2006年01月12日

'06 1/5 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」北朝鮮へ届け!!母の声(2) 木村かほるさん

 この番組放送直前に、取材を受けた特定失踪者 木村かほるさんのお姉さんの天内さんから折り鶴メンバーの方に、そしてあおいのママに連絡をくださいました。本当にありがとうございます。たくさんの折り鶴たちやブルーリボンが映っていました。

*「折り鶴」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332846-1.html

*2006年1月5日放送の「スーパーJチャンネル」の一部を文字化しました。(写真はテレビから撮影)

*'06 1/5 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」
 北朝鮮へ届け!!母の声(1) 益田ひろみさん

http://aoinomama13.seesaa.net/article/11567483.html

続き

【ナレーター】
 秋田県秋田市。この街にも46年間、突然の失踪を遂げ、拉致の可能性のある女性がいた。木村かほるさん、当時21歳。秋田市内の看護学校の寮を出たまま失踪した。

消えた白衣の天使

【記者】
 「46年前、この場所には木村さんが通っていた看護学校とその寮がありました。卒業試験を直前に控えた2月27日、木村さんは寮の友だちに「ちょっと出掛けて来る」と言って寮を出たまま、行方がわからなくなってしまったのです。」

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【ナレーター】
 秋田市からおよそ120キロ離れた青森県八戸市。ここにかほるさんの5歳年上の姉がいる。天内みどりさん、72歳。今回、ラジオ放送のために手紙を書いた家族の一人である。

【姉・天内みどりさん】
 「本当にもうねぇ、一生懸命『看護婦になる』って頑張った妹がね、自分で死ぬはずがない。あの、近くて遠い国に連れて行かれて看護婦させられているよってね・・・。」

【ナレーター】
 失踪当時かほるさんは看護師を目指していた。それは少女時代に体験したある出来事がきっかけになっていたという。

【姉・天内みどりさん】
 「病気の母と妹を両手にこう引っ張りながらあの山中を逃げて、で、8日くらいかかって38度線越えたの・・・。」

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【ナレーター】
 かほるさん一家は終戦の年の8月(1945年8月13日)、旧満州から日本へ引き上げる途中、北朝鮮で拘束され、平壌での収容所生活を余儀なくされた。飢えや病気と闘いながらその後収容所を脱走し、命からがら帰国。それは終戦からさらに1年経った日のことだった。

 そんな過酷な引き上げで体を壊してしまった母を守りたいと、かほるさんは看護師を志したという。その母は、かおるさんの失踪事件直後に息を引き取り、父も6年前に亡くなった。

【姉・天内みどりさん】
 「あの、父はですね、尋ね人のビラをたくさん作って、そして秋田の色んな所でそれを配ったり貼ったり・・・。仕事のようにちょこちょこ出掛けてね、貼っていましたよ。」

【ナレーター】
 娘の身を案じながら亡くなった両親。「いつかきっと帰って来る」と信じ、戸籍から名前を外さずに待ち続けていたという。

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【姉・天内みどりさん】
 「(寮の生徒は)『訳の分からない船が来ているからみんな気をつけなさい』って言われてたって。」

工作員の影

【記者】
 「木村かほるさんが失踪した当時から、すでに秋田県内の海岸では不審船情報や工作員の出入りに関する数々の事件が起きていました。果たして木村かほるさんはこの冬の日本海から拉致されたのでしょうか?」

〜1963年4月1日 能代事件〜

【ナレーター】
 事件はかほるさん失踪の3年後に起きた。秋田県能代市の海岸でゴムボートと二人の男の遺体が発見されたのである。男は旧ソ連製の拳銃や偽造の外国人(登録)証明書を所持、さらに乱数表やハングルの記号表も見つかった。これは明らかに北朝鮮の工作員であることを示していた。これが世に言う“能代事件”である。

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〜1981年8月5日 男鹿脇本事件〜

【ナレーター】
 さらにその18年後、男鹿脇本の漁港では、警官に職務質問された北朝鮮の工作員がゴムボートで逃走するという事件も発生。この他にも秋田の海岸では数多くの不審船が出没していたという。

 我々は救う会秋田のメンバーと共に、かつて事件が起きた現場を訪ねた。

【記者】
 「『工作員らしき人物が上陸した』って言うのはどの辺でしょうか?」

【救う会秋田幹事・菅原一成氏】
 「そうですね、あの今見えるトンネルのあの近辺(上陸ポイント)だということで聞いていますけれども。」

【記者】
 「地理的に何か・・・?」

【救う会秋田幹事・菅原一成氏】
 「やっぱり湾になっているから。それだけ風の影響が少ないってことも言えるし。だからあの入りやすい場所ではあると思いますね、やっぱりね。」

【救う会秋田代表・福岡博氏】
 「能代でも男鹿でも海岸には夜になったら危険。『神隠し・人さらいに遭うから行っちゃダメだ!』という、これがもう日常の合言葉だったんですよ。」

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【ナレーター】
 ますます深まる拉致の可能性。もしかほるさんの失踪が拉致だとするならば、姉のみどりさんは、かほるさんの「北朝鮮での収容所生活の体験が拉致と関係があるのでは」と考えている。

【記者】
 「その当時の北朝鮮の生活をもう肌で感じているわけですね。」

【姉・天内みどりさん】
 「見てる。そう。いい国だっていうのはともかく、『その地には看護婦として困っている人たちの役に立つ、そういう仕事をすべきだ』っていうふうに言われた時にね、『そうかな』と思う可能性がありそうに私は思ったわけ。」

【記者】
 「その、人のために尽くすということで?」

【姉・天内みどりさん】
 「そう。迷っていた時に、さらわれた(と思う)・・・。」

【ナレーター】
 この日、みどりさんは北朝鮮にいるかもしれない妹へ呼びかけの手紙を書いた。

【姉・天内みどりさん】
 「ありがたく読ませていただきます。」

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 「かほるちゃん、元気にしていますか。ちゃんと食べていますか。毎日こうしてかほるちゃんに問いかけながら45年が過ぎてしまいました。かほるちゃんは絶対生きている、死んでなんかいない。看護婦が天職だと思えるようなあなたは、きっとどこかで看護婦さんとして人のために役立っている、と思えてならないのです。必ず帰れる日が来るはずです。体に気をつけて、意思を強く持って、待っていてください。がんばれ!かほるちゃん!!」

*“しおかぜ”に乗って 木村かほるさんへ
http://akemama13.seesaa.net/article/61913472.html


【記者】
 「ありがとうございました。」

【姉・天内みどりさん】
 「届くといいんですけどねぇ・・・。」

【記者】
 「かほるさんにも、ご両親にもきっと届きますね。」

【姉・天内みどりさん】
 「はい・・・。」

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*特定失踪者 木村かほるさん 昭和35(1960)年2月27日失踪
 調査会リストより

http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=8&mode=search3

終わり
posted by あおいのママ at 01:00| 千葉 晴れ | TrackBack(0) | 報道番組テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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