*'04 4/10 流山講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/14963089.html
*'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15144323.html
*撮影したビデオカメラより文字化しました。
(司会者の方)
次に、奥様からは4年ほど前に「めぐみ、きっとお母さんが助けてあげる」という本を書かれておりますけれども、今日はこの本からもうかがえますように、めぐみさんに対するお母さんからの強い思いというものを中心に「家族の絆」についてお話いただけるということで、よろしくお願いします。(大拍手)
(横田早紀江さん)
皆さま、今日は会場にお集まりいただいて本当にありがとうございます。ちょっと風邪をこじらせて気管支がなかなか治らないもので、声が変で申し訳ありません。あの、これまでの活動の中で本当にたくさんの署名やカンパ、そしてそれぞれの心遣いが私たちを助けてくださって本当にありがたく思っております。感謝しております。
今主人がほとんど経過を話しましておわかりいただいたと思うのですけれど、あの“拉致”ということがこんなに平和な日本の国の中のあちらこちらで起こり、政府が認めた15名(2004年4月当時)以外にもまだまだわからないままになっています。20年間、私たちが苦しんでいた「どうして消えてしまったんだろう?どこに行ってしまったんだろう?」と嘆き苦しんでいたことを、同じ思いで暮らしていらっしゃるご家族が、100名はあちらに連れて行かれているだろうと推測されております。
「娘はどうして消えてしまったんだろう?」と、あの時私たちの生殺しの地獄のような苦しみの中で泣き苦しんできたことを、今もまだなさっている家族がたくさんいらっしゃるというこのような問題を、私たちは本当に日本の国の人一人一人が、もっともっと真剣な国の問題として大切に考えなくてはいけないと思います。
もし自分の子どもがこのような状況だったら私たちはどうするでしょうか?本当に皆さま方も、めぐみのようにいなくなった時に、私たちは「もういつ死んでもいいから死ぬまで頑張ろう」という思いで「めぐみたちを助けよう」と頑張ってきましたけれども、皆さまもきっとご自分の大事な息子さんやお嬢さま、またご兄弟がこのような状況だとわかった時に、「ああそんな恐ろしい大変な大きな問題に首を突っ込むわけにはいかないから、運命だと思って諦めます」とおっしゃるでしょうか?必ず「何としてでも助けてあげたい」「私の命のある限り頑張りたい」ときっとお思いになると思っております。
今、イラクの人質の問題が急に起きてきまして、3人の方の命が危ぶまれております。そして「政府はどうするのか?」と私たちは本当に一生懸命に見つめておりますけれど、今も被害に遭っている3人の人質の方も私たちの子どもたちも人質という意味では“テロによる人質”という意味ではまったく変わりはないのです。私たちはそれがもう30年近く人質のままで置かれているという、本当にものすごい残酷な生活を強いられております。
ただ違うところは、あの方々は銃を突きつけられて、そして「3日以内に自衛隊が撤退しなければこの人たちの命はないぞ」と脅かされているその写真が、私たちのお茶の間のTVの中にまざまざと現れておりますけれど、私たちの子どもたちは長い長い間、闇に消されて隠されたままあのような状態でいるかもしれない、見えないのです。
見えないけれども、同じ状況で恐ろしい独裁者のためにあちらの国の中のどこかわからないところで、それも強制収容所かもしれませんし、また金正日ファミリーとか言われているようなところに置かれて、一生懸命に勉強を教えなければならない状況なのかもしれません。もっともっとおぞましい状況もあるのかもしれませんけども、本当に見えないお茶の間の中に私たちの子どもの姿が現されていないだけのことで、状況としてはまったく“テロによる人質”という意味では本当に同じことだと私は思っております。
だから何としても、この問題はひとつの日本の問題としてどうするのか?テロに対してはどのように立ち向かっていかなければならないのか?ということも含めて考えなければならないことだと、今朝もTVを見ながら思わせていただきました。
私たちは、昭和52年の11月15日のその朝までは「行ってまいります」と元気でお友だちと一緒に出かけて行っためぐみの姿が最後で、あの後、明るい声も笑顔も歌声も何も聞くことができずに闇の中を漂い続けてまいりました。まさか北朝鮮という国が、このような恐ろしいことをしている国だということも知りませんでした。何となく変な国だということはわかっていましたけれども「不審船」や「テポドン」や「麻薬」「偽ドル札」などあらゆることが今明るみに出てきまして、大変な国がすぐ近くにあったということです。
そしてそのようなところに、あのように蓮池さんや地村さんも曽我さんもおっしゃっていましたけれども、私たちが本で読んでいたように、そんな人たちを突然襲って手錠をはめ、口に猿ぐつわをかけ、そしてあっという間に屈強な男性が3〜4人で袋をかぶせてぐるぐる巻きにして、そしてゴムボートに乗せて、またこの間入って来ましたような「不審船」、沈没しましたけれども、あのような「不審船」の中の船倉に閉じ込められて連れていかれたと、お帰りになった方が証言なさって、本当にこれは本に書いてあった通りであったと私たちはまざまざと思わされた恐ろしいことでありました。
めぐみもまた証言によりますと、あの日に連れて行かれて、そしてあまりの怖さに恐怖で泣き叫んで叫び続けて「お母さん助けて!!助けて!!」とあまりにも騒がしく叫び泣き続けたものですから、船倉の中に放り込まれて、42時間くらいの長い間、日本海の暗い波間をどんな思いでいたことでしょう。死ぬにも死にきれない「何で私がこんなに恐ろしい思いをしなければならないのだろうか?帰ってもうすぐ夕飯を食べられたのにどうしてなんだろう?」何にもわからないで泣き叫んでいたと思います。
そして向こうに着いた時は、あまりの恐ろしさで、その船倉の壁や入り口を探して真っ暗の中を泣き叫びながらかきむしたのでしょう、爪が剥がれそうになって血みどろになっていたということが証言されていました。
指小指1本ちょっとでもケガをしても皆さまも同じだと思います。自分の子どもたちが「どうしたの?どうしたの?早くお医者さんに行って消毒しなければ」と包帯を巻いて「ああ、よかったね」というように、皆さまが一生懸命に育ててきた大事な子どもが、何にも悪いことをしていないのに、こんなにたくさんの、100人にも上る子どもたちが、日本の色々なところから海岸から、またヨーロッパ経由で有本さんは連れて行かれましたけれども。
真面目に勉強している人たちが心に燃えて「外国で勉強しよう」と頑張って行ったその矢先にこうして連れて行かれるとか、もう本当に企業に有名なところに入社が出来て、そして入社式の後、お友だちと3人で「明日から頑張ろうね」って言って出たとたんに、忽然と消えてしまった若い青年もいらっしゃいます。
そのようなことがまさか“拉致”によって向こうの国に連れて行かれて、そして向こうの国のために工作員として日々働かせるために日本語を教えたり、日本の文化を教えたりする国に監禁されながら、もう26年間という間、めぐみはそのような状況に置かれているわけです。「うつ病になった」と言われておりますけれど、うつ病になってでも生きていることが(声を強くして)私は本当に奇跡だと思っております。私だったら、もうその船の中で舌を噛み切って死んでしまっていただろう、と思うくらい恐ろしいことであります。(少し涙声でした)
私たちは他のアベックの家族に方たちと一緒に「家族会」を作りまして、そして政府に向かって「あなた方は何をしているのですか?こんなに恐ろしいことが起きているのに、重大な問題が起きているのに、何故もっと早く助けようとしないんですか?助けてください!!」と何度も座り込みをしました。
「お米を支援する」と言ってたくさんのお米を北朝鮮に出しておりましたけれども、そのようなことをしても、あちらの苦しんでいる飢餓に飢えているかわいそうな子どもたちや、そして強制収容所やいろいろな郊外で働き続けても何一つ食べられなくて、木の皮を食べたり草の根を掘って一生懸命たたいて粉にして、お腹をこわしながら生き延びているようなそのような人たちに、「一粒だってお米がきたことがない」と亡命して来た人たちは言っています。
そのような人たちが苦しみもがきながら「何とかして助かりたい」と命からがら日本に逃げて来るのです。そのような方々の証言というものを、もっとしっかりと聞きとめてほしいです。
そしてそのようなところに連れて行かれている子どもたちが「早く来てください!!お母さん助けて!!」とあの時の気持ちのままで、今もあちらでお月様やお星様を見ながら、蓮池さんも曽我さんも言ってらっしゃいましたけども、「必ず誰かが助けに来てくれると思い続けて頼みにして待っていた」、けれども蓮池さんは「3年間待っても誰も来てくれなかった。だから私たちはここで北朝鮮人として生きるためにはそうしていくしかないんだ、と思って180度考えを転換したのです」と帰ってきてからおっしゃっておりました。
曽我さんもめぐみと一緒にいらした時間が何ヶ月間かありましたけれども、本当に不思議なことですけれども、あの方はめぐみのお姉さんのような存在だったと思いますし、あの方にとってもめぐみは「妹ができたという思いだった」とおっしゃっております。そして「夜になると誰もいなくなった時に寝床に入って、小さな声で誰かにわからないように、日本の唱歌を“もみじ”とか“ふるさと”とか“海”とか、懐かしい歌を小さな声で泣きながら二人で歌った」と言っていらっしゃいました。
そんなにして今でもまだ「誰かが来てくれるんだ」と助けを求めている子どもたちがいるのに、1年前にようやく金正日総書記が「拉致は我が国がやったことである」とここまで認めて「ああこれで何とかなるんだ」と思っていましたけれども、やはり帰って来られた方はたったの5人だけでした。(2004年4月当時)
そして思いがけなく、私たちが捜していなかった曽我ひとみさんという方が突然一緒に帰って来られました。曽我さんは色々なところでめぐみと一緒に暮らしていた時のことを、時々講演会とか色んな所でお話くださいます。本当に私たちはめぐみの姿がまったく見えない、今も色々な情報はありましても本当のことはわからない、まだあの時の闇のままで生殺しの状態がずっと26年間続いております。
そして色々な良い情報は「きっとそうに違いない!元気にしているに違いない!!」と、良いことだけを想像して頑張らなければもう体がもちません。恐ろしいことを考えましたらキリがなく、心が蝕まれて病気になっていきますから、私たちはハッキリとした真実がわかるまでは「必ずめぐみは元気にしている」と信じて救出運動をしております。
(2)に続く
*'04 4/10 流山講演会 横田早紀江さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15413873.html




