2007年03月07日

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて)

李ミンボクさん01.jpg

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35245675.html

続き

【ジャーナリスト・萩原遼さん】
 三浦さん、一つ提案なんですがね、北朝鮮の農業問題専門家の李ミンボク先生がせっかくお見えですので、あの1963年に撮られた作品で、僕はあの当時は農業はやはり上手くいっていたと、あれは事実であったと思いたいんですが、そのことについて李ミンボク先生に事実かどうかと。ああいう豊かに実るあの稲穂。

 それから水利は私どもも見ました。川が下から上へ上がっていくというのは現物見ましてね、それは事実だったんですが、あんなに(白米を)てんこ盛りにして食べられるほど食糧事情が解決し、かつ2000万の人の、南朝鮮で飢えた人どうのって言うのがね、その辺をちょっと聞いていただけないでしょうか?

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 はい、わかりました。では李ミンボク先生一言だけ、壇上の方に。第2部でも語っていただきますが、北朝鮮に向けて風船のかたちでメッセージを飛ばしている李ミンボク先生、皆さん、拍手でお迎えください。

(通訳は守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さんです)

【守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん】
 この方(李ミンボクさん)は簡単にご紹介しますと、北朝鮮の科学院という所で農業の研究員をなさっていた方で、脱北のきっかけというのは、'80年代に中国を視察しまして、「中国式の農業改革を北朝鮮に導入すべきだ」ということを提起して、それで政治犯として捕まりそうになって慌てて逃げた、ということです。

 当時は金日成を信じていましたので、「こういう良い提案をすれば喜んで採択してくれるだろう」と思ったところが、個人の農業を認めると提案したら、「こんな反社会主義なものを言っているのは誰だ」ということになって逃げたと。それで、今の話について。

【李ミンボクさん】通訳:守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん
 今、'60年代に豊作だという映像を出していましたけれども、私がすでに子どもの頃には穀物政策は話にならない状況で、コメなんていうものは望めなくて粟ですね、粟飯。本当に砂粒を噛むようで、子ども心に食べたくなかったという思いがあります。それでもう'60年代からすでに腹を空かせていました。

 ソ連から小麦用に入種しまして、'60年代末頃ですけども、その頃がやはり一番配給事情が良かったです。先ほど盛んに映画の中で“自力更生”という「自分たちの力ですべて必要な物は調達するんだ」というスローガンが出ていましたけれども、実態としては自分たちでは調達できていなかったのです。

 実際にある程度国内で自分たちの力でまかなえたというのは'70年代の初半ですね、'74年頃までです。ようやく「とうもろこしならある程度まかなえる」そういう状況にありました。そこがちょっと心配なところなんですが、とうもろこしがまだ自給できていたのに、その頃から配給を1ヶ月あたり2日分ずつ減らしていました。

 北朝鮮のこうしたウソというのは、現にそこで暮らしている私たちにとっても「何でだろう?何でこんなウソをつくのだろう?」と理解できないくらいのものだったんです。'74年〜'75年頃はまだそれなりに配給で食べられたんですけれども、何でそこから配給を減らすかといいますと、戦争のための備蓄ですね。備蓄のために1ヶ月あたり、4日分ずつは与えないと。

 '80年代に入ってから、だんだんひもじいことが出てきました。私は農業の研究員として在籍していまして、もう'80年代には「これは餓死が生じるな」と予見しまして、金日成親子に提起したことは何かと言うと、「中国式の個人営農、共同農業ではなくて、個人に農業を営む権利を認めるべきだ」と、こういう提起を致しました。

 一般的には「北朝鮮で餓死が生じたのは'90年代」と知られていると思いますけれども、私たちは専門家でありますから、実際には'80年代後半、'87年から私が羅津(ラジン)に視察した時には餓死している人を直接見ています。私はもうすでにその'80年代後半には、「これは大量餓死が発生するな」と予見しまして、'90年に金日成親子に対して中国の実績を踏まえて「中国式の農業改革をすべきである」という提案をしました。

 私は、これは愛国心から忠誠心から出た行為だったんですけれども、返ってきた答えというのは「お前は反動分子である」ということになってしまいました。それで思想的には、個人に商売として農業を認めるっていうことは、これは反動思想になります。これは処刑の対象になります。

 それまで金日成に対して大変忠誠心を抱いていまして、父とも親とも仰いでいたんですけれども、その返ってきた結果を見まして、「これは違うんだな」と気づいて、また、このまま(北朝鮮に)いたら反動ということで殺されそうだというので逃げ出した、というのが事実です。

 それでやはり私が予見した通り'90年に入ったら餓死が発生しまして、ここまでの間に「300万人が餓死する」という大量餓死が発生してしまいました。金日成親子は明らかに知っていました。「このまま放っておけば餓死が発生するであろう」と明らかに知っていながら、人為的に、改革解放を拒んだこの人たちは餓死の原因を作った人です。二人とも、金日成・金正日とも悪いんですけども、もっと悪いというのは金正日なんです。

 '94年に金日成は、当時の韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領と首脳会談をしようとしました。何故かと言うと「戦争をやることもできないし、このままでは行き詰っていくので何とかそれを打開しよう、食糧事情を改善しよう、そして中国式の農業改革をやろう」ということで首脳会談を決意したんです、金日成は。

 金日成はもちろん悪いんですけども、それでもまぁ人民には瓦屋根に米の飯、牛肉は100パーセント約束したこともありますし、何とか大量餓死だけは阻止しようと努力する人ではあったんです、それでも。ただ、金正日はそうではなかった。「自分の政治のためなら犠牲が出てもかまわない」というそういう考えだったんです。

 私たちは北朝鮮から来た人間として「金正日が金日成を殺した」という噂については半信半疑であったんですけども、萩原遼さんの本を読んで「あっ、なるほどやはり事実はそうだったんだ」と確信させられました。人民に知られれば、核爆弾が爆発したぐらいの衝撃をもたらす話なんですね。

 それをその話をこのようなビラ、ビニールですけど印刷しまして、風船で北朝鮮に送り込むんです。今それで北朝鮮は大変騒動が起きています。午後に時間をいただいておりますので、その映像をご覧いただきたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)

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*李ミンボクさんが萩原さんに差し上げたビニールのビラです。そのうちの1枚を譲っていただきました。二枚重ねで、風船で空から飛ばすとヒラヒラと蝶のように舞いながら落ちて来るそうです。

*風船 飛んでゆけ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29598445.html
*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第2セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/32638352.html
*'06 12/17 TBS「報道特集」(1)北を揺るがす“風船メッセージ”
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33070875.html

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。

(守る会・宋允復さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 守る会・宋允復さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35467509.html
posted by あおいのママ at 00:29| 千葉 曇り | TrackBack(0) | '06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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