2005年05月10日

'05 3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(1)

20040705.jpg
*写真は2004年7月4日、増元さんの有楽町マリオン前での街宣演説に応援に来られた特定失踪者のご家族の皆さんです。「大澤孝司さん」の二人のお兄さん(昭一さん・茂樹さん)、「藤田進さん」の弟さん(藤田隆司さん)、「斉藤裕さん」のお姉さん、「新木章さん」の妹さん、「佐々木悦子さん」のお母さんがそれぞれ署名活動を終えて応援に駆けつけていらっしゃいました。

*3/13にTBSで放送された「報道特集」を、ビデオに撮ったものから文字化しました。

【司会者】(スタジオにて)
 さて、続いては「拉致問題」です。去年の暮れに、横田めぐみさんの遺骨とされるものが「別人のものである」と日本政府が発表して以来、北朝鮮はこの問題では強硬な姿勢を取り続けていまして、未だに進展はありません。

 横田さんご夫妻のお歳を考えれば、どれ程怒りと無念で燃えていらっしゃるか、容易に察することができるのですが、拉致の可能性が否定できないという特定失踪者の家族の皆さんも、年々高齢化が進んでおりまして、政府による拉致認定もないまま亡くなっていく方もいらっしゃいます。

 このままでは例え拉致の事実があったとしても、北朝鮮の引き延ばしによって時間切れになってしまう、そんなギリギリの状況で暮らすご家族の皆さんを取材しました。

《特定失踪者『生島孝子さん』のご家族》

【ナレーター】
 2/9新潟佐渡市。骨壷を抱いてバスを降りるジェンキンスさん(64)。後ろには喪服姿の曽我ひとみさん(45)。先月(2月)7日に亡くなった曽我ひとみさんの父親茂さんの葬儀の映像です。フラッシュを浴びながら式場に入って行くひとみさん。依然として母親のミヨシさんの安否はわからないまま悲しみの日を迎えました。

*曽我ひとみさんの父、茂さん 死去  電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3624

 拉致被害者地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、半年前まで内閣官房参与として家族の支援にあたってきた中山恭子氏も駆けつけました。また、森進一・昌子夫妻の花も届き、その模様は大きく報じられました。

 しかし、曽我茂さんと同じ日に亡くなったこの人のことはあまり知られていません。

 2/11東京世田谷。生島うらさん。享年99。拉致の可能性が否定できない特定失踪者「生島孝子さん」の母親です。うらさんの娘「生島孝子さん」は、1972年東京渋谷区で姿を消しました。家出をするような理由は何もありませんでした。特定失踪者問題調査会では「生島孝子さん」を拉致の可能性が濃厚な33人の1人にあげています。

 生前、うらさんはこう話していました。(2004年6月)「あの子は心の優しい子でしたけど、だけどすごく優しい半面、しっかりした、ものすごくしっかりした、気の強いところが、芯の強い性格の子だったもんですから、どこかで自立して生きているんじゃないかと、それをそういうふうに信じるようになっちゃって・・・」

 うらさんは、2人の姉妹と一緒に孝子さんの生存を信じ続けてきました。(姉の馨子さん65・妹の敦子さん60)その思いが通じたのか、孝子さんによく似た女性を目撃したという人物が現れました。2004年6月 韓国ソウル。韓国人経済学者・呉吉男(オ・ギルナム)博士。1985年から1年間、平壌の高級アパートで暮らしていました。彼はそこで会話をした日本人女性が「生島孝子さんに似ていた」と姉の馨子さんに伝えました。

【韓国人経済学者・呉吉男氏】(VTR)
 「この写真とこの写真、この写真は皆繋がります。こういう姿の人を私は一度見たことがあるんです。繋がります。ほぼ80〜90%間違いないです。背も容姿も年齢も・・・。」

【ナレーター】
 その翌日。(2004年6月 東京新宿)

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「ただいま」

【生島孝子さんの母・うらさん】
 「おかえりなさい」

【ナレーター】
 うらさんは、帰国した馨子さんから報告を聞きました。

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「少し良い話があった」

【生島孝子さんの母・うらさん】
 「良く頑張ったねぇ。きっと苦労したんだろうねぇ・・・。」

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「見つかって、こっちに帰って来れるといいね」

【生島孝子さんの母・うらさん】
 「ああ、帰れるようになればね・・・。」

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「105歳まで生きなきゃなんないのかな?」

【生島孝子さんの母・うらさん】
 「えっ、あと5年・・・。」

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「あと5年、頑張れる?」

【生島孝子さんの母・うらさん】
 「5年なんて頑張れない、あと1年くらい・・・」(涙がこぼれる)

【ナレーター】
 しかし・・・娘との再会を果たせぬまま亡くなった生島うらさん。生きていれば昨日(3/12)100歳を迎えるはずでした。喪主を務めた孝子さんの姉・馨子さん。妹の敦子さんと共に悲しみに耐えていました。(2/11葬儀にて)

 身内がほとんどの葬儀。政府関係者の参列はありません。記者の姿も見えず、曽我茂さんの場合とは対照的です。

 そんな中、同じ立場の家族が参列していました。1974年に新潟佐渡で姿を消した特定失踪者「大澤孝司さん」の兄茂樹さん(63)です。

【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】
 「私のことのように思っております。というのは、私の親父も今年で96歳になって、もう先がありませんので、一刻も早く救出を願ってですね、日本政府の方に、1日も早く救出をやってもらいたいと思って、今日駆けつけました。」

【ナレーター】
 生前はお花の先生をしていたといううらさん。鮮やかな花に囲まれて送られます。

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「起きなさいー!!」(泣きながらお母さんに声をかけていらっしゃいました・・・)

【ナレーター】
 参列者を前に、喪主の馨子さんがあいさつをしました。

【生島孝子さんの姉・馨子さん】
 「最近のうらは、娘孝子が帰って来ることを望んで、ニュースにしても話にしても、特定失踪者の話になると頭がとても冴えておりました。皆さまからすると、99歳の天寿を全うしたからよかったろう、ということでしょうが、本人は娘孝子に会えないで逝くのが非常に残念だと思います。」

【ナレーター】
 娘が北朝鮮に拉致されたと信じ、会えないまま亡くなった生島うらさん。拉致被害者や特定失踪者の家族の高齢化が進んでいます。

*特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628

(2)に続く

*'05 3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3552129.html
posted by あおいのママ at 00:18| 千葉 霧| Comment(0) | TrackBack(2) | 報道番組テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々 時が過ぎれば過ぎるほど 何もかも手遅れになってゆくのに 歩いていく人は 誰もそ知らぬ振りをしている 人の命には時の限りがあって ...
Weblog: 人生とんぼ返り
Tracked: 2005-05-10 01:04

理解る人には理解ると思いたい…。
Excerpt: …テレ朝のスパモニのコメンテーターの方、ですか? ご婦人のバックグラウンドは知りません。お名前も存じません。 しかし、見ていた母は泣きながら怒ってましたんです。 (ワイドショーのレポーターに失礼だが...
Weblog: * 園丁日記 *
Tracked: 2005-06-30 20:15