2006年10月27日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川口より子さん(元外務大臣 参議院議員)

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*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 皆さま、こんばんは。川口より子でございます。先ほど横田ご夫妻のお話の後、そして今の大澤さんの本当に心にずしんとくるお話の後、私がどういうお話を申し上げていいのか非常に今悩んでおります。

*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 大澤茂樹さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/25802389.html

 私が外務大臣になりましたのが2002年の2月の事でございました。今からちょうど4年前になります。その後、どれくらいしてだったかちょっとはっきり記憶にないのですが、2月のどこかの時点で外務省の下の人たちから「北朝鮮と話し合いが始まった。非常にこれは水面下で話しをしていたわけですけれども」という事を聞きました。

 同じ頃に、横田さんご夫妻始め数人の拉致家族の方と外務省でお会いさせていただきました。その時に横田さんご夫妻からお書きになられた本をいただきまして、それでめぐみさんの失踪のその事からお話が始まり、本でございましたけども、それを読ませていただいて、涙が出るのを禁じ得ませんでした。

 北朝鮮との話はそういう中で、まぁ非常に難航するかたちで続けられました。何が難航かと言いますと、私ども日本側が言っていたのはもちろん拉致を始め、それから当時すでに問題になっていた核の問題、あるいは日本に向って北朝鮮の“ノドン”というミサイルが200基も配置をされているわけでして、その核・ミサイルの問題等々が日本の関心事であったわけですし、北朝鮮側の関心事というのは植民地支配に対しての謝罪に始まる、まぁ一連の事でございました。両方共平行線でありまして、それぞれの例えば会合で「何を先に話をするか」と言うことすら開くはめになった、という具合に話が進んでいったということでございました。

 それで最終的にそれが総理のご判断で、これは9月17日にご出発になられたわけですけども、(北朝鮮に)行かれたわけですが、その近くまでにギリギリのご判断で「周りがしてくれるけど自分が行く」という事で北朝鮮に行かれた、そして日朝平壌宣言というのがございまして、それからそれがちょうど4年前の今日で、蓮池さんや地村さんたちが、それから曽我さんが日本の土を踏むということにつながった、ということでございました。

 色んな事がありました。色んな事がありまして、私自身も北朝鮮の外務大臣と二回、二回目はインドネシアで「曽我さんの夫ジェンキンスさんが北朝鮮を出る」という事についての会談でしたけれども。まぁ大変に相手が相手という事ですので、本当に会談をした事を信頼、普通は会談というのは信頼関係があって話が出来るということですけども、まぁそれすらおぼつかない中で話し合いが開幕しました。

 その中で最終的には今のようなかたちになって、何人かの方はお帰りになられたけれども、何人かの方は残っていらっしゃる方は今、大澤さんを始め特定失踪者の方々も含めて未だにまだ日本の土を踏むに至っていない、というのが今の状況でございます。

 最近北朝鮮がエスカレーションをどんどんしていって、「おそらく核爆発の実験をしただろう」ということでありますけれども、昨日、日本ですと今日ですけども、国連で安保理の議会で「安保理で決議が決まった」という事は大変重要な事と思っています。

 今まで色々な制裁等々のお話の時に、中国及びロシアもそうですが、様々な判断から必ずしもそれに対して積極的でなかった、まぁ「中国は中国の立場もある」という事でございましょうけれども、その中国がこの北朝鮮のエスカレーションに対して、言わば「堪忍の緒を切らした」として「我々と同じ仲間として行動をとる」という事になったのは、これから先の北朝鮮問題の展開については非常に大きな影響を持つ事になるだろう、と私は思っております。

 経済制裁の効果のためには、北朝鮮と大きな貿易をしている中国・韓国・ロシアのこの3つの国が同じ事を考え行動に移してくれなければ話が効果が上がらないわけでして、そこに大きな変化をもたらしたのは今度の制裁の決議になったと思います。たまたま日本が今年の12月まで安保理の非常任理事国でありますし、また、たまたま日本が今議長をしているという事で、この問題についてリーダーシップを取れた事は大変よかったと思います。

 それからいきますと今年の10月の後、日本は安保理の非常任理事国からも外れてしまうわけで、また引き続き北朝鮮の問題が様々な展開をすると思いますけれども、そういう中で日本が今度は安保理の外に行ってリーダーシップ、あるいはその安保理の中に入っている国々に働きかけをしていかなければいけない、ということだと思います。

 この拉致の問題がここまで国際社会の認識を得る問題になったという事は、本当にひとえに横田さんご夫妻を始め拉致家族、あるいは特定失踪者の方々のご家族、そして世論、こういうものが全部一緒になって、そして国際社会を動かした、という事でして、私としても今後今までのネットワークを使いながら、この問題が国際的な社会の中で変えていく、そうされていく。

 まぁ外務大臣時代に決して言えなかった台詞を申し上げれば、これは何らかのかたちで北朝鮮の政権が変わっていく、ということでなければいけないと思っておりますが、このための今度の決議というのはひとつの大きな一歩だと思いますし、またみんなのこれに向けての拉致問題解決に向けての努力というのが非常にまた大きな役割を果たす事だろう、と思っております。ちょっと長くなりましたが、一応これで終わりにさせていただきます。(大拍手)

(パネルディスカッションにて)

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【進行・吉田勝明さん】
 さてこの会場の帰りに、自分の娘とか息子とか子どもたちがいなくなる可能性、そのようなパーセンテージで起こった事かと思います。他人事とは思えない、一生懸命我々支援していこうというふうに思っております。

 で、その当時川口先生が外務大臣であられた頃に、“対話と圧力”という様な事をスタートしたかと思いますけど、先ほどお話がありました通り、小泉総理大臣が“対話と圧力”、この話をよくしていたんですけど、実はこの発案というか「こういう作戦でこういう対応でいきましょう」と発案されたのは、その当時の川口先生とお聞きしております。その辺のところを一言コメントをいただけますでしょうか?

【川口より子さん】
 あの、“対話と圧力”という言葉を日本政府も方針としてずっと使ってきているわけですけども、ちょっと日付ははっきりと覚えていないのですけども、私の外務省の大臣室で「外務省の今後の対応について」幹部の人たちとまとめて会議をやっておりましたけれども、再起動しまして、「日本政府の方針が決するまで小泉総理の訪朝を待って、“対話”路線を追及をしよう」という事でやってきたわけですけれども、「北朝鮮側の対応がまったく誠意がみられない」という状況があったという事は皆さんご記憶に新しいと思います。

 それで「“対話”という路線を、“対話と圧力”という事をはっきり言おう」というふうに路線の変更をし、まぁ下の人が持って来た紙?に、そこに“対話と圧力”という項を私が挙げさせた、というのがいつのことだったかちょっと日にちは覚えていませんが。それ以来“対話と圧力”、この二つを私はペダルを適切に踏んで行く、ということが非常に大事だと思っています。

 それで「核実験をした」と北朝鮮が言っているという状況で、また「微量の放射能も検出された」ということがありますし、その前に「ミサイル発射」もあった。これは“対話”から、もっと前からですけども“圧力”を徐々に強くしていって、今国際社会の安保理の合意も得て“圧力”を非常に強くした。「今後どういうふうになるか?」っていうのは、これは「北朝鮮の対応を見ていく」という事だと私は思います。“対話と圧力”で今は圧力をかけるべきである、その時期である、と私は思っております。(大拍手)

【進行・吉田勝明さん】
 ありがとうございました。本当にその当時“対話と圧力”という話の中で、今回ある意味で川口先生が継承された“対話と圧力”、その“圧力”の部分は「世界全体でかけ始めた」「スタートになった」とそんなような気がしております。

終わり
posted by あおいのママ at 12:51| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | '06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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