*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)
皆さま、こんばんは。(会場から「こんばんは」)ただ今ご紹介にあずかりました「横田めぐみ」の弟の横田拓也と申します。よろしくお願い致します。
まずは始めに冒頭、副代表の飯塚さんからご挨拶申し上げましたが、日頃より北朝鮮による日本人拉致問題に関しまして本当に深いご理解とご支援を賜りますこと、高い席からではございますが、御礼申し上げます。ありがとうございます。(大拍手)
「横田めぐみ」の件につきましては、すでに皆さま方、深くご承知いただいているかと思いますが、まぁ、家族からの話としてですね、一部ご紹介、もしくは日頃の活動についてお話申し上げたいと思います。
「横田めぐみ」は1977年の11月に、この美しい日本、そして楽しい家族のもとから引き離されて「拉致をされた」わけであります。わずか13歳という、本当に子どもです。学校のクラブのバトミントン部でしたけれども、友だちと帰って、途中で別れてから、家とその拉致現場というのは本当にもう、数百メートルの近い距離だったわけなんですが、そこで消息を失ったわけです。
警察犬によって、まぁ、嗅覚が鋭いですから、犬を何匹も使ってですね、あの、調査をしたわけなんですが、まったく手がかりなし、目撃情報なしということで、もう私たちとしてみれば本当に、当時の言葉で言うと「神隠し」ということでですね、本当に生き地獄、もう毎日であったわけであります。
で、めぐみは今年の10月で41歳の誕生日を迎えまして、今月(11月)の15日、拉致をされてから28年経過したわけであります。
それで私も含めてなんですが、皆さま方におかれましてもですね、ご本人ご自身が13歳の頃、どんな歳だった、どんな苦労の?記憶があるかということを思い出していただきたいんです。
まぁ、中学1年生であります。本当に多感な頃で、夢が多くて、自己実現をかなえようという本当に花盛り、楽しい時期であったと思います。これはもうみんな一緒なんだと思います。本当にまぁ、友だちがいて楽しくて、先生の授業、楽しいかどうかわかりませんけども、本当にもう、毎日が毎日が楽しい日々、明るい一日だったと思います。
そして「クラブで勝って優勝したい」という夢もあったでしょうし、「高校に入ってこんな勉強したい」とか「大学に入って、こういうふうな学部に入って勉強したい」とか、「こんな仕事をしてみたい」とか、まぁ、「旦那さんと結婚してお子さんを持って・・」とかそんなことを本当に夢見ていたと思います。
これは誰もができた平等に与えられた権利、夢だったと思うんですが、儚くも姉はこの夢をかなえることができず、北朝鮮の工作員によって「拉致をされた」わけであります。
もう人生の3分の2以上が、あの本当にもう夢も将来もないような貧しい、精神的に貧しい北朝鮮という、まぁ地域ですね、私たちは国交を持っていませんから、国家ではありませんけれども、まぁその地域においてですね、抑留されているわけであります。
私たちはこうしてこちらから今お話をさせていただいているわけなんですが、こんな冬でもこうして暖かい場にいることができます。帰ってもお腹が空けば夕ごはんを本当に普通に食べることができます。寝る時も温かい布団の中に入って安心して寝ることができる。明日も本当に普通の朝がやって来るし、普通のお友だちとごはんを食べるかもしれません。どこかにお出かけになるかもしれません。将来に対してはほとんどの不安がないのがこの日本の地の状況だと思います。
しかし、めぐみを始めとする多くの被害者たちは、今日食べることが保障されていないかもしれない。寝る所が屋外の寒い所かもしれない。それは私たちが色んな報道で、子どもたちが本当にまぁ、乞食と言うような、向こうでは何と呼んでいるのかわかりませんが、乞食と書いた言葉でですね、ひどく、本当にもう落ちているようなコーンの、とうもろこしの屑をですね、食べているといったような状況であります。
皆さま方のお手元に資料が配られているかどうかわからないんですが、脱北された、あの、女性とか男性のお話によるとですね、まぁ、「落ちているネズミの足を食べたのが、これまでのごちそうだった」と言っていたこともあるわけです。
*'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10712128.html
*11/13 第16回大宮講演会 脱北者の証言《資料より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9685031.html
本当に何も保障されていないわけです。そして楽しい時も、怒りにある時も、そういったことを、感情を、隣の人と周りの人と共有することもできない。思想の弾圧があって、人権の弾圧が日々ある。本当に将来が保障されていない、悲しい毎日にいるわけなんです。それを28年間、そして人によっては30年、40年も同じ状況にあるわけであります。
これはたまたま私がこうして壇上の中でですね、お話を申し上げておりますけど、これは日本人一人一人がこの状況に対して怒って、「北朝鮮を絶対に許してはならないんだ!!」ということを、共同歩調で取り組んでいく必要が私はあると思います。
本当にめぐみというのはもう、横田家っていうか、横田家の中ではですね、もう本当に笑顔のシンボル、女の子でしたから、特に家の姉はしゃべるのが好きで明るい子でしたから、本当に賑やかな食卓だったわけです。
しかしその拉致をされた当日、数日1週間、1ヶ月、「どこまで続くんだろう」という重い雰囲気があって、いつのまにか姉の存在、姉の言葉というのが語られなくなった。それが色んな家族会の被害者のご家族の話を聞いてみると、本当に一緒の経過をたどっています。
口にしてはならない、重い雰囲気がいつも漂っていて、本当に生殺し、生き地獄といったような日々を送っていたわけであります。
(2)に続く
*11/19 第3回埼玉県民の集い 横田拓也さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10785807.html




