2006年12月04日

11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1)

拉致11.15県民集会05.jpg

*写真は新津市民さんの撮影です。

*忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html

*新津市民さん撮影の映像より文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)

 新潟の皆さん、こんばんは。(会場から「こんばんは」大拍手)・・・ちょうど今日は29年目の11月15日、ちょうどもう○分くらい前でしょうか、「・・近くの家の角の所で男性に捕まえられて、そして北朝鮮に連れて行かれた」ということを曽我ひとみさんが帰って来て「めぐみちゃんがそんなふうに言っていました」と教えてくださいました。

 この角で何があったんだろう?と私たちは本当に長い間、煙のように消えてしまった子どもを、本当に一つも消息が何にもわからない、あんなに大きな長女が、私より1センチ背が高かったんですが、その人がもうまるっきり煙のように消えたまま20年も経ち、どんなに捜していただいても私たちがどんなに泣き叫んでも、海岸を走り回って名前を呼びながら「めぐみちゃん、どこに行ったのー!」「めぐみちゃーん!」と子どもたちと一緒に懐中電灯持って捜し回り、また自転車に乗ってあの浜辺を寄居浜をどれだけ走ったかわかりません。

 色んな町の知らない所まで歩き続けて、どこかのアパートの竿にめぐみの着ていたようなものが洗濯物がかかってないかな?っていう思いで、色んなところを歩き回って、・・おばあさんの所を・・しまったこともありました。めぐみによく似た写真が出たり、これはひょっとしてそうかもしれないというところのものはあらゆることをやってきました。絶対に見つけてあげなければ、と捜し回っておりました。

 そしてテレビにも4〜5回出て、絶対に家出なんかしてないと思いましたけども、とにかく誰でもいいからめぐみの写真を見て「あっ、この人はあそこで見たことがあるよ」って言ってくれる人がいるんならばどんな事でもしようと思って、「私たちはめぐみのことを捜して、どこにいるのかわからないけれども、あなたが家出するなんて思わないけれども、どこかにいるんなら、ハガキの1枚でもよこしてください」と呼びかけました。

 小さな小学校3年生だった男の子も何が起きたかわからない、昨日まであんなに元気で楽しく笑って歌ってキャーキャー騒いでいたお姉ちゃんがパッと消えたままで、そしてその椅子のところはいつも空っぽで、ごはんをいくら作っても食べてくれない皿を並べてくれました。何でこんな事が起きたんだろう?と私たちは知りませんでした。けれども、本当に私たちは今でもこの問題が北朝鮮の工作員による拉致だというような事が、まさかこの日本の地で起きているとは考えた事もありませんでした。国内の事件だと思って一生懸命に捜していましたし、新潟県警は本当にもうよくここまでと思うほどすごい大捜索をしてくださっておりました。

 けれども、5人の方がお帰りになって、そして私たちが考えてもみなかった曽我ひとみさんという方が一緒に帰って来られました。そして向こうに連れて行かれて、めぐみが連れて行かれて1年後に、ひとみさんがやはり「お母さんと一緒に夜に買い物をしに行って3〜4人の人に襲われて茂みの陰に連れ込まれて、目隠しをされ猿ぐつわをされ、そしてぐるぐる巻きにされて袋に詰められて、そしてゴムボートに乗せられ、また、少し沖の方で違った船に乗せ変えられて、工作船まで連れて行かれて、そして北朝鮮に連れて行かれた」という事をはっきりと知ることができました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻も同じように「そのような状態で連れて行かれた」ということをはっきりと聞くことができました。

 「柏崎の灯が目隠しをされたすきまから少し見えていた」ということを聞きました。「だんだんその灯が小さくなって行く、どうなっていくんだろう?と本当に恐ろしくてたまらなかった」と薫さんに聞きました。「その時に船の中でどんなことを考えていたんですか?」ってお帰りになった時に聞きました時、「きっともう殺されると思った。海に投げ込まれるかなあと思っていた。怖かった、恐ろしかった。だけど北朝鮮という所で朝を迎えて何でこんな所にいるんだろう?わからなかった。けれども、きっと誰かが助けて来てくれる、必ず誰かが日本の誰かが来てくれると思って一生懸命3年間頑張ってきたけれども、誰も助けに来てくれなかった。だから私たちはもう北朝鮮人となってここで暮らしていくしかないと思って、180度心を転換してここで暮らしてきたんです」とおっしゃっていました。

 めぐみも同じように「あの工作船のような船の船底に放り込まれて、本当に絶叫しながら、あの制服姿のままスポーツバッグを持って学校のかばんを持って、一緒に投げ込まれて泣き叫んでいた」と安明進さんが教えてくれました。「爪がはがれそうになって、かきむしった扉や壁は血だらけになって、めぐみちゃんの爪は剥がれそうになって血だらけだった、という事を聞いた」とおっしゃっていました。

 どの人もどの人も本当に何の罪があってこんな恐ろしい目に遭わなければならないのでしょうか。こんなに平和な豊かな、平和平和と一生懸命にみんなが一生懸命に生きてきたこの国の中で、そして転勤をしながら朗らかに頑張ってきためぐみは何にも悪いこともしないで、一生懸命勉強してバトミントンの強化選手に選ばれて一生懸命に汗をかいて、お腹がぺこぺこになって帰って来たその角の所で、待ち伏せられていたのかどうかわかりませんが、男の人に連れられて北朝鮮に連れて行かれた、という事がわかりました。

 ひとみさんはあちらでのめぐみとの生活を色々と話してくださいました。「本当に怖くて恐ろしくて、二人とも『怖かったね』『恐ろしかったね』って声をひそめて泣いたんです」とおっしゃっていました。「夜、お布団に入って、日本の唱歌を日本語で小さな声で歌いながら泣いたんです」とおっしゃっていました。本当に大きな声で、いつもお隣にあんまり大きな声で歌を歌うから「あんまり大きな声を出すんじゃない」って言うほど大きな声で、めぐみはいつも“みかんの花咲く丘”やそして“故郷”や・・色んな歌を本当に大きな声で歌っていました。廊下を歩きながら台所にめぐみは立ちながら歌っていました。

 そんな子どもが声も出せないで、それもたった一人日本から連れて来られた同じくらいの子どもたちができて、二人はどんなに心安らかに思ったことでしょうか。そして助け合いながら一生懸命に生きてきたと思います。何ヶ月か過ぎて、また違う所に連れて行かれ、また何ヶ月か一緒に暮らしてまた違う所に連れて行かれ、そして曽我さんはとうとうジェンキンスさんたちがいらっしゃるアメリカの方の人たちが連れて来られた所に移動になりました。

 そしてその時にめぐみも「もうこれでこの方と会えない」と思ったんでしょうか、一生懸命にバトミントンの用具を入れた、練習したあの赤いスポーツバッグを大事に持っていたそうですけども、ひとみさんに「私だと思ってこのかばんもらってちょうだい」と「私を忘れないでね」と言って、ひとみさんにそのかばんを渡したと言っていました。ひとみさんはそれを大事にしてジェンキンスさんと一緒によく・・、・・そんなものが書いたかどうかわかりませんが、ジェンキンスさんの本なんかを読むとテニスの時、非常に重宝して・・もらったとおっしゃっていました。本当にどんなに悲しい思いをしていたんでしょうか。そして日本語の先生として向こうの人に工作員の人に教えていたと聞きました。

 そしてある日、一人の男性が連れて来られて「この人にあなたは日本語を教えなさい」と言われたということです。その人がこの間の韓国の高校生として5人の中にいた拉致をされた金英男(キム・ヨンナム)さんでありました。そして北朝鮮は、すべてが指導者の指令でありますから、「その人に日本語を教えなさい」と言って連れて来ても、最終的には「この人と結婚させようという何らかの意図があったんだろうと思う」っていうことをおっしゃっていました。

 そしてそれは「結婚しなさい」と言われればどんな人であっても「嫌です」とは言えないのです。蓮池さんや地村さんは共に連れて行かれた人たちと夫婦になれてまだ本当に心が安らいでいたけれども、めぐみちゃんは違った国の人と夫婦になったためにいつも不安定で、心が不安定で「帰りたい、帰りたい、帰りたい」といつも泣いて泣いて泣いて泣きまくっていたという事を聞いていました。

 そしてヘギョンちゃんという、こんなに大きくなったかわいい女の子が私たちの前に現れた時は本当に私はビックリしました。こんなに悲しい恐ろしい残酷な人生の中で、こんなに知らない所に連れて来られて監視をされ続けて、そして故郷を恋しがって「助けて、助けて」と言いながらも、こんなに元気な女の子が生まれて成長していたんだと思いました。何にも教えてあげられなかった、・・子どもができてから何にも教えてあげられなかったのにどうやって育てていたんだろう?と思いました。非常に苦労したと思います。蓮池さんご夫妻には本当にどんなにか色々とお世話になったんだろうと思っています。

 けれども出てきたあのヘギョンちゃんという女の子は、どんな所で育ったんだろう?と思うほど元気で明るくて賢そうで、何のどんな質問にもはきはきと答えている女の子が私たちの目の前に突然に現れました。私たちはめぐみがいなくなったあの夜から、今日11月15日のあの夕方のあの恐怖感の中から、どれだけたくさんのショックを受け続けていたことでしょうか。そして一つの喜びが「ヘギョンちゃんというあんなに元気な女の子がめぐみにもいたんだ、こんな女の子に支えられて生きていくことができていたんだ」という事でした。

 後は死亡宣告、そしてうつ病、自殺、そして白い骨の白い箱を持って来られました。どんなに私たちがあちらにお願いしても北朝鮮は「拉致などしたことがなく、そんな人は一人も入って来たことも見たこともない」と何度となくいい続けてきたでしょうか。大韓航空のあの問題も未だにまだ「李恩恵(リ・ウネ)さんというような人は、田口八重子さんというような人はこの国にはいないし、この問題は私たちの国のしたことではない」といい続けているといいます。

 そのような嘘ばっかり言い続けて、終いに生きている人の骨をいかにも他人の骨を入れて、私たちの家族の前に藪中さんが持って来られました。「どうしてこんなものが本当だと信じられるか!」って言って投げ返さなかったのか?と、親である私たちは本当にそのぐらいの思いをしました。私は「こんな骨はめぐみのものとは思っておりません!信じていません!!」はっきりと藪中さんの前でお返しました。

 けれども、私たちがあんなに捜し続けていた学生服の白いブラウスのあの時と同じ年代の写真、白いブラウスの写真と大人になっためぐみの2枚の写真を一緒に出された時は、骨の白い箱を見るよりも大きいショックを受けました。何という悲しい目をしていたでしょう。あの子があんなに悲しい目をしてじっと見つめている顔を見たことがない、明るい元気な子でしたから。「ああ、めぐみちゃんなのね」と私は思わず悲しくて、涙を流しながらあの写真を撫でました。「こんなに捜していたのに、20年もわからなかったのに、こんなところにいたのね」と「こんな悲しい顔をして」と思いました。本当に息子たちも思わず男泣きに声を上げて薮中さんたちの前で泣きました。

(2)に続く
posted by あおいのママ at 16:31| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | '06 11/15 新潟県民集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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