2007年01月23日

川合健二さん 失踪の概略

 1月14日の神奈川県民集会の際、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんからいただいた「川合健二さん」の資料です。この資料は昨年12月16日、日米同時集会の一つ、甲府市で開催された集会で配布されたものだという事です。(美幸さんはその集会で登壇されました)その時の「山本美保さんの家族を支援する会」作成の資料をご紹介致します。

昭和54年(1979年)旧竜王町より失踪 川合健二さん 失踪の概略

 川合健二さん、昭和22年生まれ。三重県久居市出身。昭和54年4月4日。当時32歳。奥様と二人の子供がおり、千代田生命甲府支店韮崎営業所長として竜王町(現甲斐市)の社宅に住んでいた時に失踪。健二さん失踪後、残されたご家族は三重県にある健二さんの実家に住んでいる。

 夜間、八田村(現南アルプス市)の県道で交通事故を起こし怪我(軽傷)を負った相手を自ら病院に運び、治療の合間に「免許証を取りに行ってくる」と言って10時頃車で病院を後にしたのを最後に行方不明となった。

 失踪当時は事故を苦にした自殺と、奥さまや関係者は考えた。しかし、その時乗って出掛けた濃紺色のカローラが発見されていない事が不思議に感じられた。テレビに出演したり「たずね人」のポスターを全国の警察に2万枚貼ってもらい、情報収集をしたが何の手がかりも掴めなかった。

 拉致の可能性に思い至ったのは平成14年の拉致被害者5名の帰国がきっかけであった。

 失踪する昭和54年以前に、3回ほど「ヤマちゃん」と呼ばれていた人が竜王の社宅に来た事がある。3回目は「金を貸せ!」と夜押入ってきた。健二さんが留守で奥様が対応し、凄い恐怖を感じながら5000円渡して帰ってもらった。帰りながら玄関の植木鉢を蹴飛ばし割って出て行った。帰ってきた健二さんにその事を話すと「ヤマちゃんは朝鮮人なんだ」と言っていた。

 数百人もの日本人が拉致され北朝鮮におる可能性がある事を知り、「もしかしたらヤマちゃんは土台人(工作員の在日協力者)で、主人が事故後にヤマちゃんに相談して、しばらく身を隠せ・・・と勧められ、そのまま拉致されたのでは・・・」と奥様は思うようになった。

 「主人が日本国内にいてくれたら嬉しい。北朝鮮にいるなら救出したい!」と三重県で健二さんの帰りを待っている。

川合 健二
・身長 167cm
・体重 55s(当時)


 山梨県には昭和54年4月4日失踪の川合健二さん以外、同じく昭和54年6月4日失踪のAさん(名前非公開)、昭和59年6月4日に失踪した山本美保さんが特定失踪者リストに載っている。

 美保さんとAさんは、年は違っても6月4日と同じ失踪日である。3人とも4日という日はいずれも同じである。単なる偶然とは思えず、日本海の海岸から出港する日に合わせるため、必然的に同じ日になってしまうのかもしれない・・・と何らかの意味を想定してしまう・・・。

山本美保さんの家族を支援する会

*川合健二(かわいけんじ)さん 昭和54(1979)年4月4日失踪
 特定失踪者問題調査会公開リストより

http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=103&mode=search3
*山本美保さんの家族を支援する会
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
posted by あおいのママ at 11:45| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | '07 1/14 神奈川県民集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/31947428
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック