*あおいのママの昔の話です。今回は高校受験の日の思い出を2回に分けて書いています。よろしかったらご覧になってください。
*高校受験の思い出(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/91667022.html
続き
高校受験2日目は集団面接・個人面接でした。この日のためにみんな前もって学校で面接の練習をしてきました。大体、試験官から聞かれることは決まっているようなので、それに対してどうやって受け答えすればいいのか、色んな想定をしながら練習していたと思います。当日、最初に集団面接がありました。同じ中学の子が5〜6人一緒でした。教室に入ると数人の先生の前に椅子が横並びになっており、一人一人座りました。そしていよいよ質問を受けます。私はすでにあがってしまって、みんなが何を聞かれ何て答えたのか全然頭に入ってきませんでした。そんな中、とうとう私が質問されました。
「あなたのクラスはどんなクラスですか?」という感じで聞かれましたが、私は何にも考えられず、ただ何か答えなくてはいけないという気持ちだけでした。「はい、とても元気なクラスで、休み時間になるとみんなが教室でもグランドでも走り回っています」と答えたと記憶しています。言い方がおかしかったのか、「そうなんですか。とても元気なクラスですね」と先生方が笑いをこらえているのが分かりました。この当時、校内暴力などが社会問題化され始めていましたので、そういった質問になったのだと思います。もっと違った気の利いた答えが出せないのかと私は落ち込みました。
集団面接が終わると今度は個人面接です。教室を出てそれぞれ指定された教室に行きます。集団の教室と同じ階で、廊下を歩いて行って右手側の教室に一人一人入っていきました。私は一番奥の教室で、入口には男の先生が待っていました。私がキョロキョロと落着きがなく心配そうにしていたので、その先生が「頑張れよ!」と明るく声をかけてくれました。それがとてもうれしかったです。本当に一息つけました。
それから教室に入ろうとして入口のドアを引いてみたのですが、建てつけが悪いようで戸が上手く開かないんです。あれっ?どうしたのかなぁ?と思いっきり引っ張ったところ開きました。力が入りすぎてガッシャーンっていう大きな音とともに・・・。いきなり「済みません」から始まりました。
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2008年03月31日
高校受験の思い出(1)
*しばらく都合によりお休みさせていただきました。また再開致します。あおいのママは昔の話を時々書いていますが、今回は高校受験の日の思い出を2回に分けて書いていこうと思っています。いつもくだらない話につきあってくださる皆さんに感謝しつつ、また「何、それ?」って言われちゃいそうだけど、書きたいと思います。
私の田舎の中学ではほとんどの子が受ける高校は県立1校のみでした。私立を受ける子もいましたが、よほど行きたいとかスポーツなどの特待生、県立合格が不安で滑り止め用に、またはきょうだいや親せきの家がそばにあるなどの事情の数人以外はみな県立を受けます。私立の場合、三島市とか沼津市、清水市等々になるので、交通機関の事情もあって自宅通学が難しいため、主に下宿や寮生活になってしまい、親の負担もかなり大きくなります。ですからほとんどの子は県立高校1校だけを受験するのです。
私たちの中学が受けられる県立高校は、伊東商業・稲取・下田北・下田南(南伊豆分校含む)のみ。(現在は城ヶ崎もOK)受験日は同じ日だから、それぞれ自分の実力に合った落ちないような高校を受験します。私は下田の高校を受験しました。この高校は中学校側が特に確実に受かる子しか受けさせない高校で、事実、毎年ほとんど落ちる子はいません。内申書がかなりものを言う学校なんです。私は勉強の方はとんとダメなんですが、中学3年生の夏に地区の陸上大会である競技種目で入賞したので、それがとても大きかったようです。
同じ中学から私を含め14人がこの高校を受験することになりましたが、みんなに聞いてみると、担任の先生から「100パーセント大丈夫!」と太鼓判を押されたそうなんです。でも私は「98パーセント大丈夫!」と言われていたので、その2パーセントがものすごく気になって、とにかくもう不安でいっぱいになってしまいました。その話を聞いた両親もまた心配になり、担任の先生は近くに住んでいて、父がたまたまその年のPTA役員をしていたので一週間前に先生のお宅に飛んで行き、「別の学校を受けた方がいいのではないか」と相談に行きました。先生がその時に「大丈夫です」と言ってくれたので、取りあえずそれを信じることにしましたが、今思えば親子そろって恥ずかしく、顔から火が出そうです。
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私の田舎の中学ではほとんどの子が受ける高校は県立1校のみでした。私立を受ける子もいましたが、よほど行きたいとかスポーツなどの特待生、県立合格が不安で滑り止め用に、またはきょうだいや親せきの家がそばにあるなどの事情の数人以外はみな県立を受けます。私立の場合、三島市とか沼津市、清水市等々になるので、交通機関の事情もあって自宅通学が難しいため、主に下宿や寮生活になってしまい、親の負担もかなり大きくなります。ですからほとんどの子は県立高校1校だけを受験するのです。
私たちの中学が受けられる県立高校は、伊東商業・稲取・下田北・下田南(南伊豆分校含む)のみ。(現在は城ヶ崎もOK)受験日は同じ日だから、それぞれ自分の実力に合った落ちないような高校を受験します。私は下田の高校を受験しました。この高校は中学校側が特に確実に受かる子しか受けさせない高校で、事実、毎年ほとんど落ちる子はいません。内申書がかなりものを言う学校なんです。私は勉強の方はとんとダメなんですが、中学3年生の夏に地区の陸上大会である競技種目で入賞したので、それがとても大きかったようです。
同じ中学から私を含め14人がこの高校を受験することになりましたが、みんなに聞いてみると、担任の先生から「100パーセント大丈夫!」と太鼓判を押されたそうなんです。でも私は「98パーセント大丈夫!」と言われていたので、その2パーセントがものすごく気になって、とにかくもう不安でいっぱいになってしまいました。その話を聞いた両親もまた心配になり、担任の先生は近くに住んでいて、父がたまたまその年のPTA役員をしていたので一週間前に先生のお宅に飛んで行き、「別の学校を受けた方がいいのではないか」と相談に行きました。先生がその時に「大丈夫です」と言ってくれたので、取りあえずそれを信じることにしましたが、今思えば親子そろって恥ずかしく、顔から火が出そうです。
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2008年03月26日
'08 3/23 第19回藤沢市民集会 特定失踪者ご家族

*写真は集会終了後、TBSテレビのディレクター・吉田さんからインタビューを受ける大澤茂樹さんです。(主催者より写真・レポート掲載の許可をいただいております)
あおいのママとパパは3月23日、神奈川県藤沢市で行われた第19回藤沢市民集会にボランティア参加しました。当日、特定失踪者ご家族は集会前に懇話会を行い、調査会代表の荒木和博さん、常務理事の杉野正治さんが現状の説明等をされたようです。TBSのテレビカメラも入っていました。(その他、日経新聞・神奈川新聞の各記者が集会参加)
集会ではご家族7人が参加されました。生島孝子さんの姉・馨子さん、大澤孝司さんの兄・茂樹さん、佐々木悦子さんのご親戚、高野清文さんの妹・美幸さん、寺島佐津子さんのご両親、宮本直樹さんの兄・剛志さんです。荒木さんが講演が始まってすぐに会場の皆さんにご紹介してくださいました。
先日もレポートに書きましたが、今月初め頃に宮本さんに声をかけましたところ「ぜひ参加したい」とおっしゃって、弟さんを捜すカラーチラシも用意してくださいました。訴える時間を作ってくださった救う会神奈川の川添代表、そして荒木さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。宮本さんも深く感謝しておりました。ありがとうございました。
*'08 3/23 第19回藤沢市民集会
宮本剛志さん(特定失踪者 宮本直樹さんの兄)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/90672440.html
また、佐々木悦子さんのご親戚の方は、2004年頃からずっと救う会神奈川でスタッフとして私たちと一緒にボランティア活動をしております。
今回は会場でご家族の皆さんの紹介のみとなりましたので、私のブログでも写真のみをご紹介致します。7人すべての方の撮影はできなかったのですが、どうぞご了承ください。一日も早いご家族の皆さんとの再会を祈っております。

*大澤孝司さんの兄・茂樹さんです。体調不良の中、集会に駆けつけてくださいました。どうぞ無理なさらないでくださいね。
*特定失踪者 大澤孝司さん 昭和49(1974)年2月24日失踪
調査会公開リストより
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=69&mode=search3
調査会公開リストより
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=69&mode=search3

*寺島佐津子さんのご両親です。いつも優しく声をかけてくださってありがとうございます。
*特定失踪者 寺島佐津子さん 昭和54(1979)年8月10日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3

*宮本直樹さんの兄・剛志さんです。初めての藤沢市民集会ご参加でしたので、本当に緊張されたと思います。ありがとうございました。
*特定失踪者 宮本直樹さん 平成14(2002)年3月3日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=184&mode=search3
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=184&mode=search3

*高野清文さんの妹・美幸さんです。(写真左)集会後半のパネルディスカッションでパネラーとしてお話されました。
*特定失踪者 高野清文さん 昭和51(1976)年7月30日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=80&mode=search3
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=80&mode=search3
*特定失踪者 佐々木悦子さん 平成3(1991)年4月22日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=150&mode=search3
*特定失踪者 生島孝子さん 昭和47(1972)年11月1日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=55&mode=search3
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=150&mode=search3
*特定失踪者 生島孝子さん 昭和47(1972)年11月1日失踪
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=55&mode=search3
'08 3/23 第19回藤沢市民集会 開会の挨拶 川添友幸さん(救う会神奈川代表)

*あおいのママとパパは3月23日、神奈川県藤沢市で行われた第19回藤沢市民集会にボランティア参加しました。当日の主催者挨拶の要旨です。よろしかったらご覧になってください。(約2分間)聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(写真・レポート掲載は許可をいただいております)
【川添友幸さん・救う会神奈川代表】
皆さん、こんにちは。本日はありがとうございます。年明けての初めての集会なんですが、実は私、青木直人先生と昨年暮れぐらいに次回の講演会の話をしまして、たぶん桜チャンネルをご覧の方は青木先生をご存じだと思いますが、日本で随一の中国問題専門家の方です。
ちょうど先般からですね、ギョーザの件が1か月前にありましたね。それで今度はチベット、さらに台湾の総統選挙が先日ありました。我ながら非常にタイミングがいい時だと思っております。なかなか拉致の問題と中国問題の接点というのが分かりにくい部分というのがありますので、ぜひ青木先生に分析していただければと思います。
そして今回、家族会の会長になられました飯塚繁雄さんに来ていただくことになりました。で、昨日ですね、北海道の方で講演されていまして、今、飛行機でこちらに向かっておられますので、後の方で飯塚さん、お座りになられます。
ともかく我々の方も19回目の集会になりましたが、拉致被害者救出のためにぜひとも頑張りたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。(大拍手)
*救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/index.html
2008年03月25日
優しい気持ち

*当日の会場内の様子です。左より北朝鮮難民救援基金理事長の加藤博さん、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さん、ジャーナリストの青木直人さんです。
あおいのママとパパは23日に藤沢市民集会にボランティア参加したのですが、その時にとっても温かい心にふれる出来事がありました。皆さんには本当に感謝しております。その中の一つをご紹介したいと思います。
私は当日、会場内で書籍販売・物品販売・署名活動・チラシ配布等々、後ろの出入り口付近でボランティアをしたのですが、集会が始まる前、前正面壁に友人が作製したブルーリボンの幟2枚を貼る作業をしました。1枚は背が届かないので夫に椅子に乗って貼ってもらいました。(この幟は私たちが大切に管理しているものです)
集会が終了すると私たち販売・署名班はものすごく忙しくなり、幟の片付けも含め、後片付けがなかなか進まない状態になります。この日もそうで、守る会代表の三浦小太郎さんや事務局長の宋允復さんや救う会三重の森田さん、秋田代表の松村さんなどなど、集会参加者の皆さんが椅子などの片付けを率先して手伝ってくれたので本当に私たちは助かりました。皆さん、お心遣いをありがとうございます。
私たちは幟のことが気になりながらも販売や署名活動をしていました。しばらくして、ふと何気に前正面を見ると、この日講演された特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんが、そのブルーリボンの幟を壁から丁寧に外しているのが見えました。そして高い所に貼ってある幟の方は無理に引っ張って取ったりせずに、ちゃんと椅子に乗って外してくれたんです。幟に付いたガムテープをきれいにはがし、幟の折り目に合わせてきちんと畳んで「はい」と持って来てくれました。
夫も荒木さんのそんな姿を目にしており、ブルーリボンを大切に思う気持ちを感じて、私たちは感激しました。こういったことは何気ないことですが、行動にその人の心が出るものだと思います。誰が頼んだわけでもないのに荒木さんは幟を外してくれたり、登壇者の皆さんにお出ししたお茶のペットボトルやコップの回収、椅子の片付けも皆さんと一緒にしてくれました。
この日、たくさんの優しい気持ちに接することができて、私たちは幸せなことだなぁと思いました。後片付けを手伝ってくださった皆さん、そしてブルーリボンの幟を大切に扱ってくださった荒木さん、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです!ありがとうございました。
*幟を作ってくれた友人も大変喜んでいました。(^^)
2008年03月24日
'08 3/23 第19回藤沢市民集会 宮本剛志さん(特定失踪者 宮本直樹さんの兄)

*あおいのママとパパは昨日(23日)、神奈川県藤沢市で行われた第19回藤沢市民集会にボランティア参加しました。会場の藤沢産業センターには約100名の皆さんが集まってくださいまして、感謝の気持ちでいっぱいです。レポート及び登壇された方々の講演要旨などについては少しずつご紹介していきたいと思っています。大変時間がかかると思いますが気長にお待ちください。(写真・レポート掲載は主催者より許可をいただいております)
最初に特定失踪者 宮本直樹さんの兄・剛志さんの訴えの要旨をご紹介致します。宮本さんとは2006年6月に古川了子さんの拉致認定裁判で知り合いまして、今回、市民集会にお誘いしましたところ、快く承諾してくださいました。本当にありがとうございます。チラシも用意してくださったので、会場入口で皆さんに配布致しました。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。
【特定失踪者 宮本直樹さんの兄・剛志さん】
失礼致します。2002年3月に失踪しました宮本直樹の兄の剛志と申します。本日は誠にありがとうございます。皆さまのお手元にはカラーのチラシの方があると思うのですが。

私の弟は2002年3月、ちょうど6年前になるのですが、荒川区の家を出てからですね、その生まれ育った新宿の新大久保をちょっとこう歩いて、それ以降、フェリーに乗ったんじゃないかな?っていうぐらいまでで(行方が)まったく分かっていません。特に本人が直前までビルの清掃の仕事をしていましたので、神奈川の方にもよく遊びに来たり仕事に来ておりました。
それで体格はすごく良くてですね、兄である私よりも全然大きくて、これくらいの大きさなんですけれども。
とにかくまったく手掛かりがなく、色んな人に相談すると「拉致ではないか?」ということだったり、占い師だったり、あの、透視をしてもらう方に見てもらっても「朝鮮の方にいる」って言われたりですね、ただまったく何もない状態ですので、私ができることといえば、皆さまに弟の存在を忘れないでいて欲しいなということだけです。
ぜひ、何か弟のことで分かることなどありましたらご連絡をいただければと思います。よろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者 宮本直樹さん 平成14(2002)年3月3日失踪
調査会公開リストより
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=184&mode=search3
*'06 6/28 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会 宮本剛志さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/23018002.html
*この人を捜しています 特定失踪者 宮本直樹さん
http://akemama13.seesaa.net/article/83174543.html
2008年03月20日
政治犯と関連した金日成・金正日の教示
*あおいのママは2007年12月15日、東京・永田町の星稜会館で行われた証言と提言の集会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会主催)に参加しました。その際に配布された資料をテキストにしてご紹介しております。よろしかったらご覧になってください。
●金日成の教示
☆階級的な仇共にはプロレタリア独裁がどんなものか、きつく知らしめねばならない。
☆宗派分子(セクト主義者)共は、我々の革命につっかかった石であり、徹底して除去せねばならない革命の対象である。
☆宗派主義者、階級的仇共は、その誰であろうと問わず三代を皆殺しせねばならない。
☆毒草は除去すべき時に除去し、根絶やしにせねばならない。
☆過ぎ去りし時期、我々人民達の血の汗を絞り取り肥大した搾取分子共と宗派分子共は容赦無く皆殺しせねばならず、再び頭をもたげられないようにせねばならない。
☆管理所(収容所)内で、階級的仇共が暴動を頻繁に引き起こすなら、軍隊を配置し、再び暴動が発生しないようにせねばならない。(1968年の教示)
☆警備隊・軍人達が逃走者を捕らえたら大きく表彰し、軍人達の中で宗派分子共に対する敵傷心を持つように思想教養を強化せねばならない。
☆保衛員達は階級的仇共を管理しながら、些少な人情と同情心を持たず、常に革命的自覚性を持って彼らの統制事業を遂行し、プロレタリア独裁の真骨頂を厳しく見せ付けねばならない。
●金正日の教示
★逃走した者共は、無条件に捕らえ殺さねばならない。逃走は首領様の対外的権威と威信に関連する最も重要な問題であり、逃走した者は容赦無く殺してしまわねばならない。
★首領様に心配を掛けないように同務達(保衛員・警備隊)が統制と監視を徹底して行ない、一人も逃走させてはならない。
★国家保衛部7局は生産が基本ではなく、熾烈な階級闘争が基本である。階級的仇共と宗派分子共に対しては、非妥協的闘争を強化せねばならない。
★農場指導局の保衛員と警備隊は階級の前哨線に立っているという誇りを持ち、移住民(政治犯)収容事業と逃走を徹底して防止する事により、首領様に喜びをさし上げねばならない。
'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」北朝鮮の7日間191(2)誕生日プレゼントの中身とは?
*3/17日本テレビで夕方放送の“北朝鮮の7日間191”というコーナーの一部を文字化テキストにしました。2回に分けて掲載しております。聞き取りに間違いやカン違いのある場合もございます。どうぞご了承ください。写真はテレビより撮影しましたので不鮮明です。
*'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」
北朝鮮の7日間191(1)日本が舞台!?金正日花ドラマ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/90127097.html
続き
誕生日プレゼントの中身とは?
【ナレーター】
そんな金総書記の誕生日(2月16日66歳)でよく見る光景といえば―。金総書記から人々へ贈られるプレゼント。年に一度のうれしい贈り物だ。そこで軍の幹部だった脱北者・朴哲(パクチョル)氏に誕生日プレゼントについて聞いた。
在日朝鮮人の帰還事業で親とともに北朝鮮に渡り、軍の幹部を務めた朴氏。脱北した現在は日本で暮らしている。

【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「ちゃんとプレゼントと書かれた箱をもらいました。2月16日に全部もらったんですよ。」
【ナレーター】
そこで朴氏の証言をもとに当日のプレゼントを再現した。中身は豚肉にリンゴ、もやし、魚に油、酒など、5人家族でもらえるのはこれだけ。

*映像:豚肉200グラム、りんご1個、豆もやし、豆腐1丁、イワシ2匹、油、お酒(焼酎)
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「これが80年代末か90年代初めのプレゼントだね。これはお酒なんですよね。4人か5人家族で500mlか700mlぐらいの、それをもらうんですよ。でもビンがないともらうことができない。ところがビンが一般家庭にはないんです、向こうは。(ビンがないので)ものすごく用意するのに大変なんです。」

【ナレーター】
酒は自分でビンを用意して配給所でもらわなければならない。さらに―。
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「豚肉はだいたい90年代、80年代くらいは1人100グラムくらいもらえたんだけど、(90年代中頃は)5人世帯でこのくらいですよね。もう200グラムか100グラム・・・。」
【ナレーター】
80年代は1人100グラムあった豚肉だが、90年代に入ると5人で100グラムに減ったという。しかも―。
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「92年まではプレゼントをもらったんだよね。93年94年からはそれもピタッとなくなりました。それ以降はプレゼントをもらうのは上の特別な人間たちはもらうんだけど、一般の兵士とか庶民たちには一切もらえなかった。」
【ナレーター】
90年代半ばになると、プレゼントがもらえるのは幹部だけで、庶民はまったくもらえなくなったという。
終わり
*'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」
北朝鮮の7日間191(1)日本が舞台!?金正日花ドラマ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/90127097.html
続き
誕生日プレゼントの中身とは?
【ナレーター】
そんな金総書記の誕生日(2月16日66歳)でよく見る光景といえば―。金総書記から人々へ贈られるプレゼント。年に一度のうれしい贈り物だ。そこで軍の幹部だった脱北者・朴哲(パクチョル)氏に誕生日プレゼントについて聞いた。
在日朝鮮人の帰還事業で親とともに北朝鮮に渡り、軍の幹部を務めた朴氏。脱北した現在は日本で暮らしている。

【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「ちゃんとプレゼントと書かれた箱をもらいました。2月16日に全部もらったんですよ。」
【ナレーター】
そこで朴氏の証言をもとに当日のプレゼントを再現した。中身は豚肉にリンゴ、もやし、魚に油、酒など、5人家族でもらえるのはこれだけ。

*映像:豚肉200グラム、りんご1個、豆もやし、豆腐1丁、イワシ2匹、油、お酒(焼酎)
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「これが80年代末か90年代初めのプレゼントだね。これはお酒なんですよね。4人か5人家族で500mlか700mlぐらいの、それをもらうんですよ。でもビンがないともらうことができない。ところがビンが一般家庭にはないんです、向こうは。(ビンがないので)ものすごく用意するのに大変なんです。」

【ナレーター】
酒は自分でビンを用意して配給所でもらわなければならない。さらに―。
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「豚肉はだいたい90年代、80年代くらいは1人100グラムくらいもらえたんだけど、(90年代中頃は)5人世帯でこのくらいですよね。もう200グラムか100グラム・・・。」
【ナレーター】
80年代は1人100グラムあった豚肉だが、90年代に入ると5人で100グラムに減ったという。しかも―。
【脱北者・朴哲(パクチョル)氏】
「92年まではプレゼントをもらったんだよね。93年94年からはそれもピタッとなくなりました。それ以降はプレゼントをもらうのは上の特別な人間たちはもらうんだけど、一般の兵士とか庶民たちには一切もらえなかった。」
【ナレーター】
90年代半ばになると、プレゼントがもらえるのは幹部だけで、庶民はまったくもらえなくなったという。
終わり
2008年03月19日
'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」北朝鮮の7日間191(1)日本が舞台!?金正日花ドラマ
*3/17日本テレビで夕方放送の“北朝鮮の7日間191”(番組は10分間)というコーナーの中の一部を文字化テキストにしました。(1)日本が舞台!?金正日花ドラマ(2分間)(2)誕生日プレゼントの中身とは?(2分間)短いものですが2回に分けて掲載致します。聞き取りに間違いやカン違いのある場合もございます。どうぞご了承ください。
日本が舞台!?金正日花ドラマ
【ナレーター】
変わってこの日放送されたのは―。「第12次金正日花祝典場は多くの人であふれています。」(2月16日の朝鮮中央テレビニュースより)
金正日花とは、赤い大きな花をつけるベゴニアの一種で、北朝鮮では金総書記の誕生日に合わせて大量に栽培されている特殊な花。そんな金正日花が誕生した経緯を描いたドラマが放送された。(2月18日放送「花に込められた事情」)
「いらっしゃいませ」物語は何故か日本の居酒屋からスタート。奥には日本語で書かれたメニュー(おでん)もある。そこに登場したのは主人公の日本人・マサヒデ。「おまたせしました」その手元には日本酒の一升瓶が置かれていた。
その後、南米アンデス山脈へ向かったマサヒデは険しい山を登り、珍しいベゴニアの球根を探す。すると―。「見つけた!見つかりましたよ!!」吹雪の中、ようやく新種のベゴニアの球根を発見。
そして舞台はまた日本に。そこで使われている映像をよく見ると一昔前の東京・日比谷公園付近の映像だった。(走る自動車が古い感じでした)その後、マサヒデは金総書記の本と出合い、金総書記のすばらしさに魅了されていく。そしてベゴニアの研究を重ね―。「この花を金正日花と命名いたしました。」
このドラマは1988年にある日本人が金正日花を作った実話をもとに作成されたもの。今では金総書記の誕生日に合わせ、大々的に金正日花の栽培をしなければならない。
*こちらに花の写真と説明があります。
↓ ↓ ↓
*金正日花 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5%E8%8A%B1
(2)に続く
*'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」北朝鮮の7日間191(2)
誕生日プレゼントの中身とは?
http://aoinomama13.seesaa.net/article/90181465.html
日本が舞台!?金正日花ドラマ
【ナレーター】
変わってこの日放送されたのは―。「第12次金正日花祝典場は多くの人であふれています。」(2月16日の朝鮮中央テレビニュースより)
金正日花とは、赤い大きな花をつけるベゴニアの一種で、北朝鮮では金総書記の誕生日に合わせて大量に栽培されている特殊な花。そんな金正日花が誕生した経緯を描いたドラマが放送された。(2月18日放送「花に込められた事情」)
「いらっしゃいませ」物語は何故か日本の居酒屋からスタート。奥には日本語で書かれたメニュー(おでん)もある。そこに登場したのは主人公の日本人・マサヒデ。「おまたせしました」その手元には日本酒の一升瓶が置かれていた。
その後、南米アンデス山脈へ向かったマサヒデは険しい山を登り、珍しいベゴニアの球根を探す。すると―。「見つけた!見つかりましたよ!!」吹雪の中、ようやく新種のベゴニアの球根を発見。
そして舞台はまた日本に。そこで使われている映像をよく見ると一昔前の東京・日比谷公園付近の映像だった。(走る自動車が古い感じでした)その後、マサヒデは金総書記の本と出合い、金総書記のすばらしさに魅了されていく。そしてベゴニアの研究を重ね―。「この花を金正日花と命名いたしました。」
このドラマは1988年にある日本人が金正日花を作った実話をもとに作成されたもの。今では金総書記の誕生日に合わせ、大々的に金正日花の栽培をしなければならない。
*こちらに花の写真と説明があります。
↓ ↓ ↓
*金正日花 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5%E8%8A%B1
(2)に続く
*'08 3/17 日本テレビ「NNN News リアルタイム」北朝鮮の7日間191(2)
誕生日プレゼントの中身とは?
http://aoinomama13.seesaa.net/article/90181465.html
2008年03月18日
3/10 病院に行く
あおいのママは先週10日に予約日で病院に行きました。ここのところ毎月通っています。この日、採血で使ったのはいつものより細い注射針だったのですが、それがまたものすごく痛くて涙が出てしまいました。一週間経つというのにまだ痕が残って痛いです。
検査を早々に済ませましたが、内科は大変混んでいたのでだいぶ待ったあと診察室に呼ばれました。結果は薬が効いたのか前回よりも数値は良くなっていました。やったぁ〜!と喜んでいたのに先生は良いことと悪いことを説明しました。数値が少し改善されたのは薬のおかげで本当の意味で改善されたわけではないと言うのです。でも他の数値は前回より大体良い結果だったので、取りあえず違う検査をしてみて判断をするということです。
ということで、また来月も病院に行くことになってしまいました。ここ1年くらいで血が薄くなったそうなので仕方ないけど・・・。病院に行くと決まって気分が悪くなり、しばらく元気がなくなります。精神的なものなのでしょうが、まだそんな感じですっきりとしていません。週末には藤沢の集会にボランティア参加する予定ですので、早く元気いっぱいにならなければと思っています。
検査を早々に済ませましたが、内科は大変混んでいたのでだいぶ待ったあと診察室に呼ばれました。結果は薬が効いたのか前回よりも数値は良くなっていました。やったぁ〜!と喜んでいたのに先生は良いことと悪いことを説明しました。数値が少し改善されたのは薬のおかげで本当の意味で改善されたわけではないと言うのです。でも他の数値は前回より大体良い結果だったので、取りあえず違う検査をしてみて判断をするということです。
ということで、また来月も病院に行くことになってしまいました。ここ1年くらいで血が薄くなったそうなので仕方ないけど・・・。病院に行くと決まって気分が悪くなり、しばらく元気がなくなります。精神的なものなのでしょうが、まだそんな感じですっきりとしていません。週末には藤沢の集会にボランティア参加する予定ですので、早く元気いっぱいにならなければと思っています。
2008年03月16日
'07 12/14 北朝鮮人権問題啓発週間国際会議 川島高峰さん(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
*昨年末の北朝鮮人権問題啓発週間に開催された国際会議(北朝鮮難民救援基金・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・特定失踪者問題調査会・法律家の会、4団体共催)午前の部での明治大学情報コミュニケーション学部准教授・川島高峰さんの報告と提言の要旨レポートです。(約18分間)順不同でご紹介しております。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者側より撮影及びレポート掲載の了承済みです)
川島高峰(かわしま たかね)さん
1963年、東京生。明治大学情報コミュニケーション学部准教授・政治学博士。代表作『流言・投書の太平洋戦争』(講談社学術文庫)他。国際人権問題について『アメリカ国務省人権報告』(2002年、現代史料出版)、『イラク人権レポート』(2003年、現代史料出版)など。現在は、「北朝鮮帰還事業の政治・外交過程、及び、邦人拉致工作に対するその前史形成の検証」という主題を学術振興会・研究助成を受けこれに取り組んでいる。
テーマ:北朝鮮の人権状況の改善に何ができるか
【荒木和博さん・特定失踪者問題調査会代表】
それでは続きまして、明治大学情報コミュニケーション学部の准教授でございます川島先生の方からお話をうかがいたいと思います。川島先生のレジュメが1枚のものがお手元にあると思います。お願い致します。
【川島高峰さん・明治大学情報コミュニケーション学部准教授】
皆さま、ごきげんよう。明治大学の川島でございます。レジュメの方、今、追加がありますので配布したいと思います。簡単なメモ書き程度のものが配布されていると思うんですが。
本日、斎賀大使もお出でになりまして、実はこの12月10日にですね、北朝鮮人権週間開始まさにその日に外務省の方から新たな私が開示請求していました資料が開示されまして、全部で8件2400ページ。やはり外務省の方もこの北朝鮮人権問題啓発週間というのを非常に意識して開示されたのかなぁと。今まで私、開示請求してきたんですが、一つの日にこれだけまとまって出たのは実は初めての経験でございます。
事前に配られたものでは数分ふれるだと書いてありますが、何しろ量が多いものですから。この2400ページの内の7割が日本人妻に関する資料でございました。ただやはり個人情報保護ということもあって、個人情報に関わる部分は不開示というかたちになっておりますので、個々のことについてあまり詳しく申し上げることはできません。その中で私、一つだけ非常に印象的なことがあります。そのことをちょっとさわりにお話したいと思います。
実は1970年初頭に脱北事件があるんですね。これは日本人妻の、日本で非常に問題にされるようになるのが1975年前後、70年代中葉からだと思います。この70年代初頭の脱北事件というのは、これ日本人妻の、日本人の女性が脱北をして中国側の当局に保護をされるというそういう事件でございました。この当時は今と中国の対応が違って日本政府の方に問い合わせがありまして、外務省でその方の国籍などを調べた上で「保護する」という方針を決めるわけです。
一体この事件、その後どういうふうに展開するかというと、その脱北した方が行方不明になってしまうんですね。で、行方不明になってどのくらい時間が経過したかはちょっと書いてないんですが再びまた現れます。この時は北朝鮮当局の人に伴われて現れる。そして日本の外務省の側に対して「自分はやはり北朝鮮に戻る」ということを述べたわけですね。
そういう事件があって、当時、日本の外務省の方では「保護する」というところまで方針を決めて臨んだわけですが、脱北した当人は北朝鮮当局に伴われて、一度行方不明になった人がもう一度現われて「やはり北朝鮮に帰る」と、こういうことで日本への帰国には至らなかった、そういう事件でございます。
私はその後の帰国事業あるいは日本人妻問題をめぐる多くの問題点を象徴するような事件だなと、問題の本質はどこにあるのかと、何故帰って来られないのだろうか、そういったことが非常に凝縮された事件だなと思っています。
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喜びの春

あおいのママとパパが拉致問題のボランティアを始めたのは2004年の春頃でした。それから多くの方との出会いや別れなどを経験しながら、勉強しながら、現在に至っています。
出会うのは大人ばかりではなく、学生さんとも一緒にお手伝いすることもあります。自分が学生だった頃を思い出すと、本当に皆さんしっかりしているなぁと感心することばかりです。何も表立って活動をすることが偉いわけではないですが、自分でできることを考えて、そして行動をするというのは、大人でもできそうでできないことが多いと思います。
先日、うれしい連絡がいくつかありました。それぞれの進路が決まったとの知らせです。上の学校に、そして社会人にと、今年は三つの希望の旅立ちがあります。上の写真はその一つです。懐かしく感じる方も多くいらっしゃると思いますが、これは合格発表です。写メールで届いたのですが、私たちも本当にうれしくって涙が出てしまいました。本当によかったネ、おめでとう!!
子育ての経験のない私が言うのも変ですが、今までのたくさんの苦労・努力も報われ、親御さんの喜びもひとしおではないでしょうか。本当におめでとうございます。
喜びの春を迎える皆さん、お父さん、お母さんによーく感謝して、これからも頑張ってそれぞれの道を歩いて行ってくださいね。はっぴい・すぷりんぐ、バンザ〜イ!!
2008年03月14日
政治犯収容所で政治犯として生まれた私 脱北者 シン・ドンヒョク氏

*あおいのママは2007年12月15日、東京・永田町の星稜会館で行われた証言と提言の集会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会主催)に参加しました。その際に配布された資料をテキストにしましたのでご紹介致します。よろしかったらご覧になってください。
以下の文章は、タイの国際会議で発表されたシン・ドンヒョク青年=写真右=の証言です。まとめたのは韓国人の人権運動家、金尚憲さん。
シン・ドンヒョク青年は1982年11月19日に政治犯収容所で政治犯の息子として生まれました。収容所内で母と兄の公開処刑に立ち会ったり、強制労働につかされて育ったつらい体験を証言しました。証言を半分に縮めて紹介します。(かるめぎ編集部)
火あぶりによる拷問
1996年4月6日午前8時ごろ、私は学校に着くと、車が学校に来て数人の人が、私のところに来て、何も言わずいきなり手錠を掛けたうえ目隠しをして車に乗せて見知らぬ場所へ連れて行きました。私は、エレベーターで下に降ろされ、目隠しを解かれて、灯りが一つだけ灯った暗い部屋にいることが分かりました。
何もないこの部屋では、私の前の机に男が一人座っていました。この男は、一枚の紙を渡し、読むように言いました。この紙には、朝鮮戦争で韓国に協力し、韓国に逃れた父の二人の兄弟の名前が書いてありました。私は、これを見て、父と兄弟がこの収容所に連れて来られた意味が初めて分かりました。私は、この紙に署名し、指印を押しました。
ここは、地下にある秘密となっている拷問をする第14政治犯収容所第7室で、小さな電灯が一つだけ天井にあるだけで、他には何もない、小さく暗い部屋でした。その日の明け方、母と兄が収容所から逃げようとして捕まったが、これは、家族が共謀して行ったことであると言われました。恐ろしく思いもよらぬ犯罪で、聞いた時には非常に驚きました。翌日私は、ありとあらゆる拷問道具が備えられた部屋に連れて行かれました。
私はこの部屋で裸にさせられ、両足に手錠を掛けられたうえ両腕をロープで縛られてから、両手、両足を天井から吊らされました。一人の男が誰が逃亡計画を考えたのか、本当のことを自白しろと言いましたが、私は何も知らないと言いました。不思議なことに、この時は恐怖というものを感じませんでした。今でも不思議に思っています。
私は、腰部に熱さを感じて悲鳴をあげ、本能的に火から逃れようとしました。拷問は、股の付け根近くを金属製留め金で止められて身もだえも出来ず、大声で叫びましたが、直ぐに意識を失いました。
どのくらいの間無意識でいたかは分かりませんが、気がつくと大便と小便を垂れ流しの状態で体を揺すられていました。私は力を振り絞って起き上がろうとしましたが、腰部に非常な痛みを感じました。私の下腹部は、傷つき、出血していました。数日後、痛みは酷くなり、体も弱わり、酷く悪臭をはなっていることから、警備員は、部屋に入ろうとしませんでした。警備員は、私を向かいの老齢の人が一人いる部屋に移しました。
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2008年03月11日
小林栄さんとの再会を願って 街頭署名活動のお知らせ

あおいのママは昨年、特定失踪者 小林栄さんのご家族と知り合いになりました。救う会茨城を通じて祈りの折り鶴とブルーリボンを贈ったのがきっかけです。その後、年末のしおかぜの集いの際に初めてお会いして少しばかりお話しました。時々ブログを見てくださっているとのことで、大変ありがたく思っています。
小林栄さんは失踪した当時(1966年)印刷会社に勤めていたこともあり、北朝鮮の偽札作りのために拉致された可能性もあるのではと言われています。ご両親は行方が分からなくなってしまった栄さんをずっと捜し求め、再会を願いながらお亡くなりになったと聞きました。
小林さんのご家族は以前から精力的に集会や街頭署名活動にも参加されており、栄さんの救出・再会を一生懸命に訴えています。今度の4月5日の茨城県牛久市で行われる講演会(講師:増元照明さん、荒木和博さん)では、スタッフとして私たちと一緒に活動される予定です。
先日、小林さんから「4月から地元で定期的に署名活動を行おうと思っています」とお聞きしまして、ブログでの告知の許可をいただきましたので、ご紹介したいと思います。特定失踪者ご家族が主催者の署名活動です。
佐貫街頭署名活動
日時:平成20年4月5日(毎月第1土曜日・予定です)
午後1時半〜3時まで
場所:JR常磐線佐貫駅東口(茨城県龍ケ崎市佐貫町)
*上野駅から直通で10駅(土浦・勝田・水戸行き)、約50分の乗車です。
主催:特定失踪者 小林栄さんの弟・七郎さん
問い合わせ:090-4410-3242または029-764-3025
今後、「署名活動・講演会情報」のページにも随時掲載していきます。あおいのママも時間がある時はなるべくお手伝いしたいと思っておりますが、お近くの皆さん、ご家族の皆さん、都合がつくようでしたらどうぞご協力よろしくお願い致します。
*特定失踪者 小林栄さん 昭和41(1966)年8月21日失踪
調査会公開リストより
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=25&mode=search3
*署名活動・講演会のお知らせ
http://aoinomama.trycomp.net/calendar/webcal.cgi
*4/5 拉致問題を考える牛久市民の会 講演会 ご案内
http://aoinomama13.seesaa.net/article/87339197.html
*上の写真は2006年のパネル展の新聞記事から撮影しました。ご家族によると、栄さんは失踪する少し前にボクシングを始めたそうで、その頃撮影した写真ということです。記事には「66年8月、千代田区で失踪した小林栄さん(当時23)。弟は『栄兄がいなくなって何の手がかりもなく月日がたってしまいました。父母は会いたいと念じながら他界しました。きょうだい全員が栄兄に一日も早く会えることを祈っています』。」と書いてありました。
新刊のお知らせ 「家族 '08」(光文社文庫)
2003年7月に刊行された単行本「家族」(家族会・著 光文社 1600円)が増補され、新たに文庫として3月12日に発売されます。(440頁 705円+税=740円)
「家族」は03年5月くらいまでの出来事を詳細に記していますが、その後にも色々なことが起きていますので、それらを増補し「家族 '08」として文庫化することになったということです。
先日、「家族」「家族 '08」ともに取材・構成を担当された小山唯史さんより連絡をいただき、ご紹介させていただきました。いつもありがとうございます。皆さん、どうぞよろしくお願い致します。
*4月5日の茨城県牛久市の講演会で「家族 '08」と「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」を販売することになりました。販売担当はあおいのママです。講演会の方もよろしくお願い致します。
*4/5 拉致問題を考える牛久市民の会 講演会 ご案内
http://aoinomama13.seesaa.net/article/87339197.html
*「家族 '08」(光文社文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E2%80%9908-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%81%8D16-1-%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%8B%89%E8%87%B4%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%AE%B6%E6%97%8F%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A/dp/4334743994/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1205202722&sr=1-3

*1月23日発売日に「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」(横田滋・早紀江著 光文社)が我が家に届きました。本当に感謝致します。
*新刊のお知らせ 「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」(横田滋・早紀江著 光文社)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/80177796.html
「家族」は03年5月くらいまでの出来事を詳細に記していますが、その後にも色々なことが起きていますので、それらを増補し「家族 '08」として文庫化することになったということです。
「拉致問題について、あらためて理解が広がる、あるいは、より理解が深まる一助になればと考えておりますので、何卒、宜しくお願い申し上げます。」(小山さん)
先日、「家族」「家族 '08」ともに取材・構成を担当された小山唯史さんより連絡をいただき、ご紹介させていただきました。いつもありがとうございます。皆さん、どうぞよろしくお願い致します。
*4月5日の茨城県牛久市の講演会で「家族 '08」と「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」を販売することになりました。販売担当はあおいのママです。講演会の方もよろしくお願い致します。
*4/5 拉致問題を考える牛久市民の会 講演会 ご案内
http://aoinomama13.seesaa.net/article/87339197.html
*「家族 '08」(光文社文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E2%80%9908-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%81%8D16-1-%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%8B%89%E8%87%B4%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%AE%B6%E6%97%8F%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A/dp/4334743994/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1205202722&sr=1-3

*1月23日発売日に「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」(横田滋・早紀江著 光文社)が我が家に届きました。本当に感謝致します。
*新刊のお知らせ 「めぐみ手帳―娘を取り戻すための記録」(横田滋・早紀江著 光文社)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/80177796.html
2008年03月07日
柏で爆弾テロ!?
![200803061406000[1].jpg](http://aoinomama13.up.seesaa.net/image/2008030614060005B15D.jpg)
昨日(3/6)あおいのパパが休日だったので午後からママとデートをしました。ちょっと風はあったけど良い天気で、お出かけには最高の日和でした。
私は少々用事があったので先に出かけました。柏の駅前に向かって歩いて行くと何やら道路がやけに混んでいます。そして先の方では警察が交通整理をしていたので、事故でもあったのかな?と思いました。やじ馬もいっぱいでした。
とにかく早く用事を済ませ、現場をこっそり覗いて見ました。あっ、こ、これはもしかして爆弾テロでは?とその瞬間頭をよぎりました。だってその周りの道路はすべて封鎖しているし、やじ馬の見つめる先には大勢の爆弾処理班?鑑識班?が慎重に何かしているし。う〜ん、一体何が起きたのかしら?やっぱりテロ?
すぐにパパがやって来て「何があったの?」と私に聞いた時、そばにいた人が「不審物の処理みたいですよ」と教えてくれました。それで一応周りを避難させていたようです。処理にかなり時間はかかったみたいでしたが、結局大したことじゃなかったようです。ホントよかったぁ、大ごとじゃなくて!!
![200803061409000[1].jpg](http://aoinomama13.up.seesaa.net/image/2008030614090005B15D.jpg)
*やじ馬の皆さんが大勢ケイタイで写真をパチリと撮っていました。私もその一人・・・。
そういえば前にもパパの休みの日に二人で出かけて、駅前通りで強盗事件がありました。('06 12/25)今年1月には放火と思われる事件があったし「柏って本当に色々あるね」と言いながら二人で駅に向かって歩いて行きました。(大げさな題名でごめんなさい!)
*'06 12/25 柏で強盗事件発生
http://aoinomama13.seesaa.net/article/30474721.html
2008年03月06日
'08 3/5 TBS「筑紫哲也NEWS23」“天国の国境”(3)自由への10,000キロ
*3/5連日放送の「筑紫哲也NEWS23」の一部、特別企画最終回を文字化テキストにしました。(番組は約20分間)よろしかったらご覧になってください。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の三浦小太郎さんより番組情報の連絡をいただきました。いつも本当にありがとうございます。
*'08 3/4 TBS「筑紫哲也NEWS23」
“天国の国境”(2)人身売買と麻薬取引
http://aoinomama13.seesaa.net/article/88382086.html
続き
“天国の国境”(3) 脱北者たち決死の国境越え10,000キロに完全密着
【キャスター・膳場貴子さん】(スタジオにて)
「こんばんは。NES23です。今夜はまず大きな反響をいただいています特別企画“天国の国境”、その最終回をご覧いただきます。」
【キャスター・三澤肇さん】
「天国を夢見て北朝鮮を脱出しながら、国境の先中国でも非合法な存在として最底辺の暮らしを余儀なくされる脱北者たち。彼らは韓国を目指すために更なる危険を冒します。中国からラオスを経て、そしてタイへ。着のみ着のままで山に分け入り川を渡るのは7人の女性と9歳の男の子でした。その距離、実に10,000キロメートル。命までをも危険にさらしながら脱出する姿をご覧いただきます。」
“天国の国境” 家族と別れて・・・
【ナレーター】
その女性は電話で母に別れを告げていた。(2007年8月)「お母さん、元気でね。泣かない約束だったじゃない。お母さん・・・。」
脱北者・ヨンハ(20)。北朝鮮から逃れ、母・弟と共に中国に隠れ住んでいた。20歳の彼女は生活のためにネット上で裸を見せ、わいせつな会話に応じる画像チャットという仕事を続けてきた。去年8月、彼女は家族を残し中国を密出国するために家を出た。中国と国境を接するラオスからタイを経て韓国へ。資金はヨンハ一人分しか工面できなかった。
ヨンハがまず身を寄せたのは中国東北部の町・瀋陽にあるアパートの一室。脱北者支援の団体が用意した隠れ家だった。様々な年代の大人に交じって幼い少年もいた。ミンチョル、9歳。
【ナレーター】
4年前に北朝鮮を出て、先に韓国入りしたミンチョルの母はブローカーに金を払い息子を脱北させた。費用の問題から家族バラバラに脱北させるというケースは非常に多い。出発の日が来た。命がけの旅に出る者とこの場に残る者。別れを惜しむ彼らは声を殺して泣いていた。周囲の住民に聞かれ怪しまれてはならないからだ。
今回、タイへ向かうのは8人。9歳のミンチョル以外は全員女性だ。中国の一般客に交じって脱北者たちは駅の中を急ぐ。北京からラオス国境近くの昆明(こんめい)までは列車での移動となる。
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*'08 3/4 TBS「筑紫哲也NEWS23」
“天国の国境”(2)人身売買と麻薬取引
http://aoinomama13.seesaa.net/article/88382086.html
続き
“天国の国境”(3) 脱北者たち決死の国境越え10,000キロに完全密着
【キャスター・膳場貴子さん】(スタジオにて)
「こんばんは。NES23です。今夜はまず大きな反響をいただいています特別企画“天国の国境”、その最終回をご覧いただきます。」
【キャスター・三澤肇さん】
「天国を夢見て北朝鮮を脱出しながら、国境の先中国でも非合法な存在として最底辺の暮らしを余儀なくされる脱北者たち。彼らは韓国を目指すために更なる危険を冒します。中国からラオスを経て、そしてタイへ。着のみ着のままで山に分け入り川を渡るのは7人の女性と9歳の男の子でした。その距離、実に10,000キロメートル。命までをも危険にさらしながら脱出する姿をご覧いただきます。」
“天国の国境” 家族と別れて・・・
【ナレーター】
その女性は電話で母に別れを告げていた。(2007年8月)「お母さん、元気でね。泣かない約束だったじゃない。お母さん・・・。」
脱北者・ヨンハ(20)。北朝鮮から逃れ、母・弟と共に中国に隠れ住んでいた。20歳の彼女は生活のためにネット上で裸を見せ、わいせつな会話に応じる画像チャットという仕事を続けてきた。去年8月、彼女は家族を残し中国を密出国するために家を出た。中国と国境を接するラオスからタイを経て韓国へ。資金はヨンハ一人分しか工面できなかった。
ヨンハがまず身を寄せたのは中国東北部の町・瀋陽にあるアパートの一室。脱北者支援の団体が用意した隠れ家だった。様々な年代の大人に交じって幼い少年もいた。ミンチョル、9歳。
【脱北者・ミンチョルくん(9)】(母との電話)
「大丈夫だよ、今は。病気なんかしてないよ。お母さんのとこ行くんだもん。」
【ナレーター】
4年前に北朝鮮を出て、先に韓国入りしたミンチョルの母はブローカーに金を払い息子を脱北させた。費用の問題から家族バラバラに脱北させるというケースは非常に多い。出発の日が来た。命がけの旅に出る者とこの場に残る者。別れを惜しむ彼らは声を殺して泣いていた。周囲の住民に聞かれ怪しまれてはならないからだ。
今回、タイへ向かうのは8人。9歳のミンチョル以外は全員女性だ。中国の一般客に交じって脱北者たちは駅の中を急ぐ。北京からラオス国境近くの昆明(こんめい)までは列車での移動となる。
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2008年03月05日
'08 3/4 TBS「筑紫哲也NEWS23」“天国の国境”(2)人身売買と麻薬取引
*3/4放送の「筑紫哲也NEWS23」の一部を文字化テキストにしました。(番組は約11分間)よろしかったらご覧になってください。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の三浦小太郎さんより番組情報の連絡をいただきました。いつも本当にありがとうございます。
“天国の国境”(2)人身売買と麻薬取引
【キャスター・三澤肇さん】(スタジオにて)
「この後は昨日に引き続き特別企画“天国の国境”です。」
【キャスター・膳場貴子さん】
「『天国に通じる』と信じて渡った国境。その先で脱北者たちが直面したのは、金儲けのためや安易な労働力として自分たちを利用する人々、そして底辺を這うような生活でした。今夜も“天国の国境”第2弾『今国境で起きていること』です。
“天国の国境” 川を越え 売られるのは・・・
【ナレーター】
北朝鮮と中国の国境を流れる豆満江(トマンコウ)。北朝鮮から川を渡って来たのは全裸の男だ。
【ナレーター】
ガタガタと震える男。9月とはいえ、辺りは10度近くまで冷え込む時期だ。('07年9月20日)一体、何のために渡って来たのか?男が大事そうに抱えてきた物、それは―。
【ナレーター】
男は麻薬の密売人だった。取り出したのは“氷”と呼ばれる北朝鮮製の麻薬。何故こんな物を入手できたのか?
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“天国の国境”(2)人身売買と麻薬取引
【キャスター・三澤肇さん】(スタジオにて)
「この後は昨日に引き続き特別企画“天国の国境”です。」
【キャスター・膳場貴子さん】
「『天国に通じる』と信じて渡った国境。その先で脱北者たちが直面したのは、金儲けのためや安易な労働力として自分たちを利用する人々、そして底辺を這うような生活でした。今夜も“天国の国境”第2弾『今国境で起きていること』です。
“天国の国境” 川を越え 売られるのは・・・
【ナレーター】
北朝鮮と中国の国境を流れる豆満江(トマンコウ)。北朝鮮から川を渡って来たのは全裸の男だ。
【取材者】(取材:朝鮮日報)VTR
「一人で来たのか?」
【北朝鮮の男性】
「はい・・・。」
【ナレーター】
ガタガタと震える男。9月とはいえ、辺りは10度近くまで冷え込む時期だ。('07年9月20日)一体、何のために渡って来たのか?男が大事そうに抱えてきた物、それは―。
【取材者】VTR
「それは何?」
【北朝鮮の男性】
「クスリです。最高級ですよ。」
【ナレーター】
男は麻薬の密売人だった。取り出したのは“氷”と呼ばれる北朝鮮製の麻薬。何故こんな物を入手できたのか?
【取材者】VTR
「どこで作られた物ですか?」
【北朝鮮の男性】
「ピョンソンで・・・。」
【取材者】
「国家か個人で?」
【北朝鮮の男性】
「南の方のナンポという所で国家が計画的に作っています。」
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'07 12/14 北朝鮮人権問題啓発週間国際会議 海老原智治さん(北朝鮮に拉致された人々を救う会チェンマイ代表)

*昨年末の北朝鮮人権問題啓発週間に開催された国際会議(北朝鮮難民救援基金・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・特定失踪者問題調査会・法律家の会、4団体共催)午後の部での北朝鮮に拉致された人々を救う会チェンマイ代表 海老原智治さんの報告と提言のレポート(事前配布のレジュメ)です。順不同でご紹介しております。ビデオカメラの調子が悪く、撮影ができませんでした。(主催者側より撮影及びレポート掲載の了承済みです)
テーマ:北朝鮮の人権状況の改善に何ができるか
【海老原智治さん・ARNKA代表】
*以下、事前配布のレジュメです。
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1.タイ―北朝鮮関係とタイが直面する北朝鮮人権問題
タイは長く韓国と北朝鮮の双方と国交を有し、韓国とは1958年に、北朝鮮とは1975年に国交樹立している。タイと北朝鮮は今年で国交32年目となる。この32年の間、タイと北朝鮮は要人の相互訪問を繰り返し、文化交流事業や経済交流が進んできた。特に貿易面では、タイ税関のデータによる2006年の北朝鮮の対タイ年間貿易高は13,741,571,735バーツ(1バーツ=約3.75円)で、北朝鮮にとっては中国・韓国に続き対外貿易額第3位の相手国となっている。
その一方、2005年にはチャールズ・ジェンキンスさんの証言と北朝鮮から持ち帰った写真により、タイ人拉致被害者1名の存在が明らかになった。また、2003年頃以降、中国に逃れた北朝鮮難民が第3国に定住するための脱出先として東南アジアを目指し始めた結果、タイは2006年にはタイ当局による拘束数ベースで約1,000人の北朝鮮難民が流入するなど、現在、中国を除けば北朝鮮難民の最大の脱出先となっている。
タイはこのように、北朝鮮にとって最重要貿易相手国のひとつであると同時に、北朝鮮政府による拉致(=外国人に対する人権侵害)と、北朝鮮難民(自国民に対する人権侵害の結果)の双方で、深い関連を有する国となっている。
2.拉致の状況
現在判明しているタイ人拉致被害者は、1978年にマカオで拉致されたタイ人女性アノーチャー・パンチョイさん1名である。2005年のチャールズ・ジェンキンスさんの証言とその追跡調査から、アノーチャーさんは1978年にマカオに出稼ぎに行った際に当地で拉致され、二人のマカオ人女性と共に船で北朝鮮に連れてこられたことが明らかになっている。
タイ政府は、北朝鮮との関係に配慮してアノーチャーさんの案件を「拉致」とは呼ばず「行方不明者」としながらも、判明直後から北朝鮮との2国間交渉により照会・調査・共同作業部会の設置等を依頼してきたが、北朝鮮側は現在まで一貫してアノーチャーさんの存在を否定しており、これまで具体的な進展は出ていない。証言者のジェンキンスさんに対しては北朝鮮はでっち上げだと非難している。
その他、1982年には10名のタイ人女性が日本に行くと騙されて、1年間北朝鮮の外貨食堂で働かされ翌年帰された事例が明らかになっている。さらに、2006年7月末にはソウルでタイの偽パスポートを所持した北朝鮮工作員が逮捕されている。
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2008年03月04日
'07 12/14 北朝鮮人権問題啓発週間国際会議 三浦小太郎さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表)

*昨年末の北朝鮮人権問題啓発週間に開催された国際会議(北朝鮮難民救援基金・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・特定失踪者問題調査会・法律家の会、4団体共催)午後の部での守る会代表・三浦小太郎さんの報告と提言の要旨レポートです。(約10分間)順不同でご紹介しております。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者側より撮影及びレポート掲載の了承済みです)
テーマ:北朝鮮の人権状況の改善に何ができるか
【三浦小太郎さん・守る会代表】(*下記に事前配布のレジュメがあります)
・・脱北者の色んな苦難の状態はまったく変わっておりません。こういう中で本日、金尚憲(キム・サンホン)さんが問題提起されました北朝鮮人権データベースセンター、あの試みは大変意義の深いものだと思います。
今、それぞれのNGOはそれぞれ別個に脱北者を助けたり拉致問題に取り組んだり、そういう活動をしております。もちろんそれは重要なことでございますが、できればそのような方々の情報をどこか一か所にできるだけ統括する、情報をまとめていく、そしてそれを共有財産としていく。このまとまった財産は文章だけである必要はないと思います。映像であったり、あるいは韓国や日本に来てからのインタビューであったり、そのようなものをできるだけ集約していって一つの機関にまとめていき、そしてその機関を通じて、これはもちろんそこで情報を精査するということが必要です。
そして「これは確実に国際的に訴えるべきものである」という場合は、そのような情報を国連でありますとか、あるいはその他国際社会に訴えていく、情報としてどんどん提供していく。もちろんオリンピック委員会の方にもそういう情報を伝えていく。このような作業が必要だと思います。
現在私ども守る会の方では、今日本にいらっしゃる脱北者4人の方から、日本人妻がお二人、脱北者がお二人ですけども、この4人の方からかなり長い時間をかけて聞き取りを行いました。この書類などは一応まとまっておりますので、もちろん契約とかそういった作業をしなくてはいけませんけれども、金尚憲(キム・サンホン)さんのデータベースセンターなり、そのような共通の財産にして提出することができるかと思います。
もう一つはですね、これはやはりもうほとんどの方がご指摘されるように、北朝鮮問題というのは事実上中国の問題であります。中国が脱北者の不当逮捕や強制送還を停止して、中国に脱出して来た人は安全に日本・韓国・アメリカなどに行けるという枠組みができさえすれば、私はこの北朝鮮問題は大きく解決に近づくだろう、とこのように考えています。
先ほども林飛先生の方から非常に重要な報告がされましたけれども、北京オリンピックが非常に近くなってきています。正直言って一部の運動家の中には「北京オリンピックはもう既成事実で変えられないんだ」と「今さら反対しても無駄なんだ」と、もしかしたら思っている方もいるかも分かりませんが、近づいてきたからこそ中国は中国の人権の批判に関してかなり敏感になってきています。
これはダルフールの問題に明確に表れています。欧米諸国が今回、ダルフール問題に対して中国に非常に厳しく、本当に数名の指導者ですが、その方々が主張しただけで中国はダルフールに関しての政策を大きく変え始めている、PKOの派遣ですとか非常に大きく変え始めております。これを脱北者の問題でも適用できないはずがないですね。次の大統領選挙で、もちろん私たちは韓国の内政にどうこう言う立場ではありませんけれども、北朝鮮人権問題に対して厳しく言う政権ができさえすれば、日米韓が連帯して、この脱北者の問題で中国に姿勢を変えるように強く要求することができるのではないかと思います。
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2008年03月03日
'07 12/9 第18回藤沢市民集会 パネルディスカッション(3)杉野正治さん

*集会後半に行われたパネルディスカッションの要旨レポートです。(約1時間)何回かに分けてご紹介する予定です。杉野さんのお話は約6分間です。ビデオ撮影した音声の聞き取りがかなり困難なため、間違いやカン違いの可能性もあります。どうぞご了承ください。(主催者より撮影及び掲載許可を得ています)
*当日、集会前半の杉野さんのお話です。
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*'07 12/9 第18回藤沢市民集会
杉野正治さん(特定失踪者問題調査会常務理事)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/83712002.html
【川添友幸さん・救う会神奈川代表】
次は杉野さんにおうかがいしたいと思います。この中で特定失踪者問題調査会ニュースを読まれている方がどのくらいいらっしゃるか分からないんですが、そのニュースで先日、政府から調査会に送られた回答書の対応がどうなのかなと思いました。ある人たちに言わせると「事実上の棚上げではないか」と、特定失踪者家族の高野さんも訴えていましたが。そういう政府の対応について、今後どういうことをされるか、どういうことをしようかと、その辺のことをお願い致します。
【杉野正治さん・特定失踪者問題調査会常務理事】
はい、先ほどの話の中でも「総理に会わせてくれ」に対して、結論的には「会わない」という答えがあった、と申し上げましたけれども、より正確に言うとその回答書の内容というのは「政府としては認定被害者以外にも拉致をされた可能性を排除できない方がいるという前提で解決に努力しています。そこで拉致認定以外の方についてのご相談は拉致対策本部で受け付けており、今回のご要望に対しても同様に対処します」という非常にお役所的な、つまり「同様に対処します」ということは「会わない」ということです。
そういうお役所的なことでは埒が明かないから総理に会わせろということなんですけども。
で、一つは拉致認定という一種のハードルがあるんですよね。これ自体が非常に何て言うかパラドックスに陥っているという、つまり認定をしない限りは北朝鮮に対して「返せ」という交渉にならないわけですよね。なんだけども、それをどうやって認定にこぎつけるか。あの9.17以降に拉致認定された方というのはわずか2人で、この調子でいくと拉致被害者というのは解明されないままになるわけです。
特に今日もご家族がお見えになっておりますけども、特定失踪者という拉致をされている可能性がある、もちろんそうではない可能性もあるんですけども、北朝鮮が拉致をしなきゃそんなこと心配する必要もないわけですから。家族はすごく心配されています。
そういう意味では、政府は「北朝鮮と交渉して拉致されている全員を取り返す」と言っているわけですから、政府認定17名という自分で自分の制限をしているというか、枠を狭めるというようなことをしながら交渉していくというのは、交渉するということは一種の戦いですから、先ほど出たように。この中で自分サイドの枠を狭めて問題を矮小化していくというその姿勢自体を正していただかないと、本当の問題の解決は無理だと思います。
ですから「今回会わない」ということは当然「納得いかない」という方向で、また「別の措置を考える」という捨て台詞を残してきました。
*「総理は特定失踪者家族に会わない」 要請書への政府回答
荒木和博さんのブログより
http://araki.way-nifty.com/araki/2007/11/post_5d95.html
【川添友幸さん・救う会神奈川代表】
ありがとうございます。政府認定以外の人たちに対して色々と難しいかもしれませんが、しっかり対応していただきたいと思いますし、特定失踪者家族の支援も私たち救う会神奈川としましてもバックアップしていきたいと思います。
(4)に続く
*'07 12/9 第18回藤沢市民集会
パネルディスカッション(4)石高健次さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/99566724.html
2008年03月02日
'07 12/14 北朝鮮人権問題啓発週間国際会議 林飛さん(中国民主運動海外連席会議 日本支部代表)

*昨年末の北朝鮮人権問題啓発週間に開催された国際会議(北朝鮮難民救援基金・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・特定失踪者問題調査会・法律家の会、4団体共催)午後の部での中国民主運動海外連席会議 日本支部代表・林飛さんの報告と提言の要旨レポートです。(事前配布のレジュメです)順不同でご紹介しております。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者側より撮影及びレポート掲載の了承済みです)
テーマ:北朝鮮の人権状況の改善に何ができるか
【三浦小太郎さん・守る会代表】
この脱北者の問題を語る時に避けて通れないこと、と言うより、北朝鮮問題を語る上で避けて通れないのが中国の問題であります。天安門事件以降ですね、中国の民主化運動、またその民主化運動の方々が韓国に亡命し、日本の場合は特別在留許可だと思いますが、中国民主化の戦いを続けておられます。中国民主運動海外連席会議 日本代表の林飛さんから「中国民主化運動の視点から見た北朝鮮問題」をお話いただければと思います。
【林飛さん・中国民主運動海外連席会議 日本支部代表】
*以下、事前配布のレジュメです。
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中国共産党は北朝鮮人権問題解決への最大の障害
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中国共産党は北朝鮮人権問題解決への最大の障害
現在、北朝鮮人権問題は国際社会の大きな注目を浴びています。北朝鮮人権は改善どころかますますエスカレートし、つい最近も公開処刑を行い、国際社会から非難されています。しかも核実験を強行し、国際社会を脅し、恐喝して経済援助を得ようとしています。
三週間前、私は在日中国朝鮮族の方に中国延辺地域の脱北者の状況について聞いてみました。彼の話によると、中国に逃げた脱北者は非常に危険な状況におかれ、中国の警察及び北朝鮮の秘密警察に捕まって北朝鮮に強制送還され、様々な拷問や強制労働、ひいては処刑など過酷な運命が待ち受けているようです。北朝鮮当局は政治犯の処刑の際、銃弾を節約するため首を吊るして殺すようです。
このような非人道的なやり方は、北朝鮮の人権問題が全然改善されていないことを如実に現しています。特に、脱北者問題と拉致問題の進展が全く見られず、短期内の解決には期待できない状況であります。
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2008年03月01日
'07 12/14 北朝鮮人権問題啓発週間国際会議 中川正春さん(衆議院議員)

*昨年末の北朝鮮人権問題啓発週間に開催された国際会議(北朝鮮難民救援基金・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・特定失踪者問題調査会・法律家の会、4団体共催)午後の部での衆議院議員・中川正春さんの挨拶の要旨レポートです。(約10分間)順不同でご紹介しております。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者側より撮影及びレポート掲載の了承済みです)
テーマ:北朝鮮の人権状況の改善に何ができるか
【三浦小太郎さん・守る会代表】
ここでですね、衆議院議員の中川正春先生が会場にお見えになっております。午前の部では逢沢一郎先生にご挨拶をいただきましたけれども、北朝鮮人権法案設立のために私たちと最も志を同じくして活動してくれた方でございます。どうか中川先生、檀上の方によろしくお願い致します。(拍手)
【中川正春さん・衆議院議員】
皆さん、改めてこんにちは。(会場から「こんにちは」)こうしてせっかくの機会をご挨拶の機会を与えていただいて感謝申し上げたいと思います。また人権法によって年に1回はこういうかたちで皆さんが結集をしてシンポジウムを、あるいは新たな運動展開のきっかけにしていこうということで定めさせていただいた、そんなことがそれぞれ4つの団体のNGOの皆さんの努力で今日は活発に議論が開かれているということ、心から感謝を申し上げたいなと思います。
あの一つ残念なのは加藤さん(北朝鮮難民救援基金)にも叱られているのですが、日本のこれまでの拉致を中心にした問題提起ということだけではなくて、本来は北朝鮮の人権の状況、脱北者というかたちで日本に韓国に逃げて来ている難民としての立場の皆さん、韓国の中で離散家族というような行方不明者というかたちでですね、問題意識を、このような問題を人権という共通項でとらえて、それぞれ2国間ベースの交渉じゃなく結集をして多国間で交渉ベースを作っていくということ、そんなことに向いて日本の政府もしっかりと方向づけをして取り組んでいくといいんですけれども、相変わらず正直なところ、拉致という問題で限定をされたかたちの展開しかまだできていないという状態です。
このことに対して私自身も力がもう少し足りないな、本来民主党が政権取ったらもっとやるんだけどな、というようなそんな気持ちでですね、(会場笑い)これからも挑戦していきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。
昨日ですね、強制収容所から脱北をして韓国にやって来た3人の皆さんの証言を国会の中で私たちもやっていただくことができないかということで、自民党も与党も野党も含めて参加をしてくれたんです。これは効果がありました。後のやっぱり反応もしっかり出ておりまして、あそこまで生々しい表現・証言というのはやっぱり議員の心を本当に打ちました。
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