*写真は'06 12/10「映像とシンポで語る北朝鮮」(彩の国 さいたま芸術劇場)の第2セッションでお話をされた韓国の人道活動家・文国韓(ムン・クッカン)さんです。崔永勲(チェ・ヨンフン)さんから「力を貸してくださった日本の皆さんへ」と絵をたくさん描いて預けられたそうです。メディアの方と北朝鮮難民救援基金の加藤博さんに贈られました。(あおいのママ撮影)
*3/4TBS放送の「報道特集」を文字化しました。今回の番組の内容について、2/12の講演会で「北朝鮮難民救援基金」の野口孝行さんが詳しくお話してくださっています。その要旨レポートがございますので、よろしかったらご覧ください。「北朝鮮難民救援基金」はこの番組の映像協力をされています。
「娘が日本に行くというので、私もついていきます」中国の港から船で韓国・日本へ。北朝鮮を捨てた人たちが抱く亡命の夢―。「ここを撮影してください。アザがあります・・・」脱北者支援者を待ちうける過酷な運命。脱北者80人による空前の大量亡命計画、その行方は―。
空前の規模 脱北者亡命計画
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
「北朝鮮をめぐる六ヵ国協議での合意を受けまして、週明けから米朝、そして日朝の協議が行われます。そこでは「北朝鮮への支援」ということがキーワードになりそうなんですが、肝心の拉致問題、あるいは北から逃れる人々・脱北者問題については、国際的関心から置き去りにされてしまうんでしょうか?
今日の特集は「大量の脱北者を日本に亡命させる」という脱出計画についてお伝えします。前代未聞の大型脱出計画、関係者の初めての証言などを交えて取材しました。」
史上最大!脱北者亡命計画
【ナレーター】
中朝国境を流れる豆満江(トマンガン)。今年は暖冬ですが、それでも凍結しています。向こう岸に広がる北朝鮮の風景。雪と氷に覆われた川面には、人の足跡が向こう岸まで続いていました。その近くにあるアパートの一室。そこは脱北者が潜伏するシェルターでした。
この女性は1月下旬、撮影の5日前に脱北して来たばかりです。
【1月下旬に脱北した女性】
「食糧の値段が急に値上がりしました。突然生活が苦しくなりました。去年の11月からです。こちらに来て、お金を稼いで戻る予定で脱北してきました。」
【ナレーター】
生活の苦しさから国境を越える北朝鮮の人々。その流れは止まっていません。
【脱北者支援をしている元北朝鮮工作員】
「北朝鮮からの電話によると『配給がない』ということでした。2007年に入ってからは(食糧難だった)96年・97年の状態と同じになっていると・・・。」
【ナレーター】
「配給はなく食糧事情も悪化した」と話すこの女性、北朝鮮の工作員でしたが脱北し、今は脱北者を助ける活動をしています。
【脱北者支援をしている元北朝鮮工作員】
「『脱北した女性を助けてほしい』と電話がありました。でも、今の状況ではどうしようもないです。」
【ナレーター】
中国国内に数十万人いるとされる脱北者。中国当局の摘発が厳しさを増す一方、多くの脱北者は少人数で東南アジアに逃れ、その後韓国へ亡命しています。しかし、4年前の2003年、それとはまったく異なるかたちで練り上げられた史上最大規模の亡命計画があったのです。
(2003年1月撮影)
「早く明日にでも韓国に行きたいです。それしかありません。」
「とにかく祖国を裏切って出て来たから、政治犯として扱われてそれで終わりだと思います。」
カメラに向って訴える脱北者。2003年の1月にNGO関係者が撮影した映像です。シェルターに集まった脱北者たち。目前に迫った大規模亡命計画には暗号名がありました。その名は“リボン”。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】(2003年1月撮影)
「書き方ですが、この名前の欄に・・・」
【ナレーター】
“難民申請書”の書き方を説明しているのはチェ・ヨンフンさん。韓国人の支援者です。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】(2003年1月撮影)
「船は小さいので、大きな船が通り過ぎると揺れます。また、エンジンが壊れる場合もあります。慌てるでしょうが、その時船長の言うことを聞かないと沈没します。」
【ナレーター】
脱北者に注意を与えるチェさん。彼は中国山東省にある煙台の港から脱北者たちを船で韓国や日本に運ぼうとしていたのです。中国東北部の各地から別々に集まった脱北者。煙台に複数あるシェルターには、この日までに50人以上が終結していました。空前の大規模亡命計画“リボン”の全貌とは―。
煙台の港に用意された2隻の木造漁船。沖には38トンの大きな船が待機しています。およそ80人の脱北者のうち、日本へ向う40人はこの大きな船に乗り換えます。3隻の船はしばらく一緒に航行した後、分かれます。2隻の漁船は韓国・楸子島(チュジャトウ)を目指し、大きな船は長崎・佐世保沖に向います。
“リボン”計画決行の4日前、脱北者たちは支援者のカメラに向って自らの思いを吐露しました。
【支援者】
「おばあちゃん、名前と歳を教えてください」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】
「名前はキム・ウングム、歳は73。」
【ナレーター】
耳が遠いこのお年寄りはキム・ウングムさん。
【支援者】
「北朝鮮で一番つらかったのは何ですか?」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】
「一番大変だったこと?何て言うか、全部大変だったよ。食べ物も自給自足だし、台所の火も自分でおこしていた。木を集めなくてはならないことが大変だったよ。でも、食べていくことが一番大変だったね・・・。」
【ナレーター】
キム・ウングムさんは亡命計画にこんな夢を託していました。
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】
「子どもたちがそこにいるから。そろそろお迎えも近いから会わなくちゃね。」
【支援者】
「子どもたちはどこにいるんですか?」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】
「子ども・・・、うちの長男が韓国にいるよ。長女も韓国にいるしねぇ・・・」
【ナレーター】
ウングムさんは脱北した子どもたちとの再会を夢みていました。そして―。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】
「96年から98年までは飢え死にした人も多かったです。たくさん見ました。」
【ナレーター】
こう話すのは、リ・オッキさんと娘のパク・ヒャンスクさん。1998年に脱北してこの街、煙台に逃れて来ました。ヒャンスクさんが15歳の時でした。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】
「祖国(北朝鮮)の人から『捕まれば高い罰金を払わされる』と言われ、一か所に集まりました。娘はその人の家に預けました。」
【ナレーター】
「安全のために娘を他人の家に預けた」と言う母・オッキさん。しかし、娘のヒャンスクさんは・・・。
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】
「私は中国の南の方に売られてそこにいました。」
【支援者】
「じゃあ、他のところに売られたわけですね?」
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】
「お母さんと離れてすぐに南の方へ・・・。そこに行ってからはつらいことばかりでした。そこの人たちにバカにされたり、若いからこき使われたり、苦労は限りなくしてきました。」
【ナレーター】
ヒャンスクさんは身売りされた先での生活について、難民申請書にこう記していました。
「その家には息子がいて、結局彼の嫁として売られたようだった。私を束縛して、夜は逃げないように服も隠され、ドアも外からカギをかけられた。その家で陵辱されながら・・・。」
ヒャンスクさんは1年後に逃亡、廃品を拾っては売るという日々を送りながら母親を捜し続けました。そして―。
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】
「たった今お母さんと再会できました。もうお母さんと離れたくない。」
【ナレーター】
会えたのは撮影されたこの日でした。実に4年ぶりの再会。二人はこんな夢を語りました。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】
「娘が日本に行くというので、私もついて行きます。」
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】
「日本へ行って勉強したいです。とにかく発展した国だから。言葉を一生懸命勉強して就職しようと思います。」
【ナレーター】
脱北者の夢を託した“リボン”計画。しかしこの時すでに不吉な情報が入っていました。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「昨日連絡した場所はなくなりました。捕まったんです。(中朝国境の)延吉は修羅場ですよ。捕まった人が泣きながら電話してくるんです。」
【ナレーター】
支援者のチェ・ヨンフンさんのもとに届いた情報。それは「中朝国境・延吉にいた脱北者10人が捕まった」というものでした。
狭まる包囲網。当時、相次いだ脱北者の駆け込み事件によって、中国側の取り締まりは強化されていたのです。史上最大規模の脱北者亡命計画“リボン”。その行方は。
チェ・ヨンフンさん、そして現場にいた脱北者らの証言をもとに当時の状況を再現します。
【取材者】
「チェさんが捕まったのはどこですか?」
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「ここです、煙台の駅前です。私の周り半径50メートル以内にいる中国人も含めたすべての人が捕まったんです。」
【ナレーター】
(再現VTR)2003年1月18日の早朝、チェさんは煙台の駅前にいました。ここは集合場所、脱北者を待っていたのです。物音を聞いて振り返るチェさん。中国の公安当局の車でした。チェさんは周りを取り囲まれてしまいました。
脱北者のキム・ヨンチョルさんも娘と共に“リボン”計画に加わるため煙台駅に来ていました。
【脱北者 キム・ヨンチョルさん】
「駅前で座っていたら、撮影機みたいなものを見たんです。あれは何だろうかと。そして北朝鮮の住民票のようなものを見せられ、車のところまで連れて行かれたんです。」
【ナレーター】
カメラによって記録に残された脱北者の拘束。娘といた脱北者のヨンチョルさんも警官に周りを囲まれ、そのまま捕らえられてしまいました。そして全員煙台にある拘置所へ連行されたのです。煙台駅前だけではありません。前日の1月17日にはシェルターに潜んでいた脱北者11人が拘束。18日未明には、煙台の港に到着したばかりの脱北者10数名が拘束されていました。
計画失敗の理由について、韓国人支援者チェ・ヨンフンさんは「情報の漏洩や密告があったのではないか」と推測しています。
大規模亡命計画“リボン”は決行寸前で阻止され、脱北者・支援者合わせて62人が捕まりました。そして彼らはその後過酷な運命をたどることになります。
5日後、中国政府は拘束した脱北者の処遇について「国内法と国際法に照らして人道主義的に解決する」との公式見解を表明。ところが翌日には拘束した脱北者たちの強制送還を開始します。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「送り返された何人かは殺されたでしょう。彼らの死の責任は中国政府が負うべきものです。」
大亡命計画 脱北者の運命
【ナレーター】
「日本で生活する」という夢を語っていたリ・オッキさんとパク・ヒャンスクさんの母娘。身柄を北朝鮮に送られ、それ以降の消息はわかっていません。そして、韓国にいる息子や娘との対面を楽しみにしていたキム・ウングムさんは・・・。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】
「連れて来られたらどんなによかったか・・・」
【ナレーター】
泣いているのは、キム・ウングムさんの娘で韓国に住むペ・ミョンオクさんです。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】
「この手で母に温かいご飯を思う存分食べさせられたらと・・・」
【ナレーター】
キム・ウングムさんは「北朝鮮へ送還された直後、取調べ中に脱水症状を起こして亡くなった」といいます。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】
「本当に(北朝鮮に送還した)中国もひどすぎる。あんな年寄りに下心があるはずないのに。ただ子どもに会いに来ただけなのに・・・。」
【ナレーター】
一方、北朝鮮に強制送還されながらも生き延び、その後再脱北を果たした人物がいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】
「保衛部に入るやいなや・・・人間扱いされません。」
【ナレーター】
イ・ガンチョルさん。「北朝鮮の保衛部で取調べを受け、過酷な体験をした」といいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】
「穴はこれくらいで、この上に窓があって、ここから手を出したり入れたりします。」(絵を描いて説明)
【ナレーター】
(再現VTR)監視カメラのついた部屋に6人ずつ入れられた脱北者。仲間同士の会話も許されません。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】
「朝の5時に起きて顔を洗い、このように座って夜の10時から11時までいます。動けないし、腰を伸ばしてちょっとでも動くとすぐに看守が来て殴られます。」
【ナレーター】
(再現VTR)睡魔に負けてウトウトしたりすると、すぐに看守に呼び出されます。監房の小窓から両手を差し出すよう命令され、看守はイ・ガンチョルさんの手を拳銃で力いっぱい打ち据えたといいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】
「手錠をかけられたまま拳銃で殴られると、骨が砕けそうでした。」
【ナレーター】
脱北は初めてだったため、3ヶ月で解放されたガンチョルさん。その後再び脱北し、今は広告デザイナーをしています。
亡命失敗 支援者に拷問
【ナレーター】
一方、亡命計画を主導した韓国人チェ・ヨンフンさんは、「不法な越境を組織した罪」で中国の刑務所に収監されました。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「刑務所には夜、看守がいませんでした。他の囚人に殴られて記憶喪失になりました。」
【取材者】
「何人に殴られたんですか?」
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「1、2、3、・・・11人です。」
【ナレーター】
(再現VTR)中国の刑務所にいるチェさん。中国人の囚人たちに両手足を強く押さえつけられ、毎晩殴られました。「拷問は45日間続いた」といいます。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「看守は表には出てきません。刑務所では中国人の囚人が他の囚人を管理します。」
【ナレーター】
チェさんによると、「囚人たちの暴力を看守に訴えても改善されないばかりか、10日間食事を抜かれ、水だけで過ごしたこともあった」といいます。
刑務所内の病院に連れて行かれた時の話をするチェさん。服を脱ぎ始めました。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「ここを撮影してください。アザがあります。普通のアザではない。医者が診ればわかります。薬のせいでできました。前にはありませんでした・・・。」
【ナレーター】
(再現VTR)病院のベッドに連れて来られたチェさん。囚人に手足を押さえつけられます。「正体不明の薬を何度も注射された」といいます。チェさんは糖尿や動脈硬化などの持病があり、「命に関わる問題だった」と訴えます。さらに―。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「壁に吊るされました。こういうふうにしてこうやって逆さづりにされました。」
【チェさんの妻】
「何か悪いことしたの?」
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「『イエス様を信じるからだ』と言われ、後ろ手で腕をひねり上げられたんです。」
【ナレーター】
(再現VTR)「刑務所の中でも祈りを欠かさなかった」というチェさん。そんなチェさんに囚人たちは殴る蹴るの暴行を加え、さらには逆さづりにした上で拷問を加えたといいます。チェさんは、刑務所内で囚人の待遇改善などを訴えたほか、自らの信仰を他の囚人たちに説いていました。こうした行動が拷問の原因になったのではないか、とチェさんはいいます。
国連人権委員会の報告書(2006年3月10日)は、「中国の刑務所において、人権擁護論者や宗教団体のメンバーなどが看守の命令や許可のもと、囚人に拷問されている」と指摘。さらに「無理に薬(鎮静剤)を投与するなどして、被害者の人格を変えている」と報告しています。この内容はチェさんの体験と一致します。
私たちはチェさんに対する人権侵害について、中国政府に事実確認を求めましたが、現在のところ回答はありません。
チェさんは3年と11か月中国の刑務所にいました。そして去年11月、韓国の(インチョン)空港に到着したチェさん。頬がこけ、目も虚ろです。チェさんの家族はこの姿に強い衝撃を受けました。
【チェ・ヨンフンさんの娘 チェ・スジさん】
「空港で出てきた父を見たとき、顔もこんなに小さくなっていて私より痩せていました。今はちょっと太りましたけど。あまりにも悔しくて、父をこんなにした中国に腹が立って、すぐにでも行って詰問したかったです。」
【ナレーター】
帰国当初、チェさんは精神状態が安定せず「看守と間違えて妻に殴りかかった」といいます。
手や胴に縄をかけられるチェさん。家族も同様に縄をかけられています。チェさんは1月18日、韓国国家人権委員会を訪れました。脱北者を助けたにもかかわらず罪人にされたとして、その不条理を訴えようというのです。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】
「私は脱北者を親・兄弟・子どもだと思って助け、中国の刑務所で3年11か月服役して出てきました。」
【ナレーター】
一方、妻のキム・ボンスンさんは韓国政府の責任を指摘します。
【チェ・ヨンフンさんの妻 キム・ボンスンさん】
「何回も(韓国の)領事に電話をかけました。『私たちは経済的な事情で行けないので面会に行ってください』と何回もお願いしたのに、(韓国の領事は)『行く』と言いながら、どういう理由があったのか行きませんでした。」
【ナレーター】
チェさんによれば、韓国の領事は2か月に1回、獄中のチェさんに面会することになっていましたが、仮釈放される前の4か月間は面会に来ませんでした。その4か月の間に拷問が行われたのです。韓国政府は家族に対し、「面会の申し込みをしたが中国側に断られた」と説明しました。
しかし、刑務所にいる時から、チェさんを支援してきたハンナラ党のソン・ヨンソン議員はこう話します。
【ハンナラ党 ソン・ヨンソン議員】
「私も外交通商省に要望書を出し、署名集めをし、チェさんの状況が厳しいと伝え、電話をかけ圧力もかけましたが、いつも生ぬるい態度でした。」
【ナレーター】
太陽政策を掲げる韓国のノ・ムヒョン政権。南北協力基金の予算として2007年度は1兆1,885億ウォン(約1,500億円)計上しています。しかし、ソン議員はこう話します。
【ハンナラ党 ソン・ヨンソン議員】
「脱北者・拉致被害者に関心のない政府が、どういう意味で“我が民族”という言葉を使うのか。“我が民族”は誰なのか。金正日だけが“我が民族”なのか。」
【ナレーター】
チェさんの人権侵害については、韓国の国家人権委員会が現在調査に乗り出しています。
脱北者支援 獄中の手紙
【ナレーター】
印刷した文字を切り貼りした手紙。脱北者を支援するチェ・ヨンフンさんが聖書の文字をもとに17日間かけて作ったものです。何が書かれているのでしょうか?そこにはチェさんの夢が記されていました。
「刑期を終えて戻ったら、韓国に北の兄弟のための定着村を作り、青少年のための学校を建てる。そんな事業を行うことが私の希望です。」
脱北者亡命計画 支援者の思い
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
「中国の刑務所で4年近くも過酷な日々を過ごしたチェ・ヨンフンさん。獄中でつづりましたお手紙を借りてきました。反省文を書く用紙の上に、聖書の小さな文字を一つ一つ切り貼りしてあるんですね。『これからも脱北者を支援し続ける』という決意をつづっていらっしゃいます。
そのチェさんらが決行しようとした大規模な脱北計画、伝えられるところでは58人が拘束され、31人が北朝鮮に送還されました。中国政府はこの脱北事件以降も一貫して“脱北者を北に送り返す”という方針を変えていません。北に送り返されれば厳しい収容所での生活が待っている、あるいは生命の危険すらある、そうした中で一律に北に送還してしまうというのは、国際法上あるいは人道的な見地からもどういうものなんでしょうか?
オリンピックを控えて国際社会の目が中国に向いている中、もう少し柔軟かつ配慮のある対応もあるのではないかと思われます。
(映像協力 北朝鮮難民救援基金)
(ディレクター 鈴木達さん 砂沢融さん 飯村和彦さん 吉田豊さん)
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
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