、もういつも「ここが痛い、ここがつらい」と平気に口にしてしまうような毎日を過ごしています。
姉もつらい。早く助けてあげたい。そして両親も早く心から笑えるような時間を授けて普通の暮らしをさせてあげたいし、冒頭に言った例え話ではありませんが、本当に何気なく普通に桜の下で「今日の花キレイだね」というような時間を早く作ってあげたい、というのが私の本音であります。
しかしこれは私たち家族だけに与えられた問題ではなく、もっと大きな問題からアプローチすると、これは日本人全員に課せられた問題でもありますから、この問題を自由を勝ち取るために、私たちは安倍さんをもっとバックアップして、さらに要求するものは要求して、人権を無視した人質外交を繰り返している北朝鮮に対して「絶対に譲歩しない、負けない」という気持ちで戦って行くことが大事だというふうに思います。
その中で家族会代表を10年間やってきて、父も75歳になって解任をするかしないかという話があります。実際は来月(4月)の22日に家族会総会がありますから、その場で皆さんに表明して、どうするかということの方向性を作っていくという予定ではありますが、ただ会社組織のように人材が多くいるわけではありませんから、後任に誰がなる、どうするっていうことが実際になかなか難しい話ではあるんですね。
ただ10年間経った75歳という節目でもあるということ、やはり私が一番身近にいて思うのは、父が肉体的にも精神的にも限界にあるのは事実でありまして、このまま無理をしていけば一昨年の12月のようにまた「死の淵をさまよう」と宣告されてしまいかねないのです。そういう意味では個人的に早く楽をさせてあげたいし、あとはその先にある本当のゴール、自分の娘を始めとして多くの被害者を全員取り戻して、日本が外交上勝利することはもちろん、晴れて人権の問題で勝ったのだと宣言していきたいと思っています。
最後に宣伝的な話になるのですが、皆さま方の資料の中にも入っている4月22日日比谷公会堂のチラシ、もうこれも「何回やればこの問題解決するんだ」ということで、毎年「来年はやらないでいこうね」と誓い合いながらまた今年もやる羽目になってしまうのですが、また国民大集会をやります。世界的に拉致の被害が多く起きていると申し上げましたが、そのご家族もこちらに呼んで国際的な連携を謳う予定であります。
私たちがその場に集って一体感を持って、その数時間後に北朝鮮は「そこの会場に国民がこの問題に許さないという気迫を持った時間があった」ということを知っているのです。それほど気にしていますから、私たちが集まって声を上げていくのはとても力になります。どうか今日もですが、お休みのところ大変恐縮ではあるんですが、お時間が許せばお友だちも誘いの上ぜひお集まりいただき、この問題と引き続き向き合っていただき、私たちと共に戦ってくださればと思いますのでよろしくお願い致します。
私は家族の立場からしかものを申し上げられませんが、あの本当に今戦いどころはいいところまで来ていると思いますし、先ほどの惠谷先生のお話でもありましたように、若干今までの雲行きとは違うところはあるのですが、「日本が孤立している」ということは私はないと思っていますし、信じています。
そのためには私たちは気負うことなく、北朝鮮に対してもアメリカに対しても国際社会に対しても訴え続けるってことが、この問題を絶対に忘れさせないことにつながると思いますので、どうぞ引き続き私どもと戦ってくださることをお願いしたいと思います。よろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
終わり




