2005年05月06日

4/24 第7回国民大集会 飯塚 耕一郎さん

2005.04.24.6.jpg

*撮影したビデオカメラから文字化しました。

◆未帰還者家族パネルディスカッション◆

《司会・西岡力さん》


 「田口八重子さん」のご家族が並んでいらっしゃるんですが、「田口八重子さん」の長男の耕一郎さん、1歳だったんですね。お母さんは耕一郎さんのことを覚えていると思いますけれども。

 でも、お母さんと一緒の写真が出てきましたよね?そのことをちょっとお話してくださいませんか?

《飯塚耕一郎さん・拉致被害者「田口八重子さん」の息子さん》

 (写真を見せながら)ちょうどここに今あるんですけれども、あの、今西岡さんから、その「昔のご家族の思い出を語ってくれ」と言われた時に、ちょっと私だけ寂しい思いがしました。

 何故なら、私は1歳の時に母親が拉致をされて、それで私は「田口八重子さん」の記憶がないまま、27年の歳月が経ってしまいましたので、本当に誠に申し訳ない、母に対してその、何もしてあげられなくて、誠に申し訳ない、本当に「ごめん!!」って思うんですよね、いつも。

 それで、ここにある写真を見て、いつも思うのは、「あっ、やっぱり八重子さんと本当に親子なんだ!!」と。「親子なんだ」という安堵の気持ちと、やはり今言った、自分のお腹を痛めて産んでくれた母親に対して、「本当に申し訳ない」という気持ち、これに尽きてしまうんですよね。

 ですので、早く「八重子さん」とか「お母さん」とか、あいまいな、いつも言う時言う時で発言が変わってしまうんですけれども、あの、早く帰って来て、いろいろな話をたくさんして、北朝鮮のことを忘れさせて、早く「お母さん!!」と呼んであげたい、と思っております。(大拍手)

*田口八重子さん 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.net/jokyo/03.html

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(一部引用)

『抱かれたことも覚えていないお母さんへ。』

 あなたが日本に帰って来たら、僕は、『よく帰って来たね。ご苦労さま』と言って出迎えてあげたい。あなたは、僕が一歳、姉が二歳半の時(1978年6月)、北朝鮮に拉致されて、四半世紀もの間、私たち二人の子供と再会できる日を信じて、一人で生きる道を選びました。さぞ、つらかったでしょう。どんなに悲しかったことでしょう。

 僕は、27歳になりました。お母さんの長兄にあたる飯塚繁雄夫婦を実の両親と思い、四人きょうだい(二女二男)の末っ子として、分け隔てなく愛情を注がれて育ちました。伯母さん(繁雄の妹)に育てられた姉も元気です。お母さん、一日も早く帰って来てください。母や拉致された人たち全員が、一日も早く帰ってこられるよう強く願っています。

 小泉首相が北朝鮮へ行かれてからの一年半の間、僕は、拉致問題が進展しないことにもどかしさを感じていました。先月の6カ国協議でも、拉致問題は議題にさえなりませんでした。

 僕は、親父(繁雄氏)と相談し、以前からの父たちの活動を支えてくれていた米田(健三・前衆議院議員、現帝京平成大学教授)先生らのアドバイスも頂いて、世間に訴えるのは今しかないと思いました。ニュースかテレビ番組に出演したのをご覧になった方でしょうか、街ですれ違った方々から『頑張ってください』と声をかけられました。そのことからも、拉致問題を解決することが、国民の皆さんに支持されていることを感じました。

 僕が今回、公の場に出てきたのには、もうひとつの目的があります。それは、母と2年近くも一緒に住んでいたという金賢姫さんに、会って母の話を聞きたいという手紙を出したことです。そのことも公にしたかったからです。母が拉致されたのは僕が1歳の時で、母に関する記憶がまったくありません。僕は父から、当時の母のことを聞いています。しかし、拉致されてからの四半世紀は、人間を変えてしまうには十分過ぎる時間です。だから、父から聞いた25年前までの田口八重子ではなくて、その後の母についての比較的新しい情報を知りたいのです。

 僕が両親の実の子ではないと知ったのは21歳の時でした。勤務先に提出する戸籍謄本を取った時、僕の欄には『養子』とありました。

 『何で今まで隠していたんだよ?』と親父に聞くと、自宅近くの寿司屋に連れていかれて、二人きりですべてを聞かされました。

 それまでも、北朝鮮による拉致問題があるということを一般論としては知っていました。ただし、それはマスコミの向こう側の話で、まさか自分が当事者だとは思いもよりませんでした。

 大韓航空機爆破事件の解明が進む中で、『李恩恵』=『田口八重子』とわかったのは、その7年前、僕が中学生の時だったそうです。それ以降、自宅や親戚にはマスコミによる大変な取材攻勢があったそうです。僕たちは拉致被害者の家族なのに、まるで大韓航空機爆破事件の"共犯者"であるかのように、家族や親戚は白い眼で見られたこともあったと聞きました。

 しかし、父や母、家族、親戚は、誰も僕にそのことを気づかせませんでした。上に3人いたきょうだいにしても、僕が実のきょうだいでないことを知りながら、一切口にしたことはありませんでした。行方不明の"叔母"がいることさえ知らなかったほどです。

 僕は事実を知ったショック以上に、この家族は《すごい人たちだ》と驚嘆させられました。こんな両親や家族、親戚を僕は誇りに思っています。

 北朝鮮が発表した母に関する『死亡』情報は、当時勤務していたヨーロッパで、衛星版の新聞やインターネットで知りました。

 『ホントかよ』と、にわかには信じられませんでした。すぐに自宅に電話をかけると、父は気丈でしたが、電話のむこうで母の泣いている声が聞こえてきました。父から『母さんに、ひと声かけてやってくれ』と言われて電話を代わりましたが、涙が込み上げてきて話しになりませんでした。

 『死亡』の情報以後、無力感、虚無感、ショックが次第に大きくなってきました。同時に怒りが込み上げてきました。万が一、死亡が事実なら、拉致しておいてひどい話です。しかし、『死亡報告書』が偽りの積み重ねとわかった時、北朝鮮の報告に振り回されることは、相手の思うツボだと気づいたんです。

 そして、飯塚家の親戚で会議を開き、父が『家族会』に入り、被害者の家族として世間に訴えることが決まりました。取材は、父が主に応対し、女性は嫁ぎ先に迷惑をかけられないので、前面には出ないことが決まったそうです。その後、父が家族会の副代表として、スイスの国連人権委員会やいろんな活動をしていることは、ヨーロッパの勤務先でも聞いていました。60代半ばなのに、アグレッシブな親父です。本当に頼もしい親父です。

 田口八重子さんが日本に帰国したら、世間一般では"生みの母"で、いまの母は"育ての母"ということになります。しかし、僕にとっては二人とも実の母親で、区別することはできません。僕は、父と二人の母、きょうだい、そして心強い親戚がいて、本当にハッピーなくらいです。

 僕は政治的なことはわかりません。母を拉致した実行犯も、ある意味では独裁国家という非情な組織の歯車のひとつなんでしょう。北朝鮮は悲しい国だと思います。僕は、一人の人間が人間として暮らせる平和な世界を望んでいるだけなのです。北朝鮮は、母を一日も早く返してください。母や拉致された被害者全員を、今年中に返してほしい。いつまで待たせればいいんですか・・・・

(引用終わり)
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《司会・西岡力さん》

 北朝鮮は「田口さんと原敕晁(ただあき)さんが結婚していた」と言っているんですねぇ。しかしその結婚の日時はおかしいので、その「結婚した」ということ自体についても、私たちは正しいことは今はわからないんですけども。

 「原敕晁さん」のご家族も、実は「家族会」に入っていらっしゃいます。長崎に住んでいらっしゃるお兄さんが、原耕一さんが入っていらっしゃるのですが、大変病気がちで、病院と自宅を行ったり来たりで、あの、今回こちらに来ることができなかったのですが、連絡を取ってらっしゃるのが増元さんなので、原さんのご家族の若干の状況をお話できませんか?

《増元 照明さん》

 あの、つい先日も「メッセージをいただきたい」というふうに電話を差し上げたんですけれども、息子さんご夫婦が電話に2回とも出られまして、「今、病院に行っています」ということで、ご本人とは今回お話できませんでした。

 しかし昨年の実務者協議の結果が出た時に、「原敕晁さんの結果もすべて公表していいですか?」ということをお伺いした時、「もう、ぜひそれはやっていただいたい。家族会の皆さんと全面的に一緒にやっていきたいので、ぜひそれはお願いします」というふうにおっしゃっておりました。

 ただ本当に高齢なようで、病院通いされていて、まだ東京に1回も来られていないんです。どうもだいぶ重い病気というか面倒くさい病気、「腎臓?を患っている」というお話を伺っているのですけれども、「なかなか遠出はできない」ということです。

 昨年電話した時、声はとても元気でしたので、まだまだ頑張ってやっていただけると私は思っております。

*原敕晁さん拉致の全容 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com/nenpyo/siryo03.html

http://aoinomama.trycomp.net/
posted by あおいのママ at 10:54| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | '05 4/24 第7回国民大集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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