2007年03月12日

3/11 TBS「報道特集」生き別れた兄妹 北朝鮮元スター選手の消息は?

*3/11TBS放送の「報道特集」を文字化しました。約50分の放送です。

「韓弼花(ハン・ピルファ)、今第2カーブにかかります」。妹の存在を知ったのは札幌オリンピック。「母に瓜二つの女性が・・・」兄は再会のため日本へ。そして直面した国家の壁。孤立する北朝鮮。妹は無事生きているのか。「見たことありますか?」「分かりません」。北朝鮮の元スター選手、その消息を追った―。

札幌五輪が転機 南北離散兄妹の半生

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「こんばんは、報道特集です。まず、ちょっとこの曲をお聴きください。(スタジオに「虹と雪のバラード」が流れる)お聴き覚えがありますでしょうか。アジアで初めて開かれました冬季オリンピック、札幌オリンピックのテーマソングです。懐かしいですねぇ。今日ご覧いただきますのは、この札幌オリンピックを舞台に再会を果たそうとしたある兄妹の物語です。兄は韓国に住み、そして妹は北朝鮮のスター選手でした。」

北朝鮮のスター選手は・・・

【ナレーター】
 今月、北朝鮮から1枚のディスクが届いた。ディスクには、かつて北朝鮮の人々を熱狂させた1人の女性の半生が描かれている。

 弾丸のように氷を滑っていく女性スケーター。北朝鮮を代表するスピードスケートの選手・韓弼花(ハン・ピルファ)さんだ。彼女には朝鮮戦争で生き別れになった兄がいた。引き裂かれた兄と妹。二人の存在は1970年代のある出来事をきっかけに、日本でも知れ渡ることとなった。

 1972年、アジアで初めての冬季オリンピックが札幌で開催された。世界各地から選りすぐられた一流のアスリートたち。その中にスピードスケートの北朝鮮代表・韓弼花(ハン・ピルファ)さんの姿もあった。「韓弼花(ハン・ピルファ)今、第2カーブにかかります。第2カーブを入って、今カーブの頂点を通過しております。」(実況VTR)

 彼女は1964年のインスブルックオリンピック(オーストリア)で、アジア人女性として冬季五輪史上初のメダル(銀)を獲得。北朝鮮の金日成主席は彼女をこう賞賛したという。「銀盤の彗星」―。

北朝鮮のスター選手は・・・妹

【ナレーター】
 朝鮮半島が南北に分断されて半世紀以上が経つ。北朝鮮を見渡せる展望台を度々訪れる男性がいる。(統一展望台 韓国・ハジュ)韓弼聖(ハン・ピルソン)さん、74歳。北朝鮮のスケート選手・韓弼花(ハン・ピルファ)さんの兄だ。弼聖(ピルソン)さんは、この展望台から自分が産まれ育った北朝鮮を眺めている。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「故郷まで近いはずなのに・・・、長い間道は閉ざされ、家族の消息も途絶えている。何故、何故、こんなことになってしまったんだろう・・・」

【ナレーター】
 向こう岸の国に残った妹。弼花(ピルファ)は元気で過ごしているのだろうか・・・。弼聖(ピルソン)さんは、姉2人と弟、そして妹2人の6人兄妹の長男として生まれた。一番末っ子の弼花(ピルファ)さんとは8歳離れている。両親は今の北朝鮮の港町・南浦(ナンポ)で飲食店を営んでいた。幸せだった家族があの時、引き裂かれた。

 1950年、朝鮮戦争はアメリカと旧ソ連の勢力争いを背景に勃発する。北朝鮮の奇襲攻撃の後、韓国軍はアメリカの介入を受けて攻勢に転じる。爆撃機の音が迫った1950年12月5日、母は息子にこう告げた。「お前は生き延びなさい。船で南へ逃げるのよ。」港には避難民を乗せるアメリカ軍の船が停泊していた。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「『泣いてはいけない、何日かしたら帰って来ればいいから心配しないで』、そう言った母の姿が心に残っています。」

【ナレーター】
 弼聖(ピルソン)さんは夜明け前に家を出発した。港は南へ避難する人たちでごった返していた。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「南浦(ナンポ)港でアメリカ軍の船に乗って、1日がかりで仁川(インチョン)に到着しました。そこから今度は日本の連絡船に乗り換え、3日かかって釜山(プサン)まで辿り着いたんです。」

【ナレーター】
 弼聖(ピルソン)さんが避難した時、8歳だった妹の弼花(ピルファ)さんは寝息をたてて眠っていた。あれから21年、その妹が北朝鮮の代表選手として日本に来ていると知った。北朝鮮のスター選手が生き別れになってきた自分の妹だと知った時の驚きを、今でもはっきり覚えている。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「『韓弼花(ハン・ピルファ)という北朝鮮の選手が札幌のプレオリンピックに参加する、という記事が新聞に出ていたぞ。お前の妹じゃないか?』そう友人に言われたんです。母親に瓜二つの女性の写真が目に飛び込んできました。妹の弼花(ピルファ)でした。ああ、とてもうれしかったです・・・」

【ナレーター】
 1971年(2月)、38歳の弼聖(ピルソン)さんは、札幌での競技を終えた妹が東京に立ち寄ると知り、日本に向った。しかし、兄妹の再会劇の裏側で、北と南、両政府の駆け引きが繰り広げられる。韓国政府は弼聖(ピルソン)さんに、許可が出るまで妹に会わないよう指示した。家族への思いを募らせる弼聖(ピルソン)さんに、北朝鮮が亡命を持ちかけることを警戒していたのだ。

 一方、北朝鮮系の朝鮮総連は、都内のホテルに日本人記者を呼び込み、弼花(ピルファ)さんの会見を行った。「兄がホテルに来てくれるならいつでも会う」そう告げて弼花(ピルファ)さんは会見の席を立った。

 妹のホテルから1キロのところにある別のホテルで兄は再会の時を待ち続けた。弼聖(ピルソン)さんと世界的なスケート選手である弼花(ピルファ)さんの再会劇を北と南どちらが演出するか、互いに自分の国のイメージアップにつなげたい両国は、激しい主導権争いを繰り広げた。2つの国は最後まで意地を張り合い、兄妹が再会する絶好の機会をつぶしてしまった。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(会見VTR)
 「次の機会にはもっとしっかり準備をしたいと思います・・・」

【ナレーター】
 兄と妹の願いは届かなかった。(映像 帰国する弼花さんが飛行機のタラップの上から国旗を振りながら涙する)弼聖(ピルソン)さんは、当時をこう振り返る。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「初めて涙が出ました。会うことはできたのにだめだったんです。言葉で言い尽くせないほどショックでした。涙があふれて止まりませんでした。」

【ナレーター】
 札幌オリンピックで弼花(ピルファ)さんはスピードスケート3000メートルで9位。この大会が現役の選手として最後のオリンピックとなった。

 弼聖(ピルソン)さん兄妹の一件がきっかけとなって離散家族の問題が進展を見せた。1971年、韓国の赤十字社の呼びかけで北朝鮮との間で離散家族の再会に向け協議が始まる。(南北赤十字予備会談 71年 板門店)南と北、合わせて1000万組に上ると言われる離散家族。弼聖(ピルソン)さんはその象徴的な存在だった。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(会見VTR ソウル 71年8月)
 「とにかく家族が会えないのは胸が痛いです・・・」

【ナレーター】
 1985年、ついに韓国と北朝鮮は離散家族の相互訪問の実現にこぎつけた。だが、この歴史的な流れを作った弼聖(ピルソン)さんと弼花(ピルファ)さんの再会はなかなか実現しなかった。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「その後、妹と会える機会は一切ありませんでした。私たちが再会を果たせなかった後で、南北の交流がたくさん始まりました。何とかなってほしいという気持ちでいつもニュースを見ていました。」

【ナレーター】
 届かぬ思い。そこへ思いがけない動きが二人の追い風になろうとしていた。1989年、ベルリンの壁が崩壊。この時期、東ヨーロッパ諸国に民主化のドミノ現象が広がった。東西冷戦時代の終結。世界に雪解けムードが広がる。韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領も北朝鮮に南北首脳会談を呼びかけ、対話を促した。韓国と北朝鮮の接近。それは兄と妹にとって再会のチャンスでもある。

 1990年、弼聖(ピルソン)さんは「妹が日本で開かれる冬季アジア大会に参加する」という情報を得た。場所は札幌。この街で開かれたオリンピックの時、二人が再会を果たせなかった因縁の街だった。妹の弼花(ピルファ)さんは、北朝鮮選手団の副団長として一足先に札幌に到着していた。兄・弼聖(ピルソン)さんは札幌に向った。一方、妹の弼花(ピルファ)さんも兄がやって来ることを知り、新千歳空港に駆けつけた。

 妻と共に日本にやって来た兄・弼聖(ピルソン)さん。妹は到着ゲートまで来ていた。今度こそ本当に会えるのだろうか。互いの姿を確認するまで二人の緊張は解けなかった。

【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(40年ぶりの再会の映像)
 「お兄さん、どんなに待っていたことか。お父さんがお兄さんをどんなに待っていたか・・・」(泣きながら抱き合う)

【ナレーター】
 40年ぶりの再会。妹・弼花(ピルファ)さんは「死んだ父が最期まで兄を心配していた」ことを涙ながらに話した。16歳と8歳で引き裂かれた兄と妹は、56歳と48歳になっていた。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(90年 会見VTR)
 「40年ぶりの再会の喜びは一言で言い表せません。」

【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(90年 会見VTR)
 「前は会おうとして会えなかったけど、この日を待ち望んでいました。」

【ナレーター】
 「北朝鮮が兄妹を札幌で再会させたのは“人道的な国である”と世界にアピールするため」、当時そんな冷ややかな見方があったのも事実だ。札幌で再会した兄と妹。与えられた時間はアジア大会が開かれている1週間だけ。妹は北朝鮮の家族の様子を兄に伝えた。母親の雀元和(チェン・ウォンファ)さんが平壌市内で元気に暮らしている。母は85歳になっていた。妹に促されて弼聖(ピルソン)さんは札幌から平壌の母に国際電話をかけた。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「耳は遠くなっていましたが、『ちゃんと暮らせているの?元気で暮らしなさい』という母の声を聞きました。死ぬ前に母の声を聞けるなんて思いもよりませんでしたよ。」(涙しながらうれしそうに話す)

【ナレーター】
 兄と妹の1週間が終わった。「また会おう」寂しさを紛らわすように何度も誓った。先に帰国する兄を妹は空港で見送った。

【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(90年 会見VTR)
 「40年ぶりの再会は大きな衝撃でした。」

【ナレーター】
 40年ぶりに再会を果たした兄と妹。しかしこれが二人にとって新たな苦しみの始まりだった―。

 韓弼花(ハン・ピルファ)さんの人生は揺れ動いてきた北朝鮮の歴史と重なっている。弼花(ピルファ)さんがスケート選手として活躍した1960年代から1970年代初め、この時期の北朝鮮は旧ソ連の支援を受け、一定の経済力を維持していた。アジア人女性として初めて冬季オリンピックのメダルを獲得した弼花(ピルファ)さん。彼女はこの時期の北朝鮮のシンボルだった。

 故金日成主席は彼女の功績を称えて平壌に室内スケート場を作った。札幌オリンピックの後に彼女が平壌に帰って来ると、出迎えの人たちが50キロにも渡って行列を作っていたという。

 しかし、弼花(ピルファ)さんが兄と再会した1990年を境に、北朝鮮の経済は疲弊していく。1990年代半ばに発生した水害による食糧難。また、テポドン・ミサイルの発射や核開発を強行したことで、北朝鮮は国際的に孤立を深めていった。

 現役引退後も選手団の幹部として国際大会では入場行進に加わっていた弼花(ピルファ)さん。そんな妹を兄の弼聖(ピルソン)さんはテレビで捜してきた。しかし1990年以降、妹に関する情報はつかめなくなった。

 弼聖(ピルソン)さんの妻・洪愛子(ハン・エジャ)さんも北朝鮮の出身。二人共戦火を逃れて韓国に辿り着いた。(今年1月 韓弼聖さんの自宅の映像)

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(食卓での映像)
 「いつもこんな感じです。騒がしいでしょう?家族が多いんで・・・」

【取材者】
 「一番やんちゃなのは誰ですか?」

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(食卓での映像)
 「そりゃあ、この子です。ホント、よく食べるんですよ。」(一番小さな男の子)

【ナレーター】
 これまでの弼聖(ピルソン)さんの半生は苦労の連続だった。朝鮮戦争で家族と離れ離れになった弼聖(ピルソン)さんは、韓国で一人で生きていくために必死で働いた。テレビやラジオの修理、そして牛の世話。20年前に北朝鮮との国境の街・坡州(パジュ)に移り住んだ。牧場を開き乳牛を飼い始めた。お腹が空くと、落ちている栗を拾って食べるほど当時の生活は貧しかった。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「借金して牧場を始めたんです。だから朝は3時半に起きていました。あまりにも疲れ果て夜は倒れるように寝ました。」

【ナレーター】
 娘2人と息子2人、そして10人の孫に恵まれた。生活にゆとりができたのは70歳を越えてからのことだ。

【韓弼聖さんの二男・韓泰石(ハン・テソク)さん】
 「父はいつも北朝鮮の情勢を見つめています。実は私もあせっています。両親は歳をとってきているし、観光でも何でもいいから北朝鮮に連れて行ってあげたいんです。」

妹は北のスター選手 消息は?

【ナレーター】
 弼聖(ピルソン)さんと弼花(ピルファ)さんの思いをきっかけに始まった“離散家族の再会事業”。去年の夏、北朝鮮のミサイル発射の後、凍結されている。一般の人たちが北朝鮮へ連絡をとる手段はない。北朝鮮にある弼花(ピルファ)さんの所属団体に韓国から電話をかけてみると・・・「この番号はない国番号なので、もう一度おかけ直してください」(電話案内の声)

 今から4年前、人づてに母親の雀元和(チェン・ウォンファ)さんが亡くなったことを聞いた。だが、それを確認する手立てもない。

 「お正月にまんじゅうを食べましたか?」「ああ、食べました」「食べました?」「はい」弼聖(ピルソン)さんは3年前から近くの公民館で日本語とパソコンを習っている。

【取材者】
 (パソコンの前の弼聖さんに)「北朝鮮の話だとか、妹さんの情報は出てきますか?」

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「ああ、だめです。カットされています。」

【ナレーター】
 死ぬまでにもう一度妹に会いたい。しかし、消息を知る術すらない・・・。弼花(ピルファ)さんは北朝鮮で今どうしているのだろうか?手がかりを求めて脱北者を訪ねた。北朝鮮の元アイスホッケー代表選手・皇甫永(ファン・ボヨン)さんはこう話す。

【北朝鮮アイスホッケー元代表選手・皇甫永(ファン・ボヨン)さん】
 「96年に彼女を見かけたのが最後です。(北朝鮮で開かれた)白頭山(ペクトゥサン)賞競技大会とか、万景台(マンギョンデ)賞競技大会の時によく姿を見せました。金日成や金正日の言葉を引用した形で、『精神力を発揮していいゲームをするように』そんな話をしていました。」

【ナレーター】
 皇(ファン)さんは99年に脱北したが、その時まで弼花(ピルファ)さんの消息に接することはできなかったという。ところが弼花(ピルファ)さんの消息が意外なところからわかった。私たちは北朝鮮の映像を探している中で、弼花(ピルファ)さんが偶然映っている映像を見つけた。これは6年前の2001年(8月)、日本のNGOの若者が平壌を訪れた時に撮影されたものだ。

【日本のNGOの人】(01年 平壌 VTR)
 「普段はどんな料理を食べているの?」

【北朝鮮の女の子】(01年 平壌 VTR)
 「他の国の人と同じ食べ物を食べていますよ。」(日本語で話す)

【ナレーター】
 平壌の一般市民と交流を深めるために企画されたツアーだった。若者たちが案内されたのは、平壌の中心部にある高層マンション。一組の老夫婦が笑顔で迎えた。この女性、韓弼花(ハン・ピルファ)さんだった。弼花(ピルファ)さんは若者たちを居間に招き入れて歓迎した。「この家はオリンピックでメダルを取った褒美に、故金日成主席からもらったものだ」弼花(ピルファ)さんはそう説明したという。映像を弼聖(ピルソン)さんに見てもらった。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「あ、あっ、弼花(ピルファ)だ!何となくこれは見せるために作ったという気がします。再会した時よりもやつれているし歳もとりました。北朝鮮の事情が厳しいことを考えると、余裕のある生活ではないと感じます。胸が痛みます。」

【ナレーター】
 「弼花(ピルファ)さんの家に行った」という脱北者を訪ねた。尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏。サッカー北朝鮮代表チームの監督を務めた人だ。

【元サッカー北朝鮮代表監督・尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏】
 「有名なスポーツ関係者に国が与える家です」

【ナレーター】
 「弼花(ピルファ)さんは北朝鮮のスポーツ界で最も尊敬されている選手だった」と尹(ユン)氏は語る。

【元サッカー北朝鮮代表監督・尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏】
 「彼女は氷点下40度になるところで訓練していたんです。服を着込んで着込んで、それから帽子をかぶって、頬は凍傷で真っ黒でした。本当にかわいそうなくらい頑張っていました。」

【ナレーター】
 親交のあった尹(ユン)氏は「弼花(ピルファ)さんの近況はわからない」という。「国際的なスポーツ大会で見かけなくなった」、脱北したスポーツ関係者はそう口を揃える。

 表舞台から遠ざかっていた弼花(ピルファ)さんだが、1年ほど前、スケートの国際大会に姿を見せていたことがわかった。場所は台湾。一昨年の秋に開かれたフィギュアスケートの大会だった。(2005年)ベージュのスーツに身を包み微笑む小柄な女性、64歳になった弼花(ピルファ)さんだ。大会の役員として参加していた。弼花(ピルファ)さんは今もアジアスケート連盟の副会長に名を連ねていた。大きな大会があれば姿を見せる可能性がある。

 私たちは今年1月に中国の長春(チョウシュン)で行われる冬季アジア大会に、北朝鮮が大選手団を送るという情報を得た。弼花(ピルファ)さんの消息を求めて長春(チョウシュン)を訪ねた。北朝鮮は選手・役員合わせて100人近い大選手団を送っていた。

 かつての満州国の首都・長春(チョウシュン)。北朝鮮との国境が近く、関係も深い。市内には北朝鮮と中国が合弁で作ったレストランがある。(「北国の春」を日本語で歌う北朝鮮女性)接客係は北朝鮮から派遣された女性たち。彼女たちに弼花(ピルファ)さんの写真を見せてみた。

【取材者】
 「誰だかわかりますか?」

【北朝鮮女性接客係】
 「見た気もするけどわかりません。」

【ナレーター】
 北朝鮮の選手たちに聞けばわかるかもしれない。市内で選手の姿を捜した。

【取材者】
 「あっ、いた!いたいた、あそこ・・・」

【ナレーター】
 北朝鮮の国名が入ったコートを着た集団。後をついて行ってみると、そこは氷まつりの会場だった。

【取材者】
 「さっきの人たち北朝鮮の人ですよね?」

【露天の店主】
 「そうだ。『買いたいけどお金がない』って言っていた。それなのに写真を持って行こうとするから『ダメだ!ダメだ!』って言ったんだ。」

【ナレーター】
 選手たちに弼花(ピルファ)さんのことを聞こうと近づくと、カメラに気づいたのか立ち去ってしまった。

 アジア大会開会式。(中国長春 07年1月)韓国と北朝鮮が一緒に入場する統一行進は2000年のシドニー・オリンピックから回を重ね、今回で9回を数えた。客席の北朝鮮の役員や選手たち。弼花(ピルファ)さんの姿を捜したが、見つけることはできなかった。弼花(ピルファ)さんは今年で66歳になる。「病気を抱えている」という情報もある。果たして無事なのであろうか。

 北朝鮮の関係者に確認を試みることにした。北朝鮮選手団が宿泊しているホテルを訪ねた。ロビーに現れた男性、北朝鮮のコートを着ている。弼花(ピルファ)さんの写真を見てもらった。

【取材者】
 「この人、誰だかわかりますか?」

【北朝鮮の男性】
 「知っています。韓弼花(ハン・ピルファ)先生です。」

【取材者】
 「今、何をしているんですか?」

【北朝鮮の男性】
 「顧問です。顧問。冬の種目に関する全般的なことを助言する立場です。」

【ナレーター】
 この男性、チームの付き添いで来たスタッフだという。

【北朝鮮の男性】
 「この大会に来る予定になっていたんですが、家庭でお祝い事があって忙しくなり来られませんでした。」

【ナレーター】
 男性は「弼花(ピルファ)さんは今もしばしばスケートの練習に顔を出し、選手の指導についてコーチに助言している」と語った。冬季アジア大会には来ていないが、今も弼花(ピルファ)さんは元気でいることがわかった。

 かつて“銀盤の彗星”と呼ばれ、女性ではアジアに始めてのメダルをもたらした韓弼花(ハン・ピルファ)。その後、彼女ほどの選手は北朝鮮に現れていない。

 私たちは「弼花(ピルファ)さんの近況を知りたい」と北朝鮮のスポーツ関係者に申し入れた。すると今月、私たちのもとに北朝鮮から1枚のディスクが届いた。

北朝鮮から 1枚のディスク

【ナレーター】
 このディスクを持って再び私たちは韓国の弼聖(ピルソン)さんの家に向った。(韓国・坡州 07年3月)途中、道端に人影を見かけた。弼聖(ピルソン)さんだ。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「家はもう少し先だよ。行きましょう。」

【ナレーター】
 「待ちきれずに迎えに来たのだ」という。弼聖(ピルソン)さん一家は、最近近くのマンションに引越したばかり。「苦労を重ねた両親に親孝行をしよう」という子どもたちの計らいだという。

【取材者】
 「こういうディスクが送られて来ました」

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「(ディスクを見て)あっ、これ、弼花(ピルファ)だ!弼花(ピルファ)ですよ!!弼花(ピルファ)です。」(ディスクを再生する)「ああ、出てきた、出てきた・・・」

【ディスクのナレーション】
 「絶対に優勝するのだという野心満々の決意、それが3000メートル競技で彼女をオリンピックの銀メダル受賞者にしたのです」

【ナレーター】
 オリンピックでメダルを取る。スケート選手として最も輝いていた頃の弼花(ピルファ)さん。現役を引退した後、後輩を指導する様子。そして映像には生前の母・雀元和(チェン・ウォンファ)さんの姿も映っている。弼聖(ピルソン)さんがさらに驚いたのは、この後の映像だった―。

 弼聖(ピルソン)さんが目を見張ったのは、受話器を持って話す母・元和(ウォンファ)さんの姿だった。母が話している相手は日本を訪ねた時の自分なのだ。17年前の1990年、弼聖(ピルソン)さんが札幌から国際電話をかけた時に話した母の姿だった。

 弼花(ピルファ)さんの娘は結婚し、孫が二人いた。66歳の妹の姿を74歳の兄は見つめた。ディスクは最近収録されたと思われる弼花(ピルファ)さんの言葉で締めくくられている。

【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(ディスクより)
 「冬季オリンピックと言えば、札幌のオリンピックを忘れることはできません。それは札幌の(プレ)オリンピックで2つのメダルを取ったことがうれしかったからです。2回目に札幌に行った時、私はこの時のことも忘れられません。それは40年ぶりに生死がわからなかった兄と再会できたからです。」(見終わって拍手をする弼聖さん)

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「こうして暮らしているのを見て安心しました。あの程度の暮らしなら大丈夫でしょう。暮らしが厳しいと聞いていたけど、これを見ると心配しなくていいです。とても安心しました。」

【ナレーター】
 朝鮮戦争が引き裂いた家族。北と南の政治的な駆け引きで翻弄される兄と妹。

【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】
 「むしろ、あの時会わずに知らないままでいたら、一度会ってしまったがゆえに想像を絶するほど苦しみました。故郷や母、それに家族のことがいつも頭を離れませんでした。」

【ナレーター】
 「死ぬまでにもう一度だけ妹に会いたい・・・」兄の願いはいつ世界に届くのだろう―。

進まぬ“再会” 長い順番待ち

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「かつて札幌を舞台にあのような兄妹のドラマがあり、そしてあの二人がきっかけとなって離散家族の再会事業が始まったということ、実は私知らなかったんですが、野村さん、弼聖(ピルソン)さんは今も会いたいのに、まだなかなか会えないままなのは何故なんでしょうね?」

【ディレクター・野村麻理子さん】
 「はい。大きな理由の一つに、離散家族の高齢化という問題があると思います。韓国の統一部によると、面会を希望して登録している人は12万人いるのですが、この内80代・90代の人も多くて、70代の弼聖(ピルソン)さんはまだ若い方なんですね。で、これまでに高齢者や親子を中心に優先的に再会事業が行われてきたんですが、会えたのは1万人たらず。まだ70代の弼聖(ピルソン)さんが再び再会できるチャンスというのは、極めて、可能性が極めて低いと言えます。」

【司会者・田丸美寿々さん】
 「うーん、じゃあ妹さんがスター選手で、政治的な思惑もそこにあって、一度だけでも会えたというのはまだ恵まれているということなんですね。」

【ディレクター・野村麻理子さん】
 「そうですね。離散家族の中には、再会を待っている間に亡くなる人も多いんですね。そうしますと『一度でも弼聖(ピルソン)さんは妹に会えたので、まだ幸せな方じゃないか』と周りから見られているようです。実際に韓国で取材して『離散家族問題の解決のためにこれ以上北朝鮮との関係悪化は避けたい』という空気を感じました。」

【司会者・田丸美寿々さん】
 「なるほど。あの、ミサイル発射で凍結されていた再会事業はこの5月からですか、また再開されるということですね。はい、野村麻理子さんでした。」

(ディレクター 野村麻理子さん 赤城一郎さん)

終わり

*こちらに離散家族の画像対面の様子が載っています。
 ↓ ↓ ↓
*'05 10/30 TBS「報道特集」北朝鮮への通信
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9000643.html

*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
posted by あおいのママ at 13:28| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | 報道番組テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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