*あおいのママとパパは2005年6月25日、千葉県市原市で行われた「拉致はテロだ!古川了子さんを救う千葉集会in市原」に参加しました。会場にはたくさんの方々が参加されていました。調査会の真鍋さんの講演要旨レポートは11回に分けてご紹介しております。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。
『千葉県の特定失踪者問題について』
「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。
*'05 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋貞樹さん(2)
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続き
【真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務】
最初にこの大町ルートというものは、時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけれども、お手元に大町ルートの地図がございますかね?ちょっと暗くて見づらいかと思いますけれども、これに基づいて直接説明させていただきたいと思います。この地図はですね、私が作ったんではなくて特定失踪者 高野清文さんのご家族で高野美幸さんという方が一生懸命作ってくださったもので大変重宝しておりますが、これに基づいてお話をしていきたいと思っています。
*カテゴリ「特定失踪者 高野清文さん」
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この大町ルート、出発点が銚子周辺ということになります。我々知る限りこのきっかけになったのが実は加瀬テル子さんを調査している中で出てきたわけです。私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いした時に、叔母さんの口から「当時この海上町で“砂鉄”を採っていました。で、その砂鉄の回収に、日本人はもとより在日の人たちがたくさんいましたよ」という話から、一体これはどういうことなのかな?と強い関心を持ちました。
*カテゴリ「特定失踪者 加瀬テル子さん」
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今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんたちと一緒になってこれを調べていくうちに、砂鉄のみならず当時はあの海上町とか旭市の周辺では“水あめ”を作っていました。それも日本人も作っていたし在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家もそういった砂鉄だとか水あめにも関わっていて、在日の人たちが加瀬さんの自宅の方にも来られていたというようなことが段々明らかになってきまして、これは一体なんだろうな?ということでした。そして水あめと砂鉄がどういうふうに使われるんだろう?と考えました。
そうすると砂鉄というのは当然上質の金物、刃物とかそういった物に非常に有効な物ですし、高品質の鉄ができるわけですが、それがどうも「新潟・富山方面に当時運ばれていた」ということで、またそれがどうも「北朝鮮にも渡っていたようだ」ということでした。それから水あめの方なんですけれども、水あめも同じようにどうも「新潟・富山方面に向けて運ばれていたようだ」と。そして水あめっていうのは「北朝鮮にも送られていたようだ」ということなんですが、朝鮮の焼酎、韓国で言う“眞露”(じんろ)が有名ですけれども、ああいった朝鮮の焼酎の味付けに水あめが使われているようですね。
だからこの水あめと砂鉄というものがこの銚子周辺で採られて、そしてそれが千葉市を経由して東京、山梨、長野、新潟方面と富山方面に運ばれて行ったということが判明してきました。それで拉致とは結びつかなかったんですけれども、これをヒントにして大町ルートを何度も調べているうちに類似した産品も明らかになりました。
それは実は“天草”なんですね。あの寒天の材料になる天草です。これがですね、当然水あめとか砂鉄とか戦後の話なんですけれども、この天草というのは地図にありますけれども(伊豆七島の)大島とか新島それから三宅島といったような所で採取されていました。この天草を採っていた人たちが当時在日の人たちだったんですね。その在日の人たちが天草を採ってそれが横浜に運ばれて、この同じルートを伝って行って、これは長野の名産になっているわけです。
天草というのは“ところてん”の原料になりますから。ところてん産地ってご存知でしょうか?実は長野なんです。何で長野が?海のない長野がところてんの産地なんだ?ってことで非常に興味を持ったところ、このルートを伝って当時、戦前ですよ、あの天草が運ばれて来たということになるわけなんですね。
(4)に続く
*'05 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋貞樹さん(4)
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