*'04 11/2 国際シンポジウムに参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10437877.html
◆金 英順(キム ヨンスン)さん◆
1970年代耀徳(ヨドク)強制収容所に収監された。収容所で父母、息子が死去。夫も処刑さる。平壌総合芸術大学1期卒業。舞踊家。
*撮影したビデオカメラより文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)
私は、北朝鮮から脱北した「金 英順」(キム ヨンスン)と申します。最近日本では大きい地震(中越地震)がございまして、被害の規模も大きかったと聞いております。それにもかかわらず、北朝鮮の人権のためにこのように多くの方に参加していただき誠にありがとうございます。
私は1937年5月26日に生まれました。満で言いますと67歳になります。北朝鮮で“平壌総合芸術大学”を卒業しまして、当時は舞踊・ダンスを専攻いたしました。その学校では“朝鮮民族舞踊”というのをチェスミン先生から教えていただきまして、それからクラシックバレエに関しては、ソ連で勉強し留学なさった先生の方々から教えていただきました。
その学校を卒業した後は、“朝鮮人民軍協奏団”というところで13年間人民・・を勤めました。その協奏団を除隊した後ですね、外国にはないと思いますが、北朝鮮には“外国旅行者商店”というのがございまして、そこで商業部の指導員を務めました。
“外国旅行者商店”というのは政府の大使団、政府の大使ですとか代表団、それから政府高官が海外に行く際にですね、すべてその商店で買い物をするということになっています。そしてですね、その商店の中にある商品というのは、日本の商品を取り扱っていました。
ある日、8月の頭くらいだったんですけれども、その商店が出張の命令が出されました。それはですね“西平壌駅”という駅がありますけれども、そこにある“しんぎしゅう?”、その地域が“しんぎしゅう?”なんですが、「“しんぎしゅう?”の化粧品会社に行って、何か製造の仕事をしてくれ」という内容の指示だったんですが、その準備をしていたらですね、ある軍人が私に突然「身分証明書を示して」というふうに私に指示を出しました。それで身分証明書を出したところ、いきなり“保衛部の招待所”というところに連れて行かれました。
そこでですね、私は保衛部で2ヶ月間も取り調べを受けました。非常に苦痛でした。その取調べを行った人からですね「何か白状しろ」というふうに言われました。しかし、私には何も白状することはございませんでした。罪もない、何も悪いことをしたことがないので、ずっと「言いたいことはない」というふうに否定しました。
そうしたら保衛員はですね「何でもいいから書け」と言いました。私は「何を書けばいいんですか?」と聞き返しました。そしたら「一日の日課を書いてほしい」と、その前の商店の事務所でですね、「一日中やったことを、朝から晩まで何をしたかを書くように」私に指示をしました。
そこで2ヶ月間取調べを受けた後、保衛部の幹部5人が私のところに来まして「あなたは朝鮮労働党の党員として、あなたの発言が韓国に伝わった場合、責任をとるようなことはないか」と言いました。とにかく「党の命令に従うべきだ」というふうに言われました。
私の罪目がその後わかりました。それは、金正日の元妻である成恵琳(ソンヘリン?)が「金正日の妻であることをしゃべってしまった」こと、そして金正日の本名がですね、「ユラ」だということを言ってしまった、そしてその「金正日がソ連で生まれたこと」などをしゃべってしまった、それが罪目でした。
それで保衛部からですね、「これからはどの幹部にも会うことができない」「とにかく言うことを聞け」ということを言われました。そしてその後、私の家族は7人だったんですが、私の両親、そして子ども4人がみな「耀徳(ヨドク)収容所」に連れて行かれました。
その「耀徳(ヨドク)収容所」がどれだけひどかったかについてはですね、そのカンチョルファンさんですとかアン・・・さんとかがすでに申し上げたことがございますので、ここでは割愛したいと思います。
*カルメギ特別号 2003.9.6より
「ひどい詐欺の犠牲になった北朝鮮帰国在日朝鮮人」姜哲煥
「北朝鮮における人権」 金泰振(脱北者)
http://homepage1.nifty.com/northkorea/tokubestugo.htm
それから、その収容所に連れて行かれてその後私の父親は、1年後に栄養失調で亡くなりました。そして母親の方は5年後に亡くなりました。そして私の息子1人はですね、学校の帰りに川に落ちて亡くなってしまいました。このように3人の家族を私は失ってしまいました。それで8年1ヶ月ぶりに私は「耀徳(ヨドク)収容所」から出ることができました。
私の主人はですね「朝鮮百科事典出版社」というところに勤めていました。その出版社の所長、上司がですね、辛光洙(シンガンス)というスパイでした。(原敕晁さんを拉致したスパイ)彼と非常に仲が良かったんですが、その辛光洙(シンガンス)の密告によって、主人は1970年7月4日に保衛部に逮捕されました。
*写真は北朝鮮の記念切手です。(拡大写真)原さんを拉致した辛光洙(シンガンス)が右端上から4番目に載っています。(「原敕晁さんを救うぞ! 東京集会10」にて撮影)
*【工作員「辛光洙」】原敕晁さん拉致の全容 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com/nenpyo/siryo03.html
*辛光洙がめぐみさんと曽我さんの教育係 曽我さん証言
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4145
このようにして家族を失くして、私の両親は韓国出身だったので北朝鮮に親戚はいませんでした。中国か日本にいらっしゃったんですけれども、結局残りの家族はですね、鉱山に配置されました。「チャウンジンチュモン鉱山?」という所だったんですが、そこは金正日の当資金を集める所で「39号室」と言われる所なんですが、そこでは金を掘り出すようなそういう鉱山でした。
(2)に続く
*地名・人名については、聞き取りに自信がありませんので「?」としております。間違いがあるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
*'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10735450.html




