
*あおいのママは2007年12月15日、東京・永田町の星稜会館で行われた証言と提言の集会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会主催)に参加しました。当日、会場には関心のある100人以上の方がお集まりになっていたと思います。もうすでに約1年半前になってしまいました、その集会で登壇された元強制収容所警備兵の安明哲さん(「北朝鮮絶望収容所」著者・ワニ文庫)の証言を要旨レポートにしました。だいぶ時間が経っておりますが、よろしかったらご覧になってください。聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。(*主催者より掲載許可をいただいております)
*安明哲(アン・ミョンチョル)さんが描いた絵です。(2006年12月12日撮影)
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*安明哲氏の強制収容所スケッチ
http://akemama13.seesaa.net/article/74070002.html
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*安明哲氏の強制収容所スケッチ
http://akemama13.seesaa.net/article/74070002.html
【元強制収容所警備兵・安明哲さん】(通訳:宋允復さん・守る会事務局長)
こんにちは。安明哲です。こうして収容所についてお話する機会をいただきまして大変ありがとうございます。
私は'87年に北朝鮮の高校を卒業しまして、専門学校に行った後に、父親が党の幹部をしていたものですから、その父親の推薦によって'87年の5月に政治犯収容所の警備兵として仕事をすることになりました。当時、私は事前にそうした政治犯収容所なるものがあるということをまったく知りませんで、ただ国が党が教えているように「北朝鮮は世界で一番幸せな生活をしている国」だとばかり思っていました。
私は当初、咸鏡北道鏡城郡にある11号収容所に入隊しまして、最初の3か月は新兵教育をそこで受けました。それから本式に配置されましたのが同じく咸鏡北道穏城郡にある13号の収容所であります。その13号の収容所では3年間勤務したんですけれども、その間にアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮の政治犯収容所の存在を暴露する報告を出したので北朝鮮は大変動揺し、'90年代の初頭に情報漏えいの大きい国境に隣接した収容所の統廃合という作業をしました。その作業に私は動員されまして、まず13号の収容所から次に会寧(フェリョン)の22号収容所、それから一時期平壌郊外にある26号、これは“勝湖里収容所”という名前で知られていますけれども、その26号収容所で半年勤務して、またさらに22号の収容所に戻って、そこで'94年に北朝鮮を脱出するまで引き続き勤めておりました。
私がその間勤務した収容所は、すべて先程話のあった申東赫(シン・ドンヒョク)さんの生まれ育ったような完全統制区域でありまして、基本的に一度入ったら二度と生きて出て来ることはない、死んでも出て来られない、そういう地域です。
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