2006年02月11日

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(7)

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*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(6)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12995505.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 私たちが北の脱北者に出会いましたのは、元々、先ほど申し上げましたように、北へ行った人たちの境遇、それを「どういうふうに支えるか」と「勉強しながら何かしよう」ということで集まりました。

 1990年代の中頃以降、向こうの経済状態が非常に悪化し、配給も止まりました。向こうの社会というのは“勤めに出ている”ことが原則です。仕事をしないでいる、そういった意味では犯罪と見なされます。何らかのかたちで職業に就かざるを得ないということですね。だけど給料はろくにもらえません。まともに仕事に就いている、という立場の人でもですよ。で、給料は到底生きていけるものに値するものは出ないんです。それを補うのが配給制度です。

 配給でいつでも食料が渡される、それが基本。しかしそれも30日分はなかなか出ません。20数日分あればいいところ。それを工夫して何とか30日分にして生きていく。で、ほんのわずかな給料、それが年金収入で、それで少しでも何か買えればということであります。

 だから働いていても給料はろくに出ないし、いつ出るかもわからないし、それはあてにできない、この配給を止めたら。一部を除いては。これは向こうの生活をとんでもない状態に追いやる。これがどういう目的で何故かということはまた色んな方式?がありますが。それで生活に破たんをきたすことが起こる。大勢の餓死者、だいたい推定300万人が死んだと見なされますが、同時に細かく食い物を探して、などを含めて大量の脱北者が出始めたわけであります。

 そんな中でですね、日本から向こうへ渡った人たちの、向こうで結婚して家族ができたり、恐らく20〜30万ぐらいの人数になっていると思いますが、そういう帰国者関係の方で餓死する人がだいぶ出てきた。そのような中、日本の親族が「中国まで逃げて来た」と「助けてくれ」というような、救助を求める連絡が来ることが起こってきたわけでございます。

 それで、そういう時に「一体どうしたらいいのか?」ということで、「北問題で何かやっているところが色々あるようだ」ということで、そういうところへ「何とかしてほしい」「どうしたらいい?」という連絡が入るようになり、私たちもそういう問題にですね、関わることになっていったわけであります。

 この問題では加藤博さん、「北朝鮮難民救援基金」というところで中心に活躍されている方でありますし、中国で・・拘束された最初の人でありますけれども、この人が特派員時代にアジア地域をちょっと取材をして、各地を回っていましたから良く知っているし、その方に知り合いがたくさんある。

 そういう特殊な人脈もお持ちの方でもあり、早くからシベリアに北朝鮮の労働者が伐採の動員にかり出されている、その人たちが逃げたりしている、というような問題も含めて脱北者にも関心がありましたから、この人が色々救援に動き、その手伝いというふうなことをしながらですね、私も色んなことで関わることになりました。

*北朝鮮難民救援基金
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/

 当初は外務省はですね、「中国国内では日本の在外公館は何も動けません」と「自分の責任で第三国まで出てください。そこまでは何もできません。中国以外まで逃げてくれたら大使館領事館から何かできるかもしれません」という姿勢でした。

 ですから、ともかく中国からどうして外へ出せばいいか?ということで、色んな出来事を手探りですると。そして当初関わった事例では、ロシアへ中国からの観光団の中に紛れてですね、中国からロシアへ出て、そしてそこからようやく日本に入って来たのが、私が最初に関わった脱北者の日本入国でありました。

 この時は幸いロシアでいったん拘束されたんでありますが、実は加藤さんもこれはあまり表には何も出ていないかと思いますけれども、ある程度は今はいいかと思いますが、あの、ロシアで拘束されましたけど、一週間ほどホテルで軟禁状態で監禁されて尋問は続くんでありますが、最後「もう隠し通せない」ということで「北から逃げて来たんだ」と。そして「自分の生まれ育った日本へ戻りたい。家族を連れて行きたいんだ」ということを話したわけであります。

 ロシアのその時に担当した刑事さんはその話を聞き、内容を聞いてですね、「わかった、この件は上にはあげない、何とかしよう」と協力してくれました。そして空港へ連れて行ってくれまして、その段階では日本の外務省の了解を得ておりましたから、そのまま在外公館の担当者と共に飛行機に旅客機に乗せてくれました。

 そして日本の領空に入った時、在外公館の担当者からご証明(承認)?をいただいて日本に入った。「日本に着くまで、いつ飛行機がロシアに戻って拘束されるかわからなかった」と言っていましたけど、そんなかたちで帰って来たのが私たちが関わった最初のことでありました。

 それからいくつかのことがありましたが、もう一つの大変な例では、ベトナムからカンボジアを経てタイにまで入るとかですね、ミャンマーからカンボジアを経てタイに入るとか、大変な行程を経てタイにたどり着く。タイに入るとですね、何とかタイの“難民高等弁務官事務所”、これは国連の組織ですね、あるいは日本の領事館、あるいは韓国の領事館で対応してくれて、タイの政府の了解を得て韓国あるいは日本へ入って来る、というルートがありました。

 でもそこまでたどり着くのが大変でありまして、実際にはその過程でですね、転落して死亡する、あるいはワニに襲われるとかですね、あるいはそこでですね、やくざのようなブローカーに囚われ、女性が奪われていくとかですね、色んな被害が実は発生しています。

 今年の始めには、アメリカ国籍の人ですからアメリカ人ですが、民族的には韓国の人であります、その牧師が、もう80歳を超えた年配の方でした。「私が誘導のために行こう」ということで、ある脱北者グループ6人を連れてミャンマーに入り、そしてタイまで誘導しようと行きましたけれども、途中の川でこの牧師は行方不明になりました。他のメンバーは何とか泳ぎきりましたけれども、現在まで行方はわかりませんから、この川の中でもうお亡くなりになったのだと思います。

 そういう支援者の犠牲者も出ながら、「何とか救える人を救おう」と動いているのが日常でございます。

 それで今は、日本から(北朝鮮に)帰国した人たち、もちろん日本国籍者は当然のことでありますが、日本から北へ渡った人やその家族であるならば、そして日本に身元引受人がいる、そういった条件が満たされればですね、中国国外においても日本の在外公館が「何とか保護しよう」と、そういう姿勢にまで日本政府の対応は変わってくれました。

 ですけど、中国政府が問題であります。なかなか保護を認めないし、まぁ拒否はしないですよ、だけどほったらかしているんですね。ですから在外公館まで保護をされた後でも、いつ日本にまで来れるかわからないんですよ。何ヶ月もほったらかされたりもする。その時のもう向こうのそのさじ加減一つ、気持ち一つなんですよね。迅速にするということをしない。

 そのために韓国の場合でも同じでありまして、韓国の大使館の中にですね、脱北者がもうたくさん入り込んで溜まってしまってですね、業務さえできないと。「脱北者の収容施設になってしまっている」ということなんです。迅速に送れればそういう問題も発生しないんですが、中国政府はそういう対応もしようともしない、という光景であります。

*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
http://homepage1.nifty.com/northkorea/

(8)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(8)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13421984.html
posted by あおいのママ at 15:51| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | '05 11/13 日本再生フォーラム講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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