2007年06月20日

6/10 TBS「報道特集」北朝鮮の秘宝 埋もれていた日本との接点

竹かご01.jpg

*6/10TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。放送は約25分間でした。(写真はテレビより撮影しましたので不鮮明です)

北朝鮮が売りに出した謎の“竹かご”。「70万ドル・・・」その価値は? そして何故売るのか?背後に浮かぶ民族の対立。「天下絶品です」。守り抜いたのは実は日本人。埋もれた過去が今明らかに―。

なぜ売るのか? 北朝鮮の歴史的「秘宝」

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「さて続いての特集なんですが、4月に放送しました北朝鮮の特集の中で、あの古い“竹かご”が登場したのを覚えてらっしゃいますでしょうか?

*'07 4/29 TBS「報道特集」潜入!北朝鮮軍事パレード
http://aoinomama13.seesaa.net/article/41245333.html

 で、大変由緒ありそうなその“かご”をですね、保存している北朝鮮の博物館がたまたま訪れた日本のカメラマンにそれを売ろうとした、という話なんですが、その“竹かご”ちょっと気になりましてさらに取材を進めました。そうしますと実は歴史的にも、そして美術品としても大変貴重な文化財だということがわかりました。しかも日本とも深いつながりがありました。そのように貴重な文化財を何故北朝鮮は売ろうとしているんでしょうか?」

北が売る謎の“竹かご” 価値は?

【ナレーター】
 平壌(ピョンヤン)の金日成広場に建つ朝鮮中央歴史博物館。撮影はここで行われた。装飾が施された蓋付きの竹かご。平壌市内の「楽浪(らくろう)」という場所で発掘されたという。博物館の副館長からの申し出に、撮影した片野田(かたのだ)カメラマンは「耳を疑った」と話す。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「『これを売りたいんだけど、買ってくれる人を紹介してくれないか?』と。まぁ正直な話、何で僕に?っていうのはありましたけど・・・。」

【ナレーター】
 そもそも博物館を取材する予定はなかった。目的は軍事パレードの撮影。(4月25日)何故竹かごを撮影することになったのか?それはこんな奇妙な経緯だった―。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「ずいぶん遠くから遮断しているわけですね。」

【ガイド】
 「そうです。」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「(パレードは)見えない?」

【ガイド】
 「見えないところまで遮断している・・・。」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「まずいな、それ。」

【ナレーター】
 軍事パレードの撮影は難航した。同行する現地のガイドが撮影ができないよう片野田カメラマンを連れ回したためだ。そんな中、連れて行かれた博物館であの竹かごを見ることになったのだ。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「向こうの方が結構その、切羽詰ったというかですね、何かこう『とにかく見てください』という感じだったので、むげに断る雰囲気じゃなかったんですよね。」

【ナレーター】
 「映像を撮って日本に帰り、買ってくれる人を探して欲しい」、片野田カメラマンは言われるままに竹かごを撮影した。副館長はガイドを通してこう切り出している。

【ガイド】(VTR)
 「このチンカは―」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「チンカ?」

【ガイド】
 「しんか、しんか」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「真価?」

【ガイド】
 「本当の価格ね。実際の価値がわかる人はいくらかわかる。その人の意見を聞きたい。」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「それで売りたいと?」

【ガイド】
 「売りたい」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「もう一度要約すると、(竹かごは)いつ頃のものだとさっきおっしゃっていましたっけ?」

【ガイド】
 「紀元2世紀、中国の漢の時。」

竹かご02.jpg

【ナレーター】
 片野田カメラマンは、竹かごとともに一冊の分厚い本を言われるままに撮影している。

【記者】
 「これがその文献ですね?」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「そうです、そうです。」

【記者】
 「この文献は何だというような説明だったんですか?」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「『このかごに関して詳しく書いてあるものだ』という・・・」

【ナレーター】
 本の背表紙を撮影しているが、題名は字がかすれて読み取ることはできない。

【記者】
 「これは何と言うふうに発音されましたか?覚えていますか?」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「いやぁ覚えていませんねぇ。はっきり言って僕はちょっと怪しいなと思っていたんですね。だから適当に流していたんです、この時は。」

【ナレーター】
 「竹かごについて書かれている」という本の題名は漢字で5文字。最初の2文字は竹かごが出土したという地名「楽浪」のようだ。最後の文字は「塚」という文字の旧字体である。ページをめくると文章は大部分が日本語で、「日本の書物のようだった」という。

 「楽浪」で始まり「塚」で終わる漢字5文字の題名。私たちは「よく似た本が東京の古書店にある」という情報を得た。

【古書店店主】
 「どうぞご覧ください。」

【ナレーター】
 表表紙に印刷されたマークは、北朝鮮で撮影したあの本と同じだ。本の中にはあの竹かごの写真。これは片野田カメラマンが撮影した本と同じ本のようだ。読み取れなかった題名の2文字は彩りという文字の「彩(さい)」、次は箱という意味の古い字「篋(きょう)」であることがわかった。(「楽浪彩篋塚」)

【古書店店主】
 「遺跡の名前が“彩篋塚”(さいきょうづか)です。」

【ナレーター】
 竹かごの名称は「彩畫漆篋(さいがしっきょう)」、通称「彩篋(さいきょう)」と判明した。出土した古墳は、竹かご“彩篋”(さいきょう)から「彩篋塚(さいきょうづか)」と呼ばれている。(古墳は1931年に発掘)この本はその発掘記録だった。執筆は日本人の調査チーム「朝鮮古跡研究会」。“彩篋”(さいきょう)を掘り出したのは日本人だったのだ。

竹かごは世界的文化財だった

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「この“彩篋”(さいきょう)は、発掘された当時からもう超一級として世界的に知られた遺物なんですね。」

【記者】
 「仮に日本で出土したら?」

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「仮に(日本で)出土するとですね、そうですねぇ、まぁもう国宝クラスだと思うんですね。」

【ナレーター】
 考古学者で“彩篋塚”(さいきょうづか)研究の第一人者・高久健二氏は、「竹かご“彩篋”(さいきょう)の価値は考古学の分野に留まらない」と強調する。

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「あそこまで非常に細かい描写で図像が描かれた手記というのは非常にめずらしいんですね。ですから、当時の色んな説話に基づく図像なんですけど、当時のまぁどういう説話が流行していたのかとか、思想面でも重要ですし、あるいは当時の風俗ですね、服装であるとかそういうものを知る上でも非常に重要な資料なんですね。」

【ナレーター】
 竹かご“彩篋”(さいきょう)に描かれている人物は全部で94体。すべて当時の中国で広く知られていた物語の登場人物だ。例えばこの向かい合う二人は「渠孝子(きょこうし)」という説話である。

竹かご04.jpg

「父親は老いて歯がすべて抜け落ちてしまった。そこで息子の渠(きょ)は毎日食べ物を細かく砕いて、さじで父に与えた。その甲斐あって、父親は100歳を越えるほどの長生きをした。」

 帰国した片野田カメラマンは、一週間後、再び北朝鮮に入った。「できればあの竹かごを再確認したい」そうは思っていたが、この日の先方の対応には驚いたという。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「空港から直行したのが博物館でしたね。」

【記者】
 「連れて行かれたんですか?」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「まぁそうですね。だいたいその、ホテルに最初向って荷物を置いてから動き出すものなんですけども、荷物積んだままそのまま博物館に直行したんです。」

【ナレーター】
 博物館側は竹かご“彩篋”(さいきょう)の売却話を進めたかったのだろうか、片野田カメラマンは入国後すぐに副館長に呼ばれている。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「こんにちは、どうも。希望の価格はどれくらいなんですか?」

【ガイド】
 「70万ドル」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「70万ドル?7000万円ちょっと・・・。」

【ガイド】
 「7000万円」

【ナレーター】
 強気の値段提示。そもそも博物館側が売ろうとしている竹かごが本当にあの“彩篋”(さいきょう)なのだろうか?確認するためには、より丁寧に撮影する必要がある。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「その物(竹かご)はまた撮影することはできます?」

【ガイド】
 「今、担当者がいない・・・」

【副館長】
 「一度写したからもう必要ないだろ?」

【ガイド】
 「あの時写したのじゃ足りない?」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「まぁできたらね、もうちょっと細かく撮った方が。この間は時間がなかったじゃないですか。」

【ナレーター】
 粘り強く交渉した結果、博物館側は竹かご“彩篋”(さいきょう)を出してきた。しかし・・・。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「これ(照明)だとちょっと厳しいなぁ・・・。光がほらここだけ強いんだよね・・・。」

【ナレーター】
 「この部屋の中ならば」と許可されたものの、陽の射さない暗い部屋で撮影ははかどらなかった。懐中電灯の光では竹かご“彩篋”(さいきょう)の色合いが出ないのだ。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
「・・・いやぁ、やっぱちょっと暗いんだよねぇ・・・。」

【ナレーター】
 結局、副館長室に場所を変えて撮影することになった。厳しく取材を制限する北朝鮮ではめったにない対応だ。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「ここの方が(明るくて)全然いいと思います。」

北の竹かごを検証 本物か?

【ナレーター】
 明るい部屋で撮影することに成功した。この映像を検証すれば、この竹かごがあの国宝級の文化財“彩篋”(さいきょう)の本物であるのか、もしくは模造品であるのかがわかるはずだ。

 片野田カメラマンが2回目に撮影した映像を「彩篋塚(さいきょうづか)」研究の第一人者・高久氏に検証してもらった。

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「(発掘記録本「楽浪彩篋塚」の写真と見比べて)この辺ですよね、ちょうど。撮影した当時はキレイに残っていますが、(北朝鮮で撮影した竹かごは)崩れてしまっている・・・。」

【記者】
 「これは傷みが進んだということですか?」

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「そうでしょうねぇ。いつの時点での傷みかというのはちょっとわからないですけれども・・・。」

【ナレーター】
 出土した当時の写真と見比べたが、竹を編んだ部分は傷みが激しく比較の対象にはならない。そこで高久氏は別の部分に着目した。

竹かご03.jpg

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「この傷は当初からある傷ですね、これはもう。この写真に写っているちょうどこの傷ですよね。左から3番目の人物の顔に付いている。ちょうど同じ箇所ですよね。」

【ナレーター】
 人物像を忠実に再現できたとしても、偶然入ったひび割れを正確に再現することはほぼ不可能だという。

【博物館員】(VTR)
 「16(センチ)」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「16(センチ)、外側でいうと18〜19センチくらいだね。」

【ナレーター】
 片野田カメラマンは、竹かごの寸法も測っている。

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「そうですね。ほぼ一致しますよね。」

【ナレーター】
 記録に残っている寸法(18センチ)とほぼ同じだ。高久氏は「かご全体のゆがみ具合も大事なポイント」だと指摘する。

【埼玉大学考古学研究室・高久健二助教授】
 「ここで折れているんですよね。ここでこう内側にグッと。ここの屈曲がここですよね。基本的なこの形のゆがみとかですね、大きな傷の部分とかピッタリ一致するんですね。“彩畫漆篋”(さいがしっきょう)=“彩篋”(さいきょう)に間違いないと思いますね。」

売却の隠れた理由とは

【ナレーター】
 撮影したのは間違いなく竹かご“彩篋”(さいきょう)の実物であることがわかった。では、何故北朝鮮はこれほど貴重な文化財を売ろうとしているのだろうか?

 取材を進める中で意外な事実がわかった。そもそも北朝鮮は周辺の国と歴史認識が異なっているのだ。

「楽浪国はピョンヤン一帯の古朝鮮の遺民たちによって建てられた国である」(北朝鮮・社会科学院「楽浪墓の研究」より)

 “彩篋”(さいきょう)などが出土した古墳群は、朝鮮族の国・楽浪国の遺跡だと言うのだ。

【記者】
 「“郡”という言葉はないんですね?」

【(ネットで調べた)記者】
 「はい、楽浪“国”ですね。」

【ナレーター】
 中国の漢が平壌(ピョンヤン)に楽浪郡を置いたことは考古学の通説になっている。大学入試センター試験の設問に登場するほどだ。

(日本史B)
「紀元前1世紀ごろの倭は100余の小国に分かれ、前漢が朝鮮半島に置いた[楽浪]郡に定期的に使者を派遣したという」(センター試験04年追試)

 実は北朝鮮、韓国と中国は、朝鮮半島北部の歴史認識をめぐって対立している。日本では「平壌にあった中国系の楽浪郡が西暦313年に高句麗という国に滅ぼされる」とだけ教えられている。これに対して中国は「楽浪郡はもちろん、高句麗も中国系の国である」と主張。韓国側が一時猛反発した経緯がある。

 北朝鮮はより民族的な歴史観を展開している。「高句麗は当然朝鮮民族の国であり、平壌にあったのは楽浪郡ではなく朝鮮民族の楽浪国だ」と主張しているのだ。

【山梨学院大学・宮塚利雄教授】
 「そういう朝鮮民族と漢民族の昔からのせめぎ合いがあるわけですね、東アジアの地域をめぐってのですね。そういうものを今回の“彩篋”(さいきょう)の問題は提起しているということですよね。」

【ナレーター】
 「北朝鮮にとって自分たちの歴史観に矛盾する“彩篋”(さいきょう)はなくてもいい存在」、宮塚氏はそう推論する。あの博物館副館長は竹かご“彩篋”(さいきょう)を売り出す理由についてこう話している。

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】(VTR)
 「でも、これは北朝鮮にとっても貴重な物じゃないですか?」

【副館長】
 「中国の漢の物なので、我々には意味はない。」

【ガイド】
 「朝鮮の物ではなく中国の物だから、これを保存していく意味がないと・・・。」

【報道写真家・片野田斉(かたのだ ひとし)氏】
 「はぁ・・・。」

竹かごを守った 日本人の涙

【ナレーター】
 「中国の物だから意味はない」―。しかし76年前に竹かご“彩篋”(さいきょう)を発見した日本人にとっては大きな意味を持っていた。“彩篋塚”(さいきょうづか)を発掘した小泉顕夫(こいずみ あきお)氏である。(1897〜1993)

【記者】
 「どうも初めまして」

【ナレーター】
 京都大学名誉教授の有光教一(ありみつ きょういち)氏、99歳。「朝鮮古跡研究会」の元メンバーで、生前の小泉氏を詳しく知る一人だ。

【高麗美術館研究所・有光教一所長】
 「“彩篋塚”(さいきょうづか)の構造に非常に特色があるんですが、それを小泉館長が博物館の構内に(“彩篋塚”と)まったく同じように作るんですよ。」

【ナレーター】
 小泉氏の自叙伝には“彩篋塚”(さいきょうづか)から木組を取り出し、博物館で忠実に再現した様子が書かれている。

【記者】
 「“彩篋”(さいきょう)に間違いないですか?」(写真を見せる)

【高麗美術館研究所・有光教一所長】
 「間違いないですよ、これは。この写真で見ると。こういう物はイミテーションはできませんよ、なかなか。これは天下絶品ですわ。」

【ナレーター】
 有光氏は「朝鮮半島で古墳の発掘をする研究者には守るべき大原則があった」と話す。

【高麗美術館研究所・有光教一所長】
 「現地に残して置くと、出土品は。そういう建て前だったんですよ。」

【ナレーター】
 しかし戦争と終戦後の混乱の中で、文化財を現地に残すことは困難を極めた。小泉氏は竹かご“彩篋”(さいきょう)を守るため、ある隠密行動を決心する―。

 竹かご“彩篋”(さいきょう)が危ない。小泉氏は当時の様子をこう記している。

「日に日に増すソ連兵とその暴行略奪は、日本人だけでなく朝鮮人にまで及ぶ有様だった。こうして深夜の地下作業が始まった。“彩篋塚”(さいきょうづか)の重要遺品などは、地下室の奥に箱入りのまま積み上げて、その前にレンガ壁を作って密閉。地下室の壁と同色の塗装をして、例え進入されても奥に別室があることがわからないように作り上げた。」(小泉顕夫著「朝鮮古代遺跡の遍歴」より)

【ナレーター】
 日本に戻った小泉氏から考古学の教えを受けた近江昌司氏はこんな話を聞いている。小泉氏が朝鮮半島を脱出する際、持ち帰ろうとした資料のフィルムの話だ。

【天理大学・近江昌司名誉教授】
 「捕まって荷物の検査をされて、もし写真のフィルムなどが入ってたということになると、どんな目に遭うかもわからない。まぁそれでもどうしても持って帰りたい、というので持って帰られたんです。」

【ナレーター】
 この時のことも自叙伝に詳しい。

「ソ連兵の目をかすめての逃避行であった。ある場所で、家内や子どもたちがあんまり心配するので、最後に残った“彩篋塚”(さいきょうづか)の発掘調査などを収録した小型映画2巻も川に投げ込んでしまった。この時は思わず涙が落ちた。これで30年に渡る朝鮮での研究の記録がすっかり消え失せてしまったのである。」(小泉顕夫著「朝鮮古代遺跡の遍歴」より)

 家族と共に無事故郷の奈良県に辿り着いた小泉氏。資料はすべて失ったが、自叙伝のあとがきにこう綴っている。

「私は最後の日まで、朝鮮の文化財を守り続けたつもりでいる。」

 守り抜いた竹かご“彩篋”(さいきょう)が今、売りに出されている。もしこのことを小泉氏が聞いたら何と言うだろうか・・・。

【天理大学・近江昌司名誉教授】
 「奈良県の人ですから『なんちゅうことをするねん!』っておっしゃるんじゃないかなぁ・・・。」

【高麗美術館研究所・有光教一所長】
 「小泉さん、少し早く亡くなり過ぎたと私は思っていたけど、こんな話を聞くぐらいなら良かったかもしれんねぇ。こんな事知らずに亡くなったから・・・。」

秘宝『彩篋(さいきょう)』守った日本人

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「歴史的な竹かごは、もとは日本人が見つけた物だったんですねぇ。竹かごが見つかりました“彩篋塚”(さいきょうづか)というのは、今の平壌市内の南部にありまして、かなり位の高い人のお墓だって言うんです。時期は紀元2世紀、日本で言えば弥生時代なんですが、あの時代にもうあれだけ精巧な物ができていたんですね。

 で、発掘は1931年、当時の朝鮮総督府がこのように立派な図録を残しているですね。中にはこうした物や発掘した時の様子、その写真なども残っているんですね。

 ちなみに『発掘した墳墓と出土品というのは、同じ場所にあるべき』というのが考古学者の間では常識と言いますか、最低限のマナーなんだそうですが、当時、小泉さんたちも出土したのと同じ場所に大事に保存をしてきたということです。まぁそれが76年経って今、北朝鮮は軽い気持ちでたまたま訪れた民間人にそれを売ろうとしているというのは、何ともやるせない気持ちにさせられます。

 朝鮮半島の歴史を物語る大事なこの文化財、ぜひ北朝鮮自らの力で守り続けてほしいものだと思います。」

終わり

(撮影 片野田斉さん)
posted by あおいのママ at 17:23| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | 報道番組テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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