昭和53年北朝鮮に拉致された市川修一さん。母親のトミさんは91歳になった。拉致問題が膠着するなか家族はどのような思いで待ち続けているのか。その日々を見つめた。
【ナレーター】
この夏、新築された家にある7畳の洋室。「部屋の主はきっと帰る、帰って来る」そんな願いを込めて家族が造りました。(“かえる”のぬいぐるみ等が多く飾られた部屋)拉致被害者 市川修一さんです。修一さんは昭和53年8月、恋人の増元るみ子さんと夕日を見に出かけた浜辺で北朝鮮に拉致されました。
息子の帰りを30年間待ち続けてきた母親のトミさん。91歳になりました。
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「どうしてるかなぁ、早く帰って来て、ってね・・。元気でいるかなぁ・・。」
【ナレーター】
理由もなく突然奪われた肉親。拉致問題が揺れ動いたこの秋、家族の日々を見つめました。
「ただいま」を待ち続けて 〜拉致から30年・市川家の秋〜
【ナレーター】
8月下旬、北朝鮮は拉致被害者の安否について4年ぶりに調査を行う動きを見せていました。市川修一さんと増元るみ子さん。北朝鮮は「すでに死亡した」としていますが、説明には矛盾が多く、家族は生存を信じて活動を続けています。(映像は8月28日 鹿児島県鹿屋市にて行われた署名活動の様子)修一さんの兄・健一さんと妻の龍子さんです。「再調査で手がかりが見つかるのではないか」と家族は一縷の望みを託していました。
市川さん一家が暮らす鹿児島県鹿屋市です。市川家の朝は健一さんの新聞配達で始まります。一家は去年、長く営んできたスーパーをたたみ、今は新聞配達や年金などで暮らしています。帰宅した健一さんが必ずすることがあります。両親の寝室をのぞいて元気で起きているか確かめます。
市川さん一家は4人暮らし。父親の平さんです。今年93歳になりました。平さん、そしてトミさん、90歳を越えた二人は拉致被害者家族の中で最も高齢です。修一さんはトミさんが37歳の時に生まれました。3人きょうだいの末っ子。おとなしく手のかからない子どもでした。就職して家を離れてからも母親を気づかい、度々実家に帰っていました。
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ああ、優しい子でしたよ。映画に連れて行ってくれたり・・。そうしてくれたことがね、やっぱり思い出になってますよね・・。」
【ナレーター】
修一さんに会うまで元気でいたい。トミさんは毎日30分の散歩を欠かしません。毎朝、家族の食事も作ります。出来ることは何でも自分でしています。
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「そうねえ、やっぱり90代になると、もう一つ元気でいなければって腹を決めないとね、弱くなりますよね。修一が帰るまではね、元気で迎えるんだっていう心を新たにせんとね、なかなかね、あの、80歳代と90歳代とは大変な違いですよね、ねっ。」
【ナレーター】
父親の平さん。4年前から自分で入浴できなくなりました。週に2回、ディサービスに通っています。
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ちょっとねぇ、咳が出るんですよ。風邪かなぁと思っているんだけどね。」
【ディサービスの人】
「咳が出る?」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「はい、咳が出るの。」
【ディサービスの人】
「ちょっと様子見てきましょうかね。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「お風呂はどうかなぁ。」
【ディサービスの人】
「お風呂は熱がなければ入れます。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ああ、そうですか。お世話になりますけど、よろしくお願いします。」
【ディサービスの人】
「はい、では行ってきます。」(手を振る平さん)
【ナレーター】
トミさんも持病のリュウマチが悪化し、この秋からは薬に頼るようになりました。
今年7月、一家は自宅を新築しました。健一さんは修一さんの部屋も造りました。「両親が元気なうちに弟に帰って来てほしい」そんな願いが込められています。部屋にあるのは修一さんが大切にしていた物ばかりです。繰り返し聴いていたレコード。毎朝使っていたコーヒーカップ。棚の中は修一さんがいた当時のままにしてあります。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「修一が帰って来たら、あのねぇ自分の部屋がないと悲しむんじゃないかって。ゆっくりする部屋を造ってやりたい。その話をしたら両親がすごく『ありがとう』と喜んでくれてね・・。」
【ナレーター】
健一さんの心遣いを喜んだトミさん。しかし部屋には一度入っただけです。一人窓辺で過ごす時間が多くなりました。(青空を見つめるトミさん)
9月5日、拉致問題に動きがありました。
【高村外相】VTR
「少しでも帰国につながるということを期待していたわけでありますが、そういう連絡があったのは残念・・。」
【ナレーター】
北朝鮮が福田総理大臣の辞任を理由に「拉致被害者の再調査を先送りする」と伝えてきたのです。進展するかにみえた拉致問題。先行きが分からなくなってきました。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「もう歯がゆい・・。おふくろにはね、話したくないよ。もう常にその時になってきたら約束事も反故にしちゃうでしょう。だからもう一喜一憂になっちゃうからね、もう全然私は話さないの。」
【ナレーター】
その日の午後、健一さんに一本の電話がありました。「ああ、どうもお久しぶり。」(健一さん)拉致被害者家族の支援団体からです。「北朝鮮向けのラジオ放送で流す修一さんへのメッセージを収録したい」という依頼でした。「しおかぜの収録ですね。はい、はい。」(健一さん)
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「しおかぜの収録に来るって。修一に呼びかける・・。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「うん、うん・・。」
【ナレーター】
早速トミさんに伝えます。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「あれをね、収録に来るから。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「18日に?」
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「18日。だからその前に修一に呼びかける文章書いておかなきゃいかん。だからそうね、あのこの前書いたの、ほらっ、1枚だったかな?あれぐらいで2分から3分じゃないかな。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ああ、そう。」
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「うん。だから修一に一生懸命呼びかけてみて。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「はい。えへへ・・。聴こえてくれたらいいがな・・。」
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「聴こえるん、聴こえる。聴いておってくれるという一念で呼びかけなければ・・。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ああ、そう。はい。聴いてくれればいいがな・・。」
【ナレーター】
弱気な言葉を繰り返すトミさん。
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「元気でいればね・・。」(「くすん」と鼻をならす)
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「今言った言葉をもう忘れて。同じことを・・。」
【ナレーター】
わずかな望みを託した再調査。しかしそれも延期され、健一さんは苛立ちを隠せません。(立ち上がって部屋に戻るトミさん)
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「歳をとって子どもから言われると堪えるんだよね。それは分かっているんだけども、それを抑えきれない時もあるんだよね。ほんの、他人から見りゃ些細なことなのに『えー?何でそこまで怒るの?』と思われるかもしれんけども、どうしてもね、そういう時もあるよ・・。後で謝っとく、うふふ、『ごめん』って言って・・。」
【ナレーター】
「再調査延期」のニュースが流れた10日後。東京に健一さんの姿がありました。家族会が開く緊急の集会に出席するためです。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】(9月15日緊急国民集会にて)
「拉致問題は一刻も早く解決しなけりゃならない深刻な人権問題です。」
【ナレーター】
90歳を越えた両親に残された時間は決して多くはない。気持ちを奮い立たせながら、各地で家族の願いを訴えます。
鹿児島では北朝鮮向けラジオ放送の収録が近づいていました。トミさんは修一さんへのメッセージを書き始めていました。(とてもきれいな字です)
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさんのメッセージ】(収録当日 9月18日)
「修ちゃん、るみ子さん、家族、みんなお変わりないですか?一日も早く会いたいと祈っております。お父さんもお母さんも90歳をいくつも越えました。修ちゃん一家に会えるまで絶対元気で、と張り切っております。修ちゃん一家もお父さんお母さんに負けないよう元気で一日も早く帰って来てくださいね。みんな元気で会える日を楽しみに待っています・・。」(涙声で呼びかけていました)
*しおかぜ通信
http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
【ナレーター】
10月初め、私たちが朝訪ねるとトミさんの姿が見えませんでした。午後になってトミさんは病院の車で帰って来ました。「リュウマチで身体のあちこちが痛み、診察を受けに行った」といいます。これまではほとんどなかったことでした。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「おかえり」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「ただいま。えへへ・・。」
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「遅かったなぁ。どうだったんだよ。」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「はあ・・。身体が痛いんだよ。」
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「痛い・・?」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「うん・・。」
【ナレーター】
トミさんは夜よく眠れない日が続いていました。(心配そうにお母さんを見つめる健一さん)健一さんに身体のことを多くは語らず、トミさんは自分の部屋に入ったままでした。
10月11日、拉致問題に大きな影響を与える動きがありました。アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除したのです。
【アメリカ国務省・マコーマック報道官】VTR
「ライス国務長官は北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除の文書に署名した。」
【ナレーター】
これまでアメリカは「拉致はテロ行為だ」として被害者家族に理解を示してきました。健一さんもアメリカの支援を強く期待していました。
【テレビのニュース】
「アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除したことについて、河村官房長官は『これによって拉致問題が置き去りになってはならず、引き続き解決に向けて強い決意で臨む』姿勢を示しました。『日本にとりましては拉致問題・・問題を抱えておりますし、これも同時に進んでいかなきゃならない。政府としてもですね、この問題が置き去りにならないように拉致問題に対する政策はこの解除によって今後後退することはないと、強い決意のもとで進んでまいりたい・・。』」(テレビを見つめる健一さんと龍子さん。そしてその後ろからそっと見つめるトミさん)
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「・・もうイヤだ・・。今までこんなことはなかったんだけど、今日は何かすごく、すごくショックを受けてる・・。」
【ナレーター】
トミさんはいつものように家族の食事を作り始めました。この日は健一さんの好きな卵焼きでした。
10月20日、修一さんの誕生日です。拉致されて30年、修一さんは54歳になりました。(修一さんの部屋を掃除する健一さん)拉致問題をめぐって揺れ動く家族の思い。この秋も何の進展もないまま時間だけが過ぎて行きました。
【拉致被害者 市川修一さんの兄・健一さん(63)】
「・・修一が帰国して『お父さんお母さん、ただいま』って言った時に、両親がいなければ・・どんなに悲しむか・・。90過ぎた両親が、本当にね、10年でも20年でも長く生きてくれたらね、ありがたいんですよ。でもね、人間の生命って限界があるわけでしょう。この10年先にまで健在でいるかちゅうことは分からないわけでしょう?」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「(窓からずっと空を見つめて)修一たちはどうしているでしょうねぇ・・。」
【記者】
「空を見るとやっぱり考えますか?」
【拉致被害者 市川修一さんの母・トミさん(91)】
「そうねぇ、やっぱり、どうしているかなぁ?思ってね。元気でいるかなぁ・・。(涙をぬぐう)いつもねぇ、頭から離れないですよね。やっぱりね、寝ても覚めても、やっぱりどうしているかなぁ?早く帰って来てーってね。元気でいるかなぁ・・。(空を見つめて泣くトミさん)あの子も祈ってね、早く帰って来てくれればいいけど。」(青い空)
市川トミさんは今月10日、くも膜下出血で倒れ、きょう息を引き取りました。心よりご冥福をお祈りします。(テロップ)
終わり
*修一さんのお母さんのトミさんが初めて短波放送“しおかぜ”に乗せるメッセージの原稿をお書きになったということで、2006年10月7日の第15回藤沢市民集会(救う会神奈川主催)で修一さんの義姉の龍子さんが代読されました。よろしかったらご覧になってみてください。
↓ ↓ ↓
*市川トミさんから修一さんへ “しおかぜ”に乗せる想い
http://akemama13.seesaa.net/article/109731485.html
*カテゴリ「拉致被害者 市川修一さん」
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