2006年10月21日

10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん

瀬谷集会 横田早紀江さん.jpg

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(多少読みやすいように変えております)

 皆さま、こんばんは。(大拍手)本当に私たちの子どもたちが被害者になりまして、そしてその後本当に長い年月が過ぎていきました。今日10月15日は、そのような方たちと一緒にあらゆる努力をして政府に訴え続けて、署名活動、そしてこうした講演会とか、もうあらゆる事を私たちに出来る限りの事を一生懸命にやってきたんですけれども、この日はちょうどそんな中で蓮池さん・地村さんご夫妻、そして名前の上っていなかった曽我ひとみさんという5名の方が、(4年前の)10月15日に飛行機のタラップを降りてまいりました。本当に劇的な、もう考えられないような事でした。

 私たちはその後からみんなが、有本恵子さんもめぐみもるみ子さんもみんな一緒に降りて来てくれる事を、「死亡と言われているけどやっぱり降りて来てくれるよね」っていうような思いで、本当にもう緊張してタラップの奥の方を闇の中を見ていましたけれども、やはりあの時は子どもたちの姿は見えませんでした。

 そしてその翌日16日に増元るみ子さんのお父様が、その時非常に重態になられてがんで病院にお入りになっておりました。それで「るみ子の事をちょっとでも知りたい」ということで(弟の)照明さんは、蓮池さんや地村さんのお部屋をホテルの中で回って、私たちも色々と情報を聞いたんですが、「本当に小さな事でもいいからおっしゃってください。もう今父が危ないんです!本当にちょっとの事でいいから教えてあげたいんです!!」と言って(部屋を)回られたんですけども、どの方もその時はやはり北朝鮮からお帰りになったばかりで非常に緊張なさっていたし、恐怖感もあったのか何かわかりませんけども、どの方も「るみ子さんの事は知りません」「会った事も話した事も見た事もありません」とおっしゃっていたんです。

 それで照明さんはもうがっかりして、お帰りになったちょうど(4年前の)今日15日・16日とこの日が来ると、私はるみ子さんのお父様の事をいつも思い出すんですが、あの時の状況をまざまざと感じています。そしてるみ子さんの弟の照明さんは鹿児島に帰られまして、病身のお父様の所に帰って、それで「何度か聞いたけど、やっぱり『るみ子さんは知らない』って言っているんだ。わからないようだけど、だけど絶対に元気だよ!絶対に助けようね!!」って言って一生懸命に励まされたんです。

 その時にもう本当にひどくお悪くて、もうあの頃の元気な姿はなくて本当に痩せこけてしまわれて、酸素マスクをなさってて、それでその身体を起こしてビデオにその様子を撮って、これから言いますけれども、お父様はその時にもう本当にしわがれた声で一生懸命にるみ子さんに呼びかけておりました。「るみ子、俺はもうお前を助けにいけなくなってしまったけれど頑張りなさい」とおっしゃっていました。そして「俺は日本を信じる!だからお前も日本を信じろ!!」と照明さんにおっしゃって、そして天国へ召されて行きました。本当に悲しい悲劇の瞬間でした。

 あのお父様はお元気で、鹿児島の男性らしく非常に明るくて、大きい声で元気で、初めの頃に署名活動をしていました時にいつもご一緒していました。鹿児島や熊本の街角でるみ子さんの写真を掲げて、私はめぐみの写真を掲げて、通り行く人たちに「お一人でも多く署名をしてください!」と「政府を動かしてください!」「助けてやってください!」と言いましたけども、まだその頃はほとんどの方が信じてくださっておりませんでした。新聞もテレビも“拉致疑惑”という“疑惑”という文字がついたままでしたので、「そんな事ってあるんですか?」「北朝鮮は怖い。私はちょっと・・」と言って手を振りながら、チラシも受け取らずに通り過ぎる方がほとんどでした。

 その中で、るみ子さんのお父様は本当に大きな声で叫んでいらしたのを今でも忘れることが出来ないんです。「何で通り過ぎるんですか!通り過ぎないでください!るみ子を助けてください!!」と叫んでいました。そして「こんなに大変な大事件が大変な事が日本の中で起きていたというのに、この24年間日本の政府は一体何をしていたんだー!!」とものすごい声で怒鳴りつけながら通り過ぎる人に叫んでいました。涙をポロポロと流しながら叫んでいた姿を忘れることができないんです。

 そしてこの事は私たち家族は、めぐみやるみ子さん、有本恵子さん、田口八重子さん、そのような人たちが事故に遭った、たまたま北朝鮮の工作員に連れて行かれた、という事であって、「ああ、あの子たちがかわいそうね・・」と静かに見守っているような問題ではないのです。本当にこのような事を平然とやる恐ろしい国が、この日本のすぐ海を越えてすぐ近くに今でも現存しているわけです。

 そしてその国に一生懸命にお米の支援やお金の支援をしていたわけです。私たちは外務省の前に座り込んで何年も前に「お米を出さないでください!そのようなお米はあそこで苦しんでいる気の毒な子どもたちや、飢えているような人たちに届くわけはないんです!全部あれは平壌の上層部に渡ってお金に換えられて、お米をお金に換えられて、そしてそれが日本に全部運び込まれて、そしてその軍備が韓国や私たちの大切な日本の国に行き先を向けているという事になるんですから、もう出さないでください!!」と本当に寒い中を、家族の者が全部があそこに揃って大声で叫びましたけども、あっという間にお米は出されてしまいました。

 そして当時のそういう時にいらした行政の方も「50万トンなんて言わないで100万トン出しなさい、出しなさい」とおっしゃったこともありましたし、金正男という今の金正日の息子さんがこちらに不法入国した時も、「ああこれで(彼を)人質として私たちの子どもを返してもらえるよね」って「絶対今度こそ上手くやってくださる」と思っていたんですけども、何故かわからないんですがVIP扱いで、外務省の方が6名も付かれ高官の方が付かれて帰されてしまったという、でも私たちはまだ信じていました。「外には言えなくてもこんなに大変な事だから、きっと飛行機の中で高官の方たちは一生懸命に『子どもたちと引き換えに』と取引をしてくださるに違いないよね!政府を信じましょう!」と、本当に藁をも掴む思いでおりましたけども、その後何にもなく過ぎていきました。

100PENTX-IMGP3296_IMGP3296.JPG

 そのような悲しいショックを何度も何度も受けて、私たちは家族として父親として母親として、大切に産み育てた子どもをこんなに理不尽な事によって連れ去られて、あちらの国にまだ監禁されたまま影も形も見えない、闇の中に閉ざされたまま生死すらわからない、そのような事を平然と「そうですか、死んでしまったんですか、そうですか・・」って皆さんだっておっしゃいますでしょうか?この事は今私がめぐみのことをお伝えしていますけども、ひょっとしてこれは私が今日そちらのどこかの席で、そちらのどなたかのご家族が、お父様かお母様がここで「私たちの娘を助けてください!お願いします!!」とおっしゃるのを私がこちらで聞いていたかもしれない、というような大事な問題なんです。

 そして段々と、北朝鮮の本当に恐ろしい国政のあり方というのがようやく今国際的にわかるようになり、そしてこの度4月には、本当に思いがけなくこのような普通の主婦でしかない者が訪米をさせていただき、公聴会でお話をさせていただき、思いがけなくブッシュ大統領にお会いすることが出来ました。

 息子が一緒に行ってくれまして、北朝鮮が以前出してきた(北朝鮮に)行ってすぐに撮った、あの白いブラウスの悲しそうな写真をこうして持って行きました。そして息子は立ち上がってブッシュさんにその写真をかざして見せました。「これは私の姉です。姉はこんな顔をしていませんでした。本当に温かい顔をしていたんです。優しい姉でした。いつも大きい声で話して歌っていました。向こうに行って写した写真がこんな目をしているんです。助けを求めているんです。」と見せました時に、ブッシュ大統領は何とも言えないようなお顔を、初めて見た普通の顔をなさいました。

 そして「この子は今この部屋にここにいないけれど、この子の体はここにないけれども、この子の心を私たちと一緒に写しましょう」とおっしゃってくださって、ご自分のテーブルの横にこうやって立ててくださいました。中国で捕まえられた(脱北者の)ハンミちゃんって女の子のご家族も向かい側に座っていらっしゃいましたけど、そちらの方もその写真を持って一緒に並べてくださいました。

 そして「北朝鮮が本当に世界から尊敬される国になりたいのならば、このお母さんに、また、たくさんの被害者の家族たちに大切な子どもたちを全部返しなさい」と「こんな若い子どもたちを『拉致をしてこい』と指令する国があるなんて考えられない」と、たくさんの記者の前でお話をしてくださいました。そして「このお母さんは何にも欲しいものはないんだ。ただ『子どもを返してほしい』と言っているだけなんです」とおっしゃってくださいました。本当に温かい心は私たちの心の中に貫きました。

 私たちは本当にその時色んなことを通して思います。「何の約束であれ、どんな父であれ母であれ大事な命を産み育て、そして大きくした子どもを理不尽な思いでそのような事をされた時に、本気で誠の心で動く、そういうことが出来る方がどれだけいるかということでこの事がはっきりと動いて行くんだ」と私たちは言い続けてきました。そして訴え続けてきました。

 今、安倍総理が今度初めてそのような状況の中の方として戦ってくださり、そして多くの組閣がなされた中で立派な方々がそこに置かれてくださり、温かい心の方、ブッシュさんがおっしゃったように「何にもいらないんだ。この大事な者を日本の国に取り戻したい」その思いだけを持って動こうとしていてくださる方々が、今ようやく明らかになって動いてきております。

 そして今、国際的にもこの問題がいよいよ核という問題が起きてきて、前から私たちが言い続けてきた事が本当にこの姿になって、いよいよそれを使い出したということを向こうが発表し始めた時に、これはもう地球全体の脅威であります。どこの国のどこの対岸とかいうことではなくて、本当にあの原爆で長崎や広島であのような事を受けている、ものすごい悲惨なことを経験している日本が本当にはっきりとした態度を示していかなければ、「いつまでこの国はのんびりと構えているんだろうね」って「こんな大切な事でさえ何も言えない国なんだ」と思われていいのでしょうか?

 子どもたちは大きな犠牲を持って、今も北朝鮮でお月様を見ながら助けを求めていると思うんです。こんなに苦しい思いをした事が決して無駄にならないように、この事で本当に世界中が目を覚ましてくださって、温かい心でどれだけ大事に動きどんなに一生懸命に心を尽くすか、それがどれだけ人間にとって大事な事なのか。もう役職も頭の良さもそんなことは関係ないんです。それだけの温かいお気持ちが一人一人の心の中にどれだけ宿っているかで本当に国がすばらしく変わっていくんじゃないか、と私はこの活動を通して思わせられてきました。

 何にも出来ない、学歴もない、本当に普通の主婦でしかない私たちはただ子どもたちのために、あそこであのままで朽ち果てて欲しくない、「死亡しましたよ」って言われて「はいそうですか」とそんなこと言っていられない、必ずはっきりした事が納得出来るが事が私たちに示されるまで、それがどちらであれ“拉致問題”というこの残忍な問題が解決されるまで、私たちは一生懸命に戦っていこうと思っております。

 どうか皆さま、ご自分の事としてこの日本の未来がどうなっていくのか、という大変な大きな問題を抱えているこの魂の問題を真剣に考えていただきまして、私たちをどうぞ応援してくださり、もう二度と皆さまにこんなに悲しい苦しい、30年近くもこんな苦しみに耐えなければならないようなこんな恐ろしい事が二度とどこからも起きないように、平和な、本当の意味での平和な、温かく、子どもたちが大切にされる国が成り立っていく事を私たちは願ってお願いにまいりました。どうぞこれからもよろしくご支援ください。ありがとうございました。(大拍手)

瀬谷集会 花束贈呈.jpg
*写真は、横田さんご夫妻と救う会神奈川会長の川添さんが地元の中学1年生の女の子たちから花束を贈呈されました。

101PENTX-IMGP3348_IMGP3348.JPG
*写真は、横田ご夫妻と特定失踪者ご家族への横浜相原病院の皆さまの激励エールです。太鼓の音と「ガンバレ!ガンバレ!よ・こ・たー!!」の応援に早紀江さんは肩を震わせ泣いていました。

*'06 4/16 神奈川県民集会 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/19879990.html
*'06 5/28 第8回茨城県民集会in水戸 横田早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/24330988.html
posted by あおいのママ at 19:31| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | '06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/25892892
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック