2006年03月20日

'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(1)

106-0637_IMG.JPG

*'04 4/10 流山講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/14963089.html

*撮影したビデオカメラより文字化しました。

 皆さんこんにちは。(会場から「こんにちは」)ただいま紹介いただきました横田でございます。私の長女めぐみは昭和52年の11月15日に、新潟市の寄居中学校でバトミントンの練習を終えて帰宅途中、自宅のすぐ近くで行方不明となりました。よく拉致の事件で「海岸から連れ去られた」なんていうふうに報じられることがありますけど、たしかに海岸は近いのですけど、住宅街の真ん中で姿を消しております。

 通常ですと、だいたい6時半頃になりますと帰宅することになっていますが、その日はその時間を過ぎても帰って来ないので、早紀江が学校まで迎えに行きました。学校までの間の距離は約500メートルくらいです。

 それで学校まで行きますと、体育館の方に電気が点いていて、女の人の声が聞こえたので「今日はまたずいぶん遅くまで練習しているんだな」と思ったそうですが、あの、それで帰ろうとしたんですけど「せっかくここまで来たのだからちょっと覗いて帰ろう」と思って覗いてみたら、もう生徒は誰もいなくて、お母さん方がバレーの練習をしていたのだそうです。

 それで、途中すれ違うってことも、気がつかないってことはないと思ったのですけど、家に帰ってみましたら、まだ家には玄関の所に靴はありませんし、それから弟たちに聞いても「いや、まだ帰っていない」ということで、それで弟二人を連れて自宅周辺も捜しました。

 バスの通っている道でかなり広いのですが、たまたまその当時は新潟大学理学部が郊外に移転して、その跡地の広いところが草ボウボウになっていまして、そしてそこには外灯などは点いておりません。護国神社の境内と海との間には防風林なんかがありまして、そういう見るからに寂しい所なのです。中心街からほんのちょっとの所なんですけど、まあそんなような所なんです。

 それで捜しましたが見当たりませんので、学校の方に連絡して、学校の先生も一緒に捜してくださったのですが、全然手がかりはつかめませんでした。

 私もその時に銀行の転任者がありましたので、その日は「マージャンでもしよう」ってなことで、家に「遅くなるから」と連絡したら「まだ帰っていないからすぐに戻って」と連絡がありましたので、皆もマージャンもせずにすぐ車に乗って家に帰って来ました。それで私たちも同じように近所を捜しましたが、遺留品もありませんし、めぐみの姿も見えませんでした。

 それでその日のうちに警察に届けて捜索を始めました。新潟中央署と隣接の新潟東署の警官が出てきまして、我々と重複しますけど近くの空き地等捜してくれたり、近所に「何か悲鳴など聞かなかったか?」と聞き込みをしてくださいました。警察犬も出ました。

 それから学校を出た時は友だち2人と3人で出たわけです。校門を出てすぐ右に曲がって自宅に向かっていました。そして最初の一人はすぐに右手の細い道を自宅に向かいました。後は二人で行きましたので、ちょうど家と学校との中間ぐらいのバス通りの大きな交差点の所でもう一人の友だちもそこから今度は左の方に曲がって、そしてめぐみはそのまま真っ直ぐ自宅方向に向かいましたが、それが目撃された最後の姿でした。

 それで警察は警察犬2頭出して後を追わせたわけですけど、そのままずっと海岸の方向に進んで、後はそこを左に曲がりますと50メートルくらいの所に自宅はありますけど、それ以上追うことは出来なかったので、「この辺で車に乗せられたのではないだろうか?」と警察は推定しました。

 “身代金目的の誘拐”とかそれから“暴行目的の誘拐”それから“交通事故”、そこは信号がありませんので、よく車が近道をする車がありますので、そういった車に接触して、軽いケガだったけど、たまたま「酒に酔っていた」とか「無免許」をしたりして、届けることが出来なくて連れていったのではないか?という色々なことを想像しました。

 そして自宅には身代金要求に備えて、よくTVとかにありますように、録音装置とか逆探知の出来るような機材を持ち込んで、それから家の近くには覆面パトカーが何台も張り込みました。家の中にも刑事さんが5〜6人待機していました。しかしそういった電話はまったくありませんで、我々はただ待つだけだったのです。

 その日も夜12時近くなりましたので真っ暗なものですから、いったん捜査を打ち切って、翌日薄明かりになりました時から県警の機動隊も出て、本当に大規模な捜索を行なってくださいました。一週間で延べ千人、一ヶ月で延べ三千人という体制で捜してくださいまして、本当に道路にも毎晩その時刻になりますと、いなくなった場所で「この時間に女の子を見なかったか?」と通行人に聞いたりもしてくださいましたし、このように大規模な捜査をしましたがまったく何の手がかりもありませんでした。

 それで一週間後に“公開捜査”ということで新聞にも出したのですが、我々は「これで解決する」と思ったのですが、それでも情報の提供はありませんでした。

 それからTVで人捜し番組をやっていますので、それに出て呼びかけを行ないましたが、通常はああいったTVというのは非常に力があって、もうほとんどの方はその日のうちに見つかります。そして放送時間は1時間ですが、実際は後1時間電話の受付をしておりますから、その段階で見つかる方もあります。我々は4つの局に5回出たのですけども、いたずらはありましたが、もう何の情報もありませんでした。

 今から思えば、北朝鮮の訓練された工作員が、子どもなんかをパッと連れて行ってどこかの空き地なんかに連れ込んで、まあ袋に詰めたのか車に乗せたのかはよくわかりませんけれど、やっぱりそうだったんだと思いますけど、その時は本当にあまりにもきれいに消えてしまったものですから、近所の人なんかでも「これはUFOの仕業である」とか「神隠しである」とかいうようなことで、何故いなくなったのか全然わかりませんでした。

 それで警察も何の情報提供がありませんので、だいたい犯人というのは似たような犯行をしますので、もしどこかの女の子が誘拐されて捕まったら、その時に余罪としてでも見つけるしか方法がない状態でした。

 それから警察は、春になったらテトラポットの所でダイバーが潜って調べてくれたり、それから巡視船を出してテトラポットの外側からも調べたり、ヘリコプターも飛ばして山形県と県境のところまで捜してくれたのですけど、本当に何の手がかりもありませんでした。

 そして我々は「ずっと新潟にいたい」と思ったのですが、やはり色々な勤務の関係とか、それからめぐみの弟たちがその当時は小学校3年生だったわけですから、今度は中学校3年生の1学期が終わりそうになりましたので、高校の進学ということもあり、学校や警察それから銀行とも話し合った結果、昭和58年に東京へ参りました。

 東京に来ても新しい情報は何もありませんで、我々に出来ることといえば、新聞等によく似た写真の人がいると、その人を「めぐみじゃないか?どうか?」と確認したりするくらいのことしか出来ませんでした。

(2)に続く

*'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15226377.html
*'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(3)最終です
http://aoinomama13.seesaa.net/article/15272590.html
posted by あおいのママ at 16:11| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | '04 4/10 流山講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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